第六十二話 ゼツボーグ・アルファ
説明しよう。天才とは、突然現れるものではない。いくつかの平凡なひらめきが連鎖的につながった結果として奇跡のような物事を成した人物を、人は天才と呼ぶ。
例えば、チェスを発案した人物は、最初から無限にも近い盤面と完璧なゲームバランスを、初めから考えていただろうか。とてもそうとは思えない。かりにそうだとしたら、その人物によって数学界は飛躍的な変化を遂げていたことだろう。
チェスは、数種類の駒と王を討つという目的だけがあり、その過程に無数の戦略が発生した結果として、今なおボードゲーム界の頂点に君臨しているのである。
凡人には、それまでの過程が想像できない。ゆえに彼らを突然変異種のように天才と呼ぶ。だが、天災もまた凡人である。自分のひらめきとひらめきの間に生じるすべての可能性を想像することなど、人間には不可能なのだから。
そういった意味では、志村は天才的な才能の持ち主だった。
ゼツボーグ・アルファ。志村は自らのポジトロンの型番から取って、自らの能力をそう名付けた。
トレードによって体を乗っ取られたあの瞬間、志村は敗北と死の強い絶望に駆られた。それがアンチネガリアンを生み出し、ネガトロンの強い抗原反応とぶつかることでゼツボーグの形を成した。その姿は、まさにポジトロンそのもの。彼の絶望を作るきっかけとなった悪魔の兵器。しかし彼はこの力を否定することはなかった。
生きることには必ず何かの理由がある。人が死ぬ時とは、生きる理由をなくした時。これが志村の考えの根幹である。よって、死ななかったのであれば、それはまだ何か生きる理由を残しているということ。彼はすぐに「まだ暴れ足りない」と気がついた。
志村は、まずモミジ会に相談した。ひとりでは抱えきれない情報を手にしていたからである。会長の野田は、志村の正体とことの成り行きに驚きこそしたが、冷静さを欠くことはなかった。
そして、モミジ会と志村による宇宙開発局襲撃作戦が立案される。目的はひとつ。来たる人類の敗北に向けて、仲間割れの原因となるヒーローを根絶すること。平和な終末のために、多くの会員が名乗りをあげた。
「あの日、ボクはすべてを知ったんだ!」
志村は牧谷に語り始めた。
あの日、志村が那珂畑に別れを告げてイヴのもとに調査に行った日。彼はポジトロンのナノマシンを使って、局内に小さな密偵を残していた。それから数日、密偵は局の情報を少しずつ盗み出しては志村に送り続けた。志村はこの時、すでに誰も信用してはいなかった。この疑念こそが、イヴとの戦いでポジトロンを不調に導くのだが、それはまた後の話である。
宇宙開発局の情報の一部を盗み見た志村は、ある研究に驚愕する。それは、ゼツボーグの落涙態による脳死者を利用した追加の研究。要するに、死体を使った人体実験である。
当然、このような被人道的な研究に自らの体を提供する者などいない。そのことを初めから想定していたある局員は、ゼツボーグの中から都合の良い死体を発見した。
結局、時間不足と志村がポジトロンを扱えなくなったことで、研究の詳細や参加した局員までは割り出せなかった。だが少なくとも、いまだに牧谷のような子供を抱えているという現状から、この研究が身内にも極秘のことであると推測できる。
志村のゼツボーグは、性質面において彼のポジトロンとほぼ同等のものである。
ただひとつ、ポジトロンと違う点は、その発生源が志村自身であるという点である。外付けのナノマシンで体表を覆うポジトロンと違い、体内で生成したアンチネガリアンを由来とするゼツボーグ・アルファは、使用者本人にも影響を及ぼす。
結論から言えば、志村は自ら生成したゼツボーグで、自身の怪我を修復する術を習得した。先ほど牧谷の攻撃によって吹き飛んだ下顎も、この方法で再生した。
いや、正確には再生ではなく、置き換え。那珂畑と同じ方法で、志村は自身の肉体をゼツボーグに置き換えられるようになったのである。それも那珂畑と違い、まだゼツボーグに生かされるほどの重傷を負っていないため、まだ普通の人間に戻る可能性も秘めている。
つまり、今の志村を、ゼツボーグ・アルファを倒すには、自力での修復が不可能なほどの大打撃が必要となる。現状、宇宙開発局でこれが可能なのはツクモくらいしかいない。いや、彼女の火力でも全身を組まなく焼き尽くせるかどうか。
そして、ポジトロンの自己修復機能を再現したゼツボーグ・アルファは、さらにひとつ先の領域へもたどり着いた。
「ここからはボクのターンだ。『ディナイアル・ソルジャー』!」
直訳すると否定する兵隊。志村が作り出した模倣ナノマシンは彼の体表にとどまらず、さらに床へと散らばって別の形を作り始めた。
牧谷は初めて見る光景だが、これと同じナノマシンの使い方をかつて鳴島が披露していた。
ハコネ山で変身した際のクロスボーグ。あの巨大な両腕も暴走した自己修復機能による余剰パーツで作られたものである。知ってか知らずか、志村は同じ方法で腕だけでなく自らと同等の兵隊を作り出した。
