第四十四話 科学の亡霊 禁断のイヴ・その三
説明しよう。対ネガリアン専門の特殊部隊とは、自衛隊や日本各地の警察機関から集められた少数精鋭の部隊であり、結成当時はその鎮圧力でもって人類側の代表的な守護者となっていた。しかし、ゼツボーグというさらに特殊なヒーローが現れて以来、彼らは第一線を退くことになる。ゼツボーグがポジトロンに活躍の場を奪われるように、ゼツボーグの前にも同じような世代交代があった。
第一章にて、マルネガという部署を紹介したことを憶えているだろうか。特殊部隊を構成していた者の多くは、現在そちらに異動し、戦闘経験をもとにした対策立案や状況分析などに役立っている。
だが、彼らが完全に戦場を離れることはない。国民を守るという使命がある限り、彼らは戦い続ける。たとえ、勝手な行動をとるヒーローを敵に回すことになろうとも。
一難去ってまた一難とはこのことだろうか。志村はイヴとの対立を免れたと思った直後、今度は特殊部隊に行く手を阻まれていた。
「ちょっと待って。拘束って、どういうことだよ?」
志村はプレートを握り締めたまま、特殊部隊のひとりと距離を取る。ここでポジトロンを起動すれば、たとえ自衛のためであっても戦闘の意思ありと見なされ、状況が悪化しかねない。しかし、床に倒れたまま隊員たちに包囲されるイヴの姿を見ると、ついプレートを持つ手が胸元へ吸い寄せられた。
「ここ数日、お前の行動はポジトロンの活動規定から大きく逸脱している。すぐに科学衛生局の管理下に戻れ。我々はお前と戦いに来たわけではない。だが、お前がその気なら、こちらも実力行使に出る許可は得ている」
志村はイヴの監視に夢中で、自分が追われている可能性を考えていなかった。この状況はおそらく、いや、十中八九水上の指示によるものだろう。科学衛生局に戻れるならそれはそれで願ったりなのだが、今彼はそれ以上にイヴの身を案じていた。
そして、志村と同じように特殊部隊もイヴの存在には気づいていなかったらしい。
「だがまあ、こうして新しくネガトロンを発見してくれたのは、いい収穫だ。こいつの駆除に貢献したとなれば、お前の処遇も……」
隊員が話しながらイヴの方を振り向いた時、その頭が一瞬で消し飛んだ。肉片と粉砕されたヘルメットの部品が、壁に叩きつけられる。同時に玄関側で退路を封じていたふたりも、同じようにして倒された。
隊員と向き合う位置ですべてを見ていた志村ですら、すぐに状況を理解することはできなかった。
先頭の隊員が話している間、イヴは脇腹の傷を少しずつ再生させていた。そのことは志村も残りのふたりも把握していた。しかし、彼女が続けて攻撃する素振りは見られなかったし、今も体に力が入らないのか、頭部の再生が追い付かないまま壁にもたれかかっている。
「……はあ。やっちゃった」
イヴはつい先ほど、人間を殺したくないと言ったばかりだった。しかし、命の危機となればやはり殺すのだろうか。どこか後悔しているような彼女の表情から、志村はその行動理由を読み取れなかった。
「キミが、やったのか……?」
突然の展開に、さすがの志村も目を白黒させながら聞く。イヴは彼と目を合わせなかったが、うなずいて答えた。
「だって、あのままだと君はつらい目にあわされると思ったから。私の能力、言いたくなかったけど、まだ説明してないところがあるの。とりあえず処置室に戻りましょ?」
志村がこれまで数回感じた、凄まじい気配。間違いなくイヴの能力には続きがあって、気配の正体もそこにある。傷を負った状態から、特殊部隊を一瞬で蹂躙するほどの力。志村は再び彼女に敵意の目線を向けた。
しかし、イヴはまるで普通の人間が頭を打ったように、歩き出そうとした足をもつれさせ、再び床に倒れた。
「……ごめん、ちょっと肩貸してくれないかな?」
イヴは見るからに弱っている。しかし、それでも志村は警戒態勢を緩めなかった。
「ポジトロン、起動」
