第二十五話 ようこそシネマパークへ シネマトグラフ・その一
説明しよう。指定監視ネガトロン・個体名シネマ。その名前は彼の外見に由来する。
かつてシネマに遭遇したゼツボーグのわずかな記憶によると、頭や胴体は普通の男性。しかし彼をネガトロンと認識させる特徴が両腕にあった。左腕は手首から先がカチンコのように変形し、右肩からはビデオカメラや大型収音マイクなど、まるで映画を撮影する機材のようなものが無数に生えていた。
このカチンコやカメラがどのように使われたかまでは、記録にない。しかし、これらがシネマの巻き戻し能力や、元となった感染者に何らかの関係を持っていることは明白である。
資料は少ないが、ネガトロンの外見や能力には、ネガテリウムやゼツボーグと同じように感染者の性質が反映される。例えばジュニアの場合、三森沙紗であり続けたいという本人の願いが、彼女をそのまま人型に維持させ、また年頃の少年少女が共通して持つ未来への不安が、擬態能力となって発現した。
このことから、シネマの感染者は映像制作に関係していた者だと推測できる。また同時に、この両腕さえどうにかできれば、巻き戻し能力の突破も不可能ではないと考えられる。
宇宙開発局ではシネマ攻略に向けての調整が進められると同時に、鳴島の復帰に向けて研究が進められていた。
那珂畑の落涙態、鎧を脱いだゼツボーグだけの状態は、意外にも簡単に再現できた。長時間の維持はできなかったが、5分程度は元の形を維持したまま、那珂畑の分身体として本体を中心に半径10メートルほどの範囲でラジコンのように動かすことができた。その後は那珂畑の集中力が途切れ、液状の合金に戻って操作できなくなる。
前例がないので何とも言い難いが、那珂畑もまた落涙態を完全に制御できたとは言えないようだ。また、稼働時間中の動作についても同じことが言えた。これまで無敵に等しい防御力を誇っていた鎧が本体を離れたとなれば、残された本体が決定的な弱点となる。そのため、鎧を戦わせながら本体は逃げ回るという立ち回りが求められるわけだが、これが非常に難しかった。
ジュニア戦の最後では本体が動かない中で鎧だけが暴れまわっていたわけだが、那珂畑の意志に反応して動くということは、本体が動こうとすれば、鎧も同じように動くということ。ひとつの脳でふたり分の行動を制御しなければならないのだから、思考のメモリ容量が圧倒的に足りない。せめて鎧を止めて本体だけ動くところから試そうとしても、なかなかうまくはいかなかった。
ただひとつ、那珂畑の意志に関係なく鎧が自動的に動く条件がある。それは、本体に外部からの危険が生じた時。無意識の生存本能だろうか。ジュニア戦においても、最後には本体に迫り来るジュニアを背後から貫く形で鎧が勝手に動いた。そして、試行を重ねるうちに、これがゼツボーグ98号の自動防御の延長線上にあるものだと判明した。
那珂畑のゼツボーグは、ネガリアンの接近や接触に対し自動的に展開し、本体を守る。だが落涙態が発現した今、それはネガリアンに留まらない他の危険にも反応するようになっていた。例えばつまずいて転びそうになった時、勢い余って壁にぶつかりそうになった時、那珂畑の体から鎧の手足が必要な部分だけ現れて、本体を守る。
ある時、那珂畑はだめもとで首吊り自殺を試みた。それまでは踏み出す勇気がなかったが、絶対に失敗するという確信があったから実行できた。脚立に乗って天井に固定したロープに首を通し、脚立を蹴り倒す。すると、一瞬だけ落下の感覚こそあったが、ロープが首を絞める痛みはなかった。鎧が足元に現れて、那珂畑の体を宙に支えたのだ。このことから、彼はこの鎧を【スーサイド・バイスタンダー】と名付け、とりあえず攻防力を底上げする必殺技として定着させることにした。
小堀の話では、今の鳴島はちょっとしたきっかけで、自分の意志に関係なくゼツボーグが発現してしまう。そしてそれは、自力で維持も制御もできず、ただ少しの機能と激しい苦痛を伴う。ゼツボーグを制御できない状態の苦痛は、那珂畑もよく知っていた。初めて変身した時の電気椅子のような衝撃と嫌悪感。彼は初めて落涙態になった時、似た感覚に襲われていた。
ここで、那珂畑と鳴島の違いを整理しておこう。那珂畑はゼツボーグを制御できるが、本体の危機に対してのみ、ゼツボーグは制御を離れて防御対応をとる。その際、制御不能時の苦痛は発生しない。対して鳴島は、常にゼツボーグの制御権を失っており、反射的に苦痛を伴って発現する。
那珂畑は当初、この自動防御と鳴島の状態が共通していると考えたが、どうやらそうではないらしい。ならば、残された共通点は、落涙態が解除される瞬間。那珂畑はジュニア戦で気絶するまで落涙態であり続けた。今は5分で集中力が途切れると言ったが、おそらくジュニアやスクリームなど、戦闘の極限状態になれば、その限界を超えて本体への負荷を顧みず落涙態を維持できる。その間に何があったかを詳細に観測できれば、何らかの糸口を見つけられるかもしれない。
