第五話 ヒーローの資格
説明しよう。ゼツボーグ7号、加山大悟、28歳。5年続くゼツボーグの歴史において最も活動歴が長く、後のゼツボーグ育成にも多く携わってきたベテランである。そんな彼だが実は大の競馬好きであり、特に単勝を当てることに執念を燃やしている。
加山が応援する馬の名前は、タワーオブブルー。デビュー初期の戦績には光るものがあったが、最近はある対抗馬の登場によって、人気を落としつつある。その対抗馬とは、同い年のストーリーマニア。こちらは逆に、最近になって実力を伸ばしてきた注目の的である。そして二頭の次なる対決は、秋の一大レース造花賞。加山はもちろん、タワーオブブルーの単勝に賭けていた。
『二番手以降を大きく突き放してゴールイン! タワーオブブルー、凄まじい末脚で最終直線を駆け抜けました!』
『熾烈な若手争いですが、今後は彼が主役になるかもしれませんね』
実況と解説の音声に、スタンド席からの完成が混じる、加山の部屋。
那珂畑は彼のスマホで過去のレース番組を見せられていた。
「どうだ坊主、これがタワーの重賞初勝利だ。もう1年くらい前のやつだけどな。かっこいいだろ」
テーブルに置いたスマホを、那珂畑の隣で床に座りながら眺める加山は目を輝かせていた。しかし那珂畑は競馬をよく知らない。このレースでタワーオブブルーという馬が勝利したことはわかったが、それがどうすごいことなのか、なぜ加山は今こんな映像を見せているのかまったく理解できなかった。
「……競馬の話、ですか」
那珂畑が尋ねると、加山はウイニングランをひと通り眺めてから彼を見て答える。
「まあそれもそうなんだが、今大事なのは客席の方だ。この日は週末で天気は晴れ。そうでなくても大レースの時には観戦チケットは争奪戦だ」
自分のことでもないのに、加山は得意げに語る。
「そんでこの競馬場、どこにあるか知ってるか?」
「いえ。ていうか俺、競馬とかそもそもよく知らないんですけど」
「ばか野郎、今は競馬の話じゃねんだよ。見ろこれ」
加山がスマホを那珂畑の方にずらして見せると、そこにはレース結果や配当などが表示される中に、フナバシ11Rと書かれていた。
チバ県フナバシ市。5年前のロックダウン決行の際、その範囲を広げる可能性として候補に入っていた地域である。そんな場所であたかも何もなかったかのように、いや実際まだ何も起こっていないのだが、人々が集まってスポーツ観戦に興じている。そのことに那珂畑は少し驚いた。
「こんなクソみてえな世の中でも、動ける奴は動いてるし、笑える奴は笑ってる。そういうの見てると、なんか無性に応援したくなっちまうんだよな。だから、俺はそんな奴らを守りたくて、ヒーローを続けてる。ここにいる奴らを、少しでも悲しませないためにな」
加山はレースのリプレイ映像を眺めながら、それまで那珂畑が聞いたことのないほど優しい声で言った。そして最終コーナーからのスローモーション中にこう続ける。
「心構えっつーのか。やっぱヒーローも目指すところがねえとやってけねえよな。よく言うだろ、守るものがある奴は強えって」
加山の横顔には確かな笑みが浮かんでいたが、那珂畑はそれを真っすぐ見ることができなかった。守るべき命は、あの日あの駅でとうに失った。そればかりか今なおすべてを投げ出して死のうとしている彼にとって、小堀や加山のようなヒーローはあまりにも眩しすぎた。いや、もはや三森沙紗の生活を守っているジュニアにすら劣っているのではないだろうか。
「坊主」
もうどこにも向いていない那珂畑の視線が、加山の声に引き寄せられた。
「お前は、ジュニアより大事なものがなかったみてえだな。詳しいことは聞かねえけど、だからお前は奴と戦えなかった」
加山の言う通りだ。あの時那珂畑はヒーローという立場に甘んじて強がって見せたが、精神的には彼女の主張に流されていた。彼はあらためてそのことを自覚し、視線を落とす。自分はヒーローになるべき人間ではなかった。望んで手に入れた力は何より望ましくない力で、求めていたものとは真逆のことを求められる。想定できたはずなのに、その実何も考えていなかったのだ。
絶望を原動力とするゼツボーグは、基本的に活動継続期間が短い。その理由を、那珂畑は自らのものとして初めて理解した。
那珂畑の戦意が完全に失われようとした寸前、加山は両手で彼の肩を強く持った。
