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声の残響譜― 君の声が、まだ届くうちは ―

作者: 水音凪
掲載日:2025/11/13

(沙耶)

夜になると、部屋が静まり返る。

窓の外の街は、ネオンの明滅とタクシーの音だけが生きている。

その孤独を埋めるように、沙耶はスマホを手に取る。


アプリを開き、軽く息を吸って笑顔を作る。

「こんばんはー!今日も遅くまで起きてる人、いる?」


コメントが流れ、ハートのスタンプが弾ける。

その光景を見るたびに、沙耶は自分が“誰かと繋がっている”と感じられた。

画面の向こうの誰かが、今この瞬間、自分の声を聞いている。


その夜、見慣れない名前がひとつ流れた。


「ゆう」:君の声、落ち着くね。


優しい文字の並びだった。

初めて見る名前なのに、不思議と懐かしく感じた。

胸の奥が小さく疼く。


「ありがとう、“ゆう”くん。また来てね。」


笑顔で言葉を返した。

画面の中のハートがまたひとつ、光った。




(ゆう)

音も、光も、時間もない世界。

目を閉じているのか、開いているのかも分からない。

ただ、“静寂”という濁流の中に浮かんでいた。


記憶の断片だけが泡のように弾ける。

雨の音。

信号の赤。

スマホの中の彼女の笑顔。


あの日、沙耶に「また明日ね」と送った。

その瞬間、ブレーキの音と、金属が軋む音。

画面が砕け、光が消えた。


そして気づけば、この闇の中にいた。


……けれど、ときどき、遠くから微かな音が聞こえる。

人の声。

音楽。

笑い。


それが、あの世とこの世を隔てる“膜”の隙間にある、

唯一の出口だった。


僕はその音の流れに身を委ねた。

漂いながら、ただ、彼女の声を探した。


そしてある夜、世界が震えた。


「こんばんはー! 今日もライブ配信するね」


その声を聞いた瞬間、

闇に初めて“色”が戻った気がした。




(ゆう)

それから毎晩、

ゆうは必ず来てくれるようになった。


彼のコメントはいつも穏やかで、

他の視聴者のように軽口も叩かず、

まるで、昔から自分のことを知っているような言葉をくれた。


「ちゃんと食べてる?」

「今日、風強かったね。」


そんな小さな言葉のひとつひとつに、

なぜか胸が熱くなった。


“ゆう”という名前を見るたびに、

心のどこかが疼くような懐かしさを覚えた。


ある夜、彼がこんなコメントをした。


「実は、もう君には会えないと思ってた。」


「え? どういうこと?」


「でも、君がまだ配信してたから、来れたんだ。嬉しいよ。」


声にできない何かが喉の奥で引っかかった。

笑いながら返したけれど、胸の奥はざわざわと騒いでいた。


彼の言葉には、どこか“別れ”の気配があった。


そのとき、ふと口をついて出た。


「ねえ、“好き”って言ったら信じる?」


少し間をおいて、コメントが流れた。


「やっと言ってくれたね。」


その瞬間、マイクの奥で、

確かに“誰かの声”が重なった。


――「俺も、好きだよ。」


里奈は息を飲んだ。

録画を確認しても、声はそこに残っていた。


……それは、元カレの優の声に、そっくりだった。




(ゆう)

届いた。

彼女の“好き”が、確かに届いた。


この暗闇が少しだけ明るくなり、

世界の輪郭が戻ってきた。


きっと彼女は覚えていない。

けれど、僕の名前を呼んだ。

僕を“ゆう”と呼んだ。


もう一度、ちゃんと会いたい。

もう一度、彼女に触れたい。


「次は君の番だよ。ちゃんと会いに来て。」


ほんの少し、距離が近づいた気がした。

世界が揺れて、彼女の部屋の明かりが、

遠くの水面に映るように見えた。


彼女が、こちらを探している。

僕は、確かに感じた。





翌夜、スマホが勝手に震えた。

アプリが起動している。

画面には、配信開始の赤いランプ。


「……え、勝手に?」


誰もいない部屋で、

カメラのライトだけがぼんやり光っていた。


コメント欄には、誰の名前も表示されていない。

だけど、確かに“誰か”が見ている気配がある。


「ゆうくん……いる?」


返事はない。

ただ、空気が少しだけ温かくなった気がした。


「ねえ、ゆうくん。……着いたよ。」


マイクが微かに揺れた。

ノイズの中に、低い声が混じった気がする。


――「待ってた。」


そのとき、コメント欄に文字が浮かんだ。


「さや」:おやすみ。今度は、私が君を見てる番だね。




(ゆう)

“上”の世界は、もう遠い。

けれど、

耳元で彼女の声が聞こえる。


「おやすみ」

「また明日ね」


その声が届くたびに、

闇の中の僕は、少しずつ形を取り戻していく。


もう、どちらが生きていて、

どちらが呼ばれているのか、分からない。


でも、きっとそれでいい。


彼女が僕を呼び、

僕が彼女を見つめる。


永遠に、

互いの声を確かめ合いながら。


君の声が、まだ届くうちは、

僕はここにいる。

この物語は、「声」というものの不思議さから生まれました。


文字よりも、映像よりも、

“声”は人の存在をそのまま閉じ込めてしまう。

一度録音された声は、本人がいなくなっても、再生すれば何度でも耳の中に蘇る。


――それは、優しい永遠のようで、

どこか怖い永遠でもあります。


「告白配信」は、

“好き”という言葉を交わすたった一瞬のために、

生と死の境界を越えてしまった二人の物語です。


SNSや配信という現代的な装置は、

実はとても静かな“霊界”に似ているのかもしれません。

誰かの言葉がいつまでも残り、

スクロールすれば、過去の笑顔が今もこちらを見ている。


もしあの人が、

まだどこかの配信でコメントをしていたら――

あなたは気づけるでしょうか。


優が求めたのは、執念ではなく、

ただ“もう一度、好きと言いたかった”だけ。

沙耶が応えたのは、恐れではなく、

“もう一度、声を聞きたかった”という願い。


怖いのに、

どこかで少しだけ温かい。



夜の静けさの中で、

どうかあなたも、自分の大切な人の“声”を思い出してみてください。

その声が、まだどこかで届いているうちは――

きっと、あなたもこの世界にちゃんといるのです。

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