第六十話 動物園に行ってみよう
説明しよう。指定監視ネガトロン、個体名エンジン。その能力は駆動。あらゆる機会の駆動部に侵入し、その機能を強化することができる。また侵入する物の大きさや脱出の場所は自由なため、非常に逃げ足が速く今日まで有効な討伐方法が見いだせずにいる。
元となった感染者は、車のカスタマイズに熱中していた中年男性。部分的に違法な改造もしていたことから、生前の趣味とその後ろめたさがネガトロンに反映されたと考えられる。
しかし、今回のメインターゲットは彼ではなく、その付随。ここ数日でエンジンの活動範囲内に滞在している別のネガリアンである。これがイヴのノートにあった成功作であるなら、人間とネガリアン、どちらの勝利にしろその決着がぐんと近くなる。そこで、メインターゲットに悟られないよう、あくまでも個人的にエンジンへの接触を試みるという体で那珂畑が偵察へ向かうことになった。
偵察任務当日、那珂畑は局を出る前にやることがあった。それは、ツクモにひと声かけること。彼女の先輩として、導くべき立場の人間として、最低限の責務は全うしなければならない。彼は、先日の鳴島と同じようにツクモの部屋の前で立ち止まった。
那珂畑はまず、扉の横に設置されたインターホンのボタンを押す。しかし返答はない。ここまでは予想通り。同様に通話でのやり取りも不可能と考え、那珂畑はメッセージアプリにボイスメッセージを残すことにした。
「那珂畑だ。出かける前に、お前に言いたいことがある」
彼は考えた。死にたがりの死にかけで、もはや人間として生きているかどうかの自分に何が言えるのだろうかと。同じように死のうとしたツクモに、生きて戦えなどと言えるはずがない。だから、メッセージの内容はあの日の鳴島と同じ挑発、そして作戦指示。多少感情がこもったかもしれないが、それだけに留めた。
後でツクモがこのメッセージを聞くかはわからない。それでも、那珂畑は自分にできる限界を尽くしたと確信した。正直なところ、後は野となれ山となれとしか言いようがない。とにかく今は目先の課題。エンジンの件に集中するよう切り替えることにした。
ヨコハマ市はサクラギ町N区域。エンジンはその移動速度の速さゆえに位置の特定が容易だった。司令本部の地図に複数ある反応の中から、最も素早く動くものがエンジンだからである。
ただし、戦闘となればその限りではない。スピードで圧倒的に劣る那珂畑はともかく、例えば高速で移動できる複数人で取り囲んだとしても、まともな戦いに持ち込める確証がない。より安全にメインターゲットに接触するためなら、先にエンジンを討伐するのもいち作戦としては存在できる。しかし、やはりそれは実現性に欠けるため却下された。
偵察という目的だけならば、別にゼツボーグが直々に出向く必要はない。感知系の機材を持った局員でもある程度の目的は果たせるだろう。この作戦に那珂畑が出たことには、もうひとつ理由がある。
実は、ヨコハマ市出身の那珂畑にとってN区域は特にゆかりのある場所だった。この場所には入場無料の動物園があり、彼は幼い頃、よく家族でそこに訪れていた。そのため、彼はこの地域について他の局員よりも明るい。そしてあわよくばエンジンをその動物園に誘い込み、機械類の少ない開けた場所で接触するという目的もあった。
海岸と山道に挟まれたサクラギ町。エンジンはゼツボーグの気配に感づいてか、海側の駅に降りた那珂畑から離れるように、山へと移動していく。
『よし。作戦通り』
那珂畑のインカムに小堀の声が届く。この時、メインターゲットの反応は山の中腹、動物園付近にあった。このままエンジンを動物園方向に誘導すれば、メインターゲットの行動もうかがうことができる。完全に未知のネガトロンを相手取った今回の作戦。相手の行動ひとつひとつが重要な情報となるため、現在地や移動経路、速度までも計測が進められていた。
『相手は動物園に近づいている。空調機材の多い爬虫類館は避けて、ふれあいコーナー方面に誘導するんだ』
「了解」
那珂畑は変身もせず、あたかも普通の来園客のように動物園へと向かっていく。人の集まりやすいふれあいコーナーはエンジンやメインターゲットに攻撃される可能性が高いが、その代わりエンジンの逃げ場所がない。いざという時、那珂畑が地の利を取れる。
