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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ドライフラワーの子宮

作者: 花火虫

 がん、がんっ、と脳味噌を金槌で叩くかのような金属質な轟音が鼓膜を揺さぶり、火花を散らしたかのようにばちばちと視界がぶれた。 シートベルトに繋がれて座っていたはずの身体が、空に投げ出される。平衡感覚を失った両手が虚空を掻いた。悲鳴を上げる間もなかった。


 ぱりんっという破壊音が頭上で聞こえ、右腕と胴体が割れた窓ガラスの破片に裂かれて、幾片かが肉に突き刺さる。のたうち回りたいほど痛むのに、不思議と意識は麻酔を打たれたかのように、すぅと曖昧模糊になっていった。

 そんな中、


『姉さん、っ』


 左隣に座っていた妹の——茉昼(まひる)のか細い縋りつくかのような声が、不思議と耳に残った。


 それが、同じ胎の中から僅差で取り上げられた、双子の片割れの遺言となった。


※※※


 瞼を開いて、灰色の眸で見たのは、半狂乱で泣き喚く母とそれを黙して聞きながら、「茉璃(まつり)、気分はどうだい?」と酸素マスクをつけて、幾本もの管に繋がれた娘に対する言葉としては、不自然なほど穏やかな声をかける父の姿だった。


 数時間後には、我が家花庭(はなにわ)家に仕える壮年の医師と、通学途中の私達を襲った悲劇についての事情聴取をしにきた女刑事が来て、事件の犯人は私と妹が通う高校の男性教諭だったこと、動機は、ビスク・ドールのように整った顔立ちの天使のように可憐な茉昼に、叶わぬ恋をして想いを募らせた挙句に行った蛮行だったと供述しているとのことを、女刑事の老化のせいで塗られた口紅がひび割れた唇から、聞かされた。


 確かに、茉昼は我が妹ながら惚れ惚れするほど美しかった。


 甘く桃色がかった灰髪に、菫の砂糖漬けのような色の大きな二重の眸。周囲の少女達に比べてひと回りは小柄で、人形のように華奢な身体と宗教画の天使のような顔は、ぎゅっと抱きしめたくなるテディベアのように愛らしかった。


 対して、同じ胎で十月十日ほど同じ栄養を母から貰っていたはずの私は、地味な枯葉色の髪に、黒ずんだ鉄錆のような鈍い灰色の眸、冷たく整った顔は年頃になると異性の関心を引いたが同姓には疎まれ、愛らしく可憐な妹を捻じ曲がった鏡に映したかのようだと評されてきた。


 風貌だけではなく、周囲の環境や反応も私達双子は対極的だった。


 妹は、その生まれ持った才覚で幼い頃から(みな)の中心に位置し、いつ何時も優しい友人や理解ある大人に恵まれ、幸福に満ち溢れた人生を送り、それを傍らで見ていた姉の私は、物心ついた頃から妹の付属品としか扱われず、何をしても周囲の関心は常に妹に行き、彼女と一緒に世界に放り出されたというのに、妹とは正反対な孤独を強いられる人生を過ごしてきた。


 特に、私たち双子の扱いに差をつけていたのは、私たちの実の母である。

 

 妹が、どんなに点数の低いテスト用紙や、ほぼ落書きに近い絵を描いても、努力や苦手を免罪符にされ、母に「よく頑張ったわね」「茉昼は私の自慢の娘よ」とそのまろい頭を撫でられて抱きしめられ、対して私が深夜まで勉学に励んで全教科順位の高い成績表を見せ、ピアノのコンクールで賞を取っても「あら、良かったわね」のひと言で片付けられ、幼い頃から母親に抱きしめられた記憶や、「貴女は私の自慢の娘よ」なんて云われたことは、一度もなかった。


——何もしなくても、女神のように周囲に数多の信者(害虫)を侍らせてきた、私の双子の妹の茉昼。


 彼女があまりにもあっさりとこの世から消え、その代償のように私は腹部にある子供を授かる臓器を失った。


 しかし、そのことに私はさほど衝撃は受けず、それを告げてきたシワだらけの目蓋の隙間から哀れむように私を見た医師に、さほど取り乱すことなく冷静に対応できた。


 誰にも愛されることなく育ってきた私は、それゆえに誰かを愛するということがわからない。


 だから、『愛する人と自分の血の繋がった子を授かりたい』という概念は、恋愛小説を飛び越えて、いっそファンタジーなのだ。


 そんなことを思いながら、私は腹部に走った踏み潰されたミミズのような傷跡をそっと、包帯が巻かれた右腕で撫でる。Good-by baby and my sister.