その数、現時点で5人。次々と人の形に変貌するナノマシンの集団に、牧谷は圧倒された。
「この力をもって、ボクは最後のヒーローになる!」
まだ兵たちの使い方に慣れていないのか、志村の動きはゆっくりだった。しかし、それでも精神的に敗北を認めた牧谷を追い詰めるにはじゅうぶんな威圧感を彼は発していた。
ほぼ同時刻、ツクモは局内を走っていた。下着も着けず大きなパーカー1枚というだらしのない部屋着のまま、ようやく彼女は部屋を飛び出た。
全ては、やはり那珂畑の仕掛けた挑発の結果である。ツクモの握り締めたスマホからは、彼のボイスメッセージが繰り返し再生されていた。
『俺には無関係な話だけどな。牧谷のためを思うなら、一緒に戦うことだ。あいつはヒーローに憧れている。あいつにとってハリケーンと戦った時のお前は、最悪のゼツボーグでも優しいマヤ姉ちゃんでもない、憧れのヒーローだったはずだ。だからもう死んだ自分と戦うのはやめろ。生き残ったなら、あいつの前にいる敵と戦え』
無機質にリピートされる那珂畑の声。自ら再生したそれを振り払うようにツクモは早歩きで、ぶつぶつとつぶやきながら被害区画へと向かう。
「違うのジュリオ。そんな目で見ないでよ。アタシはゼツボーグ99号のツクモ。もうアンタの知ってるマヤ姉ちゃんはいないの。もう誰も、アタシを見ないでよ……!」
半ばやけになったとも見えるツクモは、次の死に場所を求めて被害区画を探した。那珂畑の挑発に乗ったのか、牧谷を心配したのか、あるいは自分のためか。彼女の真意はもはや彼女自身にもわからない。ただ確かなのは、ツクモが自らの足で戦場へと向かっているということ。状況も、敵も、戦う意味すらわからない。しかし彼女の脳裏にはすでに、牧谷や未知の敵に吐き飛ばす台詞が浮かんでいた。
牧谷は針で突き刺した瓦礫を振り回し『ディナイアル・ソルジャー』の侵攻をしのぐことで精一杯だった。一方で志村も5人の兵士を動かすことに処理機能の大半を要し、まともに体を動かせない。戦況は互いに接近することもなく五分五分に見えた。
しかし、いや、やはりと言うべきか。急襲作戦のもとで攻撃を仕掛けた志村の方がわずかに上回りつつあった。攻撃を続けるごとに兵士たちは統率力を見せ始め、次第に牧谷の背後をとる回数も多くなっていく。
「どうして! どうしてこんなことするんだ! 君だってヒーローだろ!?」
牧谷は自身を鼓舞する目的も込めて、とにかく叫んだ。しかし返ってくる声は冷徹で、かつ感情が上乗せされていた。
「キミたちこそ、自分のしていることがわかっているのか? 勝てもしない戦いに勝とうとして、自分たちをすり減らしているだけじゃないか! キミみたいな子供を戦いに出していることが立派な証拠だ。大人たちはもう取り返しのつかない無理をしているんだよ!」
志村の発言は、正面から戦う牧谷でも納得してしまうほど的を射ていた。
そこへ、ツクモが到着した。
「……うるさいっ!」
互いを見もせず放たれたひと声に、状況は一瞬だけ膠着する。
「マヤ、姉ちゃん……?」
「うるさいのよどいつもこいつも、アンタも、ジュリオも。勝てないから戦わないとか勝ちたいから戦うとか、みんなして好き勝手言ってさあ!」
これまでの衝突とは明らかにかけ離れた言動。あまりに状況を無視したその声に、志村と牧谷は言葉を失った。
「だから、アタシも好き勝手やる。勝手に、ジュリオのヒーローになってやる!」
動きを止めた牧谷と兵士たちの間に躍り出ると、ツクモはただひとつ身に纏っていたパーカーを脱ぎ捨てた。当然、彼女は年頃の青少年二人の前で全裸という状態になる。
「ちょっ、姉ちゃ……」
「ヒーローだからね、こういう時は脱がないと。変身!」
直後、激しい熱風が周囲を襲う。光と炎がツクモの体を覆い、志村と牧谷が目をくらませている一瞬のうちに、ツクモはゼツボーグ99号に変身した。ところで、変身シーンで全裸になるという知識はどこから来たのだろうか。
変身時に発した熱風によって『ディナイアル・ソルジャー』は吹き飛ばされ、細かいナノマシンの流体となって志村の体表へと戻っていく。その隙をついて、ツクモは両手から発するレーザー糸と共に志村へと急接近した。
ツクモはこの時、かなりの幸せを感じていた。ひとりよがりだが、少しでもヒーローらしいことができた。今なら何もかもが思うようになる。かつて諦めた夢でも、たった今心に浮かんだ夢でも。そう、その夢とは、死ぬこと。牧谷と繋がっている今を、今のまま永久に保存すること。
そして彼女は、その方法を知っていた。『ファールアウト・ブロウ』を開発した時、彼女は自分でも修復不可能な火傷の程度を把握した。ならば今すべきことはひとつ。牧谷のために彼と対峙する敵を攻撃しつつ、その火力で自分を道連れにする。ツクモの体温は、瞬時に限界を超えた。
このまま全力の攻撃を仕掛ければ、たとえ志村でも致命傷は免れない。そう思われた瞬間、頭上からの衝撃によってツクモの進撃は止められる。
豆知識 志村正規は、快速と急行と快速急行の違いがわからない。




