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第三十話 小さな小さな彼らの世界

 説明しよう。科学衛生局はユウラク町T区域にあり、また付近に大きな開発拠点がある。本部はあくまで事務のための施設なので小さいが、ネガリアン騒動以来、ポジトロンの開発にあたって廃棄された輸送拠点を買収した。

 主に地上戦を専門とするゼツボーグと違い、縦横無尽に空を飛び回るポジトロンの開発や訓練には、縦にも大きな空間が必要となる。そこで、つまるところ巨大な倉庫である輸送拠点は都合が良かった。現在この建物内には複数の小屋が設置され、ポジトロンの飛行訓練所であると同時に、ネガリアンの研究施設としても利用されている。


 現在、水上らポジトロン開発班はある計画を進めていた。それは、志村をもとにした人工知能の開発である。

 これまでポジトロン自体は完成しながらそのパイロットが見つからなかったように、これからも志村のような人間が複数現れるとは考えにくい。いや、探し方によっては見つかるのかもしれないが、科学衛生局にそれほどの余裕はない。そこで、現状唯一ポジトロンを操縦できる志村のコピーを作ってしまおうというのが、より現実的な案として採用された。

 もともと科学衛生局は、ロボットの手術機器など、機械医療に長く携わっている。その技術がポジトロンに流用できれば、無人の機会兵団でネガリアンと戦うことも夢ではない。残酷な話かもしれないが、医療という失敗できない仕事である以上、ヒューマンエラーの可能性よりも、機械に夢を託すのが彼らの思考なのである。

 そのために現在必要なのは、志村から得られる経験値。ポジトロンに命令を流す脳波のパターンを見つけることである。そのためには、とにかく実践、実戦あるのみ。これまでのジュニア、シネマとの戦いはいずれも想定より短期の決着であったため、手に入った情報はあまり多くなかった。そこで、水上は次の作戦に出る。

 ポジトロンのより実践的な戦闘訓練。また、その記録映像を使用した紹介動画を作ること。これにより志村の技術向上、脳波データの採取、そしてポジトロンの知名度を同時に叶えるのが、水上の狙いであった。最終的には志村を無人ポジトロン軍団のリーダーとして擁立し、ゼツボーグの役目を食い尽くすことも視野に入れている。

「水上さーん、準備できましたー!」

 地上4メートルほどの開始地点で志村は両手に剣を持ち、ホバリングしながら声をかける。周囲には無数のカメラと映写機。そして合成映像用のグリーンバックが壁全体を覆っている。

「よし。では打ち合わせ通りに」

 水上は残りの撮影を外部から呼んだ映像業者の面々に託し、自らはやや離れた位置でパイプ椅子に腰かける。

 カメラが動き出す前に、まず映写機から空中映像が映し出される。投影されたのは、集合住宅の立ち並ぶ住宅街の一角と、空中に浮く大量の瓦礫。ここ数日の訓練で使われている映像は、ネガトロン・ジュニアが使っていた瓦礫攻撃。実際のところ、彼女本来の擬態やシネマの録画といった超自然的な能力は、再現が難しい上に映像作品として派手さに欠ける。そこで、とにかく四方八方から飛んでくる標的を切り捌くという、いかにもヒーローらしい立ち回りが、今回の紹介動画には必要だった。

「じゃあ回します。3、2、っ……」

 カァン!

 カメラマンの合図から、わずかな静寂。そして広い倉庫によく響くカチンコの音。普通のカチンコで本来の使い方と言えど、シネマとの戦いを経験した志村は気楽に構えていたのが、その音で一気に緊張感を取り戻した。

 空中映像の瓦礫が一気に動き出す。しかし、すべてが志村に向かって飛んでくるわけではない。死人できるだけでも15はあろう瓦礫たちが、まるで尾翼を失ったヘリコプターのように無造作に飛び交っていく。もちろんこれは映像で訓練なのだが、実際の戦場であれば、地上にまだ一般人が残されている可能性もある。志村は自分の身を守るだけでなく、地面に近い瓦礫も安全に処理しなければならなかった。

 さらに、建物への被害を防ぐため、投影された壁に激突することなく精密な高速飛行を続けなければならない。こういった息の詰まる戦闘訓練が、休むことなく5分近く。さすがの志村も、バイザーの内側は汗でいっぱいになっていた。

 乱雑な攻撃を片っ端から捌かれると、今度は志村本体に攻撃が向くようになる。敵の心理を再現した集中攻撃を回転切りで薙ぎ払い、志村は片膝をつく形で着地した。このスーパーヒーロー着地、実はとても膝に悪いという説があるのだが、そこはポジトロンの動作補助で負担を軽減しているということでご愛敬。

