第七十話 絶・防具 小さな結末・その五
説明しよう。この世には、苦難を越えられる人間と。そうでない人間の双方が存在する。この物語はそうでない方の人間たちによる群像劇だが、どんな人間も多かれ少なかれ苦難を越えようと努力はしている。
鳴島ニコもまた、苦難を越えられなかった側の人間である。確かに彼女は、那珂畑を利用したショック療法によってトラウマを部分的に克服した。しかしそれはまだ始まりの一歩に過ぎない。彼女が他の多くの人間と同じように、自分の名前に誇りを持つようになるのは、まだしばらく先の話である。
「そこで止まれ、『ニコ』ちゃん」
オリジンの言葉通り、鳴島は物陰から飛び出した勢いを完全に殺す形で立ち止まった。そしてその代わりと言わんばかりに、両肩からナノマシンを伸ばし、それは巨大な手となってオリジンに迫る。ハコネ山の時と同じ、クロスボーグの精神制御が乱れた際の反応である。
巨大な両手はそのままオリジンに掴みかかるかに見えたが、オリジンは自らの両手で止めていた志村の体を鳴島の方へ投げ飛ばし、ナノマシンと空中衝突させた。
「ぐああっ!」
衝撃によって志村の肺からは勢いよく空気が押し出され、その口からは短い悲鳴が漏れ出す。同時に鳴島のナノマシンはその形を維持できなくなり、両者の連携は完全に潰された。
「……さて」
オリジンは地面に転がる志村、ナノマシンに動きを奪われる鳴島、そして立ち尽くす那珂畑を見回して、一度だけため息をついた。
「こんな不毛な戦い、もうやめないか」
目的や手段こそ感染者の抹殺だったが、オリジンの願いはあくまでも人類の勝利と平和だった。
「このまま戦い続けても、互いに消耗するだけだ。それに私は、ネガリアンが存在する限り存在し続ける。つまり、ネガリアンがいなくなれば私も消える。君たちが戦う理由はもうないと思うんだけどね」
そしてそれは、羽崎の最後の頼みの綱でもあった。
しかし、この戦いの終わりを認められない者がいた。
「だったら、どうして牧谷とツクモを殺した!」
那珂畑逸。そしてその言葉は、最後まで本心の二の次だった。彼にとってこの戦いの終結は都合が悪い。彼がヒーローになった理由は、強力なネガリアンに自分を殺してもらうため。他のヒーローの結末など、彼には関係がない。
だが、那珂畑はこの時わずかに気づいていた。自分が死にたい本当の理由。そして今まで死ねなかった本当の理由に。
おそらく、小堀と羽崎をもとにしたオリジンも那珂畑の目的には気づいていたのだろう。それでも、オリジンは那珂畑の上っ面の問いに向き合った。
「ふたりには、私の目標を決定的に邪魔するだけの力があった。樹里央ちゃんは他人の体を操作できる。ツクモちゃんは、やろうと思えば私を強引に焼き尽くす可能性がある。もっとも、ツクモちゃんの方は失敗したみたいだけどね。とにかく、だから排除した。対して君たち3人はどうだ。私を倒す決定力がない。私にも君たちを殺す動機がないから、このままでは平行線だ。念のため言っておくけど、今君たちが相手にしているのはネガリアンではない。君たちと同じアンチネガリアンなんだよ」
オリジンの言葉は、どこまでも正論と言えた。しかし、それでも目的のために人を殺すと言うのなら、ヒーローが黙っていられるはずがない。
「……だから何だ!」
志村正規は、諦めなかった。彼は、初めて感じた怒りと恨みの勢いで水上を手にかけた経験を持つ。だからこそ、もう人を失いたくはなかった。彼は羽崎の過去を知らない。だが、恨みに任せて人を殺す悲しさは知っている。この時、志村はオリジンの言葉から自分と同じ何かを感じ取っていた。
志村が突進し、最大限に加熱させた双剣の片方をオリジンに振りかざす。しかしやはり、オリジンはその動きを完全に見切っていた。
オリジンは片手で剣を受け止め、刃を持ったままそれを強引に奪い取る。そして、そのまま志村に突き刺そうとした。
志村の叫びによって我に返り突進から彼の意図を汲み取った那珂畑は、すぐさま瞬間移動で回避させようとふたりを見る。しかし、瞬間移動は発動しなかった。
動物園に移動しオリジンを急襲するための最後の瞬間移動から数分は経っているだろうか。それまで那珂畑が利用していたハーディの能力は、この間に彼の体に馴染み、ゼツボーグ51号としての力を失っていた。
どうして、なぜ今になって。那珂畑は何度も瞬きを繰り返し、志村の方を見続ける。【ディナイアル・ソルジャー】の分身を出すだけの余地はない。【スーサイド・バイスタンダー】を向かわせるだけの余裕もない。そしてそれゆえに、彼はその一部始終をしっかりと目撃してしまった。
志村が、自らの剣で腹を刺された。
彼は口から勢いよく血を吐き出し、そのまま地面に振り落とされる。力を失ったゼツボーグ・アルファの剣はオリジンの手から霧のように消え、その体も変身が解除されていく。
鳴島もまた、その光景を見て、激しく動揺した。そしてそれが、さらにクロスボーグを暴走させる。ゼツボーグとナノマシンを織り交ぜた流体のようなものが、彼女の四肢を這い回るようにして拘束する。
