7。そういえば、これ初対面じゃね?
彼女から発せられたその確かな言葉を聞いた瞬間、僕は一瞬にして全ての生命活動が静止した。僕の体が真っ白になった。そして、その直後、僕の心臓が激しく鼓動を再び動かし誰かに鷲掴みされているような感覚に襲われた。心臓の鼓動が先ほどよりも比べ物にならないほどに早くなった。呼吸もそれに伴い荒くなっていく。そして、僕は再び彼女の言った言葉を理解した。
キ、キス。そんなこと、したことがない。もちろん想像や映画などでは嫌なほど見てきた。しかし、現実でそんなこと・・・
僕はしかし目の前にあるその片木さんの顔を見て、満更でもなくなってきた。なんだ、その顔。その唇。意識できないはずがない。これは、そういうことなのだろうか。彼女が言ったその真意はわからない。でも、この状況なら、僕の好きのように曲解してしまうぞ。落ち着けよ!僕!
僕は彼女の目から視線を外そうとしたが、なぜかその視線を動かすことは出来なかった。まるで彼女が僕を操っているかのように。
僕はずっとキスを待ち望みそれについて妄想してきた。ましてや可愛い子なら誰でもいいはずじゃないか・・・
で、でも・・・いざそれが現実に起こりうると・・なんだか・・・「怖い」・・・・なんだよ、これ。
こ、超えてしまってもいいのか・・・この線を・・・超えてしまったら、僕は僕を制止できるか、わからない。この線引き意識こそが、何か僕に最後の歯止めを与えている気がするのだ。いきなり、会って間もない女性とキス・・・いいのか・・
しかし、僕は彼女の青い瞳を、その深淵がどこまでもどこまでも奥にまで続いている彼女の瞳を見ていくうちに、意識が遠のくような感覚に襲われ、そして唾を飲んだ。
しかし、その瞬間だった。
「な〜んてね」
そういうと、彼女は顔を僕から遠ざけた。
「え・・・」
「いやいや、ごめん。今のは忘れて。冗談よ。アメリカンジョークってやつ」
「・・・・・・・・」
ただ、僕は唖然としていた。それが今の自分にとっての義務であるかのように。
初対面にこんなこと、アメリカンジョークなわけなくないか・・・
困惑している僕をよそに、さらに彼女は少し皺のついたスカートを手ではらい、こう続ける。
「あなたの目を見ていたらついちょっかいかけたくなちゃって」
「・・・・・・・・」
「まさか、本気にしちゃったの?」
「そ、そんなわけないだろ。初対面の女の子にそんなことできるわけないじゃん!」
「ふ〜ん。確かにそう思ってたかもしれないけど、最終的にはしたかったんじゃないの?」
「なわけ」
「いや、ただのヘタレ野郎だったりして・・」
「な・・・!」
しかし、彼女の言っていることはあながちというか、全然間違っていなかったため、僕は言い返すことができなかった。なんか腹が立ったような気がした。
「まあ、いいわ。今のであなたのこと、少しは分かった気がするから」
「ほ、ほう・・・」
冷や汗が頬を流れる。
「でもやっぱり私、出会った時から思ってたけど、あなたとはなんだか気が合いそうな気がする。今のではっきりしたわ。あなたの瞳を見てみて。」
「・・・・・・・・」
「でも、困らせちゃったのは申し訳ないわ」
「い、いや。全然いいよ。本場のアメリカンジョークってやつを聞けたんだし」
僕はそういった。そんなわけないけど。
「あ、そうだ。あなた・・・まだ名前は私しか名乗っていないわよ。アメリカでも、日本でも、相手が名乗ったら自分の名前ぐらい教えないとね」
・・・・・・それはそうだ。
相手はごもっともなことを言っているのに、どこか腑に落ちない。そんな気分だ。なぜだろう。
「佐久間久斗・・だよ・・・」
恐る恐る名前を名乗った。
「佐久間くんね、これからよろしくね」
そう、先ほどとはまた何か違うような笑顔で返事をした。
彼女はその後足元に置いてた片木さんのものらしきバッグを僕の隣の席に置いた。
「私、この後職員室に行かなければならないから、また後で」
「・・・・・・・・」
そういうと、颯爽と教室を出ていった。
なんだ・・・これ・・・
なんだったんだ、あれ。
なんだっ・・・
この静かな教室に再び、僕は取り残された。
僕は、何もいうことができなかった。
ただ、一人奇異な気分に襲われるだけであった。
でも、一つだけ確かなことがある。彼女の瞳には何か僕を吸い込むような力があり、未だかつてあったことがない前代未聞な人間であることを。