第二十三話 希望のヒーロー
人々が助けを求める時、ヒーローは必ず現れる。
だが、必ずしもそれが正義と希望のヒーローとは限らない。
絶望を糧に戦うヒーロー、ゼツボーグ。多くの一般人からネガリアンに対抗できる唯一の戦士として注目されていたが、その破滅的な原理を知る一部の人々からは、大きな反感を受けていた。だが、今はゼツボーグに頼らなければ一方的に人類が敗れるのみ。この現状が、彼らの不満を押しとどめていた。
しかしそこに、まったく新しい希望のヒーローが現れたらどうなるだろうか。人々も自らも救済する、正義と希望のヒーローが現れたら、ゼツボーグはどうなるのだろうか。
今や、ゼツボーグの敵はネガリアンだけではなくなっていた。
那珂畑の引っ越し作業も落ち着いて、ようやくジュニア関連の整理もひと区切りつこうとしていた頃、小堀は那珂畑、羽崎、鳴島を含む宇宙開発局の要人数名に招集をかけた。
招集の内容は、科学衛生局からの来客、新たに2局の連絡担当となった人物への挨拶。そしてもうひとつ、今後の主な行動方針の決める会議だった。
外部からの参加者はともかく、こういった召集は珍しくない。那珂畑も加山と共に何度か参加した経験がある。しかし、こういった会議の場でゼツボーグは基本的に発言権を持たない。未知の敵、ネガトロンなど格上の存在に対してゼツボーグができることは、あくまでも現場の判断のみ。その現場をどう作るか、どのように現場にゼツボーグを配置するか。それを決めるのが会議の主旨となる。
那珂畑と鳴島は部屋が隣同士であったため、念のためにと互いに連絡を取り合い、集合時間の10分前には司令本部に着くよう同時に家を出た。ちなみに鳴島は不満そうだったが、羽崎の提案である。
那珂畑が驚いたのは、彼らが司令本部に着いた時、すでに見慣れない顔、おそらく例の来客であろう者がふたり、すでに到着していたということである。片方は背の高い細身に眼鏡をかけた男。短い黒髪をワックスで七三分けに固定し、いかにもお役所の人間といった鋭い雰囲気を纏っている。対してもう片方は、見た目からして那珂畑より年下の少年。眼鏡の男と同じスーツ姿だが、先の軽くはねた茶髪がどこか柔らかい空気を醸し出していた。
那珂畑と鳴島は、小堀に案内されるままそれぞれの席につく。途中、ふたりの前を通り過ぎる時に那珂畑は軽く会釈をしたが、眼鏡の方は眉一つ動かさず、少年の方は笑顔で手を振って応えた。眼鏡の男に関しては那珂畑のイメージ通り、と言うかむしろその斜め上を行く堅苦しさがあったが、少年の方はまるで真逆。そもそも科学衛生局に自分より年下の人間がいるのか。もしや新しいゼツボーグなのかと彼は何度も勘ぐった。
開始時間が近づくにつれ、ぞろぞろと招集メンバーが集まり始める。さすが専門グループ、5分前にはほぼ全員が着席していた。
普段は少人数の会議なためこれといった準備は必要ないが、今回は来客もあってか少し違う。大型モニターに対してデスクが縦に並べられ、長テーブルのような形になっていた。そしてその一番奥、モニターを背にする位置に小堀。そこから彼の左手側に来客のふたり、彼らに向かい合う形で羽崎と鳴島。那珂畑はモニターからかなり離れた位置の席に配置された。
席がほとんど埋まったところを見て、小堀は2回手を叩く。
「さて。少し早いけど、主要メンバーは集まったようだし、始めようか」
「いえ。私たちはまだ……」
あくまでも指定時間を守りたいのか、眼鏡の男が小堀を止めてから左手首の腕時計を見る。見た目通りの格式ばったタイプのようだ。
思わぬ制止を受けた小堀は、苦笑いしながら返す。
「いやでも、おふたりはもう30分以上前からお待ちいただいているわけですし……」
そこに茶髪の少年も、待ちくたびれたように腕を組んで大きく頷く。ふたりの空気に押し負けたのか、眼鏡の男はため息をついた。
「わかりました。では始めましょう」
すると、小堀が羽崎に手で合図を出し、紙束を各席に配らせる。その間に、小堀は立ち上がり話し始めた。
「招集連絡の時点でわかってると思うけど、今日は科学衛生局の方を交えての大事な話だ。もちろん会議の内容は門外不出。ヒーローに秘密はつきものだからね。では……」
小堀が再び座ると、段取りが決まっていたように続けて眼鏡の男が立つ。細身にスーツのシルエットもあってか、小堀がやや小柄だったせいか、その姿は妙に長身に見えた。
「えー。科学衛生局、ネガリアン対策課所属。連絡員の水上真尋です。この度はこのような席をご用意していただき、誠にありがとうございます。これからは2局の連携にあたって皆様とお話しする機会も多くなりますので、どうぞお見知りおきを」
