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第五十二話 新しい誕生祝いだ

 結果から説明しよう。ノゾミと牧谷は、互いにそれぞれの家族関係をやり直したいと願っていた。ノゾミには息子の将太に母親として接することができなかった後悔があり、牧谷は対等に話ができる母親を欲していた。ゆえに、ふたりの関係は科学衛生局の想定以上に正常に発展し、現在に至る。

 そして、計画は失敗する。


 時は、新ネガトロン討伐作戦決行の少し前。ハコネ山での一件については科学衛生局にも伝えられたが、ノゾミにはネガリアンに関する情報をなるべく与えないようにするため、牧谷もそのニュースを知ることはない。

「ただいま、母さん」

 牧谷はその日も欠かさず、ノゾミの部屋を訪れた。全方位から監視されるマジックミラー部屋での生活にも、そこそこ慣れてきた頃である。むしろ中からは監視されていることがわからないため、部屋にいる時間が長いほど安心感が増していく。

「……母さん?」

 しかし、その日は少し部屋の様子が違っていた。入り口から見回しても、ノゾミの姿が見当たらない。もともと彼女は物静かなのだが、今回ばかりは気配も物音も感じられない。牧谷は一瞬だけ脱走されたことを考えたが、すぐにその予想は否定される。万が一脱走やそれに準ずる行動が見られた場合、監視システムから警報が鳴る仕組みになっている。そうでなくとも、ノゾミが人間から逸脱した何らかの能力を使った場合、それも記録され牧谷に通達される。

 そういった反応がないということは、この状況はあくまでも正常。ノゾミはどこかで昼寝でもしているのだろうか。牧谷はそっとテレビ前のソファを覗き込んだが、そこにもノゾミの姿はない。彼がさらに周囲を探そうとした時、テレビの方からバタバタと何かが倒れるような音がした。

 牧谷が音のした方を見ると、テレビ台の横でノゾミが何かに躓いたように倒れていた。

「母さん!」

 牧谷は慌ててノゾミに駆け寄り、様子をうかがう。服には多少の埃が付いているが、どこか怪我をしたり異変のようなものは見られない。ノゾミはただ、本当にその場で転んだように足腰を心配する素振りを見せていた。

「……ああ、樹里央、おかえり。ごめんねびっくりさせちゃって。テレビの裏を掃除しようとしたら、後ろの隙間に倒れこんじゃって」

 そう言われて、牧谷はテレビの方を見る。確かに掃除したような形跡はあったが、壁との間に人が丸ごと隠れられるような隙間はない。薄型テレビだから、多少押しのければ入れるのだろうか。これで本人が出てくるまで何の物音もしなかったのだから、まるで猫のようだ。

 しかし、大した異変ではないと確信した牧谷は、落ち着いて胸を撫で下ろす。

「まったく、自宅療養中なんだから気をつけてよね。狭いところなら僕の方が入れるんだから。まあでも元気そうだし、僕は部屋で宿題やってくるよ」

 しかし彼は、一抹の不安をぬぐいきれないまま、部屋を出た。


 その後、牧谷は局員に頼んで、自分が来るまでの監視映像を確認することにした。

 確かに、少し前にノゾミがテレビの裏に手を伸ばし、裏側に入り込んだような記録が残っている。しかしその後は、テレビがずれることも傾くこともなく、静寂が続いた

『ただいま、母さん。……母さん?』

 そして、牧谷が部屋に入ってから、ノゾミは入り込んだ反対側に転がり出た。

 まだ違和感が残る牧谷は、さらに別の記録を確認する。あいにくテレビの裏側まで監視カメラは行き届いていないが、サーモグラフィやネガリアンの反応から、彼女の動きを追跡することはできる。

 それらの記録によると、確かにノゾミはテレビの裏側にあたる位置で、台を拭くような動きをしていた。どうやら牧谷の抱えている違和感はただの思い過ごしで、ノゾミは本当にテレビの裏側にいただけだった。

