第三十一話 アルファ、ブラボー、チャーリー!
説明しよう。SIMsとは、志村の脳波データをもとにした人工知能による、無人のポジトロンである。実際に展開されるポジトロンは志村のものと同じ姿になるが、コンピューター制御のため中身は空。壊滅的な攻撃を受けても人的被害がないという優れものである。また、これに利用される人工知能は志村の名前から取ってSIMと名付けられた。
そして、シネマ討伐からおよそ1週間。ついにSIMsが完成した。現在の稼働数は9機。ゼツボーグのナンバリングと被らないよう、リーダーである志村のものをアルファとし、ブラボー、チャーリーとそれぞれに名前が付けられている。また、識別のためそれぞれのポジトロンには、展開時に違う色の腕章のような意匠が追加された。
現在、想定されているSIMsの役割はネガリアンによる大規模破壊の際の人命救助。傷病者の手当てや搬送先の判断など、マニュアル化された行動は単独でも可能だが、戦闘など複雑で流動的な状況に対応するには、志村の指示が必要となる。よって、SIMsの実戦投入は志村の訓練が完了してからということになった。
SIMsの完成から、ネガリアンへの対策はかなり効率化が進んだ。何と言っても志村を含めてポジトロンが10機もいるのだ。戦闘行為は志村に任せきりとは言え、軽症者やステージ2程度の対応ならSIMの単独判断でじゅうぶんに賄える。
シネマ討伐以来ネガテリウムやネガトロンの発生もなく、指定監視ネガトロンを除いてネガリアン側に大きな動きはほとんどなかった。結果、ゼツボーグは暇を持て余し、宇宙開発局は研究に専念することとなった。
SIMs完成後、水上は宇宙開発局に研究材料の交換を提案した。内容は、ポジトロンに使われる自己複製ナノマシンを提供する代わりに、アンチネガリアンのサンプルを提供してほしいというものである。
現状、アンチネガリアンはゼツボーグの体内以外で培養することはできない。これから感知器を増やしてネガリアンの監視体制を強めるためにも、宇宙開発局にとってそれは貴重な財産だった。しかし、それは科学衛生局側も理解してのこと。彼らの目的は、ポジトロンの保護にあった。万が一、志村がポジトロンを使えない体になったら。もしもSIMsにネガリアンが侵入したら。武器による固有振動や高熱攻撃は機体の外にしか使えない。つまり内側は無防備となる。そういった危機を回避するべく、ポジトロンに少量のアンチネガリアンを仕込んでおくという対策を水上は提案した。
対して、ポジトロンの自己複製ナノマシン。これは名前の通り志村がポジトロン展開の際に使うプレートと同じものであり、信号を送ることで好きな形に展開できる。志村のような全身武装は不可能でも、何らかの形でゼツボーグのサポートに役立てることができるのでは。ということで、小堀は水上との交換を受け入れた。
水上は何らかの形で、としか言わなかった。画一的なポジトロンと違ってゼツボーグは個人差が激しい。ナノマシンをどのように使うか、どこまで応用できるかはそれぞれの器量次第となるからだ。しかし、小堀はすでにその利用先を決めていた。
宇宙開発局、地下5階の司令本部に那珂畑ら主要メンバーが集められた。
「……ということで、これより我々はこのナノマシンによる強化版ゼツボーグの開発に取りかかる!」
そう言って小堀が机に置いたのは、志村が使っていたものと同じ白いプレート。つまり、科学衛生局から提供されたナノマシンひとり分である。と言っても、細かく分けて使えるので、複数人で使うことも可能なのだが。
「むろん、志村君のように自由自在な展開ができないのは皆も知っての通り。そこで、私はこれをあくまでも強化武装、または補填パーツとしての流用を提案する」
