ソフィア・エレノア
6歳、悪戯で乗せられた高台から落下し重傷。
壊死した左足を根元から切断し、2年の昏睡状態を経て意識を取り戻したのが9歳になる誕生日の当日。
存在が隠蔽されることはなかった。
15人兄弟その末子、第六女。
精神障害を煩う父に、兄弟で最も愛された娘の静き儚き人生にある。
遊び盛りの年齢、車椅子では運動不足でいかないと、両親は彼女に一本の松葉杖をやった。
運動神経の良い乳幼児期の印象が影響していたのだろう。決してスポーツではなくとも、末子の娘には自由にいきてほしいと父は願った。可能性を潰したくはなかった。少なくとも、これ以上。
その願いも打ち砕かれることはなく、半月もすれば彼女は自らの相棒を巧みに操っていた。父からの異常な愛情を妬んだ兄弟たちが彼女を転かそうにも、それを考えるような年齢の兄弟はいなかった。13子、14子はどちらも幼くしてこの世を去り、12子は彼女が9歳の頃には既に15歳、大人だった。
たった1人、結果として健やかに育った王女であった。
一回りも1子長男は、一歩一歩とゆっくり歩く妹を見かける度に、腰を屈めて声を掛けた。
彼女をよく気に掛けたのは10子4女、そして11子5女、2人の姉だった。
10子4女は華やかな性格で始め、彼女を酷く嫌っていたという。悪戯のつもりでたった1度きり、彼女の松葉杖を折り怪我を負わせたのはこの姉である。姉は言った。
「美しき我が一家にとって、貴方のような欠陥品はいらないわ。父上はお慈悲の深い方だから捨てられないのよ。母上は世間体ばかり気にするわ。だから私が代わりを務めるのよ」
当時15歳の姉は、末子の息を呑む美貌に嫉妬していたのだ。
漆喰が固められたような白い肌は日焼け知らず。後に言う近親婚の影響により幼少から白髪と化した毛髪は眉毛・睫毛にまで達していた。彼女らの母親はこの美貌を何とかして世に放とうと考えた。末子の意識が取り戻されたと、1度国民に姿を現したのは彼女の上半身のみ。白すぎるその体はいよいよ国王の精神障害と王妃への影響で常人に頭を抱えさせた。
義足という当時未発達の技術を求めるための金を惜しまなかった。鉄製の義足を作らせ末子に与えたが、嫌がる彼女の我が儘を受け止めたのは父で、以降彼女の寝所には父親が付き添い精神異常で引き離されるまでの時を共にし続けた。
11子5女は姉に言った。
「完璧こそ王族の象徴たる理由。けれど私はこの子にそれを満たす必要があるとは思わない。私たちはこの子にただ愛情を注げば良い。この家の誰も、この子に正しい愛を贈れていないんだから」
以降、社交的で交友を築くのが上手い4女は兄弟の中でも大きな権力を持つ、それでいて掌握しやすい4子長女を一時的な味方につけ母親を末子から引き剥がす、諦めさせることに尽力した。
後に、5女は末子にだけ、こう話した。
「兄弟で最も馬鹿なのが誰か分かる」
それは疑問形の言葉だった。抑揚のない彼女の言い草に、末子はただ首を傾げる。
角度を付けた頭を優しく自らに寄せると、5女は語り続ける。
「馬鹿でないのが、私だけなの。みーんな馬鹿。何かのために生きてる。その意味、分かる」
また疑問形だった。
5女より下にはかつて、2人の男児がいたがどちらも既に亡くなっている。末子からすれば最も年の近い兄弟が5女となる。
読書が好きだといい、4女に比べ遙かに知力の感じる話題展開をする5女との会話が、末子は嫌いではなかった。何を言っているのかはほとんど分かっていないが。
「絶対に、誰かと一緒に生きたら駄目だよ」
そう、姉はよく言うようになった。
「絶対に、あんたを自分のものにしようとするやつが今後現れる。あんたの美しさに惚れるの。そんなの、みーんな悪い奴だよ。女性の幸せは結婚して子供が生まれることだって、母上に言われた?忘れて。こころを許すのは信頼があるから。あんたは、人間に心を開ける?私は出来ない」
4女が結婚適齢期を大きく逃して従兄弟に嫁いだときも、5女は言っていた。
「絶対に、幸せになれないよ」
どうして、と聞いてみたかった。
宮殿で華々しく婚礼の式を挙げる姉を見つめながら、5女はまた彼女の肩を抱いた。
5女が唯一、心を開いた存在だった。
5女の独身主義は、末子が亡くなって以降も続いた。
壊れた漆喰を撫でながら、彼女は今日もその日あったことを全て告白し、抑揚のない疑問形で尋ねる。
とても、疑問形だとは気づけない波長だ。
けれど問題なかった。
末子には5女と共にした時間全てで、言葉を返せる方法がなかったからである。
短すぎる短編ですが、いくつか書いてきた無機物オチとシリーズ化しそうな勢いです。書きやすいんです。