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第四十六話 こんな夜更けにエロゲかよ

 説明しよう。那珂畑逸はハコネ山での戦いで死亡したが、致命傷をゼツボーグでつなぎ止めることで奇跡の復活を果たした。

 しかし、その代償として彼は、短く不安定な余命と、ネガリアンがいなければ生き続けられない体を手に入れることとなった。

 人類の勝利と自分の夢が同時に叶うかもしれない。那珂畑にとってこの変化は望んでもない好条件だったのだが、共に戦う仲間が同じことを考えるとは限らない。あるいは、彼のことよりも自分の問題に必死な者が、宇宙開発局には何人もいる。


 小堀からの説明の後、那珂畑は意識が戻った状態での精密検査を受け、さらに48時間の隔離観察を経て解放されることとなった。彼が宇宙開発局に戻されてから目を覚ますまで、すでに30時間以上が経っているため、結果として那珂畑の拘束時間は実に5日間ということになる。

 検査に携わる局員は完全防備。自覚はしていたのだが、那珂畑はまるで自分が未知の怪物のように扱われているようで、少し居心地が悪かった。

 精密検査の後は、暴走などの危険性が少ないと判断されたため、隔離部屋に一部の私物持ち込みが許可された。と言っても、どの道残り2日ですぐ近くの自宅に帰ることが決まっているため、彼が持ち込んだのは自分のスマホだけだった。ちなみに、隔離部屋でもインターネットは使える。さすが宇宙開発局。

 那珂畑はそのスマホで、鳴島とツクモに自分の無事と、ある程度の状況説明をメッセージアプリから送った。小堀によると、体の変化そのものについてはすでに2人にも説明済みとのことだが、直接本人から知らせた方が彼女たちも安心するだろうと、那珂畑なりの気遣いである。ついでに、2人があの後どうなったのか聞きそびれたので、ついでに聞くことにした。

 ふたりともどこかで待機中だったのか、1時間と待たずに返信が届いた。鳴島は精密検査と24時間の隔離を経て、すでに通常生活に戻っているらしい。クロスボーグについては、当面の間ナノマシンへの接触禁止が命じられ、その後実用訓練に入るとのことだった。一方でツクモは、下山した時点で全身が完治していたためそのまま帰還。相当心配していたのか、怒涛のような勢いで誤字だらけのメッセージが連投された。よく見ると、帰還後も一方的なメッセージや不在着信がいくつか届いている。那珂畑はそれを見て申し訳なさを感じると同時に、心配してもらえることが少し嬉しくもあった。

 続けてニュースアプリを開くと、硫黄泉に潜んでいたネガリアンの記事が上位に表示されていた。どうやら宇宙開発局はボルケーノのことを世間に公表したらしい。対特区計画、世間にはボマーとの戦いでアツギ市の破壊を演じてから一転、ボルケーノ戦は一般人への被害をほとんど出さずに勝利。記事やコメントは、戦闘に参加したヒーローを賞賛する声であふれていた。

 そうなると残る謎は、あの時鳴島の周りにいた顔なし軍団。様子からして鳴島とは対立している雰囲気だったが、ガスが濃かったことも相まって、その姿はうっすらとした輪郭しか記憶にない。ニュースをひと通り見ても、ボルケーノ以外のネガリアンの存在については言及されていない。那珂畑は小堀に聞くことも考えたが、最後に話した時の様子からして、今はなんとなく声をかけづらい。そうなると、羽崎に話を持ちかけるのも難しいだろう。

 結局、この件については司令本部か解析班からの動きを待つしかない。性格上、待つことは苦手な那珂畑だが、今回ばかりは自分から行動を起こしても怖がられるだけ。精密検査の時に嫌というほど自分の立場を理解したため、しばらくは静かに過ごすことにした。


 そうして、特に何事もなく隔離期間が終了。那珂畑が家に着いた頃には、すでに日が沈んでいた。

 5日という時間をどう感じるかは人それぞれだが、那珂畑にとってはかなり久しぶりのような気分だった。夕食は隔離中に済ませたので、あとは入浴して寝るだけ。彼は宇宙開発局から持ち帰った少ない荷物を床に置き、隣に薄い布を3枚放り投げる。

