ガゼルパンチ→昇天→転生(今この辺)
気付いたら僕はまた中庭のいつものベンチに座っていた。同じなのはいつものベンチに座っているということだけで、他はいつもと違いすぎた。
世界の時間は止まっていて、目の前には頭のおかしい百という(自称)神様がいる。時間を止めるような某少年誌キャラがいたような気がしたけど、これは現実だ。漫画の世界ではない。
「もう分かったよね?キミが今置かれている状況が」と、腰に手をあてながら百が言った。ぷっくりとした唇がパクパクと動く。
「あの…一つ質問していいですか?」
「うん。…あ、その前に言っておくけどさぁ。キミのその喋り方どうにかならないかな?」
「と、言いますと?」
彼女は苦虫を噛み潰したような、あからさまに嫌そな顔をした。
「それだよそれ、その気持ち悪い敬語~。僕様ちゃんそういうの聞いてると気持ち悪くなるっていうか、鳥肌が立つって言うか…すごい苦手なんだよね。もっとリラックスして話せないかなぁ。ほら、肩の力抜いてさぁ」
知らない人と急にフレンドリーに話せるほど人間できていないので、僕は敬語を使っていた。しかしそれを指摘されてしまった。
百の歳はおそらく(?)同じぐらいのため、使うなと言われればなんとかできなくはない。
「ごめん。…じゃあ聞くけど、僕は死んでるんだよね?けどここは現実でしょ?それとキミは本当に神様なの?」
一つだけ聞くつもりが、一度に聞きすぎてしまった。人は未知のものと遭遇すると、それについて言及したがる生き物らしい。
「そんな一度に聞かないでよ、ちゃんと順に説明するから。それと、私の事は百って呼ぶように」
今までの癖で《さん》とか《君》とか、今まで人に対しては敬称をつけて話していたため、それを急に無くすのは抵抗があった。そもそも僕は女の子の名前を呼び捨てで呼んだ事など一度もない。そういえば百っていうのは名前だとしても、名字はあるのだろうか。
「それじゃ、まず私が神様か?って事について話すよ。…はいそうです、私が神様です」
そこまではっきり言われると、そうですかと頷きたくなるが、胡散臭いにもほどがある。
「そう言われても信憑性がないんだよなぁ。それと、もうつっこんでいいと思うけど、なんでそんな格好してるの?」
「えっ?そりゃ………可愛かったから」
百はそっぽを向きながら呟いた。そして続けざまに反撃にでた。
「いいじゃん別に、僕様ちゃんの勝手でしょッ。それに、神様がパンダのきぐるみ着てちゃいけないっていうルールがあるの?」
「そんなルールないけど…そもそも神様がこうやって普通にいるって事が間違ってるんじゃないですか_____じゃなくて、間違ってるんじゃないの?」自分の口調に訂正をいれる。
「う…。けど僕様ちゃんがここにいるのは、キミのせいなんだからな!」
百はしかめっ面を作った。しかし怒っているにもかかわらず表情がなかなか画になっていて、あまり怒られているような気がしない。
「あー、ハイ。じゃあ百は神様っていう事でこの話は一回置いとくとして………僕のせいって?」
腕組みをしながら「ホントに神様だよ」と言ってる百は、しぶしぶ解説に戻った。
「えーっと…なんの話だっけ…あ、そうだ。僕様ちゃんが見せた過去の通り、キミは死んでるよ。で、キミは死んだにも関わらず、なんでこうやって生きてるのか?って言いたいんだよね?」
僕は頷いた。ベンチの横を見ると、未だに彼女が同じ表情でそこにいた。ここまで来ると、止まっているとしか言えない。
「キミが死んでるっていうのはあってるんだけどさ~、生きてるって言うのは間違ってるんだよね。そもそもそんなの矛盾してるぢゃん?」
確かに矛盾に違いなかった。その両方を満たす存在は現実的に考えればありえない。空想上で考えるとすれば、ゾンビとかはそれに該当するのかな。
「で、キミはゲームでいうところのバグみたいな感じかな。あ、エラーとも言うね。それで、そう言うのが出てくると周りに支障が出てくるでしょ?だから僕様ちゃんがそれを直しに来たんだよ」
