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第二十一話 隣に越した那珂畑です

 説明しよう。宇宙開発局ネガリアン対策本部所属、鳴島ニコ解析官。小堀や羽崎に次ぐ重要ポジションでありながら、その実態は18歳、半年後に卒業を迎える高校3年生という少女でもあった。

 だがしかし、彼女がその座についている理由は、決して彼女が天才だからなどといった典型的なものではない。彼女も加山同様、いや、彼よりも自ら望んでこの宇宙開発局に我が身を縛り付けていた。

 彼女の事情は物語の中で明かされるとして、今は彼女にとって新たな問題が発生していた。


 サガミハラ市F区域、宇宙開発局付近にあるアパート、那珂畑の引っ越し予定先。……の、隣部屋。

 建設から年が浅いのか、かなりモダンな雰囲気の部屋。那珂畑は引っ越し作業の間、そこに呼び出された。同席者は、羽崎京華副司令官、部屋で飼っているロシアンブルー、羽崎曰く名前はミカン。そしてミカンの飼い主にしてこの部屋の主、鳴島ニコ解析官である。

 三森宅の捜査協力を終えたまさにその翌日。よもや二日連続で女子高生の部屋に入ることになろうとは。那珂畑はここに呼び出された理由がわからないこと以上に、そんなくだらないことで困惑していた。

「……で、どうして私の部屋なんですか」

 鳴島がかなり不機嫌そうな顔でミカンを抱えながら聞く。ちなみにミカンはここまで終始彼女の指先とじゃれていた。

「まあ、鳴島ちゃんはだいたい予想突くと思うけど、こないだのジュニア戦で起きた逸ちゃんの変化の話。せっかくだし、たまにはのんびり話そうと思ってね。ほら、紅茶淹れたよ~」

 羽崎は慣れた手つきで3人分のティーセットを用意し、水色のラグマットの上、ちゃぶ台サイズのテーブルに置く。テーブルの両脇には、やはり何もわからない様子でつい正座するの那珂畑と、やはり不機嫌そうにため息をつく鳴島、そしてふたりに向き合うように羽崎が座った。

 気まずい。いつも通り明るく話す羽崎はともかく、家主である鳴島には明らかに歓迎されていない。那珂畑は思わず肩をすぼめ、体を小さくした。感覚的には、もうミカンよりも小さくなっていた。

 それもそのはず。那珂畑と鳴島はこれまで数回のやり取りがあったとはいえ、わざわざ部屋に上がるほどの間柄ではない。それどころか、鳴島の彼に対する態度はほぼ常に冷たく、そうでない時も素っ気ない最低限のものだった。紅茶を入れる様子、そしてこの部屋に那珂畑を呼び出したのが羽崎であることから、このふたりにはそれなりの関係があるようだが、とにかく那珂畑はなにもわからないまま紅茶の香るティーカップに触れることすらできずにいた。

 那珂畑の緊張具合を気にすることなく、羽崎は我先にと紅茶をひと口飲んでから話を切り出す。

「……さて、誠ちゃんは今別件で忙しい。逸ちゃんの部屋は未完成。というわけで、間をとってこの部屋を使うことにしました~」

「いや、何の間ですか」

 鳴島の素早いツッコミに、羽崎は待ってましたと言わんばかりのウインクで返事する。そして、持ってきた鞄からおもむろに紙束を取り出してテーブルに広げた。

「早速だけど本題だ。おとといのジュニア戦、その最後に逸ちゃんのゼツボーグはものすごい変化を見せた。そのことは憶えているかな?」

 ものすごい、という表現の時点で理系らしくないものを感じるが、紙に印刷されたグラフには、那珂畑のゼツボーグの詳細を示す数値、そしてその大きな変動が記されていた。どうやら那珂畑がシロヤマにいる間、ふたりはこちらの解析に注力していたようだ。