「はぁいカットー!」

 撮影監督の声とカチンコの音で、撮影は終了する。特撮ドラマだったら数カットに分けて撮りそうな場面を、一度にすべて撮るという長回し。だが、映像にリアリティを出すためには、パイロットの疲労や戦況の変化などもリアルタイムで再現した方がいい。それに、ポジトロンがこの長回しに耐えられるという信頼もあってのことだった。

 志村はその後変身を解除し、少しの休憩をはさんでから映像を確認する。これからCGなどの加工が入るのだろうが、ダイナミックな立ち回りをさらに際立たせる撮影技術は、それだけでも感服するものがあった。何より、実戦訓練とポジトロンのデータ収集も同時にこなせる効率性。カメラに収められた自分の姿を見て、志村は水上の計画力をあらためて思い知ることになった。

「さて、この後の予定ですが。宇宙開発局の方から……」

 映像関係のことはひとまず業者に任せることにして、水上は次の行動を確認する。

 志村の次の予定は、那珂畑と共にシネマがいたアツギ市内を視察するというもの。町の変化を確認し、ネガリアン勢力の再拡大に備えるという目的がある。

すでに両局員が何度か現地に泊まり込んで見回りをしているのだが、シネマ本人に関する情報が少ないこともあり、実際に戦ったふたりを投入するのが最善という点で両局の意見が一致した。

「那珂畑さんとは現地で合流とのことですが、私も思いのほか時間ができました。せっかくなので、私が車でお送りしましょう」

 水上の提案に、志村は額の汗をタオルで拭いながら頷いて答える。

 だが、この時、水上が嘘をついているということに志村は何となく気がついていた。ポジトロンの操縦に必要な条件は、負の感情を持たないこと。厳密には、それを限りなくゼロに近づけること。よって、志村のサポーターに任命された水上に求められることは、志村の気分を良い状態に保持すること。水上は思いのほかと言ったが、これはおそらく志村をより安心させるための嘘。水上は最初から車で志村を移送する予定だったに違いない。訓練時からポジトロンの性質や水上の行動を見ていた志村は、そのあたりに敏感になっていた。まあ、嘘だと気づいたところで何かがっかりするようなことはないのだが、とりあえず今は、そういう気遣いを素直にありがたく受け取ることにした。

 一方で水上もまた、自分の嘘が通じなくなっていることに気がついている。そのうち志村に見限られる可能性すら考えられる。そうなる頃には、志村の精神に負の感情が集まってポジトロンの操縦に支障をきたしかねない。その前に、志村の代わりとなる人工知能を完成させること。それが水上の重要任務のひとつだった。ポジトロンのためなら、逸材である志村さえ部品として使い捨てる冷酷さ。それこそが、水上が志村のサポーターに任命された理由である。

 ふたりの決裂はいつ訪れるのか、あるいは最後まで訪れないのか。まだ誰にもわからない。ただ、ふたりが駐車場に向かう通路脇に並べられた複数のポジトロンが、確実に志村の不安を募らせていた。

 志村と同じように、人型に展開されたポジトロン。しかしそれらはまだ形を維持するだけで動かすことはできない。将来的には志村がリーダーとなってこれらを指揮することになるのだが、もしかしたら、この無人ポジトロンだけで戦える日が来るのではないだろうか。そうなった時、家族も役割も失った自分はどうなってしまうのだろうか。希望を示すように堂々と並べられた無人ポジトロンの列を見るたび、志村は未知の不安に襲われるようになっていた。


 アツギまでの車中、志村はハンドルを握る水上に後部座席からつぶやいた。

「……ボク、あの那珂畑って人のこと、嫌いです」

「どうして、そう思うのですか?」

 水上は質問こそしたが、否定はしなかった。ゼツボーグとポジトロンは、絶望と希望。精神面においても対極の存在である。そしてゼツボーグには何らかの強い絶望的感情が必要であり、それは到底他人には理解できない何かだ。志村は那珂畑の絶望を理解できないから理解できないのだと水上は察していたが、あえて本人の口から聞き出すことで、気持ちの整理をさせる目的があった。

「なんて言うか、おかしいんですよ。あの人。死にたいはずなのに、必死に戦ってて。言ってることとやってることが合ってないんです。……まあ、そのおかげでシネマを倒せたことには感謝してますけど」

 志村が特に理解できなかったことは、那珂畑がジュニアやシネマに対して友好的な感情を持っていたように見えたことである。まるで彼らに同情しているような、ヒーローのはずなのにネガリアン側にいるような。実際、ふたりが初めて会った会議の日、那珂畑はまるでジュニアの仇と言わんばかりに志村に怒りをぶつけていた。

「確かに、彼は、と言うよりはゼツボーグというもの自体がずれているのでしょう。多くの絶望に共通するものは、自己肯定感の低さです。例えば、自滅を求めるほど自己に否定的な那珂畑さんからすれば、欲望に忠実で行動力のあるネガトロンが羨ましく見えるのかもしれませんね」

