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第十三話 正義の通り魔と薬物『投与』中毒者 デート作戦・その五

 守るものがないのは、彼も同じだった。

 ある教典には、人は善なるものとして生まれてくるという記載がある。しかし、人の多くは嘘をついたり他人を利用したり、善とは言えない行動をする。では、この教典は間違っているのだろうか。

 否、完全に間違いとは言い切れない。このいわゆる性善説における善とは、社会通念や規則といった広い範囲の言葉ではない。個人の考えの中におけるものと仮定しよう。盗みも殺しも、あらゆる悪事はその人がその時に良しとしたこと、必要だと考えたがゆえの行動と言える。問題なのは、それが法律や社会規範など他の善とずれているという点だ。

 そういった意味では、彼もまた立派な善人だった。


 何か、大きなことがしたかった。できれば、良いことをしたかった。

 大した得も損もない、下の上くらいの生活。どれだけ頑張っても褒められず、貶されず。鏡の中の自分すら見失いそうになる無味乾燥な日々。金も成績も、あらゆる数字が満たされることもない。と言うより、彼は何が自分を満たすのかこの時まだ気づいていなかった。

 そんな中で幸か不幸か、変化はチャンスの方からやって来た。

 何も変わらないはずの道端で、人が人に襲われていた。それも個人的なものではない。多くの人が、多くの人を襲っていた。

 事態はみるみるうちに拡大し、無関係な周囲の人々が恐怖し、あるいは悲しんでいた。

 世界に笑顔を増やすことは、簡単なことではない。それは彼が自身の経験としてよく理解していた。しかし、世界から悲しみを減らすことなら、彼にはできた。

 結果、彼はカッターナイフ1本、替え刃3本を使い、ステージ2感染者17人を刺殺。23人を行動不能の重症に至らしめた。白昼の大通り。無数の目撃者に囲まれた中で、彼は未曽有の殺人鬼に成り果てた。


 人々がネガリアンの脅威に怯え、まだヒーローの存在が世間に浸透して間もない時代。事件直後にヒーローが現場に現れたこともあってか、彼は殺した数以上の重罪となった。ネガリアンに感染し自我を失っていたとは言え、殺人には変わりない。当然、彼に下された判決は意義の入る余地すらない死刑。

 だが、ヒーローはそんな暴挙を、直接見もしなかった凶行を、勇気ある行動と賞賛した。無論、救えたはずの命を独断で消したことは許されない。しかし、もし彼がヒーローだったなら、救える命を救う力を持てたなら、これほど心強い後輩はいない。

 証人、ゼツボーグ2号、羽崎京華。彼女はヒーローという唯一性を盾にとり、彼の死刑判決を認めながら、その執行を無期限に延期させた。前代未聞の出来事である。

 羽崎が提案したのは、交換条件だった。彼の身柄を宇宙開発局で管理する代わりに、彼の存在は世間に不安をもたらしかねないため、死刑は正常に執行されたと報道すること。そして、彼がヒーローとして利用できなくなった時には、確実に死刑を執行すること。

 こうして、加山大悟は法律から姿を消し、ゼツボーグ7号として生まれ変わった。

 当時のゼツボーグ発現は、今のような電気椅子ほど効率的ではない。ネガリアンから抽出した血清を直接候補者に流し込み、インフルエンザワクチンのように獲得免疫を増やすという医学的で、しかしゼツボーグとしては雑なものだった。肉体に過度な負担がかからないよう少しずつ注入される血清は電気椅子以上に長く激しい苦痛をもたらし、それによってヒーローになることを断念した者、再起不能な傷を負った者も少なくない。

 だが加山は生き残った。人間としてゼツボーグになる試練を生き残り、ゼツボーグとして数多の戦場を生き残った。

 しかし、他のゼツボーグが、100号に迫る今なお同じように抱える問題が、彼らを襲った。それは活動継続期間の短さ。加山もその例外ではなく、体内のアンチネガリアンはみるみるうちに減衰。ほどなくして、ゼツボーグとしての限界を迎えた。

 加山の死刑執行以前に、当時の宇宙開発局にとって、彼は非常に優秀な戦力だった。引退と同時に失うには惜しい存在だった。だが、その甘えが、彼の監視を任された羽崎に悪魔の決断を促した。