 那珂畑の皮膚をもとに質感を再現したマスクと長手袋。いわゆるボディファンデーションである。さすがに半分合金人間が普通に外を歩き回るのは危険なので、せめて外見だけでも誤魔化せるようにと宇宙開発局が10セットほど用意した。実際に彼は局からここまでの帰り道、そのうちのひとつを着けていた。まるで大泥棒の変装道具だが、実際に着てみると、自分でも目を疑うほどに元の姿そっくりだった。担当した局員曰く、本体の形が変わっていないことが違和感のなさにつながったらしい。

 あまりにも多くの、大きな出来事があった。那珂畑はあまり自覚していないが、彼はこの時かなり精神的に疲弊していた。普段通り風呂に入りしっかり体を洗ったのだが、布団に入ってからそのことを忘れてしまうほどには疲れ切っていた。

 何も考えずもう一度風呂に向かおうとした途中、彼は机の上に置きっぱなしにしていた物を見て立ち止まる。そしてそれを拾い、布団に戻った。

 仰向けに寝転がって天井に向けた手を広げると、指に引っかけていたものがぶら下がる。先ほど机から持ってきた、イルカのメタルチャーム。水色とピンクのひと組を眺めて、那珂畑はため息をついた。

「……ついに、お前でも殺せない体になっちゃったな」

 それは、エノシマ水族館で買った、沙紗との唯一の思い出。彼女はたったひとり、那珂畑を殺すと約束をしてくれた。しかし、彼女との戦いを通して落涙態が発現し、そして今度は時限付きとは言え、ある意味無敵の肉体を手に入れてしまった。きっと、もう自分は彼女の手の届かないところにいる。そう考えると、那珂畑は少し寂しくなった気がした。

 そしてそのまま寝ようと目を閉じた時、枕元で充電していたスマホから着信音が鳴る。那珂畑は半目で通話に出たため発信元の名前をよく見ていなかったが、どうやら鳴島からのようだ。

「はい、那珂畑」

『那珂畑さん、隔離期間お疲れさまでした。こんな夜になんですが、私の部屋に来てもらえませんか? その、色々話したくて。助けていただいたお礼とか、まだ言えてないですし……』

 鳴島の言葉はいつになくたどたどしかった。

 今夜でなくとも、どうせ近いうちに宇宙開発局で再会するだろう。那珂畑は一瞬そう考えたが、互いの身を案じてのことなら、話は早い方がいい。彼は短く「わかった」とだけ返して、布団から起き上がった。


 夜。しかも隣部屋ということもあって、那珂畑は寝間着に上着を羽織っただけ、顔も隠さずに鳴島の部屋のドアホンを鳴らした。

 ほどなくして、ガチャリという音と共に鳴島が玄関を開けて現れる。冬らしくもこもこしたパジャマ姿の彼女は、那珂畑の顔を見てもあまり驚かなかった。おそらく解析官として、すでに何度かこの状態を見たのだろう。それでも、実際にその顔が動いて気さくに挨拶してくるのを見ると、彼女の表情は少しだけ曇った。

 鳴島の部屋は、眠っているミカンを刺激しないため最低限の明かりだけが灯されていた。ミカンは主にリビングを縄張りにしているため、那珂畑は寝室まで通される。あまり意識していないが、彼は女子高生とふたりきりのベッドルームという禁断の花園に、人生で初めて踏み込んでいた。

「……そこのベッドで、横になってください。顔は壁に向けて」

 鳴島からの突然の指示に、那珂畑の心臓が一瞬跳ね上がる。確かにリビングを使えない以上、座る場所と言えば彼女のベッドしかないが、漫画やゲームでしか見たことのない展開に、那珂畑は緊張を隠せなくなっていた。

「すみません。やっぱり、面と向かって話すのは、まだ無理そうです」

 脱ぐのか、これはもしかして背後でシュルシュルと服を脱ぐ音が聞こえるパターンか。ならばせめて、顔は覆って来るべきだったか。いや、ここで素顔を晒せないようでは男ではない。そんなことで脳内の一部がピンク色になりつつも、那珂畑は指示通りベッドに寝転がった。