ということは、百は差し詰め創造主っていうところなのだろう。確かに神様となんら変わりない。
「バグ?………って、つまりどういうこと?」
なんで分かってくれないんだとばかりに、百々は頭を掻いた。きぐるみだからその動作が少しシュールだった。
「なんて言えばいいのかなぁ…。人間って死んだら一回そこで終わる。分かるよね?」
「で、人間が死ぬと、その魂はリセットされるの。そうやって魂はまたこの世に生を受ける_____こういう循環の元、世界が廻ってるんだよ」
前者はいいとして、最後は精神論みたい事を説かれた。
「キミはつまり、その狭間にいるの」
「………」
頭の整理が追い付かない。僕は流れに身を任せる事にした。
「キミ~。喋らなくてもいいと思ってるけど、僕様ちゃんにはキミの思ってる事が筒抜けなんだからネ」
「…すいません」
「で。話を戻すんだけどさぁ。______さっき、キミが生と死の狭間にいるって事は言ったよね?で、ほんとはそんなのほっとけば勝手に治ったり消えたりするんだよ。けどね…キミの場合は、こうやって残り続けちゃってるんだよね~。なんでか知らないんだけどさ」
百は眉間に眉を寄せて、困った顔をした。先程から見ている風景はなんの動きもなく、目の前の神様だけがコロコロと表情を変えていた。
「なんか適当ですね」
「適当って言わないでよ。だからこうやって出てきたんぢゃん」
ハイハイと軽くあしらって、話しを続けさせる。
「そこで問題なんだけど…そこの横の子_______」
百が指差した先には、車椅子に座った彼女がいた。やはりピクリとも動かない。
「バグであるキミが、それでもその子と一緒にいたから、段々引っ張られてきてるよ…彼女」
「引っ張られてるって、何にですか?」
ふぅというため息をつき、ある程度間を空けてから彼女は言った。
「…死にだよ。キミは今真ん中の存在なの。だから、生きてるモノは死に引っ張られて、死んでるモノは生に引っ張られてるの」
耳から入った情報がぐるぐると巡って、ようやく脳に送られる。
「…それってつまり、僕と一緒にいると…死んじゃうってことですか?」
ベンチに座っている僕は、車椅子のある方と逆側に体をずらした。
「って言っても、もう大丈夫だよ。時間止まってるしね。…そういえばさぁ、キミ口調が戻ってきてない?」
そういえば、また喋り方が敬語に戻ってきていた。体に染み込んだ習慣というものは、なかかな変えるの難しいようだ。
「戻せって言いたい所だけど…ま、いっか。どうせキミ無理だし」
そうだ、と言わんばかりに彼女が校舎の方に歩き始めた。
「こうやって立ち話も飽きるし、ちょっと歩こうよ」
きぐるみを着た百が、短い短い歩幅でてくてく進む。百がある程度進んだ所で、僕は時間の止まった彼女を一瞥してその後を追った。
「_______で、さっきの続きなんだけどさ。問題はもう一個あるんだよね」
見慣れた学校の廊下を、パンダのきぐるみの女の子が闊歩している。違和感というか、その光景はあまりにも奇妙だった。
「問題ですか…。けど、今更問題が増えた所であまり驚きませんよ…」
キョロキョロと校内を見まわしながら歩く彼女は、もののついでのように言った。
「キミさ、あの子と結婚して幸せになるはずだったんだよね~。将来的にはね」
僕の足がその場で止まった。一瞬自分までも、時間が止まってしまったかのように錯覚する。…1、2、3。はい、深呼吸、深呼吸。
「け、ケッコンンンンンンンン!!!!!?」
自分でも驚くぐらい大きな声が飛び出した。
そしてそれに驚いたのか、目の前の彼女が何もないところで派手にずっこけた。顔面から硬質の床に向かってダイブしている。
「ちょ…いきなり大声出さないでよ!びっくりしたぢゃん!」
床に手をついた状態で振り向きざまに彼女が言った。彼女は胸に手を当てて、ハァハァと息をしている。見方によっては一仕事終えて、疲れ切ったパンダのようにも見えた。
「そりゃこっちだってびっくりしますよ。って、なんでそんな事分かるんですか?」