小堀は手元のパソコンを操作し、背後のモニターに簡単なCG映像を表示させる。そこには、黒い人間と白い人間。黒い方は右手がドリルの形になっているため、おそらく那珂畑のゼツボーグを表しているのだろう。となれば、対する白い方はネガリアン感染者。映像が動き出すと、ふたりは互いに突進するように走り出した。
「例えばだが、那珂畑君の【ネガティヴ・スパイラル】。これにナノマシンを上乗せすることで攻撃力上昇、腕への負担軽減も可能になる」
映像では、ドリルの表面を覆うようにナノマシンが展開され、独自に回転する様子が描かれていた。
「と言っても、ゼツボーグは直接当てなければ意味がない。だからこれはあくまで、敵の防御を崩すための使い道だ。あくまでもサポートアイテム。だが、ちゃんとプログラムすれば、間違いなく我々の味方になってくれるはずだ。このナノマシンは粘土のように自由度が高い。皆には、これをどう使うか、柔軟に考えてほしい。私からは以上だ」
小堀の話した内容は、ほとんど映像と配布資料にまとめられていたので、そこまで集中して聞くことでもなかった。それよりも、那珂畑たちには気がかりなことがあった。
先日、シネマの活動範囲を視察した際の飛び降りである。結果から言えば飛び降りた少女は生存していたため自殺は未遂に終わったのだが、その後、彼女に関して科学衛生局から連絡があった。
飛び降りた少女を検査した結果、体内からアンチネガリアンの反応が検出された。つまり、那珂畑に次ぐゼツボーグ候補者が見つかったということである。
少女は落下による後遺症もなく、軽い治療の後に宇宙開発局へ移送された。そして那珂畑が経験したように、彼女がこれからヒーローになるか否かの面接が控えている。面接担当は今回も羽崎なのだが、那珂畑も関与していないわけではない、と言うより思うところが多すぎて気が気でなかった。
あの少女がどのような絶望をもって自殺に至ったのか。彼女がヒーローとして戦う道を、あるいは元の生活に戻る道を認められるのか。仮にゼツボーグになったとして、自分は加山のように彼女を導くことができるのか。那珂畑の心はそのことでいっぱいになっていた。
結果から言えば、少女はゼツボーグになることを受け入れた。ただし、少女はひとつ条件を提示した。それは、自分の自殺が成功したことにしておくこと。経緯はどうあれ、自殺に追い込まれるほどの状況に、失敗したので戻るなんてことはあまりにも酷な話だ。羽崎はその条件を承諾した上で、彼女を例の電気椅子に案内した。
見た目からして、少女は中学生。多感な時期にプライベートなことは聞くまいと、那珂畑は面接部屋の前に立ってはいたものの、ふたりが出入りする際には無関係なふりをした。どの道、彼女がゼツボーグにならなければ他人のまま。なったらなったで、必要な情報は勝手に流れてくる。つまり、那珂畑がこの時点で行動する必要は初めからなかった。
ニュースなどでよく聞く話だが、子供の自殺が増えている。ネガリアンの影響も少なからずあるのだろうが、その傾向は5年以上前から続いていた。那珂畑はそのことを情報として知ってはいたが、いざその現場に直面すると、あの日線路に飛び込んだ友人とは別に心苦しいものを感じた。
ふたりが面接部屋から出る際、那珂畑は羽崎から少女がゼツボーグになる選択をしたこと、そして早ければ明日から訓練に入ることが告げられた。例の電気椅子やその後の経過観察は、彼の時と同じように羽崎と鳴島が担当することとなり、結果として那珂畑は手持ち無沙汰となってしまった。
特に他の指示もないので、那珂畑は司令本部の小堀のもとへ向かった。すでに少女のこと、仮名ゼツボーグ99号の基礎データは彼のもとに届いているようで、デスクに置かれたタブレットには少女の写真と共に様々な数値が表示されていた。しかし、那珂畑は何か見てはいけないものを見てしまったような気がして、とっさに他の書類に目をやる。そして、偶然目に入ったのは、大量の顔写真が印刷された紙だった。
「この顔って、もしかして……」
