第六十七話 日和見菌の目覚め 小さな結末・その二
もはや説明することはない。羽崎はハーディの能力を使って、那珂畑の感染細胞を含むすべてのネガリアンを地下施設に集結させる。
最後の戦いは、突然始まる。
「……逸ちゃん、調子はどうかな?」
あまりに一瞬の出来事だったので、那珂畑は自分の体の変化に気づかなかった。しかし、その直後に激しい倦怠感が全身を襲う。これまで体を酷使した反動だろうか。とりあえず、彼は試しに落涙態を発動することにした。
「【スーサイ……」
言おうとしたと同時に、全身の皮膚を剥がされるような激痛が走る。これが落涙態本来の反動。この時那珂畑はようやくジュニアとの別れを実感した。
しかし、それ以上の変化は起こらなかった。地下施設に大挙するはずのネガリアンが、どこにもいない。
そして、誰もが予想しなかった出来事が次の瞬間起こる。
最初に、牧谷の体が膝から崩れ落ちるように床に倒れた。
「ジュリオ……?」
ツクモが慌てて彼の体を抱え上げる。しかし、返事がない。何か敵の能力で気絶させられたのだろうか。いや、それ以上に、彼に触れたツクモだけがさらなる異変に気づいていた。
牧谷の体が異常に軽い。そして、冷たい。
「ジュリオ、嘘でしょジュリオ! 返事して!!」
ツクモが繰り返し叫ぶが、返事はない。
「……まさか!」
ことの重大さに最初に気づいた小堀が、ハーディの計器を見る。確かに那珂畑との瞬間移動には成功し、内部の肉片は一部が那珂畑のそれと入れ替わっていた。だが、その次の工程。アンチネガリアン・オリジンに接続した際、事故は起きた。
オリジンが生体と接触したことで自己判断力に目覚め、命令にない独自の行動を始めたのである。つまり、ハーディの瞬間移動能力が、オリジンの判断によって本来の目的とは別のところに使われた。
小堀はすぐさまツクモに駆け寄り、牧谷の体を預かる。この時彼は確信した。
「やられた……!」
牧谷の体が軽く冷たい理由。それは、瞬間移動によって体の一部、おそらく内臓だけが別の場所に飛ばされたことによる。すなわち大規模な切断。即死である。
「羽崎君!」
「もうやってる!」
小堀が指示を出すより早く、羽崎はオリジンを維持する全システムを停止させた。しかし、オリジンはそれ自体が無限にも等しいエネルギー機関。機械停止は一時的な対処に過ぎない。
「……何やってんのよ!」
羽崎が操作を終えるが早いか、ツクモは彼女の胸ぐらを掴み上げた。その手は激しく赤熱し、ゼツボーグによる煙が漏れ出していた。
「ジュリオが、どうして……!」
あまりにもあっけのない出来事だった。ゆえに、ツクモも羽崎にぶつける罵倒の言葉を脳内でまとめきれなかった。
「落ち着くんだ、ツクモ君。説明する」
「これが落ち着いてられるか!」
「いいから落ち着くんだ。まだ最悪は始まったばかりだ」
ツクモが睨んだ先にいた小堀は、牧谷の遺体を抱えて涙を流していた。しかしその表情は泣き崩れるでもなく、涙をこぼしながらも戦いに備えていた。その真剣さが、ツクモを一瞬で黙らせた。
「オリジンがネガリアン側に目覚めたんだ。あれは私の体から切り離して時間が経っている。その間ネガリアンの存在に依存し続けることで、あれは人間とネガリアンのどちらにも傾く日和見菌になった。最初にゼツボーグが攻撃されたのは、オリジンの意思だ。今の状況がネガリアン優勢と判断したんだ。私の見込みが甘かった。維持装置は切断したしハーディ君との接続も解除したからもうこんなに器用なことはできないだろうけど、これから何が起こるか……」
そこまで言った直後、小堀の姿が地下室から消えた。小堀だけでない。彼が抱えていた牧谷、そして羽崎とツクモとリーヴスも一瞬にして消えた。宇宙開発局地下3階の極秘研究室前には、鳴島、志村、そしていまだ激痛に顔を歪ませる那珂畑が残された。
「司令!」
瞬間移動が再び発動したと瞬時に察した鳴島が、インカムに呼びかける。数秒のノイズの後、小堀の声が返ってきた。
『私とリーヴス君は無事だよ、今のところはね。どうやら科学衛生局に飛ばされたらしい。そっちは?』
「はい。鳴島、那珂畑、志村、この3人だけ宇宙開発局に残されました。副司令とツクモがまだ行方不明です」
最悪が、続く。
サクラギ町N区域の動物園。かつてリードの捕獲作戦に失敗したその場所に、羽崎とツクモは飛ばされた。
そしてそれは、ツクモが状況の変化に気づくまでのほんの一瞬の出来事だった。
「危ない!」
そう叫んでツクモを横から突き飛ばしたのは羽崎だった。いまだ牧谷の死を受け入れきれず、何が起きたのかわからないツクモは、目を白黒させながらその方向を振り向く。
「……ハザキ!」
その先では、羽崎が正体不明の光刃に胸を貫かれていた。光刃はそのまま羽崎の体を持ち上げるように上昇し、力の抜けた羽崎は口から血を流している。しかし、その中でも彼女はツクモの方を強く見続けていた。
「ゲホッ! こいつが、オリジンだ……どうやらツクモちゃんを狙ったみたいだけど、一手間違えたね」
「ハザキ! 早く……早くこっちに!」
ツクモが慌てて駆け寄るが、羽崎は彼女の方に手を伸ばそうとはしない。ただ目を向け、言葉を伝えることに視力を注いだ。
「この、ままだ。このままで、いいんだ。これからオリジンは、私を取り込んで人体を手に入れる。そこを、君の力で私もろとも焼き消すんだ……」
