第五十話 ソシャゲだったらリセマラ終わるレベルのやつ
説明しよう。現在、ネガリアンの感染はトウキョウとカナガワのみに抑え込まれている。外からはこの徹底した感染防止措置を賞賛する一方で、ネガリアンがそれだけの存在だったと軽視する意見もある。
意見が割れる主な原因は、この5年間、政府が感染者だけでなくネガリアンの検体も外に持ち出していないからである。また、外部研究者の誘致についても、一度圏内に入ってしまえば出ることは許されず、ほぼ断絶の状態となっている。
しかし、ここでひとつの問題が発生する。もしもロックダウン内に外国人がいたら。その人物がネガリアンに感染し、死亡したら。彼らの処遇は、遺体はどうなるのだろうか。駐日大使などの要人でなくとも、一般人に被害が出た時点で国際問題になりかねない。現状、この5年間で日本は相当数の外国人死者を出しており、遺体はそれぞれの属する宗教などに従って処理。遺族等にはインターネットを通してやり取りをし、安全が確認された後に帰国させるという約束になっている。つまり、日本は現在5年分の死者を遺族のもとへ帰すことなく抱え続けているということになる。
だが、最大の問題は別にあった。その死者が、ゼツボーグだった場合である。これまで99人が確認されたゼツボーグの中に、ひとりだけ外国人がいた。ゼツボーグ51号、エマ・ハーディ。アメリカ出身の留学生である。
ハーディは日本語教師になるため、ネガリアン騒動の直前に来日。在日期間は2年を予定していたが、間もなくして帰国困難者のひとりとなる。感染時期は不明だが、3年目にゼツボーグとして活動を開始。翌年、落涙態になったことで脳に激しい損傷を受け死亡。その遺体は、外傷の少ない落涙態死者という希少性から、さらなる研究のため宇宙開発局の地下6階に保存されている。
彼女の死から1年。ついにアメリカ大使館はしびれを切らした。以前から続けていたハーディの遺体引き渡し命令を、さらに強めたのである。しかし、抗体持ちとは言えハーディも立派なネガリアン感染者。その遺体を大使館に渡せば、アメリカはあらゆる手を尽くして彼女を帰国させるだろう。感染が世界に拡大することを想定すれば、各国に検体を持ちだして研究するのもひとつの手だ。
しかし、誰かひとりでもロックダウンから出したという前例を作ってしまえば、そこから出口は広がっていく。遺体や検体は各国に散らばり、どこから世界的感染が始まるかわからない。感染を日本の狭い地域に留めるため、政府、宇宙開発局、そして科学衛生局は一丸となってハーディの遺体を死守していた。
そこで、アメリカ大使館の行動は、新たに本国から特命大使を投入することだった。初めから日本にいる人物ではなく、帰国の見込みがない新人を投入する強硬姿勢を示すことで、日本に揺さぶりをかけるためである。
特命大使、その名はウォルター・リーヴス。彼の最重要任務はハーディを連れ帰ることだが、それ以外にネガリアンに関する情報や検体を持ち出すことも含まれている。
ハーディ奪還のために最初から宇宙開発局に突撃するのは、あまりにも無謀である。そこでリーヴスは次善策のためにも、まず科学衛生局から当たることにした。
もちろん、こうした海外の動きに日本が何も準備をしていなかったわけではない。ハーディの遺体はともかく、海外に研究を協力してもらうことは日本にとっても大きなメリットとなる。そのため、感染の危険性が少なく、かつ情報量の多い検体を科学衛生局主体で探していた。
ネガリアン単体や感染細胞は、無造作かつ無軌道に周囲の人間を襲う。しかし、その凶暴性を制御できる存在が、ひとつだけある。
ネガトロン。彼らはネガリアンの塊でありながら、そのすべてを自身の体に留め、形を保っている。そのため、人間に対して攻撃的でないネガトロンであれば、丸ごと検体として提出できる。
だが、そもそも生存のために人間を感染させるネガトロンにそのような者がいるはずなどない。しかし、局はあきらめなかった。ネガトロンから攻撃性を奪うチャンスが、一瞬だけ残されていたからである。
ネガトロンは誕生の際、人間の肉体を食い尽くし、食べた細胞から元の人間について学習し、容姿や人格をトレースする。つまり、短期間ではあるが他の動物と同じように学習の期間を要する。であれば、人間がネガトロンになるまでの間に、人間を攻撃しないよう教育、刷り込みを行い、人間として徹底的に管理すれば、無害なネガトロンが手に入る。これが、局の計画だった。
局は感染爆発のあった地域や、ネガテリウムによる攻撃の跡地に多くの人員を派遣。ネガトロンになる寸前の人間を探し続けた。そして、計画の発案から4年近く。それはついに見つかった。