 基本的に、死にたい人間というものは自己を否定するために他者の意見を聞き入れず、自身を最下層に置いた独特の価値観に囚われている。そういった感情を強く長く持ち続けると、やがて目に映るものすべてが自分より優れて見えるようになる。倒すべき敵も、許されざる罪人も、動機の奥底にあるわずかな正義感や生存本能に光を見出し、尊重してしまうのだ。

 だから、水上は必要以上に釘を刺した。

「ですが、忘れないでください。どれほど人間の言葉を使おうと、感情的な相手だろうと、ネガリアンは人類の敵。私たちを捕食し増える化け物です。私たちが生きようとする限り、そこに同情の余地などありはしません。志村さん、あなたには生きようとする人々を守る力があります。決して流されることのないよう……」

「わかってる」

 志村は話の間、ミラー越しに水上の顔を見ていたが、水上は運転に集中するためか、最後まで志村と目を合わせることはなかった。水上の言うことは確かに勇気をくれる正論だったが、志村はそこに少しだけ寂しさを覚えた。

 ポジトロンパイロットは絶望などしない。だからこそ、絶望という感情が理解できず、ゼツボーグとの接触は苦痛や不安を伴う。結局のところ、ゼツボーグとポジトロンは、どちらにとっても共存しがたい存在なのである。長いことネガリアンの対策研究に携わっていた水上は、その性質をよく理解しているがゆえに焦っていた。ポジトロンの勢力でゼツボーグを塗りつぶさなければ、根幹となる志村が先に消えてしまう。ポジトロンの強さを知らしめるため、志村を安心させるために何事にも動じず、堂々と振る舞い続ける水上だったが、ポジトロンが実戦投入された今、最大の敵はネガリアンではなくゼツボーグであるとさえ考えていた。


「……では、ここで。帰りも必要でしたらご連絡ください」

「うん。ありがとう」

 アツギ市内、例の監視カメラ付近で水上と志村は別れた。この後志村は那珂畑と合流し、共に町を巡回するという予定なのだが、実際に合流する必要はない。あくまでも町の様子が確認できればいいという任務である。志村は正直なところ、この任務中は那珂畑に会わずにやり過ごしたいと考えていた。

 が、そう思い通りにはいかない。志村は姿こそ見えないが、那珂畑が近づいてくるのを感じていた。

 志村はネガリアンに感染していない。それ故に、ネガリアンを匂いと言うか気配のようなもので察知する能力を訓練中に身につけた。例えるなら、納豆が嫌いな人にだけその臭いが強烈に感じるようなものだろうか。

 実際に、志村はジュニアとの戦いで上空からの急降下攻撃を正確に命中させた。これも彼の能力があったからこそ、互いに見えない距離からの不意打ちに成功したのである。当然、ネガリアンの塊であるネガトロンやネガテリウムは瞬時に察知できるのだが、同時に大量のネガリアンに感染しながら、それを体内で処理し続けるゼツボーグも独特の気配がした。

「よっ、志村」

 そして現れた那珂畑は、思いのほか明るく気さくな雰囲気だった。


 普段着の男子学生がふたり。周囲にはドローンもなく、あくまでも普通に歩いている。この町の誰も、彼らがヒーローなどとは考えないだろう。もし町の雰囲気を乱すようなことをすれば、潜伏しているかもしれない敵に気づかれてしまう。言ってしまえば、今回の視察はお忍び。仮にステージ2の感染者を発見しても、危険度が低いと判断されれば無視するようにとの命令だった。

 結果から言えば、今日の町は平和だった。シネマ討伐後の混乱は短期的なものだったようで、警察も本来の機能を取り戻していた。

 例の監視カメラから町をしらみつぶしに回り、ふたりが初めてこの町に来た駅から対角線上にある川。ここまでがシネマの活動範囲である。川の向こうは地理的にも別の区域であり、シネマは線路からこの川までの分断された区域を作品に利用していたことが、地図からも理解できる。

 ただ、問題があるとすれば、ここまでふたりの間にまったく会話がなかったことだろう。ふたりとも、シネマとの戦いを通して互いの活躍を認めてはいた。しかし志村がそうであったように、那珂畑も彼への不満を隠しきれていない。目の前で沙紗を殺された怒りを拭いきれずにいたのである。互いに、口を開けばいの一番に悪口が出るような気がして、何も言い出せずにいた。

 しかし、夕方まで続いた静寂は第三者の登場によって破られることになる。

 隣町へ続く橋。その欄干に人が立っていた。ふたりからは逆光でよく見えないが、夕日に照らされた顔は、虚ろに川の方を向いている。わかりやすく飛び降り自殺の構えだ。シネマとの関係性は謎だが、ともかく那珂畑はそれを止めようと走り出した。