作戦通り、エンジンの反応は園内で減速した。那珂畑から離れようにも、移動に使える機材がない。彼のこれまでの戦闘記録からも、園内を車で暴走するような目立つ行動をしないことは判明している。
すべてが小堀と那珂畑の思惑通り、エンジンは動物園の山頂側、ふれあいコーナーに追い込まれた。はずだった。
『……待て。何かおかしい』
那珂畑が動物園に入ったあたりで、小堀が異変に気づく。
「何かあったんですか?」
『何かと言うか、そのまま言うと、その……』
珍しく、小堀が言いよどんでいた。これまで五年間、無数のネガリアンを見てきたであろう彼がこうなるとは、よほど不測の事態が起きているのか。この瞬間に那珂畑の脳裏には撤退の二文字が浮かんでいた。
『エンジンが、4、いや、5人いる。いや待て。まだ増えている』
「はあ!?」
あまりに突拍子もない発言に、那珂畑も驚きの声をあげてしまった。一般来園客の何人かがその声に反応するが、那珂畑は彼らから隠れるように入場門の影に移動した。
「どういうことですか小堀さん」
周りに怪しまれないよう小声で、しかし焦りを隠しきれない様子で問いただす。
『わからない。エンジンの反応が何人にも増えているんだ。少なくとも資料にあるエンジンの能力ではない。エンジンの反応に隠れているメインターゲットの仕業としか考えられない』
増えているということは、分裂ではない。小堀の口ぶりから察するに、まるでコピー機のように同じネガトロンを増産する能力ということだろうか。他のネガトロンに干渉し、その力を増大させる能力。まさにネガリアンの成功作と呼ぶにふさわしい存在だと那珂畑は感じた。
ともあれ、能力を発動したということは逃げるにしろ戦うにしろ、相手が何か仕掛ける気でいることに変わりはない。ただでさえ手に負えないエンジンが大量発生したら、その被害は筆舌に難いものになりかねない。ならば、今するべきことは一刻も早く事態を収束させること。エンジン軍団と未知のネガトロン相手に何ができるかわからないが、とにかく那珂畑は園内奥のふれあいコーナーへと走った。
事前の資料によるとエンジンの外見は、人間の全身各所から不規則に歯車が飛び出したような姿をしている。服装は普通だが、常にフルフェイスのヘルメットを被っているのが目印となっている。つまり、誰も車に乗らない動物園内では、視界にさえ入ってしまえば簡単に発見できるということである。
しかし、ふれあいコーナーに着いた那珂畑は、目の前の光景に愕然とした。
「……どれがエンジンなんですかーっ!」
エンジンと同じ特徴の外見が10人近く、那珂畑を気にする様子もなく辺りを徘徊していた。
いや、よく見ると全員がまったく同じというわけではない。顔はヘルメットで見えないが、女性や子供のような外見の者もいる。それに、歯車の位置もそれぞれ違い、言ってしまえば個性的だ。しかし、エンジン本人の細かい特徴まで暗記していない那珂畑には、どれが本物かさっぱりわからなかった。
ただ、この暫定エンジン全員が那珂畑に関心を示さないという点が引っかかった。ネガトロンであれば、天敵であるゼツボーグの存在に何も動きを見せないはずがない。どんなに隠そうとしても、何らかの本能的な反応が現れる。それを引き出すため、那珂畑はまず敵意を見せることにした。
「や、やるぞ、ゼツボーグ!」
那珂畑はとっさに変身するが、それでも状況は変わらない。
しかしただひとつ、間違い探しのような変化はあった。暫定エンジンたちの首元に、飼い犬のリードのような赤い首輪が付けられている。資料にはなかった特徴である。そして首輪からは同じ色の紐が伸び、すべてが同じ方向に向かっている。
「リードだ。奴の能力はリードだ!」
おそらく、これがメインターゲットの能力。リードでつないだ人間を、特定のネガトロンに変貌させる。短く表記するなら同化だろうか。この暫定エンジンが見た目だけの変化なのかはまだわからないが、少なくともメインターゲット、仮称リードは那珂畑に反応を示した。