志村は震える手で胸にプレートを当て、ポジトロンを展開する。この狭い場所では実力を発揮しにくいが、少なくとも身を守るためには正しい判断と言えた。
「駄目だ、ここで話してもらう。キミはいま3人殺したんだ。やっぱりボクはキミを信用できない」
志村は姿こそ青白く光るポジトロンになっていたが、その様子はとてもヒーローらしいものではなかった。まるでカラスに追い詰められた子猫が助けを求めてわめき散らすように、彼は自身のない攻撃態勢を見せ続けた。
「……仕方ないか。じゃあ教えてあげる」
イヴはその場で体を壁に押し付けるようにして、上半身だけ起き上がった。
「さっき話した通り、私の能力は捕食。でも、ただ食べるだけじゃない。私は患者さんの可能性を食べてるの」
可能性を食べる。まるで科学者らしくない、もはや哲学者のような表現に志村は困惑した。
「うーん、うまく伝えられるかな。私は食べた感染細胞の一部は、私の体内で育ち続けるの。すると、患者さんがなっていたかもしれないネガテリウムやネガトロンの能力が発現する。私はそれを自分のものとして使うことができるのよ。最初に君の動きを止めたり、ここで使ったのも、その力のひとつ」
ここでようやく、すべての謎が解決した。志村の感じた、凄まじい気配。この部屋にネガトロンが何十人も詰め込まれているという感覚は、間違いではなかった。イヴひとりの中に、その何十人が詰め込まれていたのだ。いや、小堀の現役時代からここで捕食を続けていたとすれば、その総数は何十人どころの騒ぎではない。食べれば食べるほど強くなる、ある意味で最強のネガトロン。もはや彼女の意思は関係ない。その存在自体が圧倒的な脅威であると、志村は確信した。
確かに、イヴの活動は人類にとって有益なものかもしれない。しかし、やはりネガトロンには変わりない。志村が考えていた、彼女が隠されるふたつの理由。味方か強敵か。それはどちらも正解だった。そして、だからこそ彼はこの場での行動に迷っていた。
最初に立ち向かった時は、触れられただけでポジトロンと体の自由を奪われた。そして、指先ひとつ動かさずに、特殊部隊3人を一方的に惨殺した力。この場から逃げようにも、果たして無事に部屋を出られるだろうか。おそらくイヴは自分の本性を隠し通すため、敵対したままの相手を逃がしはしないだろう。進むも退くも同じく地獄。志村は今まさに、目の前で弱弱しく倒れるネガトロンに命を握られている状態にあった。
志村の全身が恐怖で凍りつきそうになった時、それを止めたのは彼のスマホの着信音だった。志村はイヴへの警戒を続けるため、ナノマシンを操作してスマホの画面をバイザーの内側に映し出す。その表示によると、着信の相手は水上だった。志村は主に彼から離れるため科学衛生局を抜けたのだが、今ばかりは頼るしかない。彼は仕方なく、通話に出た。
「はい、志村です」
『……よかった。やっと声を聞かせてくれましたね』
これまでも、水上や科学衛生局からの着信は何度かあったが、志村はそれらをすべて無視してきた。その影響か、さすがの水上も言葉だけは安心の素振りを見せる。しかし、その声色は相変わらずの冷静なもので、心から安心しているようには聞こえなかった。
『あなたの行動はすべて監視していました。本当はあなたの正義感を信じて放任するつもりでしたが、少し状況が変わったようですね。そちらに送った特殊部隊との連絡が途絶えました。今、ネガリアンと対峙しているのですね?』
志村は答えを返さないが、監視されているのなら、水上はイヴの存在にも気づいているのだろう。
『殺しなさい』
これまでの志村であれば、問答無用でその指示に従っていただろう。しかし、目の前の脅威と同じくらい、彼はイヴを殺すということに躊躇していた。もしかしたら、何か不意打ち的な方法で彼女を殺すことはできるのかもしれない。しかし、できたとして、先ほどまで人間を想って涙を流していた彼女を殺せば、もう引き返せなくなる気がする。
志村の迷いが、それによって発生した無言の時間が、水上に次の決断を下させた。
