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第十九話 僕の名前は ハチオウジ決戦・その五

 説明しよう。ヒーローの戦いとは、清々しい勧善懲悪の物語ではない。より強く、より豊かに、より有意義にあろうとした者たちの狭く、短く、醜い戦いの物語である。

 それこそ、通り魔まで生かして味方につけた宇宙開発局に何の正義があるのだろうか。ただ生きるため、約束を果たすため信条に従って行動したネガリアンを、悪と咎められるのだろうか。

 狂っているのは一体どちらなのだろうか。


 突然、ジュニアが倒れた。彼女が不意打ち狙いで死んだふりをするような性格ではないことを、那珂畑はよく知っていた。ドローンから常にデータをとり続けていた宇宙開発局も、彼女に再生不可能なダメージが入ったことを知っていた。

 しかし、それをやったのは、那珂畑でも加山でもなかった。ジュニアが倒れた向こう側。突然現れたそれは、到着時に舞い上がった砂埃の中から姿を現した。

「……はい。ターゲットの連鎖的崩壊を確認。これより現場を離脱します」

 声の主。その姿は那珂畑とは対照的な純白のボディスーツに覆われ、各所にハニカム構造のような水色のラインがうっすらと光っていた。顔は全面が青いバイザーで覆われているため見えないが、声からして中身は男だろう。そして何より目を引いたのは、彼の両手に持つ一対の剣。加山の刀よりふた回りほど小さいが、その刀身は赤く、周囲の景色が揺らいで見えるほどの熱を放っていた。おそらくそれでジュニアの背中を切ったのだろう。

「待て、お前は……!」

 ゼツボーグの制御で手いっぱいの那珂畑は、自ら彼に近づいて詳細を確認する余裕がなかった。しかし声に反応したのか、白スーツの方が那珂畑の存在に気づく。

「ああ、キミがゼツボーグか。また近いうちに会うと思うから、細かい話はその時に」

 明るい声だがどこか冷たい。どこか感情らしいものを感じさせない声を最後に、その白スーツはどこかへと飛び去ってしまった。方法はわからないが、どうやら彼はこの場所まで高速で飛んできたらしい。

 それよりも那珂畑が気になったのは、切られたジュニアの方だった。彼女はいつの間にか自力でうつぶせの状態になり、ゆっくりと這いずるように那珂畑の方へ近づいていく。その背中には、確かに致命傷と言えるほど深い焼け跡が刻まれていた。

「逸、君……」

 白スーツの言った通り、ジュニアの傷は擬態の余裕がないほど深く、近くにいたゼツボーグも彼女を脅威でないと判断したのか、攻撃するそぶりを見せなかった。おそらくこのまま、再生が追い付かずに死ぬのだろう。小堀や加山から教わったネガトロンの倒し方、その通りの展開だった。

 しかしあろうことか那珂畑は、ゼツボーグで追撃することなく、無防備な本体の方から彼女に近づいた。ゼツボーグが動かないせいか、先ほどよりは体がよく動く。彼はそのまま地に伏せるジュニアを抱え、片膝を地面についてそこに彼女を寝かせる。そして衝動的に彼の口をついたのは、とてもヒーローとは思えないひと言だった。

「おい、大丈夫か。しっかりしろ!」

 殺すべきネガトロン、許されない殺人鬼。そんな彼女の身を、那珂畑は案じてしまった。そしてその声に応えるようにジュニアは虚ろになった眼差しを彼に向け、震える手をその頬に伸ばす。

「ああ、やっとだ。やっとこうなれた」

 かすれた声で紡がれる言葉は、どこか安心感すら覚えさせるほどに安らかだった。

 気づいているだろうか。今ふたりは、ゼツボーグの自動防御に阻まれることなく、直接触れ合っている。それがジュニアの致命傷ゆえか、那珂畑がゼツボーグを制御できたからかは、まだわからない。

「せっかくだから、残り時間で君と話をしたい」

 ジュニアはひと言ずつ噛みしめるように、ゆっくりと話す。

「ああ。俺もだ」

 まだ伝えていないことがある。やり残したことがある。それは那珂畑も同じだった。

「僕は君を殺したい。君は僕に殺されたい。初めてだったんだ、同じ目標を持った相手って。今まで会った人は、沙紗を守るかジュニアを殺すかのどっちかだった。でも君はどっちでもない。君だけはちゃんと僕を見てくれた。それが嬉しかった。そんな君だから、僕は好きになったんだ」

 初めて会ったあの日から、そしてジュニアが那珂畑を殺すと約束した時から、ふたりの正しい関係はすでに壊れていた。ただ、何が壊れていたのかまでは那珂畑にはわからなかった。しかしその答えは、ジュニアが口にしたことで、ようやく浮上する。