イメージから外れない、文面だけで言えば緊張しすぎた新人教師のような定型文丸コピの挨拶。那珂畑は正直なところ、このようなタイプの人間は苦手だった。
水上に続けて、今度は隣の少年が勢いよく立ち上がる。
「はい! 同じく科学衛生局から来ました、志村正規です! ヒーローやってます!」
志村の突然の発言に、局員たちがざわつき始める。那珂畑も頭の片隅程度に予想はしていたが、それでも驚きを隠せなかった。他の局員も知らされていないのだろうか。書類を配り終えて席に戻ろうとする羽崎ですら、そのひと言に足を止めた。
しかし、那珂畑はこの瞬間にすべてがつながった気がした。志村の声、それはジュニアに致命傷を与えたあの白スーツと同じ声だった。そしてヒーローという発言。間違いない。彼こそがあの白スーツ、新戦力であると。
小堀が周囲をなだめるように再び手を叩く。そして局員たちが静まったのを確認すると、手元の端末を操作し、モニターの映像を切り替える。そこには那珂畑の予想通り、あの白スーツが映し出されていた。
「こほん。先に言われちゃったけど、志村君の言う通り。彼こそがこれからネガリアンと戦う新しい仲間であり、またゼツボーグとも違う新しいヒーローだ。今日の話題ひとつ目は、彼の紹介。まずは、資料の方から見てほしい」
指示通り、那珂畑たちは資料の表紙から数枚めくり、志村の詳細と思わしきページを見つける。そこに書かれていた名前は、これまたお役所らしい漢字の羅列だった。
科学衛生局所属・対ネガリアン専用振動及び高熱処理手術器具・施術者防護機能付救急装置。
尺稼ぎのため、もう一度言わせてもらおう。科学衛生局所属・対ネガリアン専用振動及び高熱処理手術器具・施術者防護機能付救急装置。
黙読するだけで舌を噛んでしまいそうなほど長い名前の下には、以降、これをポジトロンと称する。と付け足されていた。これのおかげで、もう二度とポジトロンを正式名称で呼ぶことはないだろう。筆者としても助かった。もし本作がロボットアニメだったら、大きな漢字で画面が埋め尽くされていたところだろう。
漢字名とカタカナ名に関連性を見出せないあたり、ポジトロンという名前はただの後付け。せいぜいネガトロンに対する戦士とかそういう意味で名付けたのだろう。と言うか、ポジトロンという単語は陽電子を意味する英語としてすでに存在している。絶望をエネルギーにするからゼツボーグという名前もそうだが、どうにもこういった大人のネーミングセンスは、那珂畑には理解しがたいところだった。
だが、この名前の時点で那珂畑はあることに気がつく。手術器具、救急装置。いずれもヒーローらしい印象は感じられない。これがゼツボーグとの違いとでも言うのだろうか。
誰かがその疑問を持つのを待っていたように、小堀が解説を始めた。
「資料をざっと見てもらえればわかると思うけど、ポジトロンはあくまでも装置、機械だ。そして志村君がそれを操るヒーロー、言わばポジトロンのパイロットということになる」
なるほど。肩書きこそゼツボーグと同じヒーローだが、あの兵装を手術器具や医療行為と言い切ってしまえば、それは暴力でも生物兵器でもない。これまでも多種多様なゼツボーグがいたことから、このポジトロンが99人目のヒーローとして受け入れられるのはそう難しくないのだろう。那珂畑はそう納得した。
しかし同時に、彼の中に渦巻く、黒いもやのような感情もあった。確かに人間として、ポジトロンほど好都合で強力な存在はない。疲弊していたとは言え、あのジュニアを一撃で致命傷まで追い詰めた力は、羨望すら抱かせる。
だがそれこそが問題だった。ジュニアを、沙紗を再起不能になるまで追い詰めた。ネガトロンとは言え、少しでも心の通じ合った相手を、志村は切り倒した。個人的には許せるはずがない。それでも、最終的に彼女を消し去ったのは自分のゼツボーグ。結局のところ那珂畑は、いまだに彼女と決別しきれてはいなかった。死後も彼がどこかで自分のことを思い出し、囚われ続ける。それも強欲な沙紗の狙いだったのかもしれない。那珂畑は沙紗を失った悲しみを誰とも共有できず、ぶつける先もわからないまま、心の奥底に押し込めることしかできなかった。
しかしそんな想いをよそに、会議はつつがなく進行する。内容はポジトロンの機能説明だったが、一部は資料よりも実物を見た方が早いということで、志村がデスクから少し離れた位置に立たされた。
志村はズボンのポケットから、六角形の白いプレートを取り出す。プレートは手のひらサイズで数センチの厚みがあり、側面には水色の線が囲むように光っていた。彼はそれを自身の胸に当て、大きく息を吸ってから叫ぶ。
「ポジトロン、起動!」