「うああああああああっ!!」
この場で唯一動ける那珂畑が、志村と同じようにオリジンへと突進した。小堀が、オリジンが言ったように、単身では勝ち目がない。それでも、許せなかった。志村の刺された場所にいるのは自分であるべきと思うと、オリジンが、自分が、両方が許せなくなった。
そして、那珂畑が怒りに任せて【ネガティヴ・スパイラル】を振りかぶった時、オリジンが背後から別の衝撃を受けたように体勢を崩す。
「志村君、君は最後まで、正しく希望のヒーローだったよ」
聞きなれた声。しかし一瞬、那珂畑には何が起こったのかわからなかった。そのため、彼はオリジンの少し手前で足を止め、思わず様子を見た。その一瞬の間に、またしても彼はすべてを目撃した。
オリジンが大きく振り向く。その先、至近距離に迫っていたのは、白いヒーロー、ポジトロン。その双剣は、確実にオリジンの胴体を捉えていた。しかしオリジンは自らのダメージに構うことなく、ポジトロンの首を鷲掴みにし、そのまま遠くの地面へと投げ飛ばす。
本来志村にしか扱えないはずのポジトロンはしかし、その機動力を全く活かせないまま地面に衝突。白い鎧を頭から砕かれた。そこでようやく、志村ではないパイロットの正体があらわになる。
「誠、ちゃん……」
オリジンが、震える声でその名を呼ぶ。その言葉通り、ポジトロンの中にいたのは小堀だった。
彼は何も語らないまま、にやりと笑ってその目から光を失った。小堀誠は、オリジンにたった一撃を与えて、死亡した。
小堀が動物園に行く判断をしたのは、那珂畑たちが瞬間移動を使い始めた直後のことであった。
偶然だろうか。小堀とリーヴスが転送させられたのは、科学衛生局。そこにはSIMsとして使われるはずだった無人ポジトロンが複数設置されている。この偶然を利用しない手はなかった。
ポジトロンは、パイロットの脳波をそのままプログラムとして利用する。だが、一般人には負の感情やネガリアンなど、伝達を阻害する要素が多いため使いこなすことができない。ネガリアンの存在ありきで生まれるゼツボーグなどもってのほかである。
だが、例外はいた。それが負の感情が限りなくゼロに近いという志村である。そして、彼に近い例外はもうひとりいた。それこそが小堀。彼はアンチネガリアンを摘出したことで、ポジトロンを操縦できるだけの精神状態に至っていた。
だが、これは小堀にとって限りなく危険な諸刃の刃でもあった。だから、彼は事前にリーヴスに託した。
「この作戦がうまく進んだら、いや、失敗してもどのみち私は死ぬ。でも、奴の固有振動を知っているのは私だけだ。だから、君が繋いでくれ」
訓練もなく、志村ほどの適性もなく、何より衰弱した小堀の操るポジトロンは、こうして弱々しく発進した。
小堀のアンチネガリアンが変異したオリジンは、要するに小堀のゼツボーグの固有振動とほぼ一致していた。つまり、彼だけがオリジンの弱点を突くことができた。結果として、作戦は部分的に成功。小堀は那珂畑の急襲作戦に割り込む形でオリジンに一撃を加えた。だがその一撃は、ツクモと志村の死には間に合わなかった。
そして、小堀はオリジンから反撃と言わんばかりに地面に投げ飛ばされ、ポジトロンを砕かれる。
こうして、小堀の作戦はごく短い時間で成功に終わった。彼の言う成功とは、オリジンにこの決定的な一撃を与えること。仮にオリジンから反撃を受けたとしても、ポジトロンの防御力とパイロット保護機能で致命傷にはならない。彼の死因は、いわば過労。ただでさえ弱りきっていた脳波の全てをポジトロンに吸い尽くされ、衰弱死した。つまり彼の言う失敗とは、オリジンに負けることではなく、この一撃を加える前に衰弱死を迎えることだったのである。
そして、小堀の死がこの戦いを大きく動かした。
『総員、構え!』
小堀の現れた方向から、拡声器の大音量が轟く。同時に四方八方から特殊部隊が現れ、オリジンを包囲するように銃を構えた。
小堀のポジトロンを使った攻撃によって、オリジンは胴体に深刻なダメージを負った。そしてその瞬間、小堀は攻撃と同時にある信号をオリジンに流し込んでいた。それは、全ネガリアンとの再連動。オリジンが力尽きた時、同時に全てのネガリアンが無力化させるよういわばリプログラミングしたのである。あとは、感染者の抹殺が完了するまでにオリジンを倒すことのみ。小堀の真の作戦は、リーヴスによって特殊部隊へと伝達された。
もはや、ツクモや小堀のような決定的な攻撃手段は残されていない。それでも、人類は諦めなかった。
おそらくこれが最後になるので、あらためて説明しておこう。この物語は、那珂畑逸がヒーローとなり、死地を求めて魑魅魍魎渦巻く戦場に飛び込む物語である。その結末は、魑魅魍魎など存在しない人間たちの戦場で幕を下ろすこととなる。
彼らの体験に、もう少しだけお付き合いいただこう。
豆知識 那珂畑逸は、致命的なまでに絵心がない。




