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第六話 雲のように静かな脅威 マンション・その一

 説明しよう。ネガテリウムとは、ネガリアン感染者のステージ2分化状態。膨大に増殖したウイルスが感染者の体を中心に様々な形を成し、その被害規模は時としてネガトロンをも凌駕する。

 人々を守るゼツボーグがこれに対してするべきことはただひとつ。エネルギー源となっている感染者を一刻も早く見つけ出し、その巨大なウイルスの塊から切除することである。


 さて、この物語は那珂畑らゼツボーグとネガリアンの戦いを描くものだが、最初のようなゾンビパニックを毎回記録してもきりがなく、マンネリ化する一方である。そこで今作では、特に重要な出来事をいくつかピックアップし、ダイジェスト形式でにお届けしよう。

 という予定だったのだが、その戦いは早くも始まった。それは那珂畑が必殺技の訓練を始めてから3日目。加山と共に宇宙開発局で訓練をしていた最中のことである。

 加山のスマホが、突然けたたましく鳴り出した。司令本部にある緊急回線からの専用着信音である。

 加山はその音を聞くや否や、血相を変えてエレベーターに走った。那珂畑もことの緊急性を察して彼の後を追う。

 地下5階、司令本部。そこは那珂畑がかつて見たことがないほどに慌ただしく動いていた。壁面の大型ディスプレイには無数のウインドウが現れては消えてを繰り返し、局員たちは情報の確認と精査に急いでいる。そして各所に表示されたロックダウン内の地図には、昨日までなかった大きな反応が出ていた。

「映像が見つかり次第、メインモニターに出せ! 感知機能を集中させろ!」

 小堀もかつてない気迫で局員たちに指示を出す。

「デカブツか?」

 こういった事態に慣れているのか、加山は羽崎の手が空いた一瞬を見逃さず状況に割って入る。羽崎は彼と、その背後でおどおどする那珂畑の姿を見てわずかに安どの表情を見せた。しかしそれも一瞬のこと。彼女もまた必死の形相で加山に答える。

「大悟ちゃん! それに逸ちゃんもちょうどいいところに。ああ、たぶん、ネガテリウムだよ。でもまだ映像が来ない。今までだったらとっくに出ていてもおかしくないのに……」

 羽崎の口ぶりから、那珂畑もおおよその状況を理解した。そして地図に表示されている場所はタチカワ市I区域。最近になって多くのマンションや商業施設が並び始めたニュータウンである。この場所にネガテリウムが現れたとなれば、甚大な被害は免れない。

「だったら、先に行きましょう!」

 まだまともな戦闘経験もない那珂畑だったが、その判断は誰より早かった。それが彼の素質かヒーローとしての成長によるものかは定かではないが、加山はそんな彼を見てにやりと笑う。

「そうだな。場所がわかってんなら、情報を待つよりこっちから仕掛けた方が早い。悪いが先に行かせてもらうぜ」

 羽崎も、その提案に頷いて答えた。そしてデスクの引き出しに常備してある専用インカムをふたりに渡す。

「情報が確認でき次第、こっちから連絡する。くれぐれも、気を付けてね」

 那珂畑はそれを受け取ってエレベーターに向かおうとするが、加山が彼の後ろ襟をつかんで別の方向へ引っ張った。

「緊急出動はこっちだ、坊主」


 地下5階、司令本部のさらに奥。那珂畑が連れられた先では、薄暗い機械室にまるで空母から戦闘機を発射するようなカタパルトがはるか上まで伸びていた。カタパルトは横一列に10台ほど並んでいるが、準備中らしきランプが灯っているのは端の2台だけ。加山と那珂畑の分ということだろう。

「……まさか、これで?」

 那珂畑は恐る恐る加山に聞くが、加山は所定の位置に両足を乗せながら「お前もさっさと乗れ」とでも言うように顎で隣のカタパルトを指す。

『タチカワ市I区域より、ネガテリウムと推定される反応あり。緊急出動ハッチ、開きます』

 スピーカーからの音声と共にブザー音が激しく響き渡り、カタパルトの先から地上の光が差し込む。まさにヒーローの登場シーンと言わんばかりの演出に、那珂畑の恐怖心はどこかへ消え、代わりに彼の目がわくわくに輝いていた。

「本当にこれで、現場まで?」

 しかしこれはアニメや映画ではない。今自分は人々を命の危機から救い出す立場にある。那珂畑は高ぶる心を抑えて、加山に聞いた。しかし、加山の最初の答えは大きなため息だった。

