第四十七話 それってあなたの絶望ですよね アオヤマ包囲網・その一
説明しよう。何事においても、第一印象というのは大切なものである。最初に何を見て、何を感じたか。その経験は、次回以降の行動判断に大きく関わってくる。
そういった意味では、ツクモにとってゼツボーグの第一印象は最悪だった。そもそも戦う相手がネガリアンではなく、暴走した同僚。自分はなす術なく一方的に攻撃され、共に戦った先輩は勝利と引き換えに命を失いかけた。
ゼツボーグが発現した時点で強力な人材と評価されていたこともあって、彼女はこの現実との落差に耐えかねていた。
端的に言えば、ツクモは調子に乗っていた。新しい居場所、新しい仲間。何でも焼き切るレーザー糸と、ほとんど不死身のゼツボーグ。もはや文句の付けようがない状態にありながら、彼女は実戦でそれらをほとんど活かすことができなかった。
守るものがある者は強い。しかし、現実は時にその意思をはるかに上回る重圧で襲いかかってくる。そして守りたいものを守れないと知った時、ヒーローはヒーローでいられなくなる。
ツクモの様子に変化が見られ始めたのは、ハコネから帰ってすぐのことだった。いや、もともと安定とは程遠い性格の彼女なのだが、宇宙開発局に戻ってからというもの、彼女は不気味なほどに静かになっていた。
鳴島の体に異常がないと知らされた時も、那珂畑が蘇ったと聞いた時も、彼から復活のメッセージを受け取った時も、ツクモは地下6階の自室にこもったまま、喜びにも悲しみにも騒ぐことはなかった。ただ、行き場を失った感情を叩きつけるように連投した誤字だらけの返信だけが、彼女の感情を少しだけ外に示していた。
那珂畑と鳴島は生き残ったとは言え、戦場に復帰させるにはまだ不安要素が多い。宇宙開発局にとって、ツクモは今や唯一にして最大の戦力だった。その意味もあってか、彼女の保護者代わりを担う羽崎は少しずつ焦りを感じ始めていた。
意識を取り戻した那珂畑の話では、志村が科学衛生局を抜けて単独行動を始めたらしい。つまり、戦局全体を見ても、ツクモは戦略的に残された最後のヒーローとなる。しかし、初めての出動であれほどの惨状を見た彼女を、再び戦いに向かわせていいものか。多くの局員が悩んでいた。
ポジトロン、SIMs、ツクモ、クロスボーグ。次々に新戦力を手に入れたはずの両局は、いつの間にか窮地に追い込まれていた。
戦力不足という意味では、那珂畑がゼツボーグになる前、加山がひとりで戦っていた時期と状況は似ている。しかし経験豊富かつ好戦的な加山に対して、初変身から1か月と待たずに初戦から精神的に大きな傷を残したツクモ。ふたりの差は歴然だった。
この状況を鑑みて、政府は両局に特殊部隊の再投入を提案する。加山の時には羽崎が必死で止めていたが、今回ばかりは彼女も首を縦に振らざるを得なかった。
しかしこの時、宇宙開発局は科学衛生局と特殊部隊がすでに裏でつながっていることを知らなかった。ポジトロンの持つ固有振動兵器、その技術を科学衛生局は対特区計画のために特殊部隊と共有するのだが、表向きには今回の戦力補填のための技術提供という形となった。
そしてこの時点で、ゼツボーグの戦力投入の可能性はほぼ完全に否定された。
これが後に始まる、新ネガトロン包囲討伐作戦までの主な経緯である。
那珂畑の解放から数日後、それは始まる。
志村の動向を密かに監視していた科学衛生局から、未知のネガリアン発見の通報があった。志村との接触確認と同時に、特殊部隊による第一次討伐作戦を開始する計画が、すでに政府から立案されている。戦闘になった場合、特殊部隊とポジトロンによる共同戦線を想定しているが、単独行動中の志村がどう動くか予想しにくい。そこで、特殊部隊側の戦力としてゼツボーグの協力要請も追加された。