膝をパンパン叩いて立ち上がる彼女が、さぞ当たり前のように言った。
「え?だって僕様ちゃん、神様だし」
…そうでしたね。
「ところで、そういうのって決まってるものなんですか?」
「うん。物事っていうのは必然の上に成り立ってるもので、少しの誤差をあるかもしれないけど~、大体は決まってるよ」
…そういうものだそうです。
「で、問題はここからなんだけど。その結婚するはずだったキミが死んじゃった事によって、彼女はどうなると思う?」
百はまた同じように廊下を歩きだした。放課後の廊下は、例え時間が止まっていなくても静かだった。
「どうなるって…他の人と結婚するんじゃないですか?」
くるっと向き直った百は、「チッチッチッ」と(見えていないが)指を動かした。
「キミとあの子が結婚することは絶対だったの。そこは揺るぎない必然。で、それがなくなったらって前提で聞いてるんだよ」
「え…じゃあ結婚とかしないんじゃ_____」
「甘い!!」
僕が言い終わらないうちに、彼女が口を挟んだ。
「彼女が幸せになる事はない、ってことだよ」
「え?」
「幸せって言っても、僕様ちゃんは女の幸せがどうとか言ってるんじゃないよ。…そうだ。彼女脚が悪かったよね?」
百は後ろに手を回しながら、首を傾げた。
「あ、はい」
「そう…」
百はまたくるっと向きを変えて歩き始めた。そして何の前触れもなく教室の中に入って行った。僕は彼女に続いて、教室の中に足を踏み入れた。
教室の中には、放課後だからだろうか人の姿は見られなかった。とても閑散とした教室は、年季がはいっているというか所々汚れていた。そして、教室の後ろに椅子が丸くなるように3つ並べられていた。おそらくさっきまで誰かがあそこで雑談なり猥談なりしていたんだろう。…いや猥談は違うか。
しかし他の椅子と机は綺麗に並べられていて、しっかりと清掃されている事が分かる。黒板を見ると、何やら落書きがされている。なになに、『Time waits for no one』?そしてその横には顔文字で『ハァ( ゜Д゜)?』と書かれている。きっと放課後に残った誰かが書いたんだろう。僕は後ろに並べられている椅子を思い返して、そう思った。そして出来ればこれを書いたのがむさい男子でない事を願いたい。甘酸っぱい青春のお話が、ただの酸っぱいだけのお話に成り下がってしまう気がした。
これと言って特筆すべきようなものは何もない教室。そんな部屋の真ん中では、百が机に腰を掛けていた。もちろん机に座っている訳だから、床に脚は届いていない。しかし椅子に座った所で、足が床に届くとも思えなかった。
「彼女はね。この先キミに支えられて生きていくことになってたんだよね…」
百が唐突に語り始めた。教室の中は、窓際まで伸びている木で覆われているため、陽が出ていてもやや暗かった。そのためか、彼女の表情も暗く思えた。
「それで悪いんだけど、彼女の足_______ずっと治んないよ」
「え………治んないって…どういうことですか?」
僕は冗談かと思い、百に聞き返した。彼女は割とふざける傾向がある、だから今回もきっとそうなのだと思った。
「そのままの意味だよ。どんなにリハビリしようが、手じゅちゅ……手術をしようが治らないって事」
「………」
百が両手を机につきながら、宙に投げ出されている脚をぶらぶらと動かしだした。
「運命って言うのは複雑に絡み合ってて、基本的に全部決まってるんだよ。だから一つが狂うだけで全部が狂う。だから僕様ちゃんがここにいるの。小さな亀裂が大きくならないために」
なんとなくだが。やっと僕にも状況が理解出来始めてきた。
「あぁ、やっと僕様ちゃんの話し分かってきた?これでとりあえず一安心だね」
「えっと…じゃあ、僕はこの後どうなるんですか?」
「キミは初めは消すつもりで来たんだけどさ…。う~ん………」