※※※


 臓器をひとつ失ったとは思えないほど、私は術後の経過よく、すぐに退院することができた。


 未だに入院している運転手とは、別の中年の男が運転するリムジンで、金のかかった絢爛な造りの屋敷に戻ると、私に仕える執事の草目(くさめ)が紅玉の眸を繕った笑みの形に細め、ぎこちない仕草で出迎えた。


「…お帰りなさいませ、茉璃様」


 そのか細く震える声に、嗚呼この男も妹のことが好きだったのか、と今更ながらに気づく。


 コツコツと瀟洒な調度品の置かれた屋敷の中、草目を先頭に、私の数少ない荷物を自室まで運ぶ為、使用人を引き連れて向かっていると、草目が、その黒いつむじを見せながら、振り返ることなく、


「明日は、茉昼様のお葬式ですが、もちろんご出席なさりますよね?」


 と、泣き疲れたことがわかる、渇いた声で訊ねてきた。

 その有無を言わせない語調に、思わず苦笑をこぼしそうになりながら、「ええ」と嗤うのを我慢してあくまでも淡々と、しかし悲壮そうな声音で返す。


『私の可愛い、大切な妹だったもの』


——自分の声とは思えないほど、その言葉は他人事じみて、埃ひとつない廊下に掠れて消えた。


※※※


 妹の葬式は、嗚咽と鼻を啜る音が(うるさ)く、その上人熱(ひといきれ)で窒息死しそうだった。

 笑っているのは去年の、社交界デビューの際に記念に撮った、名画のように愛らしく微笑む可憐な茉昼のみ。私も微笑っていいだろうか。

 特に酷いのは、獣の咆哮のように泣き叫んで、オフィーリアのように白百合に囲まれて眠る彼女に、縋りつく母の姿である。


 我が子を失ったのである。当然の反応かもしれない。


 しかし、淑やかに整った、実年齢より若く見える可憐な顔を狂乱に歪め、その愛らしい仔猫のようと評される円らな吊り目から、涙をドロドロと垂れ流す姿は、いっそ醜いを通り越してグロテスクだ。

 その醜悪さに思わず視線を逸らすと、こちらを見つめる、静かだが好奇心が滲んだ橄欖石(カンラン石)のような緑色の目と目があった。


 鴉の羽で縫ったかのような衣装によく映える、角度によって銀色と琥珀が覗くミステリアスな淡い緑の眸を若干アンニュイそうに細め、喪服とは対処的な白蠟(はくろう)めいた肌と、それよりも深い黒髪を持つ男性が近づいてきたのに、思わず小さく声をあげる。


月臣(つきおみ)先生、来てくれたんですね」

「当然だろう、教え子の妹が死んだんだから。  本日はご愁傷様です」


 私の3カ国の語学の家庭教師である、3つ歳上である理瀬(りせ)月臣はそう云うと、まるで喜劇でも眺めるかのように薄く気怠げに笑んで、茉昼の葬式を眺める。人に咎められたら、「眠いだけですよ」と、さらりと弁解できる程度に微笑む彼は、伝統ある名家の次男で難関大学の医学部の学生なだけあって、理知的な眼差しがよく似合う貴公子然とした風貌をしている。