「だったら、俺を守ってみろ」
そのひと言が、那珂畑をヒーローに引き留めた。いや、新たなヒーローたらしめた。そう、たとえ死ぬことが目的でヒーローになったとしても、那珂畑はまだ精神的にヒーローになれていなかった。それまで多くのゼツボーグが持っていたであろうヒーローとしての心構えを、彼は目前の小汚い先輩から教わった。
那珂畑は言葉を返すことも頷くこともできなかったが、彼の目に残った確かな戦意の光を、加山は見逃さなかった。
「まあメタい話、俺のゼツボーグは攻撃一辺倒だからな。お前が盾になってくれりゃ多少安定して戦えるってもんだ」
加山が立ち上がる直前に発した言葉で、那珂畑はようやく笑顔を取り戻した。苦笑いだが。
「よーし。そうと決まりゃ練習だ練習! まだ覚えてもらうこたあ多いぞ坊主!」
「……はい!」
ゼツボーグ7号、加山大悟。彼が何に絶望してゼツボーグになったのかは一向に謎だが、彼が長く活動できるのはその意志の強さ。絶望と向き合い続ける心の強さゆえなのだろう。那珂畑は勢いよく部屋を出る彼の背を負いながら、そこに尊敬の念を抱いた。
その日の帰り道。昨日と同じ場所に、ジュニアは待っていた。昨日ほど遅い時間でもないため空はまだ明るく、那珂畑には彼女の姿がすぐにわかった。
「よっ、逸君」
まるで待ち合わせしていた友人のように、ジュニアは気さくに声をかける。
「なんでお前が俺の名前知ってんだよ」
倒すべき敵を目前に挨拶などいらない。那珂畑はまず、とっさに浮かんだ疑問をそのままぶつけた。
「そりゃ1年もストーカーやってたら名前くらい覚えるさ。それに僕は君に殺されないために、なるべく仲良く接することにしたんだ。なんなら彼女になってあげてもいいよ、デートしようよデート」
名前については、まあ言われてみれば当然だと納得できた。しかしやはり那珂畑の癪に障るのは、ジュニアの飄々とした態度だった。彼女やデートといった言葉に彼は一瞬だけ初々しい反応をしてしまったが、それをまぎらわすように勢いよく言い返す。
「んだよそれ、興味ないね。それに俺はもう疲れてんだ。さっさと帰らせてくれ」
そして横を通り過ぎる那珂畑に向かって、ジュニアはあざとく頬を膨らませる。
「えー、じゃあ戦ってもくれないのー?」
「やるわけねーだろ、だいたいお前勝てないだろうし。せいぜい断食してろ」
那珂畑はそのままジュニアに振り向きもせず、歩き去った。
「ちょっとくらいお話してもいいのに。逸君のばかー! けちんぼー!」
ジュニアは気の済むまで喚き散らすと、その顔は再び不敵な笑みを取り戻す。
「……でも、ちょっといい顔するようになったじゃん」
第二戦、勝負は不成立に終わった。
時は少し戻り、那珂畑と加山が部屋を出た後。ふたりは地下4階の空き部屋で新たな訓練を始めた。
目標はヒーローとしての基礎知識の確認、そして那珂畑の必殺技習得。なんともヒーローらしい訓練内容。ここまでさんざんヒーローものらしからぬ展開を見せてきた本作だが、いよいよもってヒーローに不可欠な要素の実践。看板に偽りなしとはまさにこのことである。
加山がホワイトボードに大きく必殺技と書いた下には、またしても謎の絵が描かれていた。彼の説明によると、これこそが彼の必殺技【アトロシティ・スパイク】。両手に携えた刃物を振り回し、一気に広範囲を切り刻むという至って単純なものである。最初に那珂畑を助けた際も、これによってネガリアンの群衆を捌いていた。
那珂畑が最初に質問したことは、ネガリアンの天敵であるゼツボーグに、なぜわざわざ必殺技が必要なのか。という点だった。
加山が返した答えは、短く言えば世代の違い。加山ら初期のゼツボーグはネガリアンを由来とする絶望からゼツボーグになったため、直接ネガリアンに作用する能力を持つことが基本だった。しかし時が流れネガリアンの脅威が常態化した今、ネガリアンとは無関係な絶望からゼツボーグになるケースが多くなっている。那珂畑もそのひとりだ。ゆえにそういった世代のゼツボーグには、本来の能力に加えてネガリアンに強く攻撃する必殺技が必要となる。ちなみに加山も必殺技を持っているのは、那珂畑のような後輩たちの流れに乗り、必殺技という概念を教えやすくするためである。