 死刑の、ヒーロー活動の、強制的な延期。前例はないが、試すほかない。むしろ、試すには絶好の機会だった。当時すでに副司令の座についていた羽崎はあろうことか、加山に再び血清を注入した。結果として加山はゼツボーグとして戦場に復帰することができたのだが、この成功体験が、羽崎をさらに悪魔の沼へと引きずり込む。

 血清の継続的注入。他のゼツボーグには決して許さない暴挙を、羽崎は加山に続けた。加山の肉体は少しずつ衰えながらもゼツボーグとしての力を維持し続けた。この時壊れていたのは、羽崎の方だった。

 加山を監視する中で、加山のヒーロー活動を無理にでも支える中で、羽崎は彼に最も抱いてはいけない感情を持ってしまった。それを愛と言うのか、恋と言うのか、それとも単なる情と言うのか。今の羽崎にもわからない。しかし彼女は確実に加山に依存していた。ヒーローとしてではなく、人として、彼を失いたくないと思ってしまった。薬物『投与』中毒者。羽崎は当時の自分をこう振り返る。

 やがて、その思いは歪んだ形で加山の使命感につながることになる。加山の活動継続がもはや絶望的と判断された時、羽崎は元ゼツボーグとして局に貢献し続けることを彼に提案した。実際に、彼ほど多くの戦場を経験し、多くのネガリアンやゼツボーグを間近で見てきた者はいない。だが、それらはあくまでも建前。羽崎はただ、加山という存在を失いたくなかった。

 しかし、加山は羽崎の提案を断り、自ら血清の注入を続けた。戦場にしか生きられない人間。羽崎の期待が、依存が、加山を最悪のヒーローに育て上げてしまったのである。


 加山のゼツボーグの性質上、4年も顔を隠さず表社会で大立ち回りを繰り返していれば、途中で彼の正体に気付く者も現れ始める。

 最初の通り魔事件の時から、加山の行動に対する世間の評価はごく一部だけ割れていた。許されない大量殺戮と非難する声が圧倒的多数を占める一方で、一般人がネガリアンに立ち向かい勝利したと、羽崎のような意見が時々現れては、袋叩きにされ消えていった。

 そして現在、ヒーローのひとりがあの通り魔だと気づいた人々から、彼はこう呼ばれては炎上するようになった。

 正義の通り魔、加山大悟。

 情報管理に長けたネガトロン・ジュニアがそのことに気づくのも、時間の問題だった。そして彼女は近所で偶発的に起こった集団感染の野次馬に行った際、彼の姿を初めて目にする。手のひらサイズの小さな刃物を華麗に操り、次々と人を切りつけていく。その姿はまさに、あの事件を彷彿とさせる、通り魔のふたつ名にふさわしい立ち回りだった。


 シロヤマまでの監視任務終了。バス停でジュニアと別れた後、那珂畑は家に帰る素振りも見せず、折り返すように宇宙開発局へと向かった。本来の予定であれば結果報告を含めた会議は翌日。しかしジュニアにああも言われてしまっては、彼も黙って一晩過ごすなどできそうになかった。

 地下5階司令本部。エレベーターの扉が開く音に、その場にいた全員が反応した。このタイミングで現れる者が、那珂畑しかいないと皆同じように考えていたからだ。そして、皆同様に彼から目を逸らし、黙り込んだ。誰もが足を止め、パソコンのキーボードすら触らず、司令本部はそれまでにない静寂に包まれた。

「……みんな、知っていたんですね」

 室内を見回しながら、那珂畑は小堀らのいる中心部へと向かう。反応を見るに、先輩とは言え自分より年下の鳴島まで知っていたとは。彼は行き場のないやるせなさを奥歯で嚙み殺した。