那珂畑は小堀に許可も得ず、勝手にその紙を手に取る。が、それほど重要なものではなかったのか、小堀は穏やかな様子で答えた。
「ああ。シネマの元になった感染者の候補だ。何せ情報が少ないからね、片っ端から当たってみるしかない。これでも科学衛生局と協力して、かなり絞ったんだよ」
絞ったと言っても、ざっと30人以上。いずれも似たような顔で、シネマと直接対峙した那珂畑ですらどれが本人かわからなかった。
小堀によると、シネマの発生推定時期、その間の死者、行方不明者の中から、本人を探し出す作戦らしい。しかし、推定時期の長さや、そもそもシネマがアツギ市出身かどうかも怪しいため、捜索範囲はかなり広くなる。さらにシネマはごく普通のサラリーマンと自白していたが、これも事実かはわからない。その結果、シネマの本体探しは困難を極めていた。
だが、すでに倒したネガトロンの痕跡を辿っても、得られるものは少ない。よって、シネマの本体は優先度の低い状態で、言ってしまえば放置されていた。
そこで、那珂畑は小堀に他の話を切り出す。
「あの、さっき話してたナノマシンのことなんですけど……」
タブレットの画面を見ていた小堀の顔が、那珂畑に振り向いた。
「何か、いい案が思いついたのかな?」
「いや、いい案と言うか、そもそも使うのは俺じゃないって話で。その、鳴島に使ってみるのはどうでしょう?」
その提案に、小堀は少し眉をひそめた。
「鳴島君に? 確かに彼女は少しだけゼツボーグを扱えるが……。つまり、彼女の力不足を、ナノマシンで補おうということかい?」
那珂畑は首を縦に振る。だが、小堀は口元に手を当て、考え込むように黙ってしまった。なぜなら、この案があまりにも実現性に欠けているからである。
実際のところ、現実的な案ではないということは那珂畑も承知していた。確かに、鳴島の身体強化はナノマシンである程度再現できる。しかし、触角を使った部分的な強化には、ゼツボーグの能力を引き出すと同時に、ナノマシンの繊細な操作も求められる。正反対の性質を持つこれらを両立させるには、かなり高度な精神制御が求められる。いくら感覚の鋭い鳴島でも、それほどの高等技術を得るには長い訓練が必要となるだろう。
「……わかった。君の提案はいちおうメモしておくよ」
小堀は手元の小さな付箋に那珂畑の提案内容を書きながら言った。付箋の小ささから見ても、採用率は低いだろう。
「確かに、鳴島君を戦場に復帰させたいのは私も同意見だ。でも、無理はよくない。中途半端な形で送り出せば、彼女を今まで以上の危険に晒すことになる。焦らず、しかし駆け足で考えよう」
即答で却下されなかっただけでも、那珂畑にとっては及第点だった。現在、科学衛生局から受け取ったナノマシンは解析官である鳴島が保管している。つまり、この場で最もナノマシンの性質に精通しているのが彼女だからというのが、那珂畑の発想の原点である。なんと幼稚で短絡的なのだろう。
だが、ゼツボーグとポジトロンの両立が実現すれば、もう志村の出る幕はない。希望と絶望を兼ね備えた究極のヒーローの誕生である。まるでテレビアニメの劇場版でのみ主人公と手を組む悪役のような存在に、那珂畑は男心をくすぐられていた。
「もし成功したら、新しい名前はクロスボーグ……なんつって」
小堀の席から離れる際、彼は小声で言った。
SIMs、ゼツボーグ99号、そして鳴島。志村のポジトロンから始まった新たなヒーローの誕生によって、戦況は確実に動き出していた。
だが、あらゆる文化が同じ歴史をたどってきたように、突出した力の乱立はそれぞれの対立を、崩壊をもたらす。それもよりによって、力を持った誰かが計画的に戦いを支配し、総取りの形で生き残るのである。
もはや、敵はネガリアンだけではない。この変化に誰もが気づくのは、たったひとりの仕掛け人が動き出してからのことである。
その人物はすでに、クリスマスプレゼントを用意していた。