「はい。その、なんていうか、ゼツボーグが体から剥がれ落ちて、口からも大量にあふれ出て、俺と同じ人型になりました」

 那珂畑は自分の記憶をたどりながら、当時の感覚を思い出す。それに羽崎は頷いて答えながら、紙をめくった。そこには、ドローンが撮影したと思わしき那珂畑と、そばに立つゼツボーグがはっきりと写されている。

「うん。そこまでしっかり憶えているなら上等だ。君のようにアンチネガリアンが増加して、ゼツボーグに異常をきたした例は少なくない。ただ、その状態は本体に超すごい負担を強いる」

 超すごい。もはや羽崎の語彙力を疑う言葉選びだが、彼女の発言はおおよそ正しかった。

 アンチネガリアンとは、要するにネガリアンにも食い尽くせない負の感情の結晶体。それが増加するということは、本人にも耐えがたいほどの絶望に襲われるということ。確かにあの時那珂畑は、これ以上ないほどの絶望に心を蝕まれていた。沙紗のことはシロヤマで整理したつもりだったが、それでもあの戦いを思い出すと今でも吐き気がしそうになる。

「場合によっては、それがゼツボーグに影響を与える前に本体に修復不可能なダメージを与えることになる。でも君はそれを自力で安定させ、今もこうして普通に話ができるというわけだ。ちょっと試しに、今ここで変身してくれないかい?」

「えっここで?」

「うん」

 ここまで恐ろしい話をした上で、羽崎は何の躊躇いもなく那珂畑に指示した。それほど安心できる状態なのだろうか。那珂畑は疑心暗鬼になりながらも、その場で立ち上がって全身に力を入れた。

「……ゼツボーグ!」

 いつも通り、フラッシュバックの直後に変身が完了した。全身黒の合金に包まれ、口元にはガスマスク、頭には制帽。気分の悪さも相変わらずだが、あの時のような激しい吐き気や体から離れていく感覚はない。

「おおお」

 羽崎は座ったまま那珂畑を見上げ、感嘆の声を漏らす。そして鳴島も、それまで頑なに不機嫌さを保っていた顔を驚きに変化させた。

 やはり、この場で何もわかっていないのは那珂畑とミカンだけらしい。いや、もしかしたら鳴島と暮らしているミカンですら何か知っているのかもしれない。

「あっいや失礼、もう変身解いていいよ」

 女ふたりで男の体をまじまじと見る状況にどこか後ろめたさを感じたのか、羽崎は少し慌てて指示を出す。そして那珂畑が言われた通りにゼツボーグを解除すると、ふたりは再び驚いた。

「ま、まあとにかくだ。君自身に自覚するほどの異常がないことがわかった。うん、よかったよかった」

「それはわかりましたが、さっきから何の話で……」

 那珂畑が座り直しながら聞こうとした時、鳴島は軽くテーブルを叩いた。その表情は先ほどの驚きとはうって変わって、怒りか、落胆か、最初よりも暗くなっていた。

「いいから、那珂畑さんは黙って聞いてください」

 その声は、どこかやり場のない感情に震えているようだった。羽崎がどうにかなだめようとするが、鳴島にとってこれは相当重たい話のようだ。

 羽崎は鳴島の背中を優しく撫でながら、もう片方の手で那珂畑に一枚の紙を差し出す。それは、那珂畑が見たことのない資料だった。

「まあ、鳴島ちゃんがこうなるのも無理はない。なぜって、この異常を起こして無事に戻ってきたゼツボーグは、今までひとりもいなかったんだからね」

 那珂畑が受け取った紙に書かれていたのは、これまでに同様の異常を起こしたゼツボーグの名簿。そして、その一番下に書かれていた名前を見て、那珂畑は言葉を失った。

 ゼツボーグ91号・鳴島ニコ。

 那珂畑は紙と鳴島を何度も繰り返し見直す。知られたことがそんなに嫌だったのか、鳴島は体を震わせ、刃を食いしばり涙を堪えているようだった。

 ここで、那珂畑はようやくこの部屋に呼び出された理由がわかった。すべては鳴島のため。彼女ができるだけ落ち着いて話をするためだった。しかし、それほどの何があるのか、まだ那珂畑にはわからない。