「……そうだ、俺も初めてだったんだ。殺してくれるって言ってくれた奴。でもそれが、こんな終わり方なんて、俺は……!」

 互いに全力で戦って、どちらかが思い残すことなく死ぬ。そうなるはずだった。しかし全力の擬態や波動砲まで見せたジュニアに対して、那珂畑は何もできなかった。それが彼には悔しかった。戦力的に劣っていたからではない。彼女の全力に応えられなかったことに、彼は涙を堪えきれなかった。

「ははっ。どうして君が泣くのさ。君の勝ちだよ。君は僕が殺したよりも多くの人を助けたんだ」

 ここでジュニアはついに体の力も失ったのか、那珂畑の頬に触れていた手をだらりと降ろす。しかし、那珂畑はそれを止めるように落ちかけた手を取って、自らの頬にあて続けた。

「だって、お前のおかげで俺は、俺は……!」

 マンションに勝つきっかけをくれた。加山と少しだけわかり合えた。そして何より、自分の夢を叶える存在になってくれた。ヒーローとして支え続けた小堀や羽崎よりも、那珂畑はジュニアから多くのことを教わった。そのことに彼は感謝してもしきれなかった。

 情けなく涙を見せる那珂畑に対して、ジュニアはいつものように笑って見せた。

「また、何度でも機会は来るさ。生きてる限り、夢を諦めない限り、いくらでも。ね?」

 死ぬために生き続けることを、自分を倒すはずだった敵への応援を、ジュニアは隠すことなく口にした。

「まあでも、困ったな」

 いよいよ限界が近いことを察したのか、ジュニアは浅く息をつく。

「この期に及んで、君にどう呼んでほしいのか、わからなくなっちゃった」

 苦笑いを続けるジュニアの目が潤んでいた。「三森沙紗ならそうしたから」などというネガトロンらしい理由ではない。彼女の本心が、模倣した人体の性質を通して涙を作っていた。

 ジュニアの言葉の意味を、那珂畑はすぐに理解した。ジュニアとは要するに、宇宙開発局が勝手につけた彼女のコードネーム。そして三森沙紗も4年前に死亡したなり替わりの名前。つまり、ネガトロンである彼女自身を定義する名前はどこにもなかったのだ。

「沙紗として静かに生きながら、ジュニアとして幸せに生きたい。両方欲しがったつけが回ってきたのかな……」

「沙紗だ」

 即答。それは反論の隙さえ与えないほどの即答だった。

「同姓同名でいいじゃないか。お前は三森沙紗だ。そう呼んでくれってお前が言って、俺はそれで納得した」

 そう、それは水族館でのこと。安全のためとは言え、ジュニアは那珂畑に自らを沙紗と呼ぶよう約束させ、那珂畑も同意した。そしてこの時彼は、彼女をその名前で呼ぶことにどこか幸せを感じていたのだ。

 那珂畑の答えを聞いて、ジュニアは、沙紗は苦笑いの顔をさらにほころばせる。やがて彼女の涙は瞼に収まる限界量を超え、ひと筋の戦になって流れ落ちた。

「……そうか。それでよかったんだ」

 ジュニアは、心のどこかで自らの強欲さを認識していた。しかし、それが何度も空振りしていることにまでは気がついていなかった。それが、名前という誰もが当たり前に持つ形式ひとつで、すべて解決したような気がした。

「でもやっぱり僕は君を振り回したいから、最後まで好きにやらせてもらうよ」

 そう言うと沙紗は最後の力を振り絞り、那珂畑の足元から離れて、バランスを崩して後退しながらも立ち上がる。もう擬態に力を使いきれないからか、その姿は通信状態の悪いブラウン管テレビのように、砂嵐が混ざっていた。

「もう一度、僕の名前を呼んでよ」

 沙紗の覚悟を察してか、那珂畑も服の袖で涙を拭いて立ち上がり、真剣な眼差しで彼女を見据えた。

「ああ。一度と言わず何度でも呼んでやるさ、沙紗」

 数秒。しかし永遠にも感じられた数秒、沙紗は那珂畑の声を何度も脳内で繰り返した。

「ありがとう、逸君」

 直後、彼女は右手にナイフを生成。倒れ込むような勢いで那珂畑に迫った。最期まで敵であろうとしたのか、ゼツボーグは瞬時にその危険を察知し、那珂畑本体と挟み撃ちになる形で彼女の背中に迫る。

 豆腐に針を刺すような容易い一撃。ゼツボーグの【ネガティヴ・スパイラル】が沙紗の背後からその胸を貫いた。

 またしても、那珂畑は何もできなかった。しかし、ウイルスが分解され消えゆく一瞬、全身で彼に抱きついた沙紗の表情は、それまでで最高の幸せに満たされているようだった。彼女は最後の最期に、夢をひとつ叶えて死んだ。

