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第二話 那珂畑逸の体験

 説明しよう。ゼツボーグとは、新種抗体アンチネガリアンから生成された合金を用いて人々をネガリアンから守るヒーローのことである。

 だが本来、アンチネガリアンは自身の本体を守るのみで、本体に侵入していないウイルスへの攻撃に転用したり、本体の意志で操作できるものではない。そこで、ゼツボーグになる過程として全身のアンチネガリアンを叩き起こさなければならない。

 そう、ヒーローには変身シーンが不可欠なのである。


 宇宙開発局地下5階と6階は、ネガリアン対策本部としてゼツボーグの管理や指示を行う施設となっている。ちなみに5階が司令本部、6階が研究エリアと関係者用の居住スペースになっている。かつて地価は2階までしかなかったのだが、ゼツボーグの活動に合わせてこの場所が開設された。なお本部の防衛と秘匿のため、3階と4階には何もなく、今でも関係者以外は2階までしか入れない。

 そして、地下6階研究エリアの一室。那珂畑がゼツボーグになるべく羽崎に連れられて入った部屋はすべての壁が打ちっぱなしのコンクリートに覆われ、中心にはどう見ても明らかに電気椅子が設置してあった。ご丁寧に椅子には腰と手足を拘束するベルトが付いており、制御盤と思わしき装置は分厚いガラスを挟んだ向こう側に繋げられている。

「入る部屋間違えましたね。処刑場でしたねここ」

「いや、間違ってないよ」

 大急ぎでUターンする那珂畑の後ろ襟を羽崎が掴んで止めた。

 いや、しかし誰がどう見てもヒーローになるための装置には見えない。候補者を一度殺してサイボーグにでもするつもりなのだろうか。那珂畑は死にたいと願ってはいたが、こんな予想外で残念な死に方はさすがに不本意だった。

 先ほどの交渉の後羽崎は本部に連絡を取っていたようで、那珂畑が向かおうとした先からは鳴島解析官が歩いて来た。最初は後ろ姿しか見えなかったが、意外にもその風貌は那珂畑と同い年、あるいは少し年下くらいに見えた。何より白衣の下に着ている黒いセーラー服が彼女の若さを証明している。状況からしても、さすがにコスプレで着ているものとは考えにくい。

 那珂畑は鳴島の外見に唖然とし、彼女を指さしたまま確認するように何度も羽崎に振り向く。

「あれ、さっき紹介しなかったっけ。解析官の鳴島ちゃん。ああ、もしかして服装のこと? 仕方ないだろ彼女はいちおう高校生なんだから」

 高校生。つまり自分より年下と理解した那珂畑はさらに混乱した。そんな子供があの司令中枢のような集団に混ざっていたのか。彼女にはとんでもない秘密があるのか。羽崎以上に謎の多い存在に、那珂畑はもはや言葉を失っていた。

「……初めまして。これからあなたのゼツボーグ発現に協力する解析官の鳴島です」

 年相応に人見知りなのだろうか。彼女は最低限の挨拶だけ済ませて、那珂畑を例の電気椅子に座るよう促す。しかもそれまでの間一度も目を合わせない冷たさ。まさかこの宇宙開発局、高校生を処刑人に使っているのか。自分はヒーローと称しながらとてつもなくブラックな世界に踏み込んでしまったのではないか。すでに非現実的な設定でいっぱいの本作で言うのもなんだが、那珂畑の脳内は非現実的な可能性で溢れそうになっていた。

 ヒーローの変身に必要なもの、それはそのヒーローらしさ。多くのヒーローがかっこよさや威圧感を求められるならば、絶望のヒーローであるゼツボーグには、それに足る不安要素が必要ということである。

 結果からして、那珂畑はこの電気椅子を受け入れた。各所の拘束具で身動きを封じられたまま、ガラスの向こうへ退避した羽崎と鳴島が何か話している。どうやらこのガラスは話し声も遮断するらしい。

 ふたりがひとしきり計器をいじり終えると、どこかからツーと音響機器のような音がした。

『あー、聞こえるかい逸ちゃん?』

 部屋のどこかにスピーカーが付いているのだろう。羽崎の声がややノイズ混じりに響く。

「……はい。聞こえます」

 やると言ったからにはやるのだが、こんなにもあっけない結末とは。那珂畑の表情はもはやあきらめを通り越して呆れたような形をしていた。

『先に、説明と実行の順番が逆だったことを謝っておこう。私としても、これから起こることを知った君が暴力的抵抗に乗り出すことを恐れていてね。……だいたい察しがついているとは思うが、君が座っているそれは電気椅子だ。各所に電極が配置されている。そしてそこから君に特殊な電流を流し、体内のアンチネガリアンを一斉に活性化させる。まあ安心してくれ。電流の方はたいした出力ではない。問題はこれから起こる君の免疫反応だ』