直後、プレートの側面から同じような小さい六角形が大量に現れた。六角形たちはネズミ算のように増え続け、志村の体表を覆っていく。全身が白い六角形に覆い尽くされたところで、顔面と全身の関節部分が展開。顔面は水色の半透明バイザーに隠され、関節は隙間を埋めるように水色の光でつながっている。
ここまでが、ポジトロンの初期形態。防御の身に徹する際の鎧である。資料によると最初のプレートには無数のナノマシンが収納されており、それらがプログラム通りに展開、自己複製することで、全身を覆うほどに広がっているらしい。攻撃を受けて欠損した際には、展開時と同様に自己複製プログラムで修復。パイロットの負傷も軽傷ならばナノマシンでカバーできる。
初期形態があるということは、続きもあるということ。ナノマシンはさらに体の各所から展開し、みぞおちにひとつ、背中にふたつ、腰の左右にひとつずつ、そして両足のかかとの位置でそれぞれ斜め下向きに噴射口のようなものを生成した。これらがイオン電子をどうのこうのして推進力を生みだし、通常で最高時速70キロ、推進力のみにエネルギーを使えば、最高時速120キロで飛行や高速移動ができると水上は説明した。が、理系に明るくない那珂畑にはその理屈がよくわからなかった。志村は試しにその場で軽くホバリングし、局員たちの頭上をゆっくりと飛び回ってから軟着地する。噴射を浴びても風圧のようなものを感じるだけで火傷などはしないあたり、確かによくわからない最先端の推進技術が組み込まれているようだ。
守備力、移動力とくれば、最後は攻撃力。志村は手のひらからナノマシンを展開し、刃渡り60センチほどの直剣を2本作った。それを見た時、那珂畑は確信する。あれが沙紗を焼き切った武器なのだと。しかしその様子は、彼の記憶にあるものと少し違っていた。
「そしてご覧ください、これこそが我が科学衛生局の開発した、名付けて……いや、名前はそのうち考えます」
那珂畑は夢中で気づかなかったが、ポジトロンの起動中、水上は欠かすことなく各部位の解説をしていた。しかし、武器の名前までは決まっていなかったらしく、彼の口調が悩むように変わったところで那珂畑もようやく彼が終始プレゼンをしていたことに気づいた。
水上によれば、この剣にはふたつの機能があるという。ひとつは振動。あらゆる物質は、ほんのわずかだが常に分子単位で振動している。そしてネガリアンも例外ではなく、その固有の振動に合った周期の振動を送り込むことで、ウイルスの細胞壁を破壊、無力化できるということである。ただし、つまりこの剣は見た目通りの刃物ではなく、感染者に触れることで体の内側から消毒できる、加山のゼツボーグと似た性能のものだった。
そしてふたつ目の機能、これはあくまでもネガテリウムやネガトロンなど、大規模なウイルス塊にのみ使用される最終手段だと水上は言う。彼のプレゼンが進むと同時に、2本の剣が熱を放ち始めた。やがて熱は部屋全体の温度を上げるほど高まり、気づけば剣の周りが揺らいで見えるほど、剣自体が高熱になっている。
この時ようやく、志村の姿が那珂畑の記憶と完全に一致した。あの高熱の剣が、沙紗の背中を焼き切ったのだ。あの時沙紗は人間に擬態していた。つまりあの剣はネガリアンのみならず、人間をも一瞬で溶かすように切ることができるということである。周囲の局員たちが驚きと期待の眼差しを志村に向ける中、ただひとり、那珂畑だけが戦慄していた。
マンション戦で、那珂畑はドリルを本体に当てることを躊躇った。本体を傷つけるかもしれないと思ったからだ。そして落涙態で沙紗を射程範囲に入れた時も、情があったとは言え攻撃することはできなかった。
それをあの志村は、ポジトロンは、何の躊躇いもなく一瞬でやってのけた。那珂畑は彼に対する怒りこそ押しとどめることはできたが、あの力が他の、何か破壊的な目的で使われたらと考えざるを得なかった。だが、きっとそれは自分が志村に良からぬ感情を抱いているからだろう。目を輝かせる周囲の局員たちを見て、那珂畑は志村がそういう人間ではないと考えることにした。
ポジトロンの紹介が終わり、志村が元の姿に戻って席につく。水上のプレゼンはひとまずこれで終了なのだが、彼が質疑応答を受け付けると言った直後、ある局員が手をあげた。
「そのポジトロンは、量産できないのですか?」
当然の疑問だ。ゼツボーグのように使用者の素質でなく、使う道具の方に力があるのなら、あの六角形のプレートを量産して、大量のパイロットを雇えばいい。そうすれば、最強のポジトロン軍団が作れる。
水上の答えはイエスだった。しかし、機械は量産できても、パイロット選びに問題があると彼は言う。
そしてそのパイロット、ポジトロンを自在に動かせる素質を持つ者こそ、羽崎が最も恐れていた存在だった。




