第三十五話 人類を救う悪魔の所業
説明しよう。ネガリアン対策特別区開発計画、略して対特区計画。それは、政府がロックダウンを発動したおよそ1年後に考案されたものである。
その内容は至ってシンプル。ネガテリウムやネガトロンによる大規模な被害を防ぐため、人のいない場所にヒーローが戦いやすいリングを設置しようというものである。
しかし、最初に衝突した問題が、それをどこにするかであった。計画の目的上、山林などではなく広い平地が望ましい。しかし、国内でもトップレベルで開発され尽くした首都圏にそのような場所はごくわずかしかなく、しばらくの間、計画は頓挫していた。
そして時は進み、ゼツボーグとネガリアンの戦いからある法則性が導き出される。それは、ネガリアンによる感染以外の被害が人口の建造物に集中しているということ。最近の例でも、マンションはその名の通り集合住宅を魔改造することで、攻防両立の要塞とした。ジュニアは最終決戦時に校舎を破壊して、その瓦礫を攻撃に利用した。そもそも人のいない山林にネガリアンは集まりにくい。よって人口密集地、すなわち建物の多い場所が戦場になることは、考えてみればごく自然な流れである。
政府は、この法則に目を付けた。場所がないのなら、作ってしまえばいい。ネガリアンの被害に便乗して町から人を追い出せば、土地を確保できると。
科学衛生局側はこの案に賛成していたが、小堀は最後まで反対し続けた。それほどの被害が出るなら、それはもう人類の敗北に等しいし、そうさせないためのゼツボーグだからである。
しかし、小堀の反対意見は多数決的にかき消され、科学衛生局が主体となって計画を進めることとなった。
そして今、あらゆる準備が整った。シネマが町を丸ごと乗っ取り、その支配を解消したことで場所の候補は定まった。便乗の手段も、SIMsという優秀な兵器の量産によって、瞬発的かつ効率的な破壊を可能にした。
つまり、ボマーなどというネガリアンは初めから存在せず、すべては対特区計画に向けた科学衛生局のひとり芝居だったのである。
「もっとわかりやすく言うなら、科学衛生局はSIMsを使って町をひとつ壊したってことだ」
小堀がそう話をまとめた後、司令本部はしばらく静寂に包まれた。こういった時、真っ先に感情的になって何か口走る羽崎でさえ、その時ばかりは衝撃のあまり唖然としていた。
「……志村は、どうしたんだ」
最初の質問は、那珂畑からだった。この中で、水上の次に志村とつながりのある人物。自殺も勇気であると言った彼のことを、那珂畑は心のどこかで認めていた。だからこそ、彼がこのような非道な計画を黙って見過ごすはずがない。那珂畑の疑問は、その点にあった。
だが、小堀の説明を聞いた時点でその答えは出ていた。おそらく志村もこの計画を知らない。仮に彼が計画遂行に反対したとしても、SIMsが完成した今、もはや存在価値を失った彼の意見など簡単に無視されてしまう。
つまり、志村は計画的に使い捨てられたのだ。那珂畑はそれが許せなかった。だから、怒りをぶつける相手を間違えないために、水上の口からはっきりと言ってほしかった。
「志村は、今回の計画に触れてもいません。おそらく今頃、どこかで速報に驚いていることでしょう」
水上の返答に、那珂畑が何か言い返すことはなかった。完全に予想通りだったからだ。
だが、この短いやり取りをきっかけに、いよいよ凍りついた場の空気が爆発する。真っ先に動いたのは、やはり羽崎だった。水上に至近距離まで詰め寄り、彼の鞄を蹴り飛ばした。
「お前、この計画のために、いったい何人が被害に……」
「あなたがそれを言いますか」
水上はそれでも顔色ひとつ変えず、いや、むしろ少し怒りのこもった声で遮った。彼は蹴り飛ばされた鞄と、そこから散乱した資料や文房具を拾いながら続ける。
