Episode 3 歯車の刻む予兆
レンは指先で封印の符号をなぞると、小さく微笑んだ。
そして、その箱に軽く息を吹きかけると、まるで眠りから呼び覚まされたように、封印術式が微かに輝きを帯びて揺らめき始めた。
――カチッ。
鈍い音とともに、箱の錠が外れる。その瞬間、部屋の空気が一変した。
まるで見えない誰かが息を詰め、部屋そのものが緊張を孕んだかのように、沈黙が重くのしかかる。
レンはそっと蓋を開ける。
中にあったのは、一片の精巧な機械だった。
掌ほどのサイズで、歯車と石英、金の線材と漆黒の核から成る小さな“心臓”――それはまるで、機械でありながら生きているように、ゆっくりと回転を始めていた。
――カチリ。
ひとつ、歯車が回る。
それが、ただの物理現象ではないことは、詩織にも直感でわかった。
――カタリ。
――キィィ……
機構の内部で、複数の小さな歯車が音もなく組み合わされ、まるで遠い過去から何かを呼び起こすように、静かに動き出す。
「レン……これは……」
「目覚めたのよ。この“記憶”が。誰かが近くに来たのかもしれないし、あるいは、わたしたちがこれを“思い出してしまった”から」
レンの目が、不思議な光を宿していた。
「これはね、ただの装置じゃないの。魔法を数式で記述する時代――“理論魔術”が誕生する直前、最後の“直観魔術”を結晶化したもの。
魂を写し、記憶を模倣し、人の心そのものを演算する――“感情演算核”。」
「……まさか、それって――」
「ええ。人間の意識を模倣し、時に上書きする。そういうものが、かつて造られたの」
レンが手にしたその核は、静かに脈動していた。
どくん。どくん。まるで生きているかのように。
そして――
その脈動に呼応するように、屋根裏の壁の奥、石造りの天井裏から、かすかな機械音が聞こえてきた。
――チチチッ……カリ……カタリ……カタリ。
「……!」
詩織が振り返ると、誰もいないはずの壁が、まるでそれ自体が歯車仕掛けであったかのように、ゆっくりとずれていた。
ギィィィ……
その奥には、隠された通路のような空洞。
中から漂う空気は冷たく、だがどこか“懐かしい”。いや、“思い出したくない”と言うべきだろうか。
レンが目を細める。
「……やっぱり、動き始めたみたいね。封じられていた“過去”が」