ジュニア戦の後に那珂畑が気絶したのは、ある意味幸運だったと言える。これまでのゼツボーグは、落涙態を限界以上まで引き出す体力を持っていたがために、その勢いで再起不能まで追い込まれた。しかし那珂畑は落涙態になる前からかなり消耗していた。そのため、落涙態が限界を超える前に本体が気絶という形で強制停止した。このプロセスがあったからこそ、彼は自分の感覚として落涙態の制御を憶え、自分への負荷がかからない形での再現に成功したのである。
紆余曲折あったが、宇宙開発局内で得られた答えは、まだ謎が多く危なっかしい能力なので、独断での使用は控えること。小堀から初めて落涙態の説明を受けた時と同じものだった。ただし、戦況によっては本部からの指示で発動を許可する。という項目が付け足された。落涙態の限界を引き出せる極限状態。それは本人だけでは判断できないこともある。やはり、必要なものはデータ。それも強敵との戦闘による大きな収穫が求められた。
そういった意味では、次に控えるシネマとの戦いはとても有意義なものとなるだろう。言うまでもないが、今回同行するポジトロンは走攻守を兼ね備えたスーパーヒーロー。那珂畑への基本的な指示は、お株を奪われないために積極的に戦うこと。そうなれば激戦は必至、落涙態のデータもとれるかもしれない。那珂畑としても、個人的に気に食わない志村に手柄を奪われるのは望ましくないため、ガンガンいこうぜという方針に異存はなかった。
そして、シネマ討伐の会議、那珂畑と志村が初めて顔を合わせた日からおよそ1週間後。第一回討伐作戦が決行された。討伐作戦とは言ったものの、討伐自体は可能性の話。初回はまず情報収集に徹することから始めるという内容で、両局は同意した。
アツギ市内、駅から徒歩15分程度の位置にある商店街。会議の際に小堀が見せた監視カメラはそこにある。実際の様子を確かめるため、ふたりはあえて映像と同じ14時にその場所へ向かった。
もちろん、ふたりとも接敵まで変身は禁止。また接敵後も安全が確認できるまでドローンの使用は禁止。司令本部との通信は、一般回線を利用したインカムだけとなる。そして念のため、那珂畑には宇宙開発局のドローンを10機以上預けられた。いずれも小型の折り畳み式とは言え、リュックサックに詰め込めばそれなりに重い。だが、その姿が彼の一般人らしさに拍車をかけていた。まさかヒーローが敵を目の前にして大荷物をがさごそするなど、誰も考えないだろう。
11月も中盤。気まずいながらも現場まで共に歩くふたりを冷たい風が迎えた。
商店街まで向かう途中、那珂畑は交差点で横から飛び出してきた少年とぶつかりそうになった。
「うおっ」
那珂畑は思わずバランスを崩し、ドローンの重みで一歩後退する。そのおかげで衝突は免れたのだが、少年は気にする様子もなくどこかへと走っていった。
「見てろよねーちゃん。僕、大きくなったらヒーローになるから!」
背丈からして小学校高学年くらいだろうか。少年は一度だけ振り向いたと思うと、彼が出てきた方向から追ってくる少女に声をかける。
「わかったから、よそ見して走らないの」
そう言いながら少女も交差点に飛び出す。彼女も那珂畑に気づく様子はなかったが、結果としてどこか微笑ましい光景だったので、那珂畑はふたりを呼び止めようとはしなかった。
「まったく、子供は風の子ってよく言うよね」
那珂畑の影にいた志村が、走り去るふたりを見てつぶやく。しかし、那珂畑はこのひと言に違和感を覚えた。風の子。季節としてはもう冬とも言えるこの日に、ふたりの子供は半袖で走っていたのだ。彼は子供だからと考えたが、一度気になると、つい他も気になる彼の性格が周囲に目を向けさせた。
子供だけではない。道行く人々すべてが、薄着だった。中には長袖のパーカーを羽織っている者もいたが、まるで晩夏か初秋のような装い。この場において、那珂畑と志村だけが防寒に気を配った服装をしていた。
「おい志村、気をつけろ。もう何かおかしいぞ」
志村は那珂畑に好かれていないという自覚はあったが、そのひと言は嫌いゆえの意地悪発現ではないと、ただならぬ緊張感が察知させた。
那珂畑はいつでもドローンを出せるようリュックサックに手をかけつつ、志村はポケットから待機状態のポジトロンを取り出しつつ、監視カメラの場所へ走った。
雑居ビルに囲まれた、商店街の一本道。ふたりは自然と互いの背中を守る形で身構えつつ、待つこと5分。刻一刻と映像の時間が近づいてくる。
『……おかしい』
インカムから聞こえてきたのは、小堀の声だった。しかし、この異常な状況で声を出すのは危ない。監視カメラも機能していないので、那珂畑はインカムのマイク部分をトントンとノックして返事を送った。
『いや、おかしくないんだ。監視カメラに、君たちがちゃんと映っているんだ』