 しかし翌朝、牧谷はノゾミの部屋に行く前にリーヴス特使に呼び出された。

「樹里央君、まずは今までの協力に感謝する」

 リーヴスの泊まるホテルの一室でこの言葉から始まる展開を、牧谷は容易に想像できた。

 それは、ノゾミとの別れが近いこと。

「君も見たかもしれないが、ここ数日、ノゾミはよく狭い隙間に入り込んで掃除をしている」

 昨日のテレビ裏の件についても、彼は知っている様子だった。

「それが、何か? 別に、ただ掃除をしていただけじゃ……」

 牧谷は慌てて言い返す。昨日感じた一抹の不安が、ここに来て再び彼の脳裏をよぎったためである。

「そのこと自体は大した問題ではないんだ。きっと彼女が綺麗好きな性格とか、そういう話だろう。ただ、昨日のような事故が再び、何度も起こる可能性を私たちは見落としていた」

 リーヴスの真剣な、しかしどこか残念そうに少しだけ下を向く眼差しに、牧谷は思わず固唾を飲む。

「もしも彼女が何らかの衝撃を受けたら、少しでも傷を負ったら。彼女はネガトロンとしての生存本能に目覚めてしまうかもしれない。そうなる前に彼女を拘束し、アメリカに移送する。まだ確定事項ではないが、君にはあらかじめ伝えておこうと思ってね」

 例えば浅い切り傷でも、ノゾミの場合その傷口から赤い血が流れ出るわけではない。ただそこにいた微生物の死骸が、灰のように崩れ落ちていくだけである。傷からは痛覚ではなく感覚麻痺が発生し、それらを感じた時、彼女は自分が人間ではないと気づいてしまう。

 人間とネガトロンの綱引きを無理やり人間側に引きずり込んだ結果が今のノゾミ。しかしノゾミの正体がネガトロンである限り、その綱は少しのきっかけで容易にネガトロン側へと引っ張られてしまう。今ここが、彼女を人間として留めていられる限界点。誰が判断したのか牧谷には知る由もないが、その結論に彼が異を唱える余地はなかった。

 理想的な母親と少しでも長くいたい。そのような我儘ではもう続けられないところまで来たと、牧谷は自覚した。ゆえに、彼は何も言えなかった。

 ノゾミとの生活が終われば、牧谷は晴れてゼツボーグとして宇宙開発局に迎えられ、望んでいたヒーローになれる。しかし、彼は心から願っていたはずの夢を、素直に受け入れられなかった。ヒーローになるためにノゾミと別れなければならないなら、ヒーローを諦めてノゾミと共にアメリカに行く。それほどの決意が、彼の心には芽生えていた。

 そもそも、牧谷がヒーローに憧れた理由は、何者にも縛られないその強い在り方にあった。家族にも学校にも縛られることなく、自分の持つ力をそのまま人々のために役立てられる。そんな生き方に、彼は強い羨望を抱いていた。そしてシネマの攻撃を受けた後、アツギの空を飛ぶポジトロンを見て、彼の望むヒーロー像はより確かなものとなった。

 しかし、ノゾミやリーヴスとの生活を通して、前提が変わった。偽物の家族でも、幸せにやり直すことができた。ヒーローになどならなくとも、自分の持つ力でノゾミの人格形成に貢献できた。彼の夢は今やかつてのヒーローではなく、今の生活を、ノゾミとの関係を続けることに変わっていた。そして、彼女をネガトロンとして目覚めさせないため、アメリカの協力は必要。具体的なことはわからないが、牧谷はその情報だけでじゅうぶんに考えられた。

 だがその時、彼の考えが一瞬止まる。ノゾミをアメリカに引き渡して研究を進めれば、彼女は安全に生きられるかもしれない。しかし、その中でネガリアンの研究が進めば、人類はネガリアン撲滅へ大きく近づくことになる。そうなれば、最終的にはネガトロンであるノゾミも殺処分されることとなる。

 本人に害意がなくとも、ネガリアンの塊であるネガトロンは周囲の人間を感染させ続ける。結局のところ、多少遅いか早いかの問題で、ノゾミが人類の敵になることに変わりはないのだ。

 なぜ、そんな簡単なことを忘れていたのだろう。どれだけ幸せに生活していても、ノゾミは人類の敵。最終的には殺さなければならないネガトロン。彼女との満ち足りた生活が、牧谷の中からその現実を遠ざけていたのかもしれない。