『あなたができないのであれば、他の人に任せます。あいにくSIMsはまだ調整中ですが、別の準備が整いましてね』
別の準備。この言葉から、志村はひとつの謎を思い出す。特殊部隊が入って来た時、イヴは重傷を負わされた。おそらく突然の攻撃に対処できなかったのだろうが、ネガトロンが体をえぐり取られ、立ち上がれなくなるほどの攻撃を、普通の人間にできるはずがない。
彼はとっさに、床に倒れる隊員の持っていた警棒を見る。先ほどまでは気づかなかったが、警棒は根元から腰の装備にコードで繋げられ、独特の振動音を発していた。
「まさか、売ったのか……!」
『はい。特殊部隊の方々には、政府を通して我々に協力していただくことになりました』
その振動音を、志村はよく知っていた。ネガリアンの固有振動に合わせて攻撃する、ポジトロンの剣と同じ音。つまり、イヴはポジトロンと同じ技術を用いた武器で攻撃されたのだ。
しかし、この固有振動の技術は、武力に利用されることを避けるため科学衛生局内で極秘に取り扱われていた。振動の周期を調整すれば、ネガリアンだけでなくあらゆるものの破壊に利用できるからである。それを、科学衛生局とは別の管轄である特殊部隊が使っている。水上がこのことを知っているということは、局が意図的に技術を横流ししたということである。
そのことに気づいた時、志村は同時に特殊部隊の活動が今だけではないという可能性を考えた。
「それじゃあ、対特区計画にも……」
『お察しの通りです』
アツギ市内の広域を短時間で破壊した対特区計画。志村はその工程にも少し疑問を持っていた。
計画実行当時、動かせる状態にあったSIMsは9機。それらに大量の爆薬を持たせたとしても、町全体の破壊には相当の時間がかかる。だが、特殊部隊の手を借りて、固有振動の兵器で建物などを破壊したとすれば、この結果にも説明がつく。
特殊部隊はその使命と組織力ゆえ、上からの命令は絶対遵守。それがたとえ自分の命を危険に晒すことでも、人々の生活を脅かすことになろうとも。彼らは水上同様、多数のために少数を切り捨てる覚悟がある。人類を救う悪魔は、決して水上だけではなかった。
多くの者が命をかけて、大切なものを捨ててまで、ネガリアンと戦っている。そのことが、志村にある種の勇気を与えた。ヒーローとして、人類を守る側の人間として、イヴと戦う覚悟を決めさせた。
ポジトロンのバイザーで、イヴからは志村の表情を確認することはできない。しかし、何らかの能力でふたりの通話と志村の心境を察したのだろう。彼女は壁にもたれかかったまま、すべてを諦めて逆に清々しい気分になったような顔をしていた。
「まったく、思い通りにはいかないものね……」
志村は震える手で、イヴに剣を向ける。剣はすでにじゅうぶんな加熱を完了しており、その熱気はイヴの皮膚にも伝わっていた。
イヴは抵抗する様子を見せず、また能力を使う際の凄まじい気配も発していない。しかし彼女は最期の願いと言わんばかりに、処置室の方を指さした。
「処置室の本棚に、手書きのノートがあるの。今まで食べたネガリアンのこととか、わかったことをひと通り書いておいたから、できれば君から、小堀君に渡してあげて。それで、私のことは忘れて。私はもともと死んだ人間。死にたくないけど、いつかはこうなる運命だったのよ」
その言葉を聞いて、志村は剣を加熱状態のまま腰にさげる。彼は今少しでも、イヴから離れたかった。冷静に考える時間が欲しかった。ノートを回収するために処置室へ駆け込んだが、彼はそのまま窓を突き破って逃げ出したい気分だった。
ノートは年度ごとに1冊ずつ、合計5冊。志村はそれらを上着の内ポケットに回収した後、ついベランダ側の窓に目をやった。偶然だろうか。イヴが彼を処置室まで誘導し、彼が窓から脱出することを考えなければ、外で起こっている異変には気づかなかった。
