第二十六話 時間系の能力ってどうしても矛盾が起きるよね シネマトグラフ・その二
説明しよう。ポジトロンはナノマシンの精密な操作で様々な形を作ることができる。しかしそれは容易ではなく、プログラムされていない形を作るには具体的なイメージとナノマシンを繊細に操作する技術が求められる。
那珂畑が落涙態の訓練に励む一方で、志村はナノマシンのコントロールを練習していた。今はまだナノマシンを集中させて、その部分の防御力を上げる程度しかできないが、将来的には各戦場に対応した様々なオリジナル武器を作り出せることになる。
たったひとりでほぼ万能のポジトロン、志村正規。彼はまだ、発展途上にあった。
カァン!
再び鋭い音。しかし、志村は止まらなかった。音の直前に、ジェット噴射でシネマの死角へと逃れていた。
ここで、志村はシネマの能力に気がつく。カメラとカチンコの組み合わせ。那珂畑にも同じような動作をしていた。おそらくカメラで捉えた相手にカチンコの音を当てることで、対象の時間をどうこうするというものだろう。あまりに短い時間での出来事だったので即断とまではいかなかったが、現に那珂畑はそれを受けて動けなくなっていた。
一度那珂畑への攻撃を見て、次の攻撃を回避できた。しかし、志村のスピードが完全にシネマを上回っていたわけではない。シネマは足代わりに伸ばしていた他の機材を体に戻し、代わりに右肩から複数の方向にカメラを生やした。
真左以外の全方位を画角に入れるフクロウのような状態。こうなってしまえば、あとはカチンコの音を当てるだけで志村はシネマの術中に落ちてしまう。志村は初撃を回避したことで攻撃の隙ができたと感じたが、これでは近寄ることはおろか、噴射機以外の武装を作る余裕さえなかった。
シネマは志村から距離をとりつつ、でたらめにカチンコを鳴らし続ける。志村にとってはまさに防戦一方。しかし、戦況というのは意外なところで切り替わるのだと、戦闘経験の浅い志村はこれから体感する。彼はカメラの目を逃れようとして、シネマの左側へ移動した。するとシネマは体の向きを変えることなく、今度はカチンコだけを志村に向ける。そう、右でも左でも、常に能力発動条件の片方は整っているのだ。左側に逃げられたなら、右肩のカメラを左に伸ばすだけ。そしてようやく、その準備が整った。
志村の真正面までカメラが伸びる。当然、カチンコも志村に向いている。勝ちを確信したシネマは、右手でカメラを担ぐように構えた。
カァン!
無駄とわかっていても、志村は思わず防御の構えをとり、目を閉じた。そしてしばらくの静寂。自分も止められたのだから、脳がはたらいていても音が出せないのは当然。彼は腕から力が抜けたようにだらりと手を下ろした。
そう、手を下ろした。志村は時間を止められてなどはいなかったのだ。彼が目を開けると、シネマの前には那珂畑の姿。しかし、ゼツボーグは纏っていない。先ほどまで那珂畑がいた場所に、ゼツボーグの鎧だけがそのままの形で残されていた。
「【スーサイド・バイスタンダー】……。まさかこんな早くに出番が来るとはなあ」
ゼツボーグはアンチネガリアンを持つため、その発生源である脳、そしてそこに近い顔くらいまではシネマの能力に抵抗できる。那珂畑は志村が戦っている間、落涙態に変化。形はそのままで液体に変わったゼツボーグから脱出し、志村同様にシネマの左側へ移動。生身の状態でカチンコの音を真正面から受け止めたのである。
そしてさらに、那珂畑の作戦はシネマをわずかに上回っていた。シネマがカチンコを鳴らす瞬間、志村は自らその左手を捕まえ、上下から取り押さえるような形で自ら鳴らしたのだ。これにより、音は那珂畑のみに直撃。志村を守りつつ、無防備の体はシネマの左手を捕まえた形で停止したのである。
本来、ネガトロンの力なら一般人による拘束など簡単に振り払える。しかし、シネマは那珂畑の時間を止めたことで、完全に硬直。那珂畑が力を入れずとも、カチンコを閉じたまま固定させられた。