「…人酔いした、抜けよう」


 返事を待つことなく、私の怪我した右手とは反対の手を取ると、会場を抜け出す。

 外のスッとした冷たい空気が肺を満たして、やっと呼吸ができた気がした。


 かちり、と隣でライターが煙草の火を付ける音がした。人酔いしたと云うのは言い訳で、ただ単に煙草休憩がしたかったらしい。

 ふぅーっと、紫煙を吐き出した月臣は、チラリと私を見たと思えば、私に身体を向けて、その薄い唇を開いた。


「復讐しないかい?」

「え、………何に、ですか、」

「君を愛さないで、排斥してきたこの世界に」


 あまりにも非日常的なことを、何の予告もなく云った彼は、私の灰眼を真っ直ぐに正面から見て、こう続ける。


「茉昼(じょう)は、半年ほど前、僕に告白してきたんだ。

『姉さんの家庭教師として貴方を紹介されてから、一目で好きになった』とね

 それは君のご両親も知っていてね、僕と茉昼嬢はいつの間にか婚姻関係を結んでいて、彼女が高校を卒業したら、結婚する手筈になっていたんだ」


 両親と妹の身勝手な行動に絶句していた私に、「だから、こうしよう」と月臣はパチン、と白魚の指を鳴らした。


「茉璃嬢、僕と結婚しよう」


 その何千里も飛躍した申し入れに、私は再び先ほどはまた違った理由で、地味な化粧を施した顔を瞠目の表情で固まらせた。


「なぜ、…?貴方は、私のことなど砂一粒ほども愛してないでしょうに…」

「いやいや、それは言い過ぎだろ。教え甲斐のある、優秀で真面目な生徒だと、とても好ましく思っているよ。それも一種の愛でしょ?」


 愛ですか、と私は鸚鵡返しに呟いた。


 生まれたときから愛されず、愛とは無縁な場所で育ってきた私には、愛というものがよくわからない。

 だから、彼の云う愛が本物かどうか見抜くこともできない、それに、


「私には子宮がありません。貴方との子を胎に宿すことは不可能です」


 次男といえど、名家の息子である月臣にとって、子を成すことができない娘との結婚など、誰からも認められないだろう。

 だが、彼はそんなことは、とても些細なことだと云わんばかりに、いつものように気怠げに薄く微笑んだ。


「大丈夫。僕と君の間には、誰からも愛される幸せな子を成すことができるよ」

「…馬鹿げている。いったい、どうやってそんな奇跡を起こすつもりですか?」


 皮肉混じりに云ったというのに、月臣は気分を害した様子もなく、アゲハ蝶の触覚のような睫毛の下から、黄緑の眸で私を見て、



「僕の研究室に、君の妹の子宮がある」



——声も表情も平常通りだというのに、その眸だけは、肉体ごと魂を引き摺り込みそうなほど深かった。


 人間離れした色が滲んだ視線に見つめられ、一瞬だけ呼吸が奪われて、反射的に「どう、いうこと、」と酸素を求め喘いだ私に、「茉昼嬢の死因は脳挫傷で、首から下はほとんど無傷だったから、解剖の際にこっそり子宮を取り出して保管しておいたんだ」と、返答のようでありながら、どこか的外れな答えを彼は返す。

 そして、ふっと凶々しかった眸を緩めると、穏やかだがどこか温度のない声で淡々と続けた。


「茉昼嬢と君は一卵性双生児で、彼女は君のドナーとのしての条件を全て満たしている。

 臓器移植するには最適なんだよ」


 君の死んだ妹さんは、と締め括った月臣に、私はしばし唖然と、意味がわからないと云う言葉のみを脳内で、ただただ擦り切れるほど再生した。どうして、そこまで私を(モノ)にすることに、執心しているのか、と素直に訊ねると、彼は人間離れした麗しい顔に人間らしい表情を浮かべる。


「…僕はね、君以外の誰にも好意を持ったことが一度もないんだ。物心ついた頃から誰も好きになれなかった。友人や恋人、両親さえね。

 だから、とても些細だけれど、君に好意を、多分『愛』というモノを持てた君は、僕にとってとても重大な存在なんだよ、茉璃嬢」


 その、とてつもなく奇異なプロポーズに、私はなぜか腑に落ちた。

 そして、ファンタジーストーリーを、脳内再生する。


 足掻いても愛を手に入れられずいた、その後遺症で誰も愛することができなくなった私と、長年愛という概念を知らずにいた月臣と私は、まるで醜い化け物の兄弟のようだが、指輪が光る手を繋ぎあい、子宮のようなぬるい寝台の上で寄り添い、白い衣装をお互いに着てブーケトスの代わりに、いつか妹の子宮で子供を育むことができるのではないだろうか?