先ほどの特殊部隊が持っていた警棒の振動音。それが窓の外から何倍にも大きく聞こえる。志村はカーテンだけを開けて恐る恐る外を見る。するとアパートの下には、多数の特殊部隊が待ち構えていた。窓から見えるだけでも15人以上。すでにこのアパートは包囲されていると考えていいだろう。冷静に考えれば、ポジトロンパイロットを強制送還するために、特殊部隊3人では力不足の心配がある。それに、同じ場所にネガトロンがいると知れたら、増援を呼ぶのは当然の判断。志村にできないなら、他の人に任せる。水上の言葉に間違いはなかった。
志村の行動を正確に把握しているのか、彼がその大群に気づいた直後、水上の声が彼の耳に届く。
『見ての通り、我々も必死です。あと先に言っておきますが、あなたがこれ以上の逸脱行為に走った場合、彼らにはポジトロンへの攻撃も許可しています。そのため、後方部隊の特殊警棒には、人体を破壊できるよう調整しておきました』
もはや協力して戦う以外の選択肢はない。水上は明らかにそう伝えていた。志村はこれまでも命を賭して戦ってきた。しかし、逃げれば確定的な死が待っていると理解した時、彼はこれまでにない恐怖を感じた。
例えば、この窓からポジトロンの飛行機能を使えば一時的な脱出は可能かもしれない。しかし、イヴが言ったように、このネガリアンに満ちた場所で、たったひとり感染しない特異体質。これほど目立つ人間が、科学衛生局の監視を振り切れるはずがない。ポジトロンの飛行機能も、短距離の高速飛行に適した設計になっているため、飛び続けてもエネルギー切れで墜落、確保されるのは時間の問題だろう。
水上がどこまで想定してこの状況を作り上げたのか、志村には計り知れない。しかし少なくとも、彼の居場所は科学衛生局の他にあり得ない。あらためて自分の立場を認識した志村は、もはやその場から動けなくなっていた。
『ああ。それと、ネガトロン絡みの出来事なので、もちろん宇宙開発局にも連絡してあります』
特殊部隊だけではない。イヴの存在は宇宙開発局にも知れ渡ってしまった。志村はそれがすべて自分のせいだと、すぐに理解できた。自分が監視されていることに気づいていれば、自分がイヴと接触しなければ、こんな状況にはならなかった。人間に味方するネガトロンを殺すこともなかった。自分に自由がないと知ることもなかった。すべて自分が蒔いた種だ。そう思った時、志村の両膝から力が抜けた。
『連絡の際、小堀司令から伝言を預かりましてね。可能であれば、あなたからそこのネガトロンにお伝えください』
誰がどこまで考えてのことなのか、すべてが折り重なった奇跡なのか。小堀から伝えられたその言葉が、たったひとつ、志村の闘志に火をつけることになった。
『救えなくてごめん。と』
その言葉からある可能性を察した志村は、再び窓の外を見る。その視線の先には、先ほどまで夜の闇に紛れて見えなかったのだろうか、特殊部隊の後方に彼のよく知る黒い鎧が立っていた。ゼツボーグ98号、那珂畑逸である。立ち位置から見て、彼は特殊部隊と連携の立場にあるようだ。
ここに来たのが那珂畑ではなく他のゼツボーグだったとしても、志村は同じことを考えただろう。
イヴは、自分と同じだ。家族や仲間を失い、新しく手に入れた力と居場所を、自分の正しいと信じることに使ってきた。しかし、それもすべては誰かに利用されるだけの価値。危険と判断されれば、すぐに切り捨てられる。これまで唯一イヴとつながっていた小堀ですら、そうしたのだ。彼女を理解し、共に生きられる人間が果たして他にいるだろうか。人類のためなどという大義名分を捨ててイヴを守るという選択を、他の誰ができるだろうか。
「……もう、やめてよ」
ポジトロンのバイザーでは、流れ落ちる涙を拭えない。志村はその大きなひと粒ひと粒をポジトロンの中に隠しながら、窓を突き破った。
「那珂畑ああああああああ!!」
志村はベランダから特殊部隊の頭上を飛び越え、一直線に那珂畑へと剣を振りかざす。警棒の振動音だけが響く静かな夜の街に、孤独な少年の咆哮がこだました。