 計器を調整し電気椅子の起動を確認してから、羽崎はガラス越しに那珂畑にずる土居眼差しを突き付ける。

『風邪をひいた時に熱が出るのと同じさ。免疫機能の活性化には、それなりの消耗を伴う。特にネガリアンの場合は精神にはたらきかけるものだから、君が今まで感じたことのない苦痛に襲われる可能性がある』

 那珂畑はその時、おそらくそれまでの短い人生で最大量とも言えるほどの固唾を飲み込んだ。

『それを乗り越えた時、君は晴れてヒーローの称号を手に入れる』

 そこまで言い終えると、羽崎はまた先ほどまでの笑顔を見せた。

『まあ必要なことだから説明はしたけど、そこまで身構える必要はないよ。この行程で死んだ人間はいない』

 それを聞いて那珂畑がひと息つくが先か、羽崎は電気椅子の通電ボタンを押し込んだ。

『今のところはね』

「うわああああああああああああああああああああっっっ!!!!」

 何がそれなりの消耗だ。何が身構える必要はないだ。現在那珂畑の全身には未知の激痛が駆け巡っていた。


 意識が遠のいていく。痛みが和らぎ、視界が、あらゆる感覚が何か別物に置き換わるようにぼやけていく。そうか、これが死か。那珂畑はその感覚をじっくりと噛みしめた。

 しかし、それはほんの一瞬の出来事だった。那珂畑の視界が正常に戻ると、彼の目の前には普段の通学風景、自宅からの最寄り駅のホームが広がっていた。

 いや、動く。視界が動く。体も動く。那珂畑は一瞬走馬灯かと考えたが、それにしては自由だ。視覚以外の感覚もいたって正常。気温30度はあろう蒸し暑さが半袖のTシャツを貫いて肌に染み渡る。

 この感覚で那珂畑は思い出した。あの日の暑さ、あの日着ていた半袖。彼が恐る恐る隣を見ると、そこには彼と同じように電車を待つ青年が立っていた。そう。1年前に自殺した、那珂畑の友人である。彼と出会ったきっかけもこの駅だった。同じ講義からこの駅までずっと一緒にいたことから、同郷だと気づいて。そこからの付き合いだった。

『まもなく、電車が通過いたします』

 人工音声の無機質なアナウンス。快速の停まらない小さな駅。まだホームドアも設置されていないその向こう側に、彼は吸い寄せられるように歩き出す。

「じゃあな」

 あの日とまったく同じ言葉。それを最後に、彼の姿はホームの下に消えた。

 電車のブレーキ音は聞き慣れていた。しかし、その巨大な鉄塊が人間の体を破壊する音は初めて聞いた。体中の骨が折れる音は、茹でる前のスパゲティの束を、それぞれ同じ太さに分けて折ったような音だった。皮膚と内臓が混じり合う音は、ゴム手袋でミニトマトを握り潰したような音だった。

 那珂畑の足元から地震のように大きな震えがわき上がり、それは悪寒となって背筋を通過し、吐しゃ物となって彼の口から飛び出した。

 あの日とまったく同じ音、同じ感覚。緊急ブレーキのブザー音よりも、人々の悲鳴よりも、友の肉体が滅茶苦茶に破壊されていく音だけがはっきりと鼓膜に伝わってくる。

 死臭はすぐにはしなかった。血液や肉片が飛び散る範囲はドラマなどで見るそれより格段に狭く、人間の皮膚がいかにして皮袋の役目を果たしていたかを証明しているようだった。

 声が出なかった。あまりの衝撃に体の機能が停止したのか、あるいは吐しゃ物がまだ気管に残っていたからだろうか。とにかく那珂畑は膝から崩れ落ち、くちから唾液と吐しゃ物の混ざった何かをぶら下げたまま、15メートルほど先で緊急停止した快速列車の窓を眺めているだけだった。

「じゃあな」

 再び声がした。その方に振り向くと、まるで何もなかったかのように友人が立っている。いや、それだけではない。那珂畑自身も立っている。線路上には何もない。本当に何もなかったのだ。