百は目を瞑るや否や、体の動きをピタッと止めた。なにやら深く考え事をしているらしい。また静寂が訪れる。この沈黙が僕には恐ろしかった。何故なら、今目の前で僕の死刑判決が下されるも同然の事が起きているからだ。
時計も何も止まってしまっているため、正確には分からないがそんな沈黙が5分ほど続いた。そして、彼女が僕に質問をした。
「キミは死にたい?それとも生きたい?」
「それはもちろん生きたいです!」
僕は当然のように即答した。大抵の人間はこんな質問をされたら、確実に《生きる》という答えを取る。しかしちょっと前までの僕だったら、もう一つの答えを取っていたのかもしれない。自分の人生に絶望し、意味の分からない世の中に絶望した僕だったなら。
「よし、じゃあそうしよう」
「はい。………って…え?」
神様というものは一体何を考えているのだろうか。その決断はとてつもなく呆気なかった。
「けど初めにで言っておかなくちゃいけない事があるんだ」
百は勢いをつけて、机に座っている状態から飛んだ。ガタンと机が揺れる音に続いて、彼女が着地した音が聞こえた。
「キミは今までのキミに戻る事は出来ないんだよ。どぅーゆーあんだーすたんど?」
僕は少し考えた後に首を斜めに傾げた。
「じゃあ説明するけど。キミが元に戻らないのには二つの理由がある。まず一つ目に、キミはこの世の理から逸脱してるから。キミはチェス盤で言う所の外の存在なんだよ。それと二つ目、それはね~…」
「それは?」
軽く生唾を飲み込んだ。溜めていうからには何か重大な事のような気がした。そして僕のそんな動向を焦らすかのようにして彼女が言った。
「それは、僕様ちゃんがめんどくさいから~」
「ちょっと待て!」
即座に突っ込みをいれた。言葉でとかそういう意味じゃなくて、物理的に手刀をいれた。僕の素早い手刀は彼女の肩の辺りを捉えた。手刀を入れた時の感想は、とりあえずモコモコしていた。
「え~だって、ほんとに色々めんどくさいんだよ?時間戻したり、運命書き変えたりとか。そういうのは自分でやってよ~」
「出来ないから言ってるんだろうがッ!」
「う~、反抗的だね。いいんだよ?生きるっていうのを取り消して、もう一個のに変えてもさ~」
「すいません。ごめんなさい。調子に乗りました」
僕は言い終わるのと同時に土下座の態勢に入った。床に向かって頭を下げると、妙にカビ臭いにおいが鼻についた。
「よろしい、面をあげよ」戦国武将の声色ごとく百が言う。
その言葉で僕の土下座は終わった。僕が立ち上がると、百が近くまで歩いてきていた。
「そもそもね、キミの存在はもうこの世から完全に消えてるの。だから、この世の生き物は全てキミの事を元々存在していないものだと認識してるんだよ。だからそれを元に戻すのは大変なの。…なんとくなく分かる?」
「…なんとなくですけど」
近づいてきた百は、やっぱりとても小さかった。近くにいることでそれを再認識する。僕自体そんなに背が高い訳でもないのに、彼女は僕の胸ぐらいの身長しかない。
「その証拠にさ。キミもう名前が無くなってるんだよね。思い出せる?自分の名前」
「僕は………………アレ?」
なんだったろうか。名前を思い出さそうとちっぽけな頭を動かしてみたものの、靄がかかってしまったかのように一向に出てくる気配がない。名前、僕の名前。一体どこに行ってしまったのだろう。16年間使い続けていた名前は、いつの間にか忘却の彼方へと消え去ってしまったらしい。
「もう思い出せないでしょ?キミっていう人間はもうとっくに消滅してるんだ。だから僕様ちゃんをキミの事をずっと『キミ』って呼び続けているんだよ。そうだ_____人が人でなくなる瞬間って知ってる?それは名前を呼ばれなくなることなんだよ。『おい』だの『お前』だの、物のように扱われる時。だから僕様ちゃんはキミに百って呼ばせるようにしてるんだよ。ま、僕様ちゃんは人の形をした神様なんだけどね」
ハハッと笑った彼女は、「ついてきて!」という言葉を残して教室から飛び出した。慌てて僕は彼女の後を追った。