宇宙開発局側の感知器に反応はない。しかし志村の行動からして、彼はすでに強力なネガリアンを発見したと推測、いや、ほぼ確定している。またも見えない敵との接触ということから、多くの局員は最初に鳴島の出動を考えた。しかし、クロスボーグはまだ訓練に入ったばかり。通常状態を数分間維持することすらままならず、またナノマシンを使わない91号単体での運用はさらに危険と判断された。
むろん、同じように不安要素の多い那珂畑も他チームとの協力に出すわけにはいかない。最終的に、精神状態が不安定と知りながら消去法でツクモに白羽の矢が立った。
ハコネから帰って以来、ツクモはほとんど司令本部に顔を出していない。彼女の再生能力は肉体をもとに戻しはするが、それまでの苦痛や精神的な部分が治るわけではない。小堀が羽崎に彼女を呼び出すよう指示を出した時、羽崎は最初に反対した。
「何言ってるんだ誠ちゃん! 今ツクモちゃんを戦いに出しちゃだめだ。仮に引きずり出したとして、まともに戦えるか……。落涙態になる危険もある!」
しかし、小堀の意見は変わらなかった。珍しく、彼は意固地になっていた。
「いや、これは必ず誰かに行ってもらう。そして今行けるのはツクモ君だけだ。落涙態の対処法は、那珂畑君の例から導き出せばいい」
「そんな、いくらなんでも……」
「君はいつからそんなに甘くなったんだ!」
小堀のひと声が、羽崎だけでなく周囲の局員を巻き込んで黙らせた。
ゼツボーグを管理する立場の人間として、小堀の判断はおおよそ正しい。ゼツボーグは本体が絶望しているほどその力を増す。代わりに落涙態になる可能性も上がるが、その意味では今のツクモは絶好調と言える状態だった。酷な話であることは、彼も理解していた。しかし、ここでツクモにあらためて戦場を経験させ、全力での勝利を経験させなければ、彼女は二度とヒーローとして立ち上がれなくなる。彼がこの作戦に固執する理由はいくつかあったが、ツクモを想っての判断としては、ここで彼女を戦わせることに大きな意義があることは事実だった。
そして、小堀が正しいと理解できるからこそ、羽崎は何も言い返せなかった。もともと科学や生物学に疎い彼女の役目は、ゼツボーグの心身のケア。ただし、一方的に健康にするのではなく、ゼツボーグとして適切な状態を保たなければならない。彼女は初めこそ冷徹にその役目を全うしていたが、いつからか、彼女はそうではなくなった。
加山に対して特別な感情を抱き始めてからだろうか。羽崎はゼツボーグを戦わせること、自分の指示で彼らを精神的に追い詰めていくことに、罪悪感を覚えるようになっていた。これは別に異常なことではない。むしろ、人間として当然の心情と言えよう。だが、絶望を武器に戦うには、人類全体の危機に打ち勝つためには、彼女のような人情はただの足枷にしかならない。本来は、常に冷静で客観的な判断ができる科学者こそ、副司令官という役職にふさわしい。羽崎は初めから、この仕事に向いていなかったのだ。
「いいさ羽崎君。君が動けないなら、私から出動命令を出す。正直こんなことは言いたくなかったけど、私は司令官だ。どんな手を使ってでも君たちを勝利に導く責任がある」
小堀はそう言い終えると同時に、内線用のボタンへと手を伸ばす。しかしボタンに指が触れる寸前で、彼は一瞬だけ手を止めた。今のツクモに鞭を打ちたくないのは、小堀も同じ気持ちだった。それでも、勝利のため、ツクモの未来のためにここで立ち止まるわけにはいかない。彼は再び手を動かす。
しかし、その一瞬の迷いが未来を変えた。間一髪、ボタンに触れる寸前で小堀の腕は別の手に止められる。
「俺が行きます」
いつの間にか彼の横には、那珂畑が立っていた。よほど急いで来たのか、腕も顔も覆っていない。その異質な姿が、最初は強引にボタンに触れようとした小堀の力をさらに弱めていく。それでも、彼はボタンに触れようとする姿勢だけは崩さなかった。
「君はだめだ。落涙態を克服して、命までゼツボーグでつないだ。今や君は失い難い研究対象。そんな人を戦いで傷つけたり失うわけにはいかない。羽崎君もそうだけど、もう少し自分の立場を考えてくれ」
