10。淵
冷たく、そして暗い雨水が僕の全身に構うことなく打ち付ける。顔面にもその雨はうちつけ、目を細めながらただ走る。ピチャピチャと一歩踏むたびに音ができる中、ただひたすらに駆けることしかできない。空はますます雲が厚くなっていき多量の雨も相まって太陽の光はもはや微かしかなく薄暗い空間が続いていた。わずかしか見えない前をほとんど感で走る。時折、その場で座り込み荒い息が当たり一体に響く。
あの光景、、、あの、、、
なんだろう。この気持ちは。なんだよ。僕は男だ。男なんだ。男のはずなんだ。ああいう場面なんか、一度は、いや何回も妄想してきた。気持ち悪いとか言う次元の話じゃない。でも、なんだよ、この気持ち。なんか、晴れない。晴れるわけない。むしろ、、、
僕はびっしょりと濡れた髪を両手で抱え込みくしゃくしゃと掻き回した。
大雨の中、あたり一帯には誰一人、車すらいない空間に僕がただ一人座り込んでいる。今だけは、誰か、誰かと会いたい。でも、こんな時に限って僕はこの世界で一人しかいないように感じられるんだ。
僕は考えがえるのをやめようと、再び歩き出した。
家に帰り着いたのは、いつだっただろうか。
その後、バスには乗らず、今日の朝来た道をただなんとなく走った。むしろ、僕は迷子になりたかった。それでも、迷子になることはなかった。玄関の床が、僕から流れ落ちる水滴で軽い水溜まりのようになっていた。僕の心の中は大洪水そのもの。
雨音がそれに拍車をかけるようだ。壁一枚通したところで、雨音はずっと聞こえる。
僕は靴を脱ぎ、真っ先に自分の部屋へと向かった。廊下を水で濡らしながら。暗闇のこの廊下が、すべてが、何か暗いもののように感じる。
「まずは落ち着くんだ。落ち着け」
僕は手を胸に当て、ゆっくりと、ゆっくりと、深呼吸をした。そのゆっくりとした呼吸とは反対に、心臓は激しく鼓動を打ち、一層外の雨音が大きく聞こえる。
僕はさっきの光景を忘れようと、必死に何かしらの作業をしたかった。
その時、あることが僕の頭の中に飛び込んできた。
「そうだ・・・僕は・・・今日やらねばならないことがあるんだ・・」
それ、を、それ、との因縁を全て断つため、僕は、それをどこかで焼かなければならないんだ。
焼かなければ・・・
僕は、その濡れた全身でも、全く気にかけることはなく、それ、が隠されている棚の前に立ち、そこにある本たちを一切構うことなく投げ飛ばした。
奥には・・・紙で作られた箱があった。
僕はそれをゆっくりと取り出した。
ドクンッ・・・
ドクンッ・・・
ドクンッ・・・
心臓の音がうるさい。
うるさくてたまらない。
その、ジェットコースターにでも乗って、急降下する時のような胸の浮遊感が、それに追い打ちをかける。僕は、余計なことをした。
悪い、悪い方向へ、、、
だめだ、、、、
だめ、、、だ、、、
血流が、今まで以上に早く、僕の全身を流れる。頭、胸、腹、下半身を。
体の下の辺りが・・・熱い・・・熱い・・・
何かが・・・
ただ、その血流に従って、僕の体を流れる血流に従って、ただ・・・
・・・ゆっくりと、僕はその箱を開けた。
なぜ開けたんだ。なぜここで開ける必要があるんだ・・・
その中には、ほのかなピンク色をした・・下着があった。
この暗い部屋の中でも、それははっきりと見える。その光景は、あの時を思い出せると同時に、彼女の、つい昨日あった彼女の姿が同時に重なった。いや、昔の彼女の姿に・・・
僕は考えるのをやめた。やめてしまった。
そして、まるで、川を流れる水のように、滝から流れる清水のように、ズボンへと僕の手が、緩やかに動く。
その禁断の、扉を、僕は開けた。