「何言ってんの! いいから手を、ハザキ!」
ツクモと羽崎の手が触れ合うかと思われたその瞬間、羽崎の体を中心にとてつもない閃光と風圧が辺りに広がった。それはツクモの小さな体を最も簡単に突き飛ばし、周囲の地形を少し歪ませるに至った。
数十秒は経っただろうか。ツクモが地面にしがみつくようにして暴風に耐えた後、最初に気づいたことは周囲から聞こえる呻き声だった。
閃光が収まると、来園者らしき周囲の一般人が、次々と力が抜けたように倒れていく。ひとり、またひとり。その異変はツクモのいる場所を中心にじわじわと広がっていった。
「……ここから、始めよう」
唯一聞こえた正常な人の声。それは羽崎のものだった。しかしツクモが振り向いた時、先ほど彼女が刺された場所には血痕しか残っていなかった。
「少し居心地の悪い肉体だ……いや、今の言い方はまずいかな」
声の出所は、そのすぐ上空。地面から4メートルほどの位置に、羽崎の体は浮いていた。いや、今やゼツボーグでもない羽崎が胸を貫かれて生きているはずがない。その証拠と言わんばかりに、刺された箇所は服や皮膚の代わりに透明な膜に覆われ、中では黄金に輝く心臓のようなものが脈打っていた。
「ハザキ……?」
なおも問いかけるツクモに、羽崎だった何かは怪訝な顔で返す。
「いや。見てわからないか。じゃあ説明してあげよう」
直後、羽崎の長い茶髪が根本から金色に染められていく。
「私はアンチネガリアン・オリジン。人類とネガリアンの戦いを終わらせるために、まずは羽崎副司令の体をいただ……」
ジュッ!
羽崎だったもの、オリジンが言い終えるのを待たず、ツクモの発した熱線が彼女の頬を焼いた。その発射地点では、すでにツクモがゼツボーグへの変身を完了していた。
「まったく。人の話に流されやすいのが君の長所じゃなかったのかい?」
「……アンタが何者とか、何をしたとか何が起こるとか、もうどうでもいい。どうせ知らない」
オリジンの視線の先では、激しく熱風を放つツクモが、流れる涙を隠すように熱で蒸発させていた。彼女の頬には、涙の代わりに火傷の痕が残る。
「ジュリオがやられた。たぶんハザキもやられた。もうアタシは戦うとかどうでもいい。だから、アタシはアタシの好きにやる!」
ツクモは跳んだ。両足を【ファールアウト・ブロウ】で焼き飛ばしながら、同時に両手は【ハンドメイド・ノヴァ】の準備段階で、一瞬にして肘近くまでもが焼き消えていた。
「八つ当たりよ!」
ツクモの超火力による一瞬の速攻。しかし彼女の火球がオリジンに届く寸前で、オリジンの体表を無数の植物が這うようにして覆い隠した。これにより【ハンドメイド・ノヴァ】の威力は軽減。オリジン本体は首元に火傷を負うが、それは顔の傷と共に一瞬で再生した。
「なっ……」
「その通り。それでいいよ、ツクモちゃん」
羽崎の声で、オリジンが得意げに喋る。
しかしその言葉は、オリジンの意思ではなかった。
科学衛生局。小堀とリーヴスはこの時すでに動物園で起こっている異変に気がついていた。
「感染が、加速している……!」
小堀は、局の機器から動物園の強いエネルギー反応を察知した。そしてすぐさま、それがオリジンの仕業であると見抜いた。何を隠そう、オリジンは元はと言えば小堀の一部。彼の起こしうる行動は、小堀が誰よりも理解していた。何よりも、オリジンの意思が直接繋がらずとも小堀の脳には流れ込んでくる。
全感染者の、強制ネガトロン化。
オリジンはハーディの能力を通して全感染者と繋がった。そしてその状態でネガリアン側に寝返ったのなら、まずすることは勢力強化。
しかし、現実はそうは動かなかった。それは、小堀にも予想外のことだった。
オリジンは、羽崎の体を利用したことで、少なからず彼女の影響も受けるようになっていた。その結果、羽崎の精神的抵抗が功を奏し、ネガトロン化を強引に停止。だが、それだけでは最悪は止まらない。
オリジンと羽崎の意思が混ざり合った結果、今のオリジンは歪な形で人類にも味方することになった。そしてその方法は、オリジンと小堀のみが知ることとなる。
小堀は脳裏にその情報を得た時、恐怖のあまり言葉を失う。が、その直後に顔を真っ赤にして怒りをあらわにした。
「そんなことが、許されるか……!」
それは、全感染者の感染を加速させたことによる死滅。
本来、ネガトロンは感染者が死亡するタイミングでその肉体を食い尽くし感染者になり変わる。オリジンはその死亡のタイミングで感染細胞を止め、ネガトロンになる前の状態で終わらせようというのだ。
感染者が誰もいなくなれば、ウイルスは広がらない。結果としてその考え方は、羽崎が最も忌み嫌う対特区計画と共通するものとなってしまった。
しかし、これらは即時には進行しない。ツクモの周囲から少しずつ異変が進んだように、感染の加速と事態の広範囲化は今のところ遅い。羽崎は、その間にオリジンを倒すようツクモに指示したのである。
ある意味、この時点で人類の勝利は確定した。そして牧谷と羽崎。ふたりの重要戦力を失ってようやく、宇宙開発局は勝利への残り時間を得た。しかしすべては羽崎の意思とツクモの火力にかかっている。
豆知識 牧谷樹里央の小さい頃の夢は、マヤ姉ちゃんと結婚すること。




