第五十一話 ニホンノノゾミーアツギカラキマシター
説明しよう。ゼツボーグ100号候補者、牧谷樹里央は、アツギ市内のとあるマンションで両親との3人暮らしをしていた。
母親の教育方針以外、特に何の変哲もない生活を送っていた彼は、自分でも気づかないうちに絶望を募らせることになる。両親の態度に対する違和感、年相応の反抗心、そして、ヒーローへの憧れ。それらは無垢な少年の心を絶望で満たすのに、じゅうぶんな材料となった。
対特区計画によって、牧谷一家の住むマンションは崩壊。全員が軽傷を負いながらも、市外へ避難することとなる。
その後、科学衛生局からスカウトを受けた牧谷は、担当者にこう質問する。
「ヒーローになれば、悪者を倒せますか?」
担当者は少し考えながらも、うなずいて答えた。直接倒せるかどうかは、ゼツボーグの性質によるので、素直に「はい」と答えられる質問ではなかった。
しかし、牧谷は構わず続けた。
「母さんを、倒せますか?」
その質問をした時、牧谷の体内で急速にアンチネガリアンが増大。小学生とは思えないほどの圧倒的な気迫となって、担当者を襲った。
あくまでも無意識。牧谷が母親に対して、殺意のような感情を抱えているわけではない。しかし、彼の精神を壊すまいとする自己防衛本能が、母親の姿を思い浮かべるたびに、攻撃性として表面化していた。これまで学力や社会性といった形で昇華されていた彼の本性が、ネガリアンに感染したことで真の姿を現すことになる。
牧谷には、その素質があった。そして素質は教育によって意図せず開花する。ゼツボーグ100号は、彼が意識するまでもなく、電気椅子に座ることもなく、着々と完成に近づいていた。
ユウラク町T区域、科学衛生局の開発拠点。かつて大きな物流拠点だった施設の一角に、その部屋はある。日の当たる南側の部屋、さらにその中のマジックミラーで囲まれた空間。その内装は一般家庭のリビングと同じように整えられていた。対してマジックミラーの外側は、無数の監視カメラや計測器、防火シャッターなどで包囲されている。まさに実験室といった光景である。
部屋には水道やガスなど、生活再現に必要なものはひと通り揃えられている。リモコンの電源ボタンを押せばテレビも見られる。しかし、彼女はソファの真ん中に座ったまま、虚ろな目で真っ黒な画面を眺め続けていた。
「彼女が、今まさにネガトロンになりかけている存在、ノゾミです。先に説明した通り、彼女にはあなたとよく似た息子がいました。あなたがその息子の代わりになってあげれば、彼女は人間としての穏やかな人格を取り戻せるかもしれない。ここまで来て確認するのもなんですが、よろしいですね?」
施設内で牧谷を案内し、ノゾミの部屋を見せたのは水上だった。
対特区計画の後、牧谷がゼツボーグになることを受け入れたと彼の家族に連絡が届いたのは、すでに彼がこの施設に移送される途中のことである。両親は猛反対したが、ヒーロー候補者は自身の意思が最優先される。たとえそれが、判断力の成熟していない子供であっても、本人の意思が続く限り、誰にも止めることはできない。
牧谷はすでに、ゼツボーグになること、その前段階として、ノゾミに協力することを承諾していた。
「……わかってます。僕は必ずヒーローになります」
そう言って、牧谷は部屋の扉を開けた。
「ただいま、母さん」
時は進み、新ネガトロン討伐作戦後の宇宙開発局。
回収されたイヴの研究ノート。その末尾には、それぞれその年の研究をまとめて気づいたことやネガリアンの傾向などが短く書かれている。現在1、2、5年目のノートを宇宙開発局が、残る3、4年目を志村が確保した。
欠けた情報の中、宇宙開発局は最新版である5年目のノートを中心に精査を進めた。