那珂畑は紐の向かう先へと走ったが、その間にある違和感に襲われる。何か、誰かに誘い込まれているような気味の悪い違和感。なぜ相手はエンジンの不利な場所で能力を見せたのか。なぜエンジンは逃げずにふれあいコーナーに誘導されたのか。まるで自分をよく知る誰かが裏で糸を引いているような、そんな不気味さがどこかに漂っていた。
そして、そんな違和感とは関係なく状況は変化する。
那珂畑の入ってきた方向、暫定エンジンたちのいた方から車の駆動音が迫ってきた。動物園の、それもふれあいコーナーでは絶対に聞こえるはずのない激しいモーター音。那珂畑は一瞬でそれがエンジンの攻撃だと理解できた。そして同時に、暫定エンジンたちがエンジンと同じ能力を使えることも察知した。
しかし、状況を理解したからと言って攻撃を防ぐことができるわけではない。那珂畑は迫り来る軽トラックを避けきれず、全身を強打して弾き飛ばされた。シネマ戦といい、彼はよく車にはねられるらしい。次回からは交通安全のお守りでも付けておくべきだろうか。
軽トラックに弾かれてから地面に衝突するまでの一瞬、那珂畑はぼやける意識の中で先ほどの違和感を思い出した。誰かが、初めから自分を狙っている。この車も、遠くから走ってくる音はしなかった。まるで初めから攻撃のために近くに用意してあったような、そんな音の迫り方だった。
エンジン、リード、そして他にも敵がいるのだろうか。那珂畑は入場時に脳裏をよぎった撤退の二文字をさらに強く意識した。
「小堀さん、ちょっとやばそうです!」
投げ出されるまま地面を転がり、しかしその間にも精いっぱいの語彙力で那珂畑は伝えた。しかし、返事がない。気がつけばインカムからは砂嵐のような雑音が断続的に聞こえるのみで、声らしい声はまったく出てこない。
ジュニア戦のように、通信網を切られたのだろうか。だとしたら、間もなく通信遮断を察知した本部から中継用のドローンが飛ばされるはずである。二度も同じ手は食わない。通信状況を確認する余裕はないが、那珂畑は状況が好転するまで耐え忍ぶことにした。
今さら何を隠そう、ゼツボーグ98号の持ち味は防御力。敵の攻撃を受け続け、一瞬のカウンターに賭けるのが主な戦い方である。未知の点や不安要素が多い状況ではあるが、少なくとも完全な詰みというわけではなかった。
そうこうしている間にも、暫定エンジンたちは複数の車を利用して体当たり攻撃を続ける。ハコネ山以来、アンチネガリアンで補強された那珂畑の体はしかし、確実にダメージを蓄積させていた。彼の弱点である面での攻撃。それを受けきれず傷を負った部分は瞬時に合金でカバーされる。自分の肉体が少しずつ他の何かに置き換わっていく。そんな感覚が、那珂畑にかつてない恐怖をもたらした。
誘導に成功したはずが、逆に誘導されている。さらに増大する恐怖。ゼツボーグによって平時以上に増幅する不安は、那珂畑から戦闘に対する集中力を奪っていった。当然、その隙を敵が見逃してくれるはずもなく、トラックによる波状攻撃が着実に彼の体力を削いでいく。
だが、希望は、絶望は絶えていなかった。
那珂畑が攻撃に耐えかね、ついにバランスを崩して地面に突っ伏した。それを好機とした至近距離の一台が追加攻撃を仕掛けようとしたその時。
ダァァン!
激しい衝撃音と同時に、迫ってきた軽トラックはもちろん、他の攻撃も一斉に止まった。それは、突然割り込んだ横槍がリードやエンジンにとっても、そればかりでなく那珂畑にも意外な人物だったからに違いない。
「助け船。待たせたな、逸!」
那珂畑はこの時、援軍が現れるとしたらツクモか牧谷のどちらかだと考えていた。いや、ツクモの精神状態や戦況から考えて、物体操作に秀でた牧谷が妥当だろう。だが、顔をあげた那珂畑の視界に入った人物は、そのどちらにもない、一対の触角を備えていた。
片足だけ破けたような白いボディスーツ、露出した部分には青白く光る幾何学模様。そして、迫り来るトラックを飛び蹴りで止める圧倒的なパワー。ただ、あの巨大な両腕だけがない。しかしその後ろ姿は、確かにハコネ山の硫黄泉で彼らが見たものと一致していた。
クロスボーグ、鳴島ニコ。少女は三度戦場に現れる。
豆知識 N区域の動物園は、無料でペンギンが見られることで有名。