「ちょうどよかったぜ。お前らが俺をガン無視でイチャイチャしてくれたおかげで、けっこう時間のかかる脱出ができた。それに、首から上だけでも動くなら、この状態で色々聞き出せるかもなあ!」
シネマは左腕を何度も引き抜こうとするが、やはり抜けない。那珂畑は自らの能力を置き去りにすることを代償に、状況をチェーンデスマッチの形まで持ち込んだのだ。
いや、正確にはチェーンデスマッチではない。那珂畑には、もうひとり仲間がいるのだから。
「今だ志村! ぶった切れ!」
状況を飲み込むまで少し時間のかかった志村だが、那珂畑のひと言で目を覚ました。もうシネマの時間攻撃を気にする必要はない。彼は冷静にポジトロンを操作し、2本の剣を生成。さらに攻撃力を上げるための加熱を始める。
「……やめろ」
剣の生成を始めてから加熱が完了するまで10秒足らず。初めてシネマが口を開いた。そして同時に、右肩のカメラを戻し、今度は無数のアームを右腕に沿わせる形で伸ばす。
しかし、いくら機材を出してもそれだけでは時間操作はできないし、最初の高速移動にも反応できたポジトロンの戦闘力なら、右腕だけの攻撃は容易にしのげる。那珂畑は思い通りにことが進んで内心ほくそ笑んでいたが、シネマの右腕は志村ではなく、那珂畑の方。正確には、那珂畑に掴まれた彼自身の左腕に向けられた。
「邪魔するなあああああ!!!」
シネマの咆哮と同時。それは、那珂畑にも志村にもまったく予想外の行動だった。シネマはアームを束ねて巨大化した右腕で、自らの左腕を叩き切ったのだ。当然だが、時間停止で固定されている那珂畑にはまったく衝撃が通らない。切った先のカチンコも形を維持できず崩れ落ちる、ただの自傷行為。しかしそれによって、拘束された左手を切り離すことで、シネマは行動の自由を取り戻した。
そしてそのまま流れるように、右腕のアームを志村の方へと伸ばす。ポジトロンの剣はすでに加熱が完了し、攻撃可能な状態になっていた。シネマのアームを切断することなど容易いと、志村はその場で反撃の構えをとる。しかし、アームの束は剣の射程範囲に入る寸前で左右に分裂、志村の攻撃を避けながら彼の背後まで回り込み、振り向く暇も与えずその体に巻き付いた。
那珂畑は首から下が停止、志村は攻撃待機状態で拘束、唯一動けるシネマも、左手を切り落とした傷が癒えず、傷口から血のようにウイルスが流れ出ていた。
他のネガトロンやネガテリウムなら、片腕程度は簡単に再生できる。しかしシネマの場合、時間操作という強大な能力の上に、それを広範囲に使い続けているためか、再生速度はかなり遅いようだった。完全に捕らえたヒーローふたりを目の前にして、シネマは息を切らしたまま何もできずにいた。
しかし、彼はしばらく息を整えてから語り始める。
「話を聞くって? それはこっちの台詞だね。お前らには俺の作品を理解して、それで二度と来ないでほしいのさ」
「作品だって? 時間停止と拘束でサービスシーンでも撮る気なら、ボクたちが男で残念だったね!」
再生までの時間稼ぎだろうか。志村はシネマに聞き返すが、時間稼ぎという目的なら彼も同じだった。ナノマシンを動かして体の形を変え、拘束から抜け出したいところだが、それを実行するにはまだ練度が足りない。よって、再生の恐れはあるが脱出の時間を稼ぐため、志村はシネマの話に乗ることにした。
そして、シネマの言う作品。それはおそらくこの町の状態を指しているのだろう。経緯や目的は不明だが、それだけは言われずとも那珂畑と志村には察しがついた。
「そう。俺はこの能力である大きな作品を作っている。ということで、まずは俺の能力から教えてあげよう」
口調こそ得意げだが、その実シネマの顔はまだ左手を落とした苦痛に歪んでいた。やはりやせ我慢の時間稼ぎであることには違いない。しかし、能力の詳細を聞けるなら、それは願ったり叶ったり。だからこそ、志村はあえて大声でこう言った。