僕が教室から出ると、廊下の遠くの方に彼女の後姿が見えた。パンダきぐるみを着た小さい物体は、その体躯に反してとても俊敏に動いていた。それにつられるようにして僕の足が、回転し始めた。いつの間にか校舎の中には、バタバタという二つの足音が響き渡っていた。
僕が廊下から少し駆け抜けた辺りで、百は姿を消すようにして左に曲がった。階段を上ったのだろう。その足音が上へ上へと進んでいく。
それに続くようにしてすぐさま僕も階段を上りはじめた。横に取り付けられている木製の手すりには目もくれず、1段飛ばしで階段を進んでいく。階段を上がるたびに、コンクリート製の床が冷たく響いた。
2階に到達すると、その廊下には百の姿はない。しかし百のものであろう足音が上の方から聞こえた。僕を嘲笑うかのように響き渡る足音を頼りに、僕はまた階段を上りはじめた。
3階を上り終えた時点で、あまり運動をしていない僕の体を既に悲鳴をあげていた。特に膝と脹脛が残念にもパンパンになっている。そして気付けば、足音はまだまだ上へと向かっていた。確かこの上は屋上だった気がしする。そういえば僕がこの学校に入学してから一度も足を踏み入れた事がなかった。そもそも屋上の鍵は常にしまっていたような気が_______。
そう思った瞬間、上の方から物が壊れたようなバカでかい音がした。僕は「もしや…」という一抹の不安を込めつつ、不穏な音がした場所へ恐る恐る近づいていく。
そして、屋上へと繋がる扉がある場所まで階段を上がった。いや、屋上へと繋がる階段があった場所に辿り着いた。元々頑丈に作られていなかったのだろうか、それとも古くなって老朽化してしまったのだろうか。扉は取り付けられていた部分から毟り取られるかのようにして、屋上の中央の方へ軽く吹っ飛んでいた。いくら木製だからといってもこんなに簡単に扉が壊せるものなのだろうか。しかも身長150cmほどの女の子が。…あ、大事な事を忘れていた。そういえば百は神様だった。異常とかそういった類のものは、彼女の専売特許であった。
僕はぶち破られた扉から屋上へ出た。初めて見る景色だった。床はほぼ黒に近い灰色をしている。屋上の縁には落下防止用のフェンスが設けられていた。まるでネズミでも出てきそうな雰囲気で、衛生のかけらも感じられない。おそらくほとんど掃除がされていないのだろう。そして何故か、空になったペットボトルや空き缶が何個か捨てられている。どうやって捨てられたのか、僕には知る由もないが、その中に甘酒の缶が混じっている事に少し驚いた。こんなもの飲む奴が学校にいるんだなぁ、とその元の持ち主を想像した。きっと天パーで、髭の濃いオッサンみたいな生徒に違いない。僕はそう思った。
「すごい短い鬼ごっこだったね~」
百の白黒の背中が見える。彼女は緑色をしたフェンスの上にちょこんと座っていた。きぐるみを着ているためか、些か不安定に見えた。その投げ出された脚の向こうには、校庭の茶色い地面が広がっている。ボールを奪いあうサッカー部の姿も見えた。
「ッハァ…ハァ…それでも疲れましたけどね」スタミナゲージが赤に達したため、息が続かない。
外に出ると、中でのひんやりした空気とは打って変わり、もわっとした暑苦しい空気になった。そのせいで、僕の額からいっそう汗が滲み始めていた。
「僕様ちゃん思ったんだ~。たまにはこうやって人間と一緒に何かをしてもいいんじゃないかな…。遠くから一人で世界を見つめてるより、その世界に溶け込んでみるのもいいんじゃないか、ってね」
百はフェンスに足を引っ掛けて背中を大きく逸らした。その顔がぐるんとこちらに向く。ちょっとバランスが崩れれば落ちてしまうような、こっちまでドキドキするような態勢だった。
「もう一度聞くよ。キミは生きたいかい?」
答えが分かり切ったような質問を、再確認のように問いかけた。ニッコリと微笑んでいる表情は、白と黒のきぐるみを着ていても尚際立って見えた。
そして僕は吹っ飛ばされた扉を通り過ぎ、百に歩みよった。
「もちろんです」