「いいや」

 ガコン。カタパルトが射出準備を完了した音の直後、ふたりの足を支える床が勢いよく動きだした。

「中庭だ」

 激しい金属音と共に斜め上に滑っていくカタパルトの移動時間、わずか0.5秒。ゼツボーグ専用緊急出動ハッチの出口は、宇宙開発局の敷地内だった。那珂畑は予想外の場所に戸惑いながらも、加山に促されるまま、芝生に降りる。すると背後のハッチが閉まり、そこには静かな中庭の風景が広がっていた。


 司令本部開設当時に、誰かが予算をあの発射台に使い切ってしまった。あれがなければ今頃専用車両でも用意されていただろう。宇宙開発局から最寄り駅までの移動中、加山が話した内容を要約するとこうなる。なぜ要約したかと言うと、彼がその隙間隙間に予算への不満を漏らしまくっていたからである。

 現場までの移動は、車の用意がない限り電車など公共の交通機関を使うこと。また事故や怪しまれることを防止するため、必要以上の走行は控えるようにとも定められている。社会のためとは言え、まったく面倒なヒーローだ。那珂畑は終始そう感じていた。

 幸運なことに、目的地のI区域は多くの電車が停まるターミナル駅があり、運よく快速に乗れたこともあってふたりは想定よりも早く現場に到着できた。

 インカムから逐一報告される情報では、ネガテリウムは大きな反応を残したまま、この付近に停滞しているとのことだったが、駅から見た限りでは、予想していた巨大な何かは見当たらない。

 仕方ないので聞き込みから始めようかとふたりが駅のふもとにあるショッピングセンターに向かったその時、すれ違った子供が上空を指さしているのが目に入った。ふたりは釣られるようにその方向を見上げる。

「小堀、上だ!!」

 鳥か、飛行機か、いや、ネガテリウムだ。子供の次に気づいた加山がインカムに叫ぶ、はるか上空に浮かぶその姿は白く四角い布切れのような形をしており、そうと言われなければ雲か何かと勘違いしてしまいそうだった。怪物としてなら一反木綿と呼んだ方が近いだろうか。

『上だって!? ネガテリウムが飛行しているのか?』

「いやわからねえ。風に流されて浮いてるだけみてえだ」

 小堀も加山も驚きの声をあげる。何を隠そう、ネガテリウムはその巨体と質量ゆえ、たとえ鳥の姿をしていても飛ぶことは困難。そのため、局が探していた映像はすべて地上を写す監視カメラのものだった。しかし、その体全体を薄い布のように広げれば、風に乗って飛ぶことも可能ということだろう。

 大きな反応に対して被害の通報がなかったことも、相手が無害な上空に停滞しているなら納得である。しかしネガテリウム、それ以前にウイルスである以上、何かしらの感染目的や手段を求めてあの姿になったとしか考えられない。地上から距離があるため正確な大きさは計り知れないが、感知器がとらえた反応からして少なくとも野球のグラウンド以上。その体がまっすぐ着地してきただけでも、多くの人が巻き込まれることは簡単に想定できる。

「小堀、避難指示は」

『すでに出している! でも誰にも見つからなかったせいか、避難が遅れている。いま消防局にも連絡をとっているところだ!』

 インカム越しに司令本部の激しい情報共有の声が聞こえる。しかし、現場の様子は一向に動かない。わざわざ空に浮かぶ大きな布を警戒して逃げ出す市民など、それこそ異常者だからだ。避難指示のサイレンは各所で鳴っているが、避難訓練と甘く見ているのか、周囲の人々はのんびりしている。

 姿が見えにくい。たったそれだけのことで、ここまで初動が遅れるものなのか。周囲の平穏な空気に対して、加山はかつてない危機感に襲われていた。

 しかし、ここで那珂畑は加山の教えを思い出す。平和な場所にヒーローだけが現れたら、無力な一般市民は不安になり付近を警戒する。そのためゼツボーグは接敵時のみ使用すること。

「……いくぞ、ゼツボーグ!」

 那珂畑は何の前振りもなく変身した。人々の警戒心を煽るなら、その逆をすればいい。ヒーローの存在をアピールすることで、気付かれなかった危機に気付かせればいい。

「お前、何を……。いや、そうか」

 加山は数秒驚いた後、それを理解した。手元に刃物を生成するのが限度の彼に対して、全身を真っ黒に変貌させる那珂畑のゼツボーグは、周囲の人々に決定的なインパクトを与えられる。

「走れ坊主! 奴もお前に反応して動くはずだ!」

「はい!」

 那珂畑は全力で走った。彼のゼツボーグに運動能力をサポートする機能はないが、火事場の馬鹿力というものだろうか。彼のスピードは普段より明らかに早く、海を割ったモーセのように、その進行方向から人々を散らしていった。