「そうか能力か。ボクの体が自由に動いたら、紙にでも書き残しておきたいなあ!」
志村もやせ我慢気味に言い返す。シネマは興味を持たれたことがよほど嬉しかったのか、痛みを忘れたように笑顔を見せた。
「じゃあ、教えてあげよう。俺の能力はひと言で言えば録画だ。右肩のカメラに映ったものをそのまま録画できる。でも見て憶えるだけなら、誰にもできるだろう? そこで左手のカチンコだ。今はないけど、これを鳴らすことで、録画したものを自由に再生したり、止めたり戻したりできる」
「そうか。やっぱりここに来るまでの人たちは、キミに録画された人たちってことだね」
志村はとっくに確信していたが、念のため確認した。
「その通り! 俺はこの町全部を録画して、ずっと同じ一日をリピートさせている。実はお前たちがこの町に来たことは、お前らが駅から出た時点で気づいてたんだけどね、何せ町全部を巻き込んでるんだ。どこか綻びがないか見回りしてから、接触したんだ。だからちょっと遅れてしまった」
確かに、最初の移動速度ならふたりの到着を察知した瞬間に駅前で攻撃を仕掛けてもおかしくない。監視カメラの確認までできたのは、シネマが見回りの最中だったからだと、志村は納得した。
「で、話を戻すけど、どうしてわざわざこんなことやってるかって思うでしょ? もちろん俺が生きるためってのもあるけど、そっちはあくまでも副産物。本当の目的は、この町を俺の作品にすることさ!」
「へえ、それは随分と熱心だねえ。もしかして元の人は映像作家とかだったのかな?」
「いいや、違う。ごく普通のサラリーマンさ。ただ、彼はネガリアンが大嫌いでね、誰よりも平和な世界を望んでいた。俺は、その強い意志から生まれたんだ。お前らはここに来るまで、いや、俺が現れてからこの町で一度も集団感染が起こっていないって知ってるかい? いいや返事はもういらない。もちろん、俺が全部消し去って、平和な町を録画したんだからね!」
シネマは副産物と言ったが、ネガトロンとしては理にかなっているかもしれない。自分の行動範囲内に他の重症者が現れなければ、少しずつとは言え、確実に町全体のエネルギーを独占できる。
だが、シネマがそれを副産物と呼ぶ理由はあくまでも作品の方にあった
「わかるかな? ネガリアンがいない、ヒーローもいらない。5年前の平和な町。俺はこの力で、少しだけ平和を取り戻したんだ。だから、邪魔する奴はヒーローでもネガリアンでも許さない。記憶だけ編集して、俺に会う前のところまで戻ってもらう」
「なるほどね。つまり今までのヒーローはそれなりに戦っておきながら、この町に近づいちゃまずいって記憶だけ残して戻されたってことだ」
「そう。俺はヒーローと正面から戦う力はないし、争いごとも好きじゃない。だからできるだけ安全に、お前らを排除する。ただ、今はカチンコが元に戻るまで待たないといけないけどね」
ネガトロンでありながら、ネガリアンの存在を認めない。それがシネマの性質。自らを唯一の必要悪とすることで、彼は町全体を守っていたのだ。それこそが、この平和こそが彼の作品。彼はそれを認めてもらうよう説得をしていたのである。
しかし、それは表面を取り繕った上っ面だけの平和。シネマにエネルギーが集まっているように、町の人々は繰り返す恐怖に支配されている。それをヒーローが見逃せるはずがない。
「ふざけんなよ……」
志村とシネマのやりとりに割り込むように、那珂畑は怒りを向けた。彼は相手の言葉や目的を聞くことで、沙紗のように同情してしまうことを恐れていた。しかし、今回はそうではないと、彼はどこか安心していた。
もちろん、ヒーローとして人を脅かすネガトロンを許せないという理由もある。しかし、彼にはそれ以上にシネマを看過できない理由があった。
時は少し遡り、宇宙開発局司令本部。共同作戦ということもあって、水上を筆頭に科学衛生局から数人の技術者がポジトロンのデータを監視しつつ、戦況を見ていた。