 しかし、その言葉から先の展開はまったく同じであった。友人の肉体は質量を保ったままぐしゃぐしゃに変形し、自分の口からは同じ吐しゃ物が流れ出す。

「じゃあな」

 これが何度も、録画に失敗したビデオテープのように、何度も繰り返し起こった。そしてその周期は少しずつ早まっていく。

「じゃあな」

「じゃあ」

「じゃ」

「」

 そして、那珂畑の意識は限りなく短い時間のループに閉じ込められた。


「出力安定。アンチネガリアン、正常に反応しています」

「よし。さて彼は今頃、何を見ているのか」

 少しずつ変動していく数値を逐一記録する鳴島に対し、羽崎は食い入るようにガラスの向こうを見つめる。

「……あまり面白がらないでください。正直、この仕事が一番嫌いなんですから」

 その言葉に羽崎が振り返ると、鳴島は那珂畑を案内した時よりはるかに暗い顔をしていた。

「……そうだったね。こんなの誰にとっても気分のいいものではない。だから私は君の残留に反対したってのに」

「何度も言わせないでください。これは、私にとって必要なことなんです。ゼツボーグよりも、ネガリアンよりも」

 それまで飄々としていた羽崎も、この時ばかりは返す言葉を見失っていた。

「死ぬほど怖い思いをしたのに、もう二度と戻りたくないはずなのに。どこかでそれを求めている自分がいる。今はそれが、何よりも怖い。だからこうして向き合うんです。怖さを、痛みを忘れないために」

「強いね。君は」

 言葉とは裏腹に計器からも目を逸らす鳴島の肩に、羽崎はそっと手を置く。鳴島の肩は、小刻みに震えていた。

 沈黙は数十秒ほど続いた。ただガラス越しに那珂畑のうめき声が聞こえるだけの時間を終わらせたのは、アンチネガリアンの変化を知らせるブザー音だった。鳴島はとっさに反応し、計器に目を向ける。

「アンチネガリアン、合金生成量が目標に到達。ゼツボーグ、発現します」

 鳴島が言い終えるのと同時か、変化の方が僅かに先か。那珂畑の体から黒い糸のようなものが現れた。糸は彼の体中から服を透過するように次々と現れ、次第にそれは太く大きくなっていった。

 やがて糸は那珂畑を囲むガラス壁に到達し、行き場を探すように壁面を埋め尽くしていく。すべての壁が黒く塗りつぶされた頃には、監視カメラ系統も覆われたようで、電気椅子から贈られる信号だけが彼の状況を伝えていた。

「ヒーローの誕生だ」

 羽崎がそう言った直後、すでに部屋中の空間を飲み込んでいた糸が那珂畑の体に戻っていく。しかし再び露わになった彼の体は先ほどまでとは違い、例の黒い糸に繭のように覆われていた。そして繭は那珂畑の体に吸着するようにしぼんでいき、こうしてゼツボーグが完成した。

 全身に密着するような黒いボディスーツ、脇にはアクセントのように白い肋骨のような模様が背骨まで伸びている。両手には銀色の手甲。そして何より特徴的だったのが、頭に被った車掌のような制帽と口元を覆う大きなガスマスクだった。

 ゼツボーグ98号、那珂畑逸。彼がこの場で初めて変身に成功したことを、彼自身はまだ気づいていない。


「聞いてた話とだいぶ違うんですけど!」

 それから10分後。元の姿に戻った那珂畑は休憩室のソファで目を覚まし、「調子はどうだい?」と笑いかける羽崎にまず怒りを叩きつけた。

「すまないすまない。いやね、事前に全部話しちゃうと色々と対策されたりして、うまく作動しないことがあるんだ」

 この羽崎という女、この期に及んでまたしても自らの説明不足を笑ってごまかす。そして謝罪の証と言わんばかりに、また那珂畑にクッキーを渡した。いったいその白衣にあと何枚のクッキーを隠し持っていることやら。那珂畑は怒りのままにそれを手荒に受け取り、今度はすぐにかじりついた。

「今度こそすべてを話そう。君の身に何が起こったか。ゼツボーグとは何か」

 羽崎は那珂畑に検査結果のような数値が羅列された紙と、タブレット端末を手渡した。その時に那珂畑が気づいたのだが、鳴島はこの部屋にはいないらしい。先ほどの冷たい態度からして、彼女にとって自分の第一印象に問題でもあったのだろうか。那珂畑は情報を整理しようとしながらも、割とどうでもいいことを考えていた。