 沙紗の消えた場所、那珂畑の目の前、その足元でチャリンと軽い音がした。那珂畑が震える目で音のした方を見ると、そこに落ちていたのはピンク色のイルカのメタルチャーム。あの水族館で、沙紗が唯一お土産として持ち帰った物。那珂畑とのお揃い。ひとつの思い出。沙紗は勝負服、つまり服も武器も持たない純粋なウイルスだけで戦いに臨んだと宣言した。しかしそんな中で彼女はこのチャームだけ、後生大事に持ち続けていたのだ。

 本物だった。那珂畑はこの時ようやく、あの日の彼女が本物だったと理解した。そして後悔した。あの日の彼女を本物として見なかったことを。そして彼は、後悔しながらそのチャームを拾い上げた。


 ジュニアは消え去った。彼女の戦い、そして傷口の様子から、三森沙紗がネガトロンであるという証拠映像も手に入った。こうして、ネガトロン・ジュニア討伐作戦はヒーローの勝利で幕を閉じた。インカムの向こうから何人かの歓声が聞こえる中、校庭にただひとり残された那珂畑は、膝から地面に崩れ落ちた。

「お疲れ様ですヒーロー、とりあえず局までお連れ……」

 作戦終了を察してか、学校を包囲していた警察や救急隊が次々と敷地に入ってくる。その中で最初に入ったひとりが、那珂畑に声をかけながら近づいた。

 しかし彼が話す間、那珂畑のゼツボーグがその頬を強く殴り倒した。突然の出来事に、周囲の救急隊も思わず足を止める。

「ふふっ……」

 笑い声がした。鳴り響くサイレンにかき消されそうなほど小さかったそれは、次第に大きく、荒くなっていく。

「ふはっ、ははははははははっ! あーーっははははははははっはあーっ!」

 そして、隊員を殴り倒したゼツボーグが再び暴れ始めた。殴られた隊員を含め周囲の人々は驚きながらも距離をとる。それでもゼツボーグが止まることはなく、シャドーボクシングのように何度も拳で空を切る。次第にそれは八つ当たりのように周囲の瓦礫に当たり、飛び散った破片が隊員に当たっても暴れ続けた。

 暴走ではない。ゼツボーグは今確実に那珂畑の制御できる範囲にとどまっている。それは救急隊に逐一報告される那珂畑のデータからもわかっていた。つまりこの暴行は那珂畑の意思、彼自身の本意。思わぬ暴挙に、周囲の隊員はゼツボーグから離れたまま動けずにいた。

 何度も瓦礫を砕き、壁を蹴り壊し、暴れ回ろうと、ゼツボーグは止まらなかった。そしてその理由は、暴行の中心にいる那珂畑自身が叩きつけるように叫んだ。

「何も! 何もできなかった! 誰も守れなかった! くそ野郎、何がヒーローだ! 死んじまえこのいかれ野郎が! くそっ! くそーっ!!」

 怒りが、悲しみが、絶望が、ゼツボーグを完全に制御し、この上ない精度で無駄な攻撃を続ける。この大暴れが戦いの中でできたら。自分がもっと確実にゼツボーグを使いこなせたら。救えたはずの命など、後からいくらでも数えられる。だが、それらを失った理由が自分にあると認識した時、那珂畑の精神はその後悔に耐えられなかった。

 しかし、これほどまでに追い詰められ、未知の異常をきたし、戦いにも慣れていない那珂畑の体はそう長持ちすることはなかった。泣き叫び暴れ続けることおよそ1分。彼は糸が切れたように突然意識を失い、同時にゼツボーグも水たまりのような液状になって彼の体へと戻っていった。

 消えゆく意識の中、限られた思考リソースを費やして那珂畑が思い浮かべたのは、無邪気に水族館ではしゃいでいた、一週間前の沙紗の姿だった。


 那珂畑の身に何が起きたのか、突如現れた白スーツは何者なのか。残る謎は多い。しかし今はただ、誰もが討伐作戦の後処理で手いっぱいだった。最終的にジュニアを倒すことには成功したが、そのための犠牲者はあまりにも多く、そして大きかった。誰もが手放しに喜べる状況ではなかった。

 しかし、それこそがゼツボーグの戦い。絶望をもって多くの人々を救う。そのために際限なく自身をすり減らす。あらためて説明しておこう。この物語は、那珂畑逸がヒーローとなり、死地を求めて魑魅魍魎渦巻く戦場に飛び込む物語である。その道程にあとどれほどの絶望が待ち受けているのか、まだ彼は知る由もない。

 一方で、ネガリアンは適応する。敵の強さに対抗するように、まるで種全体がひとつの大きな脳で動いているかのように。那珂畑の変化が、ジュニアの敗北が、新たなヒーローの登場が、5年間拮抗していた戦いを大きく揺るがすこととなる。

 だがそれは、あくまでもこれからの話。とりあえずは、ここまでを第一章としておこう。

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