「あなたたちの不手際な戦いで、どれほど不要な血が流されたか、ご存知ですか? 私はよく知っています。それを数えるのも、私たちの仕事ですから。それに比べれば、今回の被害者数も同様。いや、将来的に考えればむしろ慎ましい、必要な犠牲といえるのではないでしょうか」
水上の発現は宇宙開発局にとって悪質なクレームであると同時に、ひとつの民意でもあった。昨今のヒーロー批判は、確かに救えなかった人数の多さから来ている。その中で、今回の件は対外的にはヒーローの勝利で飾られている。下手に民意を刺激することなく、秘密裏に戦況をヒーロー有利に傾ける。その点に限って、今回の計画遂行は非常に効率的だったと言えなくもない。
「あの、私も質問なんですけれど」
次に、鳴島がゆっくりと手をあげた。
「町を壊して、一般人のいない戦場を作るところまではわかりました。ですが、それは同時にネガリアンにとって不毛の地でもあります。この場所をどう利用するか、お聞かせください」
文言こそ冷静そのものだったが、彼女もまたやり場のない感情を抑えるように声を震わせていた。何かせずにはいられない、一刻も早く戦場に戻りたいがゆえの質問だったのかもしれない。
「その点についてはご心配なく。他の場所で発生したネガリアンを、SIMsで計画区まで空中輸送する算段です」
話題が変わったせいか、水上は再び冷静に、まるで定められた台本を読み上げるように説明した。
「それに、当計画はあなた方にもメリットがあるのですよ」
続けての発言に、何人かが驚いて小堀の方を見る。その視線の先では、小堀が憔悴しきった顔でゆっくりとうなずいていた。
「計画遂行にあたって、該当地域全域に避難命令を出してあります。もちろん、町の外に避難所も用意済みです。そして移動の際、住民の方全員に検査を受けていただきます」
「『候補者』が見つかるかもってことか」
我慢できずに、那珂畑が口走った。水上はそれに首を縦に振って答える。
「これにより、いまだ規制がかかっている大規模検査も可能になるということです」
確かに、これまで発見されたゼツボーグ候補者は、いずれも何らかの事件に関わったか、病院で精密検査を受けなければ見つかることすらなかった。それが、避難民を一斉検査にかけることで、効率的な候補者探しができる。というのが計画の副産物である。
だが、数人いるかいないかわからない候補者のために、町をまるごと破壊する必要があるのだろうか。得られるかもしれない戦力に対して、失うものが多すぎる。割に合わない。ほとんどの局員が同じことを考えた。
「……悪魔だ」
どこからか、そんな声があがった。質問でも確認でもない、ただの罵倒。だが、それはほとんどの人間が当たり前に持つ感情の発露でもあった。
「そんなことして、お前ら本当に人間か!?」
「人を救う仕事で、人を殺してどーするんだ!」
局員たちのブーイングは瞬く間に場を包み、一斉に水上に向けられた。しかし、おそらくはこれも科学衛生局の作戦なのだろう。互いに批判対象を、その判断を誤らないように、わざと水上だけを送り込んだのだ。水上には、彼らの批判に対する覚悟、悪魔になる素質があった。
「甘いのですよ」
静かに、誰に向けるでもなく発せられたひと言が、一瞬で周囲を黙らせた。
「私たちのやっていることは、人間と外敵との生存競争ですよ。そこに人間の倫理や道徳で力を制限しようなど、エゴにも程があります。それに、ただでさえ絶望という非人道的で破滅的なものを戦いに持ち込み、百人にも届こうという人間を戦場に送り込んできたあなた方が言えたことですか? ご理解いただけないようでしたら、はっきり申し上げましょう。ネガリアンに勝つのは、人間性を保った人間ではない。人道を捨てた悪魔なのです!」
初めて熱意を感じさせる水上の言葉に、さらに批判で返す者はいなかった。
あらためて突き付けられる、戦いの原点。どれだけ人の姿をしていようと、人の言葉を使って人に取り入ろうと、敵は人を食べるウイルス。そんな敵を前にして、殺人鬼を無理やり延命させた羽崎は、自らの身を傷つけながら親を殺した鳴島は、その行動は正しいものだったのである。それがいつの間にか、互いに情を持ち、ついにはネガトロンすら傷つけまいとする者まで現れた。そんな中で科学衛生局は、水上はただひたすらに、純粋に勝利だけを見据えていた。