その声に、那珂畑は思わず監視カメラの方を見る。志村にも同じ通信が届いたらしく、振り向いたのはふたり同時だった。
この期に及んで小堀が状況を見間違えるはずはない。監視カメラは正常に作動している。だとしたら、会議の際に見た映像は、本当に偶然の一致だったのだろうか。那珂畑が考えると、駅の方からひとりの人影が現れる。その姿に、彼は戦慄のあまり息をのんだ。会議の映像で見た男。同じ服装、同じ歩き方。
「まさか……!」
那珂畑はその男がカメラの画角に入る前に、その方向へ走り出した。
「ちょっ、先輩急に何を」
「あんた、そこで止まれ!」
突然の行動に驚く志村をよそに、那珂畑が大声を放つ。しかし、男は止まるどころか声に気づく様子もなく、のんびりと歩き続ける。
「おいあんただよ、聞いてんのか!」
那珂畑が男の肩を掴もうとした時、男はまったく変わらない勢いで那珂畑に衝突した。しかもまったくの抵抗感がない。肩を掴もうとして手には凄まじい力がかかり、そのまま互いに肩がぶつかったかと思うと、那珂畑だけが勢いよく跳ね飛ばされた。一方的に人を突き飛ばすような屈強な見た目でもないのに、肩で風を切るような悠然としたいで立ちでもないのに、男は終始何もなかったかのように、監視カメラの前を通り過ぎていった。
「志村、構えろ!」
衝突の勢いで尻もちをついた那珂畑が指示を出す。彼と同様の異変を感じた志村は、すかさずポジトロンを自分の胸に当てた。
「ポジトロン、起動!」
「やるぞ、ゼツボーグ!」
志村のポジトロンが、一瞬で臨戦態勢まで展開する。そして那珂畑も起き上がりながら変身した。
ふたりはこの男との接触で確信した。敵の姿は見えないが、すでにここはシネマの術中。監視カメラの映像は巻き戻されていたのではない。この町の人々が、同じ一日を繰り返しているのだ。そうでなければ、この時期に誰もが薄着で外にいる説明がつかない。そして繰り返しの途中だから、誰もふたりの存在に気づかず、途中から手を出そうとした那珂畑が弾かれたのだ。
この時、那珂畑は最悪の可能性を予想していた。シネマの活動範囲である町全体が、一片の見逃しもなく同じ日を繰り返しているのではないかと。仮に誰かがこのループから外れていたなら、どこかへ通報するなり町を脱出しているだろう。しかし、これまでそういった出来事はなかった。そして仮に、繰り返し中にも意識が続いているなら、それはとてつもない量の恐怖を伴う。それがすべてシネマのエネルギーになるとしたら、その力は暴走状態のジュニアをはるかに上回る。ただでさえ時間というどうしようもない能力を備えた相手がさらに力を維持し、あわよくば増しているのであれば、被害範囲が少しずつ拡大する可能性も考えられる。
気がつけば、身構えてから何も起こらないまま1分が経過した。先ほどの男はどこかへといなくなり、商店街はふたりのヒーローが背中合わせに立ちながら、その様子を誰も気に留めないという異様な光景が広がっていた。
もはや現状についての情報はじゅうぶんに集められた。しかし、シネマがどこからどうやって攻撃してくるかわからない以上は、うかつに移動することもままならない。ここまで臨戦態勢を整えても、例の巻き戻しを受ければ過去のゼツボーグ同様に記憶ごと出動前に戻されてしまう。そしてまた同じ謎解きを繰り返すのだろう。ふたりは過去のゼツボーグたちがはめられた罠に、自らかかることで初めて気がついた。
そうして状況の変化を待ち続け、気がつけば15時。空がわずかに赤くなり、那珂畑がゼツボーグの中で冷や汗を流し始めた時、ついにそれは現れた。
それは、とてつもなく素早い人影だった。那珂畑の目の前の交差点を横切ろうとした人影。明らかに人間ではないスピードと気配から、那珂畑は考えるよりも先に体が反応した。
人影が那珂畑に気づいたのか、あえて至近距離に現れたのか、それは彼の目の前で停止し、姿全体を堂々と晒して見せた。
資料通り、男性の体に右肩からはビデオカメラが生え、左手がカチンコの形になっている。ネガトロン・シネマだ。
先手必勝、初撃必殺。那珂畑はシネマに突進しながら、志村の言葉を思い出していた。
自分は、ジュニアと話をしたがために沙紗に情が移り、戦いを躊躇った。確かに、その通りかもしれない。だから今回は何もせず、何も考えず【ネガティヴ・スパイラル】を構える。
カァン!
何かが破裂したように鋭いカチンコの音。同時にシネマの姿が消え、那珂畑の右腕は空を切った形で止まった。
那珂畑が走り出したと同時に、志村も同じ方に振り向き、やや回り込む形でシネマに近づいた。だから、彼の視点からは何が起こったのかよくわかった。シネマは消えたのではない。先ほど現れた時と同じ高速移動。右肩から生やした撮影機材をさらにアームのようなもので伸ばし、脚代わりにして動いていたのだ。
そして、シネマは那珂畑にしたのと同じように、カメラとカチンコを志村に向ける。
カァン!




