第9話
ホームから降り立つと、辺りの風景が懐かしいもので溢れていた。
大きな商業施設はいくつか違う建物に変わっていたが、古い商店街の一部や、幼い頃よく遊んだ公園、そして川沿いの桜並木までもが当時の姿を保っていた。
(ここも変わらないのね)
安心と寂しさが混ざり合った感情が湧き上がった。
道すがら、近所の人々の姿もちらほら見かける。
昔馴染みの八百屋のおじさんや、角の煙草屋のお婆さんは、もう居なかった。
空き地は小さな公園になり、近所の子供たちの笑い声が響いている。
やがて、懐かしい我が家が見えてきた。
(この家……そのまま)
石垣に囲まれた門構え、古びた瓦屋根、庭には手入れの行き届いた花が静かに揺れている。
全てが二十年前と同じだった。
深呼吸ひとつして、門を開け、敷石の上を歩く。
緊張が胸を締め付けた。
玄関の前に立ち、震える指でインターホンを押した。
ピンポーン
応答を待つ時間が永遠のように感じる。
しばらくして、わずかに物音が聞こえ、スピーカーから声が返ってきた。
「はい、どちら様ですか?」
懐かしい声――それは間違いなく母の声だった。
だが、その声には警戒がにじんでいる。
「……お久しぶりです。風花麗奈です」
沈黙が流れた。
スピーカーからは困惑したような息遣いが伝わってくる。
「……え? 麗奈?」
怪しまれているような感情が母の声に浮かんでいる。
当然だ。
二十年も連絡なしに消え、しかも自分は若々しく髪も瞳の色も違い面影はあるが顔の造りも変わった姿だ。
(そりゃ疑うわよね……)
覚悟を決め、昔の思い出を引き出す。
「お母さん、小学生のとき、私が誕生日に欲しかったぬいぐるみのこと、覚えてる?私がどうしても欲しいって駄々をこねたウサギのぬいぐるみ……結局、私が泣き疲れて寝ちゃって、次の日の朝に買ってきてくれたやつ。それと、私の七五三の写真、アルバムの二ページ目に飾ってあったはず。あと、ママがいつも使ってたお気に入りのストール。紫のやつで、私が間違って引っ掛けちゃって穴をあけたら、すごく怒られたけど……その後、一緒に繕ってくれたよね」
一気に喋ってしまったが、母は少し間を置いて、インターホン越しに言った。
「……開けるわ」
ガチャリと音がし、ドアが開けられる。
そこに立っていたのは、少し皺が増えたものの、間違いなく母・恵だった。
二十年前と比べれば白髪が増えているが、その柔和な表情と丸っこい輪郭は、まさに記憶の中の恵そのものだった。
「…………」
言葉が出ない。
喉が詰まり、視界が滲む。
互いに見つめ合う時間が流れた後、恵はゆっくりと涙を拭い、私を強く抱きしめた。
「おかえり、麗奈……!」
温かい腕の中で、220年分の想いがこみ上げてくる。
涙が頬を伝い、私は恵の背中に手を回した。
「ただいま、お母さん……」
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リビングに案内され、二人で向かい合って座る。
テーブルにはホットココアが湯気を立てていた。
「それで……一体どこに行ってたの?20年も」
恵は目尻の涙を拭いながら、震える声で尋ねてきた。
私は一度深呼吸し、決意を固める。
今、真実を話す時だ。
「信じられないかもしれないけれど、私……異世界に行ってたの」
「異世界……?」
恵は眉をひそめた。
「うん。学校の校門付近で足元が光ったと思ったら、気がついたら全く違う世界……ラキナという名の異世界にいたの」
私は順序立てて、今までに起きたことを語り始めた。
異世界転移したこと。
ダンジョンを攻略してこの姿と不老になったこと。
異世界で約200年間生活したこと。
その間に色々な人と出会い、色々な国に行ったこと。
森に捨てられていた赤ちゃんを自分の子供として育ててきたこと等々。
全部話し終えると恵は大きく息を吐いて頬に手を当てた。
「まさか異世界に飛ばされて、そこからさらに200年も生き続けたなんて……信じられないけれど、あなたがそう言うなら本当なんでしょうね」
苦笑交じりの声には、戸惑いと共に深い愛情が込められていた。
「でもよかったわ、あなたがちゃんと生きていてくれて。どんな姿になっても、うちの麗奈なのは変わらないもの」
「うん……ありがとう、お母さん」
「しかしその容姿と瞳と髪の色、外を歩けば目立ちそうね」
と母が笑いながら言う。
確かに白銀の髪に白銀の瞳は、どこへ行っても人の目を引くだろう。
「まぁそれのことは後で考えるとして、そのラキナっていう異世界で、いっぱい子供を育てたって言ってたけど」
恵が真剣な眼差しを向けてきた。
「結婚はしなかったの?」
「うーん……」
私は思わず視線を彷徨わせた。
子供は育てたものの、自分自身は恋愛とは程遠い人生だった。
不老不死を得てしまった時点で、『普通の幸せ』はとうに諦めていたのだ。
だから、結婚なんて考えもしなかった。
「まぁ、その……してないなぁ」
ぽろりと本音が零れる。
恵は溜息混じりに肩をすくめた。
「もう、しょうがない子ねぇ。せっかく長生きできたんだから、少しくらい楽しんでもよかったでしょうに」
「いや、だって……!」
反論しようとするも、言葉に詰まる。
結婚したい相手がいたわけでもなければ、焦って探す気持ちもなかった。
それに、ラキナでの日々は充実していたのだ。
家族のような子供たちがいて、大切な人たちがいて……恋愛だけが全てではないと思っていた。
「まぁいいわ」
恵は微笑んだ。
「麗奈が幸せだったなら、それが一番よ。ね?」
その優しい声に、胸がじんと熱くなった。
恵の変わらない愛情が、20年の空白を埋めていくようだった。