 那珂畑が直接声をかける前に、小堀は自ら立ち上がって彼に顔を向けた。

「ああ。君にもいずれ聞かせるつもりだった。それがまさか、こんなことになるとは。想定外とまではいかないが、衝撃の展開だよ」

 いつもの疲労か、あるいは何らかの罪悪感からか、その声はかつてないほど暗く沈んでいた。しかし、猫背から那珂畑を見据える両の目は、それでもなお闘志に燃えていた。

「ジュニアの言う通り、私たちは加山君を、殺人者を利用し続けて今に至る。彼の存在を知って私たちを見限った人もいたよ。それも含めての人手不足だ。最初に羽崎君にも言われたと思うが、どうあろうと最後は君自身の選択。私としては君に残ってほしいが、ここで君が手を切っても誰も止めない。君の行動選択権は、君にある」

 生きることが苦しかった。自殺する勇気もなかった。そしてついには殺されない体を手に入れてしまった。何もかもが裏目に出続ける中、加山の存在が、彼を守るという決意だけが、那珂畑を動かしていた。競馬を応援する彼の横顔は、無垢な少年のように輝いていた。絶望と向き合い続ける彼の心の強さを、那珂畑は尊敬すらしていた。

 だが、それすらも幻だったと言うのか。だとしたら、もはや自分はどこへ向かえばいいのだろうか。ゼツボーグは、本体の絶望を形にする。那珂畑の右腕を粉砕したドリルは、彼の中で再び心を削り始めた。

「大悟ちゃんなら、上にいるよ」

 再び凍りつこうとしていた空気を止めたのは、震えるような羽崎の声だった。上、おそらくは地下4階か3階。それを受けて、那珂畑はすぐエレベーターに向かう。

 那珂畑は決して加山に恨みを持っているわけではない。あの通り魔事件は那珂畑個人には何の関係もない。だから、彼に会いに行くとして、その目的は八つ当たりでも鬱憤晴らしでもない。この時、那珂畑はジュニアの気持ちを少しだけ理解できた気がした。

「話をしよう」

 あの日、そして今日ジュニアに言われた言葉を、那珂畑はもう一度自分に言い聞かせた。


『さて、いよいよ来週に迫ってきた造花賞ですが、やはり一番の注目はストーリーマニアですかね』

『そうですね。ストームスライダーやソアリングスカイも見逃せませんが、やはり今回はマニアでしょう。ここまでの重賞3戦負けなし。タワーオブブルーが台頭していた頃からは見違えるような伸びを見せています』

『そのタワーオブブルーも、今回出走するようですが……』

『はい。父のトワイライトエリアの強さから注目を浴び、デビュー直後こそ活躍していましたが、今回は大穴といったところでしょうか。まあ父の方も走りにムラが出るタイプだったので、人気順で言えば決して下位ではないのですがね』

『といったところで今年も盛り上がりが期待されます、造花賞。ではここで、前哨戦となった先月の……』

 地下4階。加山は必要最低限の明かりだけを点けて、あぐらをかいて床に置いたスマホで競馬番組を眺めていた。那珂畑が初めてこの階に来た時と同じ、エレベーターに背を向けた静かなたたずまいだった。

「……加山さん」

 那珂畑が話しかけると加山はスマホの画面を消し、それをズボンのポケットにしまいながらゆっくりと立ち上がる。そして背中越しにこう言い放った。

「いや、もうお前にとって俺は加山大悟じゃねえ」

 それと同時に周囲に広がる、ただならぬ気迫、殺気。17人殺害と4年間の戦闘経験を証明するような、洗練された空気が那珂畑を襲った。

「俺もジュニアの話、聞かせてもらったぜ。まあだいたいあいつの言う通りだ。俺は最悪の通り魔で、死刑にされない代わりにヒーローをやってる」

 加山が那珂畑に振り向いた時、その顔はそれまで那珂畑が見たことのない表情をしていた。敵意でも悪意でもない、しかし体が本能的に危険と判断している。悪寒を誘う表情。人殺しの目と言うのだろうか。これこそが、加山がそれまで那珂畑に隠していた本来の姿だった。

「それで? お前はどうする。小堀あたりに流されたんだろ、好きにしろとかなんとか」

 おそらく、いや確実に加山にとってこれは初めての出来事ではない。これまでも多くのゼツボーグが彼に疑問を抱いてきたのだろう。ゆえに、これから那珂畑が何をしようと、それは加山の想定内、あるいは経験済みのことかもしれない。