ネガテリウム・マンションの推定発生区域、望月将太の自宅である。これは後に判明することだが、その人物は将太の母親、望月聡美である。彼女の体は麻酔や低温保存などあらゆる方法で生きたまま活動を停止され、局に運ばれる。そしてネガトロンとして新たな人格を植え付けるため、元の名前から取って彼女をノゾミと名付けた。
しかし、人格のトレースを阻害したままネガトロンを安全に成熟させるには、多くの問題があった。人間は、ひとりでは生きていけない。他者を通して初めて自己を認識できる。つまり、ノゾミの人格形成には、ネガリアンに感染しない協力者、ゼツボーグが必要だったのである。
局はこのことから宇宙開発局に協力を要請。当時現役だったゼツボーグ、加山と那珂畑をノゾミに接触させた。しかし、ふたりに対しノゾミは拒否反応を示した。ゼツボーグとネガトロンという相性の悪さゆえか、単にふたりのことが気に入らなかったのか。理由は不明だが、局はノゾミの元の人格に関係していると予想した。
ノゾミの元となった望月聡美は、息子の教育にかなり執着していた。しかし一方でその圧力が自らの心を追い詰めることになり、彼女はうつ病を患う。これはあくまでも予想の範疇を出ないことだが、彼女は息子との関係をやり直したいのではないだろうか。活動停止中でも刷り込みを行わなければ、生きている限り人格のトレースは少しずつ進んでいく。その中で彼女は最初に息子への執着を思い出したのだろう。だから、息子に似ていない加山や那珂畑を拒絶した。
つまり、息子である望月将太に近いゼツボーグがいれば、ノゾミの刷り込みは大きく進展させられる。だが、そんな都合の良い存在が思い通りに現れるはずがない。多くの局員が、4年かけてようやく見つけた望みを処分しようとした、その時である。
願いは、多くの犠牲を払って叶えられた。
場所は変わり、宇宙開発局。小堀たちはリーヴス特使の来日を受けて、対応の準備に急いでいた。那珂畑が持ち帰ったイヴの研究ノート。その中にまだ人類の知らない重大な情報があれば、その情報共有と引き換えにハーディの遺体を持ち続けられるかもしれない。
多くの局員がノートの精査に奔走する一方で、ツクモだけがまだ部屋にこもっていた。
羽崎が那珂畑の勝利を報告してから、ツクモはメッセージアプリを通して少しずつ動きを見せるようになっている。しかし、局の一員として、ヒーローとして復帰するにはまだ時間がかかりそうだ。
ふたりのやり取りの内容は、基本的に当たり障りのない世間話。だが、いつまでもそうはしていられない。ツクモに外の世界への執着を思い出させるため、羽崎は大きく踏み込むことにした。
『ジュリオって、誰?』
ジュリオ。それは対特区計画の報告が来た時、ツクモが真っ先に出した名前。当時の彼女は、そのジュリオなる人物をかなり心配している様子だった。しかし、羽崎が彼女の身辺情報を漁っても、家族や出身校にその名前はない。
だが、おそらくジュリオは自殺まで追い込まれたツクモにとって言わば未練のような存在。その正体がわかれば、ジュリオのためにツクモをヒーローとして復帰させられるかもしれない。羽崎はその可能性に賭けていた。
羽崎のメッセージに対して、ツクモはすぐに既読マークを付ける。ゼツボーグと言えど、スマホが引きこもりの親友であることは、他の人間と変わらないらしい。
そして数分後、ツクモから返信が来た。
『話すと長くなるから、部屋に来て』
ハコネ山での戦いから初めて、ツクモが他人と直接の接触に踏み切った。羽崎の目論見通り、いや、それ以上の成果かもしれない。彼女はそのメッセージを確認すると、読み進めていたノートをそのままに、ツクモの部屋へと向かった。
地下6階、居住エリア。ツクモの部屋の入口には内側から鍵がかけられていた。羽崎は軽く扉をノックしたり声をかけたりしたが、反応はない。しかしそのすぐ後、彼女のスマホから着信音が鳴る。メッセージアプリのものではない、音声通話の着信音。発信者はツクモだった。
「もしもし、ツクモちゃん? 今部屋の前まで来たんだけど、扉、開けてくれないかな」
羽崎は少し不安を抱えてはいたが、声はあくまでも明るく、ツクモの心を解きほぐそうと努力していた。
しかし、数秒の沈黙を挟んで返ってくる声は、暗かった。
『……ごめん。やっぱり直接は話せない。でも話はしたいから、このままでいい?』
「うん。いいよ」
この場において羽崎はツクモの上司であり、同時に保護者代わりであり、対等な友人でもある。現実はリーヴス特使や対特区計画で忙しい。本来なら、強引にでもツクモを表舞台に引きずり出すのが羽崎の役目である。しかし今だけは、この場所だけは、ふたりだけの世界にしたかった。ツクモにとって優しい世界にしたかった。彼女はいつしか、どこまでも甘くなっていた。