 羽崎の説明は、少し長かった。

 先ほどの電気椅子から流れた電流は、対象者にネガリアン感染と同じ刺激を与えるもの。それを全身に高出力で浴びせ続けることで、アンチネガリアンの自己防衛機能、合金生成機能を最大限まで引き伸ばす。

 那珂畑が受け取った端末には、その合金が体からあふれ出す様子が録画されていた。あの黒い糸のようなものがゼツボーグの合金だそうだ。

 そこまでの話は、生物学に詳しくない那珂畑にも何となく理解できた。しかし彼が納得できなかったのは、最初の激痛とその後の走馬灯のような現象のことである。羽崎の説明がひと区切りついたところで、彼はそのことを問いただした。事前の説明にそのようなことは一切含まれていなかった。クーリングオフ対象もいいところだ。いやヒーローのクーリングオフなど聞いたこともないが。

 羽崎によると、それらはアンチネガリアンの一斉反応による脳への負荷らしい。アンチネガリアンは絶望をもとにしてネガリアンに対抗する存在。それが一気に活性化すると、本人はアンチネガリアンのもとになった絶望を想起させられるという。人間の脳は、特に嫌な記憶を封印し、思い出させないようにする自己防衛機能がある。そのファイアウォールをこじ開けた際に発生したのが、最初の激痛だった。そしてアンチネガリアンの活性化に伴い、絶望を何度も強く想起させられる。あの走馬灯のような光景も、免疫反応によるものだと羽崎は説明した。ただし人の心は百様。絶望にも様々な形があり、苦痛や走馬灯の程度も人それぞれだと言う。中には意識を保ったままゼツボーグ発現まで乗り切った者もいたとか。

 おおよその説明を無理やり飲み込んだ那珂畑が驚いたのは、自分がその98人目という点だった。ネガリアンが現れてから5年の間に、自分を含めて98人。平均してひと月にひとり以上は誕生していることになる。彼の次の質問がこれだった。この計算が合っているならば、加山以外にもっと多くのゼツボーグがいるはずだと。だが、羽崎はあまりいい反応をしなかった。

 まず、ゼツボーグは絶望というあまりにも不安定なものを原動力としているため、多感な若者ほどその力を引き出しやすい。しかしそれゆえに小さなきっかけで絶望を克服してしまうこともあるため、ひとり当たりの活動継続期間は基本的に短い。そして那珂畑が体験したように、ゼツボーグとして活動するためには、自らの絶望その根源と向き合い続けなければならない。それに耐えられず自らヒーローの名を捨てた者も少なくない。そうして活動いかんに関わらずゼツボーグ発現まで至ったのが98人。現在も活動しているのは特例である加山のみ。羽崎は説明をこう結んだ。

「君ができるだけ長く、ヒーローとして人々を守ってくれることを願うよ」

 その言葉を最後に、羽崎は突然膝から崩れ落ち、全身の力が抜けたように那珂畑の座るソファに倒れ込み、そのまま動かなくなった。

 ふと思い出した那珂畑が端末の時刻表示を見ると、ちょうど23時。羽崎の言う通り、彼女はどんな状況でもこの時刻になると眠ってしまうようだ。

 できるだけ長く、ヒーローとして。那珂畑は羽崎の言葉を思い出す。大衆漫画なら望ましいことだが、ゼツボーグにとってそれは、自らの絶望に苛まれ続けること。それがどれほど苦しいことか、想像するのはそう難しくない。素質を持ちながらヒーローをやめる者が多いのも納得できる話だった。何より端末に映し出されたゼツボーグ98号の姿こそが、まさに那珂畑の絶望を反映したような姿だった。制帽とガスマスクに対して首から下の防具が少ないこと。それは誰かに殺してほしいという願いの表れだろうか。彼は自分の変身した姿を眺めたまま、しばらく考えた。


 ちなみに、紙の裏面には手書き文字で後書きのようなものが書かれていた。冒頭に「逸ちゃんへ」と書いてあったので、十中八九羽崎のものだろう。それによると、ゼツボーグは一度発現してしまえばそれ以降は記憶細胞によって簡単に変身できるらしい。そして、まだ説明すべきことが残っているので、あとは誠ちゃんか大悟ちゃんに聞くようにとのことだった。

 時間的にも今日中に帰宅するのは難しそうだ。そう考えた那珂畑は、まず小堀に他の休憩室を使わせてもらうよう聞くところから始めた。

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