「詳しい話は本部でデータを見ながらするとしよう。とりあえず逸ちゃんは私と」

 羽崎は書類をまとめて鞄に戻し、立ち上がる。那珂畑も彼女を追うように紅茶を一気に飲み干して立ち上がった。気づかないうちに時間が経っていたのか、初めは湯気が出ていた紅茶も、今は簡単に一気飲みできるほどぬるくなっていた。

「鳴島ちゃんは、今日は休んでいいよ。まあ気が向いたら来てくれ」

 それだけ言い残して、羽崎は那珂畑を連れて部屋を出た。


 鳴島のアパートから徒歩7分ほど。宇宙開発局地下5階、司令本部。相変わらず謎の数式と戦う局員たちの中に、小堀の姿があった。

「あれ、誠ちゃんもう戻ってたの」

 エレベーターを降りると同時に彼に気づいた羽崎が声をかける。

「ああ。でもこれからまた出発。次は科学衛生局だ。その前に、少しでも長く休んでおこうと思ってね」

 相変わらずと言えばそれまでだが、小堀の顔色はやはり良くなかった。しかしこの司令本部が彼には落ち着くのか。小堀は倒れ込むように自分の椅子に座った。まあ5年もいれば慣れ親しんでもおかしくはない。

「羽崎君こそ、あまり無理をしないようにね」

 それは、小堀なりの思いやり。しかし、羽崎の心はそのひと言で限界を迎えた。普段のように時に飄々と、時に真剣につかみどころのない自分を演じていたが、演じる必要があるほど、この時の羽崎は無理をしていた。

 できるなら、同じ言葉を違う相手にかけてほしかった。今この部屋にいるはずの、もういない誰かにかけてほしかった。

 そして、その無理は限界を超えて噴出し、行動を伴って現れる。羽崎は全身で那珂畑に振り向き、彼の胸ぐらを両手でつかみ上げた。突然の出来事に那珂畑は反応できず、押されるままエレベーター横の壁に追い詰められた。

「羽崎君!」

 小堀が止めようと声をあげるが、羽崎は声の方を反撃するように睨んだ。その目元には、あふれんばかりの涙が溜まっていた。

「もう限界だ。あえてはっきり言わせてもらうよ、那珂畑逸。君が大悟を殺したんだ」

 突然の出来事にざわつき始めた局員たちも、羽崎のひと言に声を失う。

「気づかないとでも思っていたのかい? 君がジュニアに肩入れしたせいで、大悟を戦場に呼び出した。君が戦わなかったせいで、大悟が戦う羽目になった。マンションの時もそうだ。君は大悟なしで何かできたためしがあったかい? それを、よりによって君自身が……!」

 初めて、羽崎が那珂畑を「ちゃん」付けしなかった。彼女がそれまで仲間の誰に対しても「ちゃん」付けしていた理由は、平静と明るい雰囲気を保つため。どんな状況でも、自分を見失わないための自己暗示。しかし、それも加山を失った悲しみで限界を迎えた。

 こういった時、羽崎が感傷的になった時、彼女を止めるのは主に加山の役目だった。だから、こうして暴走していれば、加山が止めに入ってくれる。そんな願いもあったのかもしれない。今さら那珂畑を責めたところで、何かが変わるわけでもない。それでも、羽崎は加山の幻想にすがりたかった。彼女がその時見ていたのは、目の前の那珂畑ではなく、もしかしたらどこかにいるかもしれない加山だった。