「小堀、天気カメラだ! 奴の高さを見ろ!」

『わかった。羽崎君、位置情報システムを3次元に切り替えて。奴が着地する場所を割り出せるかもしれない』

 天気カメラ。その言葉の意味するところを瞬時に察して、小堀の声は冷静さを取り戻した。遠距離で高い場所からなら、浮遊するネガテリウムを横から観測できる。そしてそれができるのは、テレビの気象情報などに使われるお天気カメラ。これを使えば、相手の動きを正確に把握し、着地地点を予想できるということだ。

 そして加山の想定通り、那珂畑のアンチネガリアンに反応してネガテリウムが逃げるように動きだした。しかしその向きはわずかに下方向へずれている。どうやらあの布切れのような姿では推力がないため、風を受ける形で移動するらしい。そして加速すればするほど、下方向への風圧も強くなっていく。予想外の強風でも吹かない限り、もはや着地は時間の問題だ。

「よっしゃ。逃がすなよ坊主!」

「もちろんですっ!」

 加山も那珂畑とネガテリウムを追って走り出した。

『ふたりとも、聞こえる? いや答えなくていいから聞いて』

 インカムから、小堀に代わって羽崎の声がした。彼女は言った通りに話を続ける。

『奴の落下地点がわかったよ。その先にある大型マンションだ。悪いけど、君たちでは奴の滑空スピードに追い付けない。奴の薄さからして建物自体は大丈夫だろうけど、逃げ遅れた住民が感染する可能性がある!』

 ネガトロンのように柔軟な思考能力を持たず、本能と感染者のわずかな意思のみで動くネガテリウム。それがこれほどに巧妙な立ち回りをするとは、戦闘経験の多い加山もこれには感心するばかりだった。それほどにネガトロンに近づいているのか、あるいは本体の強い感情がそうさせるのか。正確な理由はわからないが、今考えるべきは、住民の救出と感染者本体を探し出すこと。ふたりはとにかくそのマンションへと走った。

 羽崎の言った通り、ネガテリウムはその広い体を密着させるように、マンションに張り付く形で着地した。そして新たな感染者を求めて、体をマンション内部へと伸ばしていく。

『よし。ではこれより当該ネガテリウムをネガテリウム・マンションと呼称する。ゼツボーグはマンション内部へ、局員は建物の防犯・防災システムから奴への有効打を探すように!』

『了解!』

「おう!」

「はい!」

 マンションを取り込んだからマンションという名前。ジュニアの時もそうだったが、小堀のネーミングセンスは実に単純だと那珂畑は感じた。まあこの緊急時にいかした名前を即座に提案しろと言われてもそれはそれで無理だし、何よりわかりやすくていい。那珂畑はとりあえず、この名付け方に対する不満は持たないことにした。

「坊主、よく聞け」

 戦闘慣れしているせいか、加山はいつの間にか那珂畑に追いついた。

「お前にとっちゃこれが初戦だ。必殺技もまだ仕上がってねえ。だから今回お前は住民の避難誘導に回れ。お前の防御力なら住民を守るのにも適任だ。本体やネガリアンは俺が切る」

「わかりました」

 そもそも那珂畑は何か言い返せる立場でもないのだが、加山の提案した作戦は、短時間で編み出したものでありながら実に的確だった。これが経験の差というものなのだろうか。その後加山は那珂畑を追い越そうとはせず、あくまでもチームプレーを重視するように走る速度を合わせた。


 ふたりがマンションに到着した時、その内部はすでに壁から天井までもがウイルスで覆い尽くされていた。正直、この中でまだ感染を免れている住民がいるとも考えにくい。那珂畑は早くも戦う覚悟を決めた。あの日、加山と出会ったあの時のゾンビパニックがここでも起こり始めているのか。そう考えると一瞬だけ足がすくんだが、加山を守るという自身の、ヒーローの使命が彼の体を戦う方へ動かした。

『こちらでもマンションの構造から本体の位置を推測する。それと今さらだけど那珂畑君、ネガテリウムは本体の感情が形を成したものだ。奴が何の目的であの姿になったのか、それが本体を探し出す鍵になる。最初にネガトロンの駆除を命じておいて言うのもなんだが、初戦がこんな難題になってしまってすまない』

 静かなマンションの中で、インカム越しの小堀の声は確かに那珂畑に届いた。そう、彼は今、加山を守ることとジュニアの駆除、ふたつの重要な任務を背負っているのだ。これを投げ出して死ぬのは彼にとっても気分が悪い。ゼツボーグ98号、那珂畑逸。彼の本当の初戦が、これから始まろうとしていた。

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