 その夢想に思わず鼻先でせせら笑いそうになってしまったが、私はなぜか嘲りの代わりに、「はい、結婚しましょう」と承諾していた。



——もしかしたら、もう誰からも愛されない、愛を知らない人生に、無意識に私は絶望していたのかもしれない。


※※※


——それから十年後、私は移植された茉昼の子宮の中にふたり目の子供を宿していた。



 難関大学を卒業して一年が経過した後、私と月臣は結婚式という茶番を開き、豪奢な教会で有象無象の中、重いドレスを纏いながら、永遠などないというのに大仰な愛を誓った私たち。


 その二年後、道楽で塾講師をしていた私の胎に、後に長女となる子を孕んだ。

 つわりが酷く何を口に入れても嘔吐し、貧血で死相のような顔を晒しながら気絶したり、徐々に重くなっていく腹を何度も腹を蹴り上げる我が子に、私は疲弊する毎日を送っていた。

 不幸中の幸いは、夫としての義務と私への以前より増した愛情があるらしい月臣の繊細な心配りと対応や、家事をすべて仕様人が完璧に熟してくれたことだろう。


 そんな苦痛の果てに産み落とした子は、女児で、抱き上げると頼りないほど柔くミルクの香りが仄かにする。私を見つめる目は、ウィステリアの花房のような色に琥珀が滲み、産毛は桃色がかった柔らかな亜麻色をしていた。


 私の双子の妹がかつて宿していた色彩と彼女が愛していた男の眼色が混ざった眸と、私より淡い茶髪に妹の桃色を溶け込めたお(ぐし)を持つ我が子。


 十年前、妹の子宮を胎に植えられ、その胎の中で育てていたから、彼女に似ていても不思議ではないだろう。


 そう思いながら、私は重い腹を摩ってソファーに座りながら、娘が人形遊びをするのをぼんやりと燻んだ目を微笑の形に細め、ぬるい倖せに微睡むように眺めた。


 幼いながらも輝かんばかりに美しく愛らしい娘の名は、愛世(あいせ)という。

 『この世の全てが彼女を愛せ』という傲慢な願いを込めた名前は、月臣が名づけた。


 名前など他人を識別するための記号としか思っていなかった私にネーミングセンスなどは皆無で、彼が娘につけた名に対しても、あまりポピュラーな名前ではないが、所謂キラキラネームやDQNネームのような奇異なモノでもない、ということしかわからない。


 でも、娘が産声を上げた数日後、看護師から手渡された彼女が、初めてその藤色の目で私を見上げたとき、ミルク色の顔に向日葵のような笑顔を浮かべ私に手を伸ばしたのを見て、「この子を大切にしなければ。守らなければ」という使命感が、天啓のように私の背筋を貫いて、これが所謂『愛』というモノだと云うことだけはわかった。


 そして、同時に子宮を骸から抉り出された、妹、茉昼の最期を思い出す。


『姉さん、っ』


 と鈴が転がるような澄んだ声で私を呼びながら、彼女はその華奢な腕で、守るように私を抱きしめた。甘い砂糖菓子のような香りに包まれて、私は嗚呼、そうだったのか、と朦朧とする意識の中ようやく気づいた。


——妹は、茉昼だけはこの世界で唯一私を愛していたんだ、と。



「お母さん、どうかしたの?」


 回想の海に浸っていたら、娘がてこてこと人形を持ったまま私の元へ歩んできて、私は首を傾ぐ。すると、愛世は妹とよく似た造作の顔を不安げに顰め、


「だって、お母さん、泣いているから」

「え…?私、泣いているの?」

「ええ、そうよ」


 娘の言葉に少し動揺しながら、頬に触れると生温い水分で指が潤って、私は思わず苦笑する。


「お母さんの死んだ妹のことを思い出して、少し悲しくなってしまったの。心配をかけてごめんね」

「…そうだったんだ。お母さんの妹はどんな方だったの?」


 子供らしい唐突な問いに、私は躊躇いなく口角を上げて、茉昼とは似ても似つかない、アルトの声音を1オクターブ上げて云った。




「——私のことを世界で一番、愛してくれた子よ」


 

 


 


 


 


 

 

 

 

 






 

 

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