「そこまでです」

 しかし、止めに入ったのは加山ではなかった。羽崎の手首をつかむのは、加山よりも小さな手。そして消えそうなほどか細い声。しかし、羽崎が一縷の望みをかけて振り向いた先には誰もいなかった。彼女を止めたのは、その視線の少し下、鳴島だった。あの後彼女が部屋で何をしたのか誰もわからないが、彼女の目もまた、号泣した直後のように赤くはれていた。

「……皆が、正しいと思うことを、したんだと思います」

 鳴島の言葉はひと言ずつ探すようにたどたどしく、しかしそれらすべてが真剣さを帯びていた。

「那珂畑さんがジュニアと接触し続けなければ、ジュニアは隙を見せなかった。加山さんが戦わなければ、誰にも気づかれないまま那珂畑さんが殺されていた。それに、ジュニアの言う通り、加山さんは死刑囚。しかも自分から無理をして戦い続けた。今回でなくても、いずれこうなることは決まっていたんです」

 誰も、加山の邪魔はしなかった。もし違う展開だったとしても、大量殺人の時点でジュニアの力は加山をはるかに上回っていた。実際、那珂畑への広範囲攻撃で消耗した上に、【アトロシティ・サムライ】まで使ってようやく互角の少し下。そして、栄養にならない加山を肉体ごと取り込んだことで、ジュニアはさらに疲弊。大きな隙を作り例の白スーツが現れるまでの時間を稼ぐことができた。

「確かに、最善ではなかったかもしれません。でも、皆がジュニアを倒すため、自分の役目を全うした結果、だと思うんです」

 自分より力のある相手にものを言うことは、それだけでかなりの疲労を伴う。鳴島はそこまで言い終えたところで手を離し、そのまま後退して尻もちをつく形で床に倒れた。

「……ごめん。逸ちゃん」

 鳴島の決死の行動に負けたのか、羽崎は目を伏せながらも謝り、那珂畑から手を離す。

 さすがにこれほどのやり取りの後では、誰もが動きづらい。部屋中の空気が凍りついたところで、小堀が立ち上がった。

「予定変更だ。科学衛生局の方には、私から日程をずらすよう伝えておく。羽崎君は少し休もう。誰にだって整理する時間は必要だ。鳴島君と那珂畑君の方は、私から話を進めておく」

「いや、だったら私が先方に……」

 小堀の提案に、羽崎は服の袖で涙をぬぐいながら反論する。しかし、小堀は彼女に近づき、周囲に聞かれないよう小声で言った。

「今の君には、もっと辛い話だ。君にだけは、行ってほしくない」

 羽崎はそのひと言で何かを察したのか、一瞬で顔が青ざめた。そしてそのままうなだれるように、エレベーターへと戻っていった。

 羽崎が出ていくのを見送ってから、小堀は鳴島と那珂畑に振り返り、場を和ませるようにぽんと手を叩く。

「さて、それじゃあ本題に入ろう。と言っても、実際に話があるのは那珂畑君だけなんだが、鳴島君はどうする?」

 アパートを出た時の羽崎もそうだったが、鳴島に関する話なのに、鳴島本人がいなくてもいいとはどういうことだろうか。那珂畑はできることなら鳴島に同行してほしかったが、彼が何か言い出す前に、鳴島が立ち上がって首を横に振った。

「私はここで、データの精査に戻ります。何せゼツボーグ誕生以来、初めての出来事ですから」

 鳴島はこの時、初めて那珂畑としっかり目を合わせた。その目はいつかの小堀と同じ、戦場を退きながらも闘志に燃える熱さを感じさせた。

「わかった。そっちは君に任せるよ。じゃあ那珂畑君は私と」

 小堀の言葉を皮切りに、鳴島だけでなく他の局員たちもそれぞれの仕事に戻る。そして小堀は自分のデスクからタブレット端末を、羽崎のデスクからいくつかの書類を持ってエレベーターに向かった。

 目的地は地下6階、那珂畑が初めて羽崎と話した小部屋。また長い話が始まりそうだ。

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