那珂畑との通信が繋がらない。いや、正確には繋がったまま止まっている。インカムは正常に作動しているのだが、マイクやスピーカーが振動せず、互いの声が届かない。これまでのゼツボーグもそうだった。シネマの攻撃を受けてから通信がとれず、監視カメラの荒い映像でしか状況を確認できない。
仮に那珂畑が先にドローン群を展開していたとしても、同じように止められていただろう。通信途絶ではないので、ジュニア戦のように追加のドローンと戦力を投入したとしても、止められるだけ。全体指揮につく小堀の代わりに那珂畑のオペレーターを担当する羽崎は、ただ歯を食いしばって監視カメラの映像を見ることしかできなかった。
シネマの声も、監視カメラでは口の動きを捉えることさえ難しい。しかし、状況が変わった。
『そうか能力か。ボクの体が自由に動いたら、紙にでも書き残しておきたいなあ!』
志村の声は、科学衛生局側のスピーカーから、大音量で本部全体に届いた。
それは、志村からのメッセージだった。志村だけはシネマの能力から逃れている。しかし、そのまま無事に帰還できるとは限らない。だから、唯一届く自分の声から記録しろと、彼は言葉の裏でそう伝えていた。
すでに戦闘は始まり那珂畑も無許可で落涙態を発動しているが、まだ情報収集という目的が潰えたわけではない。両局員から数名が、志村の声をリアルタイムで紙に書き出していく。志村のインカムを通して、局の電子機器にまで能力が及ばないとも言い切れない。現場からの伝達は紙媒体に記録するよう、小堀は事前に指示していた。
そして判明するシネマの能力、目的、そのほぼすべて。むろん、それは志村の、ポジトロンの手柄である。討伐作戦は順調に進んでいるが、ポジトロンが気に食わない羽崎にとってこの状況はどこか歯がゆいところがあった。でも安心してください羽崎さん。逸ちゃん、伝わってないだけでしっかり活躍してますよ。
そして、場所はアツギに戻る。那珂畑は首から下が動かせないながらも、その顔を怒りに震わせていた。
「ふざけんなよ……」
最初の時間停止を受けて、インカムが使い物にならなくなっていることは彼自身もなんとなく気づいていた。ドローンも出せない今なら、局に聞かれたくないことも堂々と言える。いや、仮に聞かれていたとしても、彼は同じ台詞を吐いただろう。
「それじゃ、俺が死ねないじゃねえか!!」
シネマが作り出した、繰り返しの町。そこはネガリアンもヒーローもいない、事故や事件も起こらない世界一平和な町。だが、殺されるという最終目的を持つ那珂畑にとっては、それこそが最も困る環境だった。
「は……?」
意外な発言に、シネマは左手の再生を忘れて那珂畑の方を見る。志村もバイザー越しで表情はよく見えないが、おそらくシネマと同じ顔をしていた。
「俺はもともと、お前みたいな強いネガリアンに殺されるためにヒーローになった。けどびっくりだぜ。まさか誰も殺さない、ヒーローすら見逃す奴がいるとはな」
那珂畑は怒りの目線を向けながらも、その口元にはかすかな笑みを浮かべていた。
「かえって安心したぜ。お前の話を聞いて、俺はまた同情しちまうんじゃないかって正直心配だったんだ。けど、お前は違う。同情の余地なんてあるもんか、俺の大嫌いなタイプだよお前は」
彼の怒りに、殺されたいという願いに呼応するように、アンチネガリアンがさらに生成される。これによって、那珂畑の体は少しずつ時間停止から解放されつつあった。
「ヒーローとか町の平和とか知ったことか。俺は気に入らないから戦う。俺を殺せないネガトロンなんて、いらねえんだよ」
上半身、胸元あたりまでが解放され、同時に別の場所で止まっていた【スーサイド・バイスタンダー】が彼の体表に戻っていく。
「お前は、俺が倒す!」
それは、彼がジュニアにすら見せたことのない明白な敵意だった。