 しかし、那珂畑が妄想していたような展開にはならず、背後では鳴島が黙って立ち止まっているのみだった。

「俺が、怖いか?」

 しびれを切らした那珂畑が、当たり障りのない形で聞く。

「……実際直面すると、少し」

 那珂畑の顔が怖いのか、これから始まるかもしれない何かが怖いのか、鳴島の声はわずかに震えていた。

「……ごめんなさい」

 最初に出たのは、謝罪の言葉だった。この時那珂畑は始まってもいない展開に「振られた」と内心がっかりするのだが、鳴島は知る由もなく続ける。

「私のせいで、こんなことに。那珂畑さんの体が……」

「あー、そのことなら気にすんな。俺からすれば願ったり叶ったりだ」

 もうここまで来たら、誰にも隠す必要はない。ツクモのように自殺がきっかけで加入したメンバーを、鳴島たち局員は文句ひとつ言わず受け入れた。ならば、人類の勝利のため、自分の夢を叶えるため、ここでその歩みを止めさせるわけにはいかない。那珂畑は、今自分のするべきことを決めていた。それは、自分の変化に対して罪悪案を抱える者たちを支え、共に戦場に戻ること。鳴島もハコネ山で暴走したが、実用訓練の予定が組まれたということは、彼女が復帰する可能性が見えてきたと捉えていい。最悪、これから自分がさらに隔離されることになっても、まだツクモがいる。これから起こりうる最悪の状況は、自分のために局全体が立ち止まること。那珂畑はその立場を、よく理解していた。

「では、言い換えます。助けていただいて、ありがとうございました」

「正解だ」

 立場上では鳴島の方が先輩でポジションも上位なのだが、この時ばかりは那珂畑が強がって見せた。

「……で、話ってそれだけじゃないだろ。俺をここまで追い込んで、どうするつもりだ」

 この期に及んでなお、那珂畑は消えかけていた可能性に探りを入れる。冷静を装いながらも、その実このシチュエーションに緊張と興奮を隠しきれていない。むしろ童貞の模範と言ってもいいかもしれない。

「那珂畑さんに、聞きたいことがありまして」

「何だ?」

「あの時、憶えてないかもしれませんが、硫黄泉で私に声をかけてくださった時、どうして名前で呼んだんですか?」

 鳴島は不安そうだったが、那珂畑はしっかりと憶えていた。いや、仮に同じ状況がいつ起こったとしても、彼は同じことをしただろう。「鳴島」ではなく「ニコ」と呼んだことには、それほど明確な意図があった。

「……お前のことよく知らなかったから、お前が一番嫌がりそうなことをした」

 実際、これまで那珂畑と鳴島は隣同士でありながら、個人的な交流はないに等しい関係だった。鳴島は初めから男性が苦手なこともあったが、那珂畑は特に小堀から彼女の過去について聞かされてから、直接的な接触を避けるようにしていた。

 那珂畑には理屈がわからないが、鳴島は初めて落涙態になる直前、彼女はスクリームから名前を呼ばれることで精神を激しく乱していた。そして彼女は誰に対しても名前で呼ばないよう徹底している。那珂畑の知る限り、彼女の精神的な最大の特徴が、そこにあった。

 那珂畑は悪意をもって名前呼びを選んだわけではないが、後から考えると申し訳ない気がしてきた。結果オーライとは言え、大きな禁忌を犯したことには変わりない。

「ごめん。俺こそ悪いことした。もうあんなことは……」

「逆です。続けてください」

「えっ」

 驚きのあまり思わず振り向きそうになった那珂畑の頭を、鳴島は鷲掴みで止める。その手に明らかに必要以上の力がかかっていたからか、那珂畑はすぐさま壁に向き直る。

「言ってしまえば、ショック療法です。この部屋でなら、万が一私が気を失っても問題ありませんし、無理言ったという記録も残りません」

 そう言いながら、鳴島は那珂畑と背中合わせの形でベッドに寝転がり、ふたりを覆うように毛布をかぶせる。

 鳴島と背中が触れた時、那珂畑の心臓が再び跳ね上がる。まずい。このシチュエーションは、童貞にはあまりにも刺激が強すぎる。しかし壁際に追い詰められた那珂畑が何か抵抗できるはずもなく、むしろ彼の体は鳴島の背中でベッドに押さえ込まれる状態になっていた。