 ノゾミを失いたくない。しかし牧谷は、自分が何をすればいいのか、自分に何ができるのか考え、そして何もできない無力感に絶望した。

 実の家族と離れたことで落ち着きつつあった彼の精神が、ここに来て再び大きく乱れることとなる。

 そして、変化が起こったのは、人間たちだけではなかった。


 リーヴスから話を聞いた後、牧谷はノゾミの部屋へ向かう。リーヴスや局員に許可を得て、彼女のアメリカ行きを直接伝えるために。

 部屋の扉を開けるまで、牧谷は落ち込んだままその中を見ようとしなかった。ノゾミの顔を見たくなかったからである。今彼女の顔を見たら、普通に生活しているネガトロンを見たら、もう自分はどうなってしまうかわからない。その恐怖が、彼の視線を部屋から逸らした。それでも、部屋に入れば、幸せな生活空間に戻れば、笑顔で彼女と話ができる。そう信じて、彼は扉を開ける。

 しかし、牧谷が現実から目を背けた一瞬、そうしなければ見つけられたであろう異変に対し、彼は一手遅れることとなる。

 扉を開けて中を見ると、またノゾミの姿が見当たらない。そして、どうせまた狭いところに入り込んでいるのだろうと考える暇もなく、部屋の外からけたたましい警報音が鳴り響いた。

 ネガリアン対策に使われる警報音には、いくつかパターンがある。これらは科学衛生局と宇宙開発局で共通しているものであり、ネガリアンの反応の大きさや行動の内容によって音の種類や組み合わせが変わる。当然、ネガトロンを相手にするために牧谷も事前にそれを憶えていた。

 そして、今回の警報音。それが示す内容は、室外でのネガトロン発生。加えて対象が何らかの特殊能力を使用した時のものである。監視部屋はノゾミを刺激しないよう、徹底的に防音処理がされている。つまり、この警報音はノゾミの行動を示すもの。本来彼女がいるはずのない室外で、彼女が能力を使ったということである。

 それは牧谷が、いや、リーヴスを含む関係者全員が最も恐れていた事態。ノゾミがネガトロンとして目覚め、脱走した。建物内には厳重な警備システムや複数のSIMsが配置されているが、志村のいない今、彼女をどこまで抑え込めるかわからない。

 警報音が建物内の各所にまで届いた時、水上はわずかに自分の選択を後悔した。牧谷をノゾミと接触させる前に、宇宙開発局に移送してゼツボーグとしての力を着けさせるべきだったと。しかし、仮にそうしていたとして、ノゾミの変化は時間の問題。水上はすぐに後悔の念を振り払い、対応に乗り出す。

 ノゾミをこの建物から出さないためにできる最大の対抗手段。それは、志村が集めた戦闘データをもとにSIMsを動かし、戦わせること。むろん、SIMsの本領は志村がいなければ発揮できない。しかし、アンチネガリアンを微量ずつ搭載した機体なら、少なくとも足止めにはなる。水上は迷わず、SIMsブラボーとチャーリーに出動命令を出した。

 だが、後から考えれば水上のこの判断こそが最悪の失態だったのかもしれない。ノゾミの能力がわからない状態で、一刻も早く対策を打たなければならない。この条件下では、彼の判断は正しかった。しかしそれは、相手の能力を考慮しない上でのことである。もちろん、相手の能力を考察していたら、判断は大きく遅れる。ことを急いては仕損じると言うが、急いたか損じたかは結果論。水上は現状を見て正しい判断を下したに過ぎなかった。

 ただ、その判断に対してノゾミの能力はあまりにも相性が悪すぎた。少し時間をかけて考えれば、たどりついた仮説である。なぜノゾミが脱走できたのか。なぜこれまで何度も狭い場所に入り込んでいたのか。