「……話は、済んだようですね」
しばらく誰も声をあげなかったのを見て、水上は鞄を持ち上げた。これ以上は生産性のない、感情のぶつけ合いになる。全員がそう判断したからである。
だが、エレベーターに向かう水上の背中を、小堀は少しだけ追いかけた。
「最後にひとつ、教えてほしい」
「なんでしょう?」
水上は振り返らない。
「この計画、他の場所でも続けるつもりか?」
小堀の問いに、多くの局員が震え上がった。いくら正しい動機があるとは言え、再び人の手で人の暮らしが破壊されることを想像し、彼らは恐怖した。
「ええ。必要とあらば、私たちはトウキョウとカナガワのすべてを吹き飛ばしてでも勝利する覚悟でいます。まあ、それには相応の準備が必要ですが」
「……わかった。教えてくれて、ありがとう」
小堀の返事を最後まで聞いてから、水上は司令本部を後にした。
水上が去った後、司令本部は各員に穴が開いたように静まり返っていた。
小堀を含めた何人かが、一部だけぽっかりと反応の消えた地図を眺めていた。対特区計画による破壊活動で、感知器か伝達システムも壊されたらしい。
「……墓標なんだ」
ふと、小堀がこぼすように言った。そこに、続きを聞くように那珂畑が近寄る。
「あの感知器には、ゼツボーグみんなのアンチネガリアンが入ってる。彼らの中には無残に殺され、ちゃんと埋葬さえできなかった人もいる」
加山も、そのひとりだった。
「だから、彼らが残してくれた感知器が、私にとっては墓標の代わりだった」
彼がその先を話すことはなかったが、那珂畑にはそれが恨み言に聞こえた。彼らの遺したものを、戦った証を壊された。踏みにじられたと。
釣られるように、その近くで泣きじゃくる声がした。ツクモが床に座り込み、鳴島に支えられたまま泣いていた。
「もう、だめだ……」
個人的事情としては、この場で最もつらいのは彼女かもしれない。おそらく最初の質問に出たジュリオなる人物も、彼女にとって大切な人だったのだろう。そして、その言葉には、彼女がこの現実に耐えられないという思いがありありと現れていた。その思いだけは、他の数人も同じものを抱えていた。
だが、ツクモは自らの思いを振り払うように、繰り返した。
「もう、あんなこと、させちゃだめだ……」
そのひと言が、火を点けた。ふさぎ込んだ局員たちの心にレーザー糸を通すように、ツクモを中心に熱が伝播した。
しかし一方で、対特区計画の完成度に気圧され、反論できずに凍りついたままの者もいる。それでも熱は、湧き上がった炎は、着実に彼らの体を動かし始めていた。
「そうだ、勝てばいいんだ。俺たちが勝てば、奴らは動けない!」
局員の誰かが言った。確信はない。未知の敵に、未知のゼツボーグ。いまだ残されている指定監視ネガトロン。それでも、ゼツボーグが勝てさえすれば、そもそも対特区計画など必要なくなる。
いつの間にか、各所から気合を入れるように咆哮と歓声があがり、それらが渦を成して司令本部を包んでいた。絶望を糧として戦うゼツボーグの本拠地が、あろうことか希望に向かって動き出していた。
「勝とうぜ」
那珂畑もそう言って、ツクモと鳴島の手を引いて立ち上がらせる。ツクモはふたりに支えられながらも、自分の手で涙を拭い、覚悟の表情で返した。
この時、那珂畑はようやく理解した。戦う理由も、死ねない理由も、守りたいものも、初めからあったのだと。彼はゼツボーグの道を選んで以来、初めて死にたくないと考えた。少なくともこの戦いが終わるまでは。
だが、彼に芽生えた強い決意の力が、同時に自殺への勇気につながることに、彼はまだ気づいていない。絶望を勇気に変えて戦うゼツボーグ。しかしその勇気が行きつく先は、誰にもわからない。