しかし、那珂畑も力を緩めようとはしない。
「お言葉ですが小堀さん、そんな奴の戦闘記録こそ重要なんじゃないですか? それに、ツクモのレーザー糸は集団戦に向いてない。敵への攻撃に特殊部隊を巻き込む可能性があります。敵が少数なら、俺は敵だけを集中して叩くことができます。あと……」
直後、小堀の体が丸ごとボタンから離れて椅子に座らされた。那珂畑は動いていない。ただ、那珂畑の【スーサイド・バイスタンダー】が、一瞬で小堀の体を動かした。
「さっきまで勝手に訓練してて気づいたんですけどね、体が半分合金になったおかげか、以前よりもゼツボーグを使いやすくなったんですよ」
その速さに、小堀だけでなくふたりを見ていた羽崎も息を飲む。
「小堀さんのことだから、ツクモのことも考えてやってるのはなんとなくわかります。でも、あいつはたぶん俺がこうなったことにも責任を感じてる。ここで俺が大丈夫だって証明できれば、それもあいつのためになるとは思いませんか?」
ツクモ本人に話を聞けない以上、彼女がなぜ自らでてこないのか、その本当の理由は誰にもわからない。本人から何か話があったとして、それが本当か確認する方法もない。誰もが彼女のことを想って、別々の結論にたどり着いた。
作戦開始は志村の行動次第なのでいつとはわからないが、少なくとも時間の余裕はある。小堀は出動候補者に那珂畑の名前を加えることで、この場を収めた。
「……少し、離れるね」
小堀は一連のやり取りに疲れたのか、その後はエレベーターに乗ってどこかへと行ってしまった。
数秒の沈黙の後、羽崎が慌てて那珂畑に駆け寄り、彼の両肩を掴む。
「逸ちゃん、悔しいけどここは誠ちゃんの言う通りだよ。君こそもっと自分の身を大事にするべきだ」
しかし、那珂畑は彼女の心配も優しく手で払い落とした。
「俺は大丈夫です。むしろ、やっとやる気に火がついたところなんですよ。俺のやりたいことと、ついでに世界を守るため。なんか、かっこいいじゃないですか」
平気そうに笑って見せる那珂畑の様子が、羽崎にも罪悪感を植え付けていく。
こうして那珂畑は、何人もの仲間を呪いながら戦場へ戻っていった。
新ネガトロン討伐作戦は、奇襲のため特殊部隊のほとんどを戦闘想定区域の外側で待機させる。志村が対象と接触した後、区域内で彼らを監視していた第一陣が突入。その時の反応から、戦力追加の可否や量を決めるという流れになっている。ゼツボーグが参加する場合は、志村が反逆を企てた際に備えて、特殊部隊の中でも特に後方に配置されることになっている。ポジトロンのスピードが相手では、近距離に配置した隊員での対処は困難という判断である。
作戦の概要と戦闘想定区域が発表された時、小堀はその討伐対象がイヴであるとすぐに確信した。作戦の追加戦力に那珂畑が名乗りをあげてから5日ほど後、小堀は彼を作戦に参加させる決定をした上で、地下6階の小部屋に呼び出した。
小堀は、那珂畑にイヴのことを話した。彼女が元局員のネガトロンで、初めから自分が隠していた存在であること。自分が秘密裏に彼女とつながっていたこと。そして、彼女の持つ捕食能力。
ネガトロンにもそれぞれ性格があり、ジュニアのように攻撃対象を選ぶ者がいることは、那珂畑も経験から理解していた。そこから、生存のために人類への攻撃を必要としないネガトロンなら、それは人類にとって有益なはたらきをしてくれるのではないか。そういう仮定も立てていた。彼の仮定は、イヴの存在によって初めから証明されていた。
しかし、だからと言ってネガトロンを放置することには大きなリスクが伴う。いくら温厚な性格の持ち主でも、飢餓から暴走的な攻撃に走らないとは限らない。そして存在が知られてしまった以上、宇宙開発局としてはそれを倒すという姿勢を崩すわけにはいかない。万が一に備えて、その点についてはイヴも了承していた。もしも戦闘が始まったら、たとえイヴでも人類の敵。勝敗を決するまで戦うこと。その約束のもと、小堀はイヴの存在を黙認し、今まで隠し通してきた。