 しかし、遅かった。欄干の上に立っていた体は、重力に任せるように橋の外側へと傾いていき、そして橋の下に消えた。

 那珂畑は【スーサイド・バイスタンダー】で落下する体を掴もうとしたがそれも間に合わず、その体はグシャリという音と共に、川岸の砂利に背中を打ちつけた。

 顔が上向きだったので、那珂畑はこの時初めて自殺者の姿をはっきりと目にした。長い茶髪をツインテールにまとめた、中学生くらいの少女。服装こそ違うが、彼はこの少女に見覚えがあった。それはシネマと接触する直前、交差点で子供とぶつかりそうになった時のこと。その子供を追いかけていた少女こそ、今彼の真下で倒れている人物だった。

「……くそっ!」

 寸前のところで助けられなかった。その悔しさに、那珂畑は拳を欄干に叩きつける。ふと横を見ると、志村がゆっくりとこちらへ歩いて来た。ポジトロンでも間に合わないと判断したのか、それにしても妙に落ち着いている。その様子に、那珂畑はついに怒りを抑えられなくなった。

「志村! お前、なんで助けようとしなかった!」

 那珂畑は両手で志村の服の胸元を掴み上げ、そのまま噛みつくような勢いで問いただす。しかし、志村もまた怒りの表情で返した。

「先輩こそ、どうして助けようなんて思ったの? 先輩言ってたじゃん、死にたいって。なら他の死にたい人の気持ちもわかるでしょ?」

 思わぬ反論に、那珂畑はしばらく口をつぐんだ。だが、ポジトロンパイロットが、希望のヒーローが自殺者を見逃すものか。何か彼なりの倫理や正義感があってのことかもしれないが、他者の命を軽んじる志村の口ぶりが、那珂畑は許せなかった。

「お前なあ……!」

 服を掴んでいた手を片方放し、那珂畑はついにその拳を振り上げる。しかし、ふたりの衝突は川岸からのわずかな音で止められた。

 ふたりが下を見ると、少女の体が痙攣している。飛び降りこそしたが。まだ死んではいない。那珂畑はすぐに志村を突き放し、スマホで救急車を呼んだ。一方で志村も、少女が重度の感染者であると踏んでか、科学衛生局に連絡した。


 通報から数分と待たず、救急車と科学衛生局の車が現場に到着した。那珂畑と志村は第一発見者としてある程度の事情聴取を受けたが、少女との関係性が弱いため、そのまま帰ることになった。

 現場に来た人の中には水上もいたが、彼は少女の対応にあたるとのことで、志村は那珂畑と一緒に帰るよう指示された。

 駅までの道中、志村は再び那珂畑に聞く。

「答え聞きそびれたけど、なんであの時助けようとしたの?」

 最初、那珂畑は怒りのあまり論点をずらしていた。だが、それからあらためて考えた。確かに、志村の言う通り自分の行動は矛盾している。自分は死にたいのに、他人の死は認められない。だがその答えを言う前に、志村は彼なりの答えから話した。

「ボク、自殺も勇気だと思うんだよ。どんなに逃げた結果でもその人が叶えたい夢だから、邪魔しちゃいけない。人の命が尊いのはわかるけど、死にたい人が死ねない世の中って、おかしいと思うんだよね」

 それはまさに、那珂畑が考えていたことと一致していた。だから、あまり強くは言い返せなかった。

「お前の言う通りだよ。俺も死にたいのに死ねないから苦しんでる。けどな、俺が死にたいのは他の誰かが死ぬのを見たくないからだ。俺が生きてるうちは、誰も死なせたくない」

「……先輩って、けっこう自己中なんだね」

 言われずとも、那珂畑は理解していた。だが、ゼツボーグになった以上、誰かを守る、助けるといった任務を受けた以上、もう後戻りはできない。

「俺は絶望のヒーローだ。これくらいひん曲がってるのがちょうどいいんだよ」

「ははっ。確かに」

 志村は那珂畑の隣で、この日初めての笑顔を見せた。

 一方で、那珂畑はさらに考えた。志村が自分と同じ価値観を持ちながら、なぜゼツボーグではなくポジトロンになったのか。彼がこれまでどのような経験をしてきたのかは知る由もない。しかし、志村の持っていた素質が楽観的な性格ではなく、絶望を感じない精神的欠陥なのではないかと、那珂畑は疑い始めた。

 あくまでも仮説だが、科学衛生局は、水上は志村の次にまだ何か隠していることがあるのではないだろうか。単純にポジトロンを嫌うが故の疑念だが、那珂畑は彼らの影にとてつもなく恐ろしい何かが覗き見えたような気がしてならなかった。

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