前半には、ネガリアンの成り立ちや地球に来るまでの経緯のようなものが断片的に書かれている。しかし、間に何か変化があったのか、5年目だけは内容が違っていた。
『成功作はネガトロンとは限らない。ネガリアンを支配する力さえ手に入れば、人間でも上位的存在になり得る。どちらが勝つにせよ、その存在が勝敗を分けるだろう』
5年目はまだノート全体の記述も途中で止まっていたため、末尾の記載も短い。だが、『成功作』『上位的存在』という言葉が考察の決定的な鍵となった。成功作があるということは、失敗作もあるということ。
生物学の基礎的な話だが、多くの生物は環境に適応するため、多くの子孫を残し、多様性の中から数少ない生存例を見つけ出して存続してきた。そして環境を支配し生存率を上げた強い生物は、生存率に反するように個体数を減らしていく。
であれば、ネガトロンたちは地球や人間社会という環境に適応するための、多様性のひとつと考えられないだろうか。ネガテリウムやネガトロンが超常的な能力を獲得するのも、生存率を上げるための言わば実験のようなものと言える。
しかし、イヴの考察が確かなら、ネガリアンは他の生物と違って、ゴールがある程度決まっている。それが成功作、上位的存在である。記述によれば上位的存在は、ネガリアンを支配できる。これまでの感染拡大は、成功作を生み出すための試行錯誤、あるいは時間稼ぎ。
極論だが、例えばあらゆるネガリアンを支配する、王のような存在が現れたとしよう。王はネガリアンたちが獲得した様々な能力を結集させ、確実な生存力を持った軍隊を作ることができる。そうなれば人類の敗北は必至。しかし、逆にその王がネガリアンではなく人類の味方だったら。すべてのネガリアンから感染力や毒性を奪い、一瞬で人類を勝利に導ける。
考察班は考えた。この成功作が、ネガリアンと人類のどちらにとっても最大の勝機である。そしてネガリアンは、すでにその成功作に近づいていると。
考察の鍵となったのは、ネガトロン・ジュニア。そしてネガテリウム・ボルケーノである。ジュニアは那珂畑と水族館に行った際、冷たい海水を気にも留めなかった。そして那珂畑に指摘された後、猫舌の演技をした。ポジトロンの攻撃が有効であることから、ネガリアンは一定以上の熱には耐えられないが、一般的な温度感覚を持っていないことが判明する。
そして、ボルケーノ。正確には、その周囲にいた顔なし軍団。正確な計測ができなかったため、その正体を断言することはできない。しかし、クロスボーグの攻撃で簡単に倒れたという当事者の証言から、彼らはネガトロンだったと推測できる。
では、顔なしネガトロンの元となった人間は何者か。なぜ顔がないのか。考察班が導き出した有力説はひとつ。彼らに元の人間などいない。ただボルケーノから飛散したネガリアンが増殖して、ネガトロンの形を成したというものである。
結論から言えば、ボルケーノにはわずかながら王の素質があった。飛散したネガリアンに自己を維持するよう命令を出し、ネガトロンのような人型にさせた。しかし、その途中で王であるボルケーノ本体が死亡。元から人格や意思を持たない無人ネガトロンは、温度感覚が鈍いため硫黄泉から逃げ出そうとせず、未完成のままその場を徘徊するだけの存在になった。
ボルケーノの正確な発生時期は特定できなかったが、本体である冴草の失踪時期、3年前という仮説がある。その時点で王の素質を持つ者が現れたなら、本物の王はまもなく現れるか、もうすでにどこかに潜んでいるかもしれない。
そして、王の探し方についてもすぐに方法が提案された。
強力なネガトロンは、基本的に他のネガトロンに近づかない。餌の取り合いになるため、ネガリアンは本能的にネガトロンを避ける傾向にある。感染爆発に巻き込まれた者も、密集している段階では感染の度合いが低い。