 だから、これから始めることはあくまでも那珂畑の自己満足。加山にとっては何の得もない通過儀礼のようなもの。そうと理解していても、那珂畑は目の前の殺人鬼に何を言えばいいか、わからないでいた。

「……わかるぜ。俺をぶん殴りに来たって面じゃねえな。話をしに来たんだろ。だったら、俺から話してやる」

 加山はその場で再びあぐらをかき、那珂畑にも座るよう促した。そして、那珂畑が震えながらも座ったのを確認してから、話を再開する。

「さっきも言ったが、俺はもう加山じゃねえ。言ってしまえば加山の幽霊、それがゼツボーグ7号だ」

 放しながら、加山はポケットから電子タバコを取り出し、ひと息だけ大きく吸う。

「昔な、ある後輩に言われたんだ。『加山さんが引退する前にネガリアンが絶滅したらどうするのか』ってな。さすがにその時は考えさせられたぜ。ヒーローとしてしか生きられない奴が、ヒーローのいらない世界でどうすればいいのかってな。まあ結局、答えは変わんねえ、死刑執行だ。上から聞いただろうが、ゼツボーグは免疫細胞由来。使い続ければ維持しようと力がはたらくし、使わなければ衰えていずれ消える。要するに、ネガリアンがいない、アンチネガリアンを使わない、ゼツボーグになれなくなったら、もう俺を生かす理由はどこにもねえ。まあ羽崎にこの話をした時は納得してくれなかったけどな」

 あくまでも冷静に考えれば、羽崎は必要以上に加山に肩入れしている。砂浜でドローン攻撃を始めようとしたのも、彼の真実を知られたくなかったからだろう。

 だが、那珂畑がこれまで気づけなかったように、今の加山は殺人鬼ではない。過去の罪が消えるわけではないが、使えなくなったら殺すなど、まるで道具扱い、人間兵器もいいところではないか。

 いや、そもそも人間を兵器として扱っていることを隠すために、ゼツボーグをヒーローと呼んでいると教わった。つまり、加山が道具扱いされることには何の問題もないのだ。そして、那珂畑はこの考えに至った時、ようやく理解した。殺すことでしか人を救えない、殺すことにしか生きられない。それが加山の原点、絶望なのだと。

 ゆえに、彼のゼツボーグは刃物の形を成した。命を絶ち、残された命を守る刃物。そして決して自分を守らない突出の形。

 究極の自己犠牲、ヒーローの模範的なあり方。死ぬためにヒーローの道を選んだ那珂畑には、そんな加山の姿が理想的に見えた。地獄に落ちても許されることのないであろう殺人鬼が、輝いて見えたのだ。

 誰もが正しいと信じたことをしているなら、許されない正しさ、許せない正しさがあって当然。

「……俺は、見届けます」

 そして、それが那珂畑の答えとなった。

「加山さんは、俺に生きる目的をくれました。でも加山さんの過去を聞いて、正直今ちょっと揺らいでます。だから、できる限り見届けます。加山さんが本当に許されないのか」

「で、許せなかったらどうする?」

 やはり加山の想定内。彼の返しは素早かった。

「その時は……、とりあえずぶん殴ります。あとはこれから考えます」

「……合格だ。坊主」

 互いに自分の立場を理解していないかのような物言い。しかしその醜いやり取りこそが、この場のふたりを最も強くつなぎ止める絆となった。

 しかし、この時那珂畑と加山の考えは少しずれていた。那珂畑はかつての誰かが聞いたように、加山が長生きする可能性をある程度考慮している。だが、加山はそうではない。血清の効果が次第に薄れ、アンチネガリアンの生成量が下がっていることを彼は誰よりも理解していた。極端な話、ゼツボーグとしてアンチネガリアンを最後のひとつまで使い果たせば、完全な丸腰。一般人以上にネガリアンに弱い存在となる。

 そして、その時はそう遠くない。激しく戦えば戦うほどアンチネガリアンは消費されていき、やがて自分は戦場に消える。那珂畑がいつまでゼツボーグであり続けられるかはわからないが、少なくともその時は彼がゼツボーグでいる内に訪れるだろう。つまり、嫌が応にも自分の死に様を那珂畑は見届けることになる。ゆえの合格。加山は自らの死刑執行を、ネガリアンに委ねていた。

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