「それで、ジュリオについて話してくれるんだよね?」
『……うん』
そして、ツクモは少しずつ語り始めた。
ジュリオ。本名、牧谷樹里央。小学6年生。中性的な名前だが、ツクモ曰く男子だそうだ。彼はツクモの近所に住んでいた、ツクモの幼馴染である。ふたりは物心つく頃からママ友経由で交流があったため、まるで姉弟のように育った。牧谷はツクモのことをよく「マヤねーちゃん」と呼んでは慕っていたらしい。
しかし、牧谷は大きな問題を抱えていた。それは、彼の母親が教育熱心なこと。彼にとってそれは、過干渉なほどだった。ツクモは人の悪口を聞くことが嫌いではなかったため、彼の愚痴を積極的に聞いていた。
主な話題は、彼の家族と進学についてだった。牧谷の母親は、アツギ市外の中高一貫校への進学を目標に教育を進めていた。牧谷はその受験に合格できるほどの学力を身につけたが、彼は本心では地元の公立校に行くことを望んでいた。
ツクモとは3歳差があるため、同じ学校にはいられない。しかし、彼女の足跡を追うことが、同じ道を進むことが、牧谷にとっては幸せなことだった。そうでなくとも、周囲の同級生と同じように進学し、同じ故郷で同じ生活がしたかった。小学生にとっては、将来のことよりも今の安定した幸せを持ち続けることの方が大切なのかもしれない。だからこそ、同じ成長を経験した親の指導が必要なのだ。
しかし、牧谷の母親は強かった。我が子を同級生から隔離するように遠くの学習塾に通わせ、模擬試験や特別授業のために何度も学校を休ませた。牧谷が5年生になる頃には、中学受験をしない友人とは縁を切るように厳しく言い始めた。
牧谷は恐れていた。このまま受験に合格して新生活を始めれば、それはそれで良い人間関係ができるかもしれない。しかし、そうなるまでの孤独に耐えられる自信がなかった。そして6年生になった時、彼は校内で完全に孤立することとなった。同級生と遊ぶ時間はなく、私立志望の同級生も、自分の勉強に必死で自然と疎遠になっていった。
他の受験生がどう感じているかはわからない。しかし、少なくとも牧谷は激しい孤独感に苦しんでいた。
牧谷の話を聞いて、ツクモは考えた。彼の母親の影響力が、同級生以外にも広まったら。もしも自分が中学でいじめられていることを知られたら。おそらく受験どうこう以前に、人格的問題として絶縁を命じられることは容易に想像できた。
牧谷にとってのツクモがそうであったように、ツクモにとって牧谷は貴重な心の拠りどころだった。そこでふたりは、わずかな時間の隙間を見つけて、こっそりと遊び歩くようになった。
そして、受験対策も佳境に入る初夏のこと。ふたりの時間は止められた。
いつも通りふたりで商店街を走る最中、ネガトロン・シネマの攻撃を受けたのである。ふたりはそのまま、那珂畑と志村が来るまで同じ日を繰り返すことになった。
しかし、この状況がツクモにとっては幸せだった。何もできないが、これで牧谷と別れることはない。少しでも長く、彼と共にいたい。いつしか彼女は、そう願うようになった。
ふたりのヒーロー、そして多くの市民の活躍によって、シネマは討伐される。ツクモと牧谷も解放され、再び時間は進み始めた。
気がつけば秋も終盤。受験戦争は加熱し、突然訪れる別れにツクモは耐えられなくなった。
そして気がついた時には、彼女は橋の上に立っていた。
ツクモが戸倉麻耶乃だった頃、壊れかけた彼女の命を支えていた存在。それがジュリオ。牧谷樹里央である。
年末、アツギ市内広域を破壊した対特区計画。その目的のひとつには、避難民全員を精密検査にかけることで、ゼツボーグ候補者を探し出すことが含まれていた。
迅速な避難と検査の結果、4人の住民からアンチネガリアンが検出された。つまり、この1回だけで4人のゼツボーグ候補者が見つかったことになる。
科学衛生局の担当者は宇宙開発局と連携し、その4人にネガリアンとゼツボーグのことを説明した。もちろん、対特区計画についてはまったく触れていない。
その結果、4人のうち半分が辞退。残りふたりの片方は、意欲はあったが高齢のため候補から外れることになった。
ここまでお膳立てを済ませれば、もう予想はついているだろう。最後に残ったゼツボーグ候補者が、牧谷樹里央である。彼はもともとヒーローに憧れていたこともあり、戦いに協力することを快諾した。
だが、牧谷には宇宙開発局に行ってゼツボーグを発現させる前に、ひとつの任務が与えられる。それが、ネガトロン・ノゾミとの接触。彼女の息子だった将太の代わりを務めることで、新たな人格形成に協力するというものであった。
こうして、ゼツボーグ100号の物語は密かに動き出したのである。