ニコリとして、百はアクロバティックにフェンスから飛んだ。後ろ向きにくるっと一回転、僕に背を向けてピタッと着地した。そして振り向きざまに僕に言う。
「それじゃあ、キミには新しい名前が必要だね。キミが人であるための名前がね」
「名前…それって僕が決めていいんですか?」
カッコ悪い名前を付けれられたんじゃ堪ったものじゃない。内心そう思いながら命名権を得ようとした。
「カッコいいカッコ悪いかは知らないけどさ、キミに決める権利は無いよ?それと名前はもう決まってるんだよね」
「なんですか?」と聞いた僕は、また心が読まれた…と落胆していた。
「今日からキミは僕様ちゃんの付き人だ。だからそれに相応しい名前を付けてあげるよ」
「じゃあ釘を刺しておきますけど、付き人の《付》と《人》で付人とかはやめてくださいよ」
すると百が口をとがらせて、腕をバタバタさせた。心なしかきぐるみの耳の部分が動いているのような気がした。
「そんな適当な名前にする訳ないぢゃん。もっとちゃんとした名前をつけるよ」
「…それじゃあお願いします」
「お願いされました。…っていうことで発表するね。キミの名前は………」
ドゥルルルルルル、と百が口でドラムロールのまねごとをした。息が続かなくなってきた辺りで、彼女が一呼吸開けた。
「____ジャン!…キミの名前は今日から九十九。そして僕様ちゃんの付き人だよ」
僕を指差した百の表情は満足げだった。そして感想を求めるような顔をしていた。
「その………十分安直じゃねぇか!」
「不満?じゃあ付人にするけど?」
「すいません。ごめんさい。やめてください」
神様は横暴だ。どうやっても僕が彼女より立場が上になる事はない。僕が上手に出ようとすると百はそれを優に飛び越えて、豪快なジャンピングキックで叩き落としにかかる。
「僕様ちゃんの名前は百。でキミはそこから一引いた、九十九。…ま、ホントは一でもよかったんだよね~」
「勘弁してください…」
もうこの際名前はどうでもよかった。しかし九十九と一なら、一の方がよかったなぁと後々後悔することになった。
「キミは消えていく道じゃなくて、生きる道を選んだ。もしかしたら茨の道かもしれないし、楽園へ通じる道かもしれない。そこで、僕様ちゃんは生きる道を選んだキミに二つの条件を出すことにする」
僕は彼女に疑問の目を投げかけた。というより彼女には僕が喋らなくても言いたい事が分かるようだし、それで察したのかもしれない。
「まず一つ目。あの車椅子の子を幸せにする事。キミは車椅子のあの子を幸せにする____本当はそういう予定調和だったの。だけどキミが死んでしまった今、そうはいかなくなってしまった。だから運命の亀裂が大きくならないためにも、生まれ変わったキミがそれの代わりをしなきゃいけないの。キミからすれば、元々そうなる予定だったからあんまり変わらないんだけどね」
「それと二つ目。____正直僕様ちゃんは、世界を傍観してるのに飽きてきてたんだよ。…だからキミには僕様ちゃんを楽しませてほしいんだ。九十九。キミに出す条件は『僕様ちゃんを飽きさせない』っていう事だよ」
中々難しい条件だった。今まで人とあまり関わってきていなかったような人間が、『飽きさせない』なんて事をこなせるのかだろうか。しかし百には、いつも誰かと対話する時に感じる嫌悪感のようなものがあまり感じられなかった。神様だからだろうか。いつのまにか僕は神様の存在を肯定していた。
そして車椅子のあの子…そういえばまだ名前も知らない。って、アレ?…良く考えてみれば元々運命が決まっている事に対して違う事をしようとしてる訳だろ…。これって運命を変えてるんじゃないか?僕は不安になった。
しかし僕は彼女の条件を飲む以前に、まず断る理由がなかった。というかその権利すらなかった。
「分かりました。…努力します」
僕は素直にそれを受け入れた。
それにしても、なんでそれが僕なのだろうか。今までそういう人間はいなかったのだろうか。そして、彼女は今までずっと一人ぼっちだったんだろうか?