しかし、他者を支配する能力を持つネガトロンであれば別。能力使用のため、他のネガトロンやネガテリウムに近づかなければならない。事実、顔なし軍団はボルケーノの周囲で密集していた。つまり、これらの反応が重なっている部分を探せば、そこに王がいる可能性が高い。
成功作である王を探す。また一方で、人類の誰かが王になる方法も探す。宇宙開発局の方針が定まった。
だが、ボルケーノがそうであったように、王の素質を持つだけの失敗作は簡単に現れる。そしてそれは、ある意味で人類にとって最悪の形で現れた。
牧谷がノゾミとの接触を始めてからおよそ半月。ふたりはハコネ山での一件や新ネガトロン討伐作戦を知ることもなく、順調に交流を深めていった。
科学衛生局の予想通り、ノゾミは母親らしい人格をほぼ完成させている。牧谷も、彼女の息子役をしっかりと演じ、ふたりはいつしか本物の親子のようになっていた。
ノゾミは外に出られない理由として、ネガリアンに感染したので自宅隔離されていると刷り込まれた。これによって、牧谷だけが部屋から出入りすることにも違和感が発生しない。食事にも人間の食料に少量のネガリアンを混ぜることで、ふたりが同じものを食べられるよう細工されている。
この徹底した管理環境によって、科学衛生局は安心してリーヴス特使を迎え入れることができた。牧谷にはノゾミを引き渡す口実として「ネガリアン感染の治療のため、母さんは専門家と外に行ってもらう」という台本が渡された。
しかしこの時、牧谷はノゾミの引き渡しに反対した。彼は、ノゾミと過ごす時間に幸せを感じ始めていた。最初は物言わぬ等身大人形を介護するような生活だったが、次第に心を通わせ始めたことで、彼はノゾミを理想の母親として見るようになっていた。
そしてこれは誰も知る由のないことだが、ノゾミがここまで急成長したことには、理由がある。それは彼女が、望月聡美が息子との関係をやり直したいと願っていたからである。激しい後悔と反省に学んだ彼女は、同じ部屋で暮らす少年をかつての何倍も大切に扱った。
当然、親として叱ることもあったし、多少のすれ違いもあった。しかし、ふたりの生活はこの半月でようやく互いの望む形になったのである。
このままでは、ヒーローにはなれない。ノゾミを渡さなければ、人類のためにもならない。しかし牧谷は、この生活を手放したくなかった。そこで彼は、リーヴス特使にこう説得するよう、水上に頼んだ。
「しばらく、できれば母さんが他の人とも仲良くできるようになるまで、見守っていてほしいんです」
これが叶えば、少なくともこの生活を延長させることができる。さらにノゾミの人格をより安定させられれば、別れた後でも再会できるかもしれない。
牧谷にとって、親という存在はそれほど大きかった。たとえ間違った教育をしていようと、人間ですらなかろうと、側にいてくれる家族を失うということに、彼は耐えられなかった。初めは、両親と別れてから少しの間は解放感に喜びを覚えていた。しかし、再び親と別れるという現実を突きつけられた時、彼は自分が少なからず親に依存していることに気づいた。
無理もない。子供が親の愛情を求めるのは、当然のことである。歪んでいようと偽物であろうと、子供にとっては同じく愛。それを二度も失うことは、子供にとって耐えがたいことなのだ。
リーヴス特使はもともと長期滞在を覚悟していたため、牧谷の提案をすんなりと受け入れた。同時に彼は、父親の代わりとしてノゾミと一緒にいない時の牧谷を支えたいとさえ名乗り出た。
水上をはじめ、科学衛生局はリーヴス特使の滞在を許可。ノゾミと牧谷、そしてリーヴスの一風変わった生活が始まった。
しかし、絶望のヒーローに安息の暮らしなどない。ヒーローとは、戦いがあってこそ成立する存在。牧谷がヒーローになるための試練は、電気椅子とは別の形で訪れることとなる。