必殺技と言うが、何も急に巨大化したりビームを放つなど新たな能力を引き出す必要はない。ゼツボーグの性能を応用して、使い方を変えると言った方が正しいだろう。厳密に言えば応用技である。加山の【アトロシティ・スパイク】も、通常の戦い方を高速化しただけの本人曰くごり押し技なのだから。
そして、必殺技の必要性はもうひとつ。これはゼツボーグ共通の性質に由来する。
何度も言うが、ゼツボーグの原動力は本人の絶望。使用者が絶望するほどゼツボーグはパワーアップするが、逆に安心するほど弱くなってしまうというデメリットがある。そのため、戦況有利など戦闘中に自らを安心させる状況を作らない立ち回りが求められる。
よって、ゼツボーグの戦いは初手必殺が暗黙のセオリーとなっている。そのため、一度に状況を解決できる必殺技ほど効果的であるということだ。
那珂畑が最初に試したのは、自らの黒いゼツボーグを変形させることだった。加山はその体で体当たりするだけでもいいと言ったが、それだけでは射程や立ち回りやすさに欠ける。彼のように武器を持つことができれば、それがゼツボーグの結晶体とも言える漆黒の塊であれば、これほど頼もしいことはない。
そのために必要なものは、ゼツボーグを思い通りに動かすだけの絶望と、具体的なイメージ。しかしこれが難点だった。絶望の具現化とも言えるゼツボーグをさらに発展させるには、絶望を、その原点をコントロールしなければならない。那珂畑は簡単な鉄棒でも作ることができればいいとたかを括っていたが、たったそれだけのことでも容易ではなかった。彼の全身を包む黒いボディスーツが不規則に歪むのみで、その歪みを手元に集中させることすらできなかった。
加山は見本として、自らの手で様々な形の刃物を出して見せる。しかし、それが一朝一夕で身に付くようなものではないことを、彼もよく知っていた。ゼツボーグは誰にとっても万能ではなく、彼も刃物以外を生成することはできない。那珂畑にやる気を出させるため最初は期限を明かさなかったが、中期目標という形で練習は継続することになった。
その日最後の内容は軽い座学。ゼツボーグを使用するタイミングについてである。
ネガリアンとの戦いにおいてゼツボーグはもちろん不可欠だが、ではずっとゼツボーグとして準備していろと言われると、それは間違いである。本人の精神的、体力的負担も理由のひとつだが、加山はそれに加えてもうひとつあると、那珂畑に問題を出した。
「じゃあ坊主、お前が無力な一般市民だったとして、近くにヒーローだけがいたらまず何を考える?」
那珂畑は少し考えてから「焦る」と答えた。
「そうだ。わかってんじゃねえか」
加山は素直に、しかし荒っぽく那珂畑の頭を撫でて褒めた。
ヒーローが現れる時、それは逆に言えば人々が危機に瀕している時である。ネガリアンと無関係な場所にヒーローがいたら、人々は近くにネガリアンがいるのではないかと勘繰り、最悪パニックを引き起こしかねない。そこで、ゼツボーグが変身するのは被害確認後、被害現場内が鉄則。ヒーローの登場に人々が歓喜するのは、そこに不安や危機があってこそ。ヒーローは遅れてやってくると言うが、正確に言えばヒーローが先手を打ってはいけないのだ。人々の不安を餌にするネガリアンが相手ならなおさら、不必要な不安を与えず、現場の不安だけを払拭する立ち回りがゼツボーグには求められる。
高速移動能力を持つゼツボーグがいれば話は別だが。そう都合よく輸送担当のヒーローが現れることなどそうそうない。加山は「過去にはそんな奴もいた」程度に紹介し、話を結んだ。結局のところ、現状では通報から現着までの大遅刻は免れないということである。
世間にはこの遅さに不満を持つ者が少なからずいる。ゼツボーグの到着に時間がかかったせいで救えなかった人もいる。必要な犠牲と冷たく割り切ることもできなくはないが、こうして現在宇宙開発局は緩やかに敗北の一途を進んでいる。加山は言動にこそ表さないが、その実かなり焦っていた。かつて例のない長期の活動継続。いつ限界が来るとも知れない体で、少しでも有能なヒーローを多く育成しなければと。
加山は小堀や羽崎から何度も引退を勧められていた。引退しても局内に居場所を用意すると何度も言われた。しかし彼は決めていた。体内のアンチネガリアンが枯れ果てるまで、ヒーローであり続けると。それこそが、今の自分を生かし続ける役目なのだと。
ゼツボーグ7号、加山大悟。彼もまた、初めから敗北をゴールに定めでいたのである。