 その能力は、牧谷が監視部屋を飛び出してノゾミに追いついた時、ついに判明する。

 ノゾミの気配、監視システムからも見て取れるその位置は、SIMsブラボーの中にあった。ノゾミが、ポジトロンを動かしているのである。

 牧谷がその姿を見た時、ゼツボーグ特有の勘か、幼いが故の柔軟な想像力か、彼女の能力をすぐに当てることができた。

 同化。無機物に入り込み、同じ性質になること。これまでも、ただ狭い隙間に入り込んでいたのではない。隙間から壁や家具に入り込む練習をしていたのだ。テレビの裏から出てきた時も、裏ではなくテレビそのものに入り込んでいた。監視システムがそれに気づかなかったのは、ノゾミがその力を悪意なく、無意識に使っていたからだろう。しかしその能力を完全に掌握し、ネガトロンとして目覚めた今、彼女は明らかに人間の敵として同化の力を使った。だから、今回初めて警報が鳴ったと考えられる。

 テレビの一件から察するに、同化した物から出る際、出口は自由。おそらく彼女は監視部屋の壁に同化し、外側に出たのだろう。そして立ちふさがったブラボーに同化。ネガトロンでありながらナノマシンと同じ性質になっているため、アンチネガリアンが反応せず、今に至るのである。

 対峙の瞬間、ほぼすべての出来事に気づいた牧谷にも変化は起こった。これまで抱えていた幸せが瓦解したこと。その幸せ自体に迷いを抱いていたこと。ヒーローが何と戦っているか、理解したことで、彼もまた目覚める。

 ゼツボーグ100号、その発現が始まった。牧谷の全身から、ゼツボーグの黒い糸が次々と飛び出し、周囲を埋め尽くしていく。


 宇宙開発局にある、ゼツボーグ発現用の電気椅子。羽崎によればその性質は、候補者にネガリアンと同じ衝撃を与えることで、体内のゼツボーグを半ば強引に引き出すというもの。当然、その際に発生する負担は尋常ではなく、死者こそいないものの激しい苦痛を伴う。

 しかし羽崎は、苦痛の度合いも人によると言った。基本的には発現と同時に気絶するほどの衝撃なのだが、中には勝機を保ったままゼツボーグになる者もいる。その違いは、事前にどれほど発現まで近づいているかにある。

 電気椅子を使わなくとも、候補者は激しい絶望やネガリアンとの接触経験によってゼツボーグになることがある。そもそも、初期のゼツボーグとはそういうものだった。そこから回数を重ねることで、電気椅子という人為的な発言方法を見つけ出したに過ぎない。

 ゼツボーグ100号、牧谷樹里央は、自力でヒーローの領域に到達した。

 だが、自力で発現したこと、正規の訓練を受けていないこと、そして何より本体が幼いことで、牧谷からあふれ出したゼツボーグの合金は、彼の体に定着しなかった。彼の周囲には黒い糸が宙を漂うのみで、いわゆる変身といった様子ではない。

 牧谷の体に変化が起こる間、SIMsチャーリーが水上の指揮のもと、ブラボーに駆け寄っていく。まだ牧谷以外にはノゾミの能力は知られていないが、少なくとも今ノゾミはブラボーの中にいる。ならばその装甲を壊して本体を外に晒してしまえば、あとは各機に内蔵されたアンチネガリアンで対処可能。

 ノゾミも牧谷の変化に驚きはしたものの、反対方向から近づいてくるチャーリーへの注意も怠っていなかった。志村の指揮能力がない以上、SIMsの戦いは徒手格闘。チャーリーは勢い任せの突進を仕掛けるが、ネガトロンの力を上乗せしたブラボーの拳は、一撃でチャーリーの全身をガラス細工のように破砕した。

 チャーリーの破片は突進の勢いに乗って、そのいくつかが牧谷の足元まで飛んでいく。牧谷はそれを拾い上げると、明らかな敵意の目でブラボーを睨みつけた。

「誰の命令だよ……」

 これまでのゼツボーグたちがそうであったように、牧谷も自分のゼツボーグの使い方を無意識に会得している。彼はブラボーの中にいるであろうノゾミに問いながら、漂う糸を針のように真っすぐ尖らせた。

「母さんが、こんなことするはずないだろ!」

 彼の叫びと同時に、無数の針がチャーリーの破片に突き刺さり、本体へと集まっていく。そして破片は歪ながらも牧谷の体を覆い、ポジトロンに似た形を成した。

 ネガトロン・ノゾミの完成とゼツボーグ100号の発現、そしてふたりの初戦闘は、こうして幕を開けることとなった。

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