小堀が自ら世間に公表しなければ、宇宙開発局がネガリアンを見逃していたという事実は闇に葬られる。幸いにも、討伐対象は新ネガトロンとしか表記されていない。そこで、小堀は那珂畑を作戦に参加させると同時に、もうひとつの極秘計画を彼に依頼した。この作戦に必ずゼツボーグを参加させなければならない理由は、そこにある。
イヴは能力の性質上、多くのネガトロンやネガテリウムの能力を知っている。彼女はその情報から、ネガリアン全体の性質を研究していた。しかし、その内容のほとんどは情報漏洩を避けるため小堀に伝えられることもなく、手書きのノートとして彼女の家に保管されている。この機会にそのノートを回収することができれば、それは全体の戦局を知ることにつながり得る。
小堀にとって最悪の展開は、そのノートが特殊部隊や科学衛生局に持ち込まれること。戦局や敵の傾向を知られたら、その情報は対特区計画にいくらでも応用できてしまう。それだけは何としても避けなければならない。
那珂畑の話によれば、志村の単独行動は科学衛生局との対立が主な理由。となれば、万が一那珂畑が回収に失敗しても、志村にノートを持ち逃げさせて別の機会を狙えばいい。このノートの前では、イヴと特殊部隊の戦いも取るに足らない小競り合いに等しい。
そこで、小堀から那珂畑への指示は、あくまでも討伐作戦に協力するていで、なるべくイヴとの直接戦闘は避けてノートの回収に集中すること。いくらバックに特殊部隊がいても、相手がイヴではたとえ勝利できても苦戦は必至。今の那珂畑にそのようなことはさせられない。
次点で、志村にノートを預けること。今回の作戦において志村は、あくまでもイヴ同様巻き込まれる側の人間。ゆえに彼が戦場を離れても、不意打ちに対応しきれず戦略的撤退という形で片付けられる。
那珂畑は、極秘作戦そのひと通りの内容に了承した。その上で彼はかつての仲間を、信頼している相手を見捨てることに後悔はないのかと聞いた。
小堀は「ないわけじゃない」と答えた。しかし、戦いの中でいずれはこうなる運命だった。むしろ今までよく外部に見つからなかったと楽観視すらしていた。
ネガリアン撲滅のためには、たとえ人間に友好的なネガトロンでも殺さなければならない。仮に放置できたとして、人類がネガリアンを減らし続ければ、ネガトロンはエネルギー源を失って餓死する。そして餓死の前には、ほぼ必ず飢餓的な行動が伴う。ならば、両者にとって最も安全な対処法は、戦いが激化する前にヒーローの手で倒すこと。今回に限ってはイヴよりも優先すべきノートや那珂畑の存在があるが、仮にイヴとゼツボーグの全面対決になったとしても、手を緩めるつもりはない。小堀はそう答えた。
しかし那珂畑は、彼の中に迷いや後悔の念が少なからず残っていることに気づいていた。そして、作戦参加の目的こそ変わったものの、那珂畑の決意に変わりはなかった。
作戦決行当日。アオヤマ地区I区域では、イヴの住むアパートを広くとり囲むように、周辺建物内に特殊部隊が配置される。那珂畑には事前に隊員との広域通信に加えて、小堀との個別通信用の回線が用意された。
那珂畑は後方待機のため、急いではいけない。だが、イヴの戦闘力を考えれば、特殊部隊はすぐに全力攻撃の指示を出すだろう。その波に乗じて、ノートを回収する。
「やるぞ、ゼツボーグ」
目立たないよう、那珂畑は建物内で小声で変身する。
小堀の予想通り、先に突入した隊員3人との通信が途絶。討伐対象の反撃を受けたものと断定され、那珂畑にも出動命令が出た。
『……黒金君』
那珂畑の個別回線に、小堀の祈るような声が届く。
『君を救えなくて、ごめん』
その言葉は、イヴにも、他の誰にも届かない。しかし、すべてを知った上で、この現実に怒りを爆発させる者が、そこにはいた。
「那珂畑ああああああああ!!」
ポジトロンパイロット、志村正規。その白い影は窓ガラスを突き破り、飛び散る破片の輝きと共に那珂畑へと襲いかかった。