「私の名前を続けて呼んでください。……たぶん、那珂畑さんの声なら大丈夫ですから」

 那珂畑には彼女の目的がよくわからなかったが、ここまで来たからには覚悟を決めるしかない。彼は思い切って言い返した。

「……わかった。ただし、条件がある」

「なんですか?」

「お前、敬語やめろ。なんつーか、俺も恥ずいんだよ、こういうの。だからせめて、ふたりでいる時くらい条件合わせて、敬語使うのはやめてくれ。さん付けで呼ぶのも禁止な。それができないなら、俺は協力しない」

 ふたりの鼓動は、互いに背中を合わせずとも伝わるほどに激しく高鳴っていた。こうなってしまえば、もう緊張を隠すことはできない。那珂畑は童貞にしては冷静だった。

「わかりまし、った。頑張る」

 鳴島が苦し紛れに言いなおしたのを確認してから、那珂畑は大きく深呼吸した。

 仕事仲間の名前を呼ぶだけで、どうしてこうも緊張するのだろうか。状況が状況だからだろうか。那珂畑はここまで場を整えられながら、まだ迷いを残していた。もしかしたら、自分はこれから鳴島のとてつもなく深い部分に踏み込んでしまうのではないか。これを始めたら、何か取り返しのつかないことになるのではないか。そういった雑念が、彼の行動をわずかに遅らせた。

「……ニッ、ニコ」

「続けて」

「はいっ!」

 消え入りそうなほど小さな声に対して、即座に鳴島から指摘が入る。まるで未熟な訓練生を叱る教官のような指示に、那珂畑の方が敬語になってしまった。

 もう一度呼吸を整えて、那珂畑は声に出す。

「ニコ」

「そのまま」

「ニコ……、ニコ」

「そう、その勢いで」

「……ニコ」

「っ……!」

 たった5回。短い名前を呼んだだけで、鳴島は声にならない悲鳴のようなものをあげる。さらに彼女の鼓動は、背中越しの那珂畑にもよく伝わるほど乱れ始めた。

「おい、大丈夫か」

「いいから、やめないで」

「……わかった。ニコ」

「んっ」

「ニコ」

「んんぅっ!」

 思わず耳を塞ぎたくなるような、ともすれば何らかの「行為」中とも聞き取られそうな甘い声。鳴島はどこか苦しいのか、途中から声を堪えるように、毛布の端にかじりついていた。それでも、言われたからには続けるしかない。

 そして、さらに20回ほど繰り返し名前を呼んだ頃。

「おい、ニコ」

「はぁはぁ、何?」

「その、触角、引っ込めてくれないか?」

 鳴島の頭部からは、ゼツボーグ91号の触角が伸び、すでに那珂畑を拘束するように体中に巻き付いていた。別に締め付けられて痛いわけではないのだが、とても普通ではない変化に、那珂畑も動揺を隠せない。そうでなくとも、触角の先端が彼の全身を経由して首元まで迫っていた。このままでは、首を絞められて声が出せなくなる。

「ん、言ったでしょ、ショック療法って。私も必死なんだから、少しくらい我慢してよ。……逸」

 初めて、鳴島から名前で呼ばれた。これまで羽崎や沙紗から呼ばれ続けて名前呼びには慣れていたつもりの那珂畑だったが、こうも甘い声で囁かれると、身に覚えのない感覚が脳を貫いてくる。ここでやめてしまっては男として、いや、もう人間として何もできなくなる気がする。そう考えた那珂畑はその後、鳴島がどんな反応を示そうと、鞭を打つように彼女の名前を呼び続けた。

 こうして、ただ名前を呼び続けるだけの、ふたりの激しい夜は更けていった。

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