僕がそう心で思った事は、彼女にはきっと分かっているんだろうけど、それについての答えが彼女の口から告げられる事はなかった。
「じゃあキミは今から生まれ変わります。…で、悪いんだけどちょっと上向いててね」
彼女に促され、僕は上を向いた。やっぱりそこには大きな空が広がっていて、ぽつんと太陽が転がっていた。そして屋上から見た空は、いつも見ている空よりすこし近くに感じられる様な気がした。
「じゃ~行くよ~」
空から視線を外して、チラと彼女をみた。なにやらものすごい勢いでこちらに向かってきている。…逃げてもいいのだろうか。ざわざわ…と僕の心が不安に染まる。
そして的中。
「ッだっしゃああぁぁぁぁああああ!!!」
勢いに身を任せたパンダが僕の目の前で踏みとどまり、流れるようにして右拳が下から綺麗な孤を描く。踏みとどまった勢いが膝で吸収され、とてつもないバネを生む。そして飛ぶようにして、その拳は放たれた。一連の動作が生んだ会心の一撃と呼べるようなアッパーが、僕の晒し出された顎にクリーンヒットした。
僕の体は宙に放り出された。というかありえないぐらい上空にぶっとんだ。嗚呼_____今なら天に召されるネ●とパト●ッシュの気持ちが分かるような気がする。
「いってらっしゃいませ~~~~!」
彼女が大声で叫んだ。屋上では、パンダのきぐるみを着た神様ビシッと敬礼している。
こうして、僕の新しい人生が幕を開けた。
始まりには必ず終わりがあるが。その逆もまた然り。終わる事によって始まったこの物語。僕はどうやら一人の神様を楽しませなくてはいけないらしい。どうなるかは、やってみないと分からない。ただ、今までの普遍的だった日常は今日を境に一転することだろう。
それはそれはハプニングだらけの非日常が待ち受けているんだろう。
大事なことだけ言い終えた僕は、二つに意味で昇天した。
____いつの間にか眠ってしまったみたいだ。
私は気がつくと、ベンチ横の車椅子に座っていた。しんと静まり返った中庭は、人の影すら見えない。視界で動くものがあるとすれば、空を飛んでいる鳥達ぐらいだ。あの鳥はスズメかなにかだろうか?いや、それにしても少し大きい気がする。結局、名前は分からない。
どうしてだろう…、とても長い夢を見ていたような気がする。はっきりと覚えているというわけではないんだけど。
たしか、長い道。長い長い道をずっと歩いていた。空がとても奇麗だった。そして、いつの間にか私はなにか落し物をしてしまったみたい。それが何だったのか忘れてしまったのだけれど…。
私はなんでこんな所で寝ていたのだろう。寝る前の事を思い出してみようとはしてみたものの、一体何をしていたのか忘れてしまった。
____ん?膝の上になにか違和感を感じた。
首を下に傾けると、膝の上に甘酒が置いてあった。しかもまだ未開封のものだ。何気なく手でひょいっと持ってみる。スチール製の缶に包まれた甘酒は、まだほんのりと温かかった。
はて、私はこんなものいつ買ったんだっけ。と思考を巡らすも、『甘酒』という検索キーワードに引っかかるものは一つもなく、結局思い出せなかった。
私は今まで甘酒という飲み物は飲んだ事がなかったので、少し興味があった。誰が買ったものかは分からないが、私は甘酒のタブに手をかけた。
開けれる前に、新手の悪戯か?と再度周りを見渡してみたが、やっぱり人の姿は見当たらない。
安心した私は、タブに掛けた指に軽い力を込めた。甘酒の蓋はカシュッという小さな音を立てて開いた。
あぁ___なんかいけない事をしている気がする。と思いながらも、缶を持ったその手は口元にどんどん近付いている。
そしてついにその中身は、私の口の中へと流れ込んだ。
「まずい…」
私の想像していた味とはかなり違う味が口の中に広がった。完全に期待を裏切られたような気がしてならない。
しかし何故だろう…。このごろ甘酒になにか関係するような事が起きたような気がする。
何か大事な事を忘れているような。心のどこかが空っぽになってしまったよな、不思議な消失感があった。
結局私はそれが何だったのか、分かる事はなかった。そして時間が経って、そんな事を考えた事すら忘れてしまった。
投稿が遅くてすみませんm(__)m。
今月の終わりぐらいに学校行事の劇をやる予定なんですが、そちらの準備でとても忙しい毎日です。
ちなみにその劇の台本を少し書かせてもらいました。書いたと言っても、ストーリーが出来上がってからの肉付け作業みたいなことです。
それと今回の話なんですけど、やっと主人公の名前が出てきましたね。色々考えたんですけど、これでいいかぁ。みたいなノリで。
というか毎度毎度長くてすみません。ネット小説なので、短く見やすく書きたいんですけど、いつの間にか量が増えていくんですよね…。
次回の投稿は劇やテストの関係上、また遅くなると思います。ご了承くださいませ。
では、ここまで読んでくださりありがとうございました。次話もがんばりますので、宜しくお願いします。