6.下僕は靴下を欲しがる。
「おはようございます。残念ながら本日は曇りで……はっ、お美しい。その瞳は美しい青空、髪の毛は煌めく黄金の太陽。あぁ、貴女様を見れば、くもひとつない、晴れ渡った清々しい気分の一日になります♡ ご朝食を用意いたしました」
「……」
「召し上がってください。エリ様の血肉になりたいと自ら育ったラディッシュとサニーレタスのサラダです」
「……」
「っ、私の作った料理を、エリ様が頬張られて……はぁはぁはぁ」
「……そろそろ」
……犬の飼い方を学ぶべきか。
思い立った私は、朝食のあと身なりを整え、山のふもとから出ている乗り合い馬車に乗り込んだ。
ついてきたがるルディを制して、留守を頼んだ。
ふぅ、と馬車の中で息を吐く。
目的地はアルロットではなく、その先にある街だ。
以前、一度ルディを連れて街に行ったことがある。そこには大きめの本屋があり、ペット関連の本も置いてあるだろう。
──正しく、導いてやらねば。
今後、ツガイたる女性がルディの目の前に現れてみろ。その女性がルディの行動を受け入れられるか? いいや、彼が私の足を恍惚とした表情でベロンベロン舐めているのを知ったら──引く。間違いなく。
もっと早く“犬の気持ち”的な本を購読すべきだった。
「──どこだ? ここは」
悶々悩んでいたら、気づいた時には馬車が知らない方向に向かっていた。
農村地帯にじゃないか。畑、田、水はけの悪いぬかるんだみち……
そして、田舎のど真ん中に佇む厩舎の前で下ろされた。
山のふもとで馬車に乗る時、押し合いする満席の馬車と空席の馬車があったことを思い出す。
同じ方向のみだと思い込んで、空席の馬車に乗ってしまったようだ。
ぽつん。
途方に暮れて、その場で思案していると、馬の蹄の音がする。
その方向を見れば、ルディが馬に乗って一直線に向かってくるではないか。彼は私の前で止まり、馬から降りると頭を下げる。
「ほう、私を迎えにきたか。なかなか気が利くではないか」
「はっ、有り難きお言葉でございます」
ルディは私を馬に乗せると、軽やかに彼も私のうしろに乗り込んだ。
「……」
あれ?
背中に当たる胸元が逞しいのに変わっていて、少し驚いた。
腕もこんなに太くなって……
私が子供になって包まれているようだ。
振り向いて、まじまじとルディをみつめる。肌や髪は張りや艶があり、その表情は自信が漲っている。
もう奴隷の表情じゃない。
言動はおかしいが、誰が見ても立派な獣人だ。
それこそ、私が主人として上手くやれている証拠に思える。
「え……、と? あの、キラキラした瞳に見つめられると、私の胸が……」
背中からルディの心臓の音が激しく鳴っていて、思わず口元が緩んだ。
「──っ!?」
すると、ルディがあんぐりと口を開けてまま固まる。
ぶるっと震えたあと、人間の言葉を忘れたかのように「はうっ……きゅうぅん⁉ きゅん、きゅぅううん⁉」と鳴き声をあげる。
身じろぐので、急に不安定だ。馬も驚いている。
その鳴き方ははじめてだと思いながら、落ち着くように彼の頭を撫でてやった。
◇◇◇
日々の暮らしの中で、私が迷子になることは多々あった。
だが、私がどこで迷っていても、ルディは必ず日が沈むころには駆けつけてくれる。
それは忠犬ならではの特技だった。
ルディはGPS並みに鼻がよく効く。
そんなある日、外から屋敷に帰ってきた私に、ルディは足湯を準備しながら言った。
「エリ様、脱ぎたての靴下を私にください」
「脱ぎたて? ……痴れ者め。恥を知れ」
「いいえ」
おかしなことにルディの顔は大真面目だ。
「今回、エリ様が迷われた場所は、屋敷から距離があり把握し辛かったです。いつもはエリ様の脱ぎたての上着を拝借して枕元に置いておりますが、それでは足りないことが分かりました」
「……」
上着を部屋に持ち込んでいたのか……
下僕として、忠実に職務を全うしたいのだろう。犬とは厄介な生き物だな……。
「さ。お疲れでしょう。足湯の準備が整いましたので、靴下を脱ぎましょう」
ルディは私の太もものガーターベルトから靴下外し、脱がそうとする──が、その手を掴む。
一日中、穿いていた靴下を嗅ぐ……この靴下を……
「それは許可できん」
「拒否します」
「拒否だと……?」
「えぇ、エリ様の方向音痴っぷりには私も困っているのです。御身を案じる私の気持ちにもなってください。私は濃い匂いを求めているのです」
確かに、ルディが必ず私を見つけるはずだと分かっているから、思うがままに歩を進めている。それを自覚しているが……
「いや、だ。……私にも……羞恥がある……」
「……っ」
「恥ずかしい」
「──ぐぅうぅう!」
何故か、ルディは胸元を手で押さえこんで、地面に突っ伏した。
紅潮した顔ではぁはぁはぁはぁ♡ と荒い息を吐いたかと思えば、立ち上がり──柱に頭をぶつけはじめたのである。狂気の沙汰。
「き……、気でも狂ったのか」
その言葉にルディは頭を打つのを止め、こちらを振り返る。その額から出血が出ているではないか。
「失礼しました。話を続けましょう」
ルディは額から出る血が鬱陶しいと言わんばかりに、出血止めのテープを頭に張り付けた。
「……今のは、どうした?」
「はい。エリ様の可愛らしさが限界突破してしまったようです」
「ほざけ。話を反らすな。今のどこで、私を可愛く思えるのだ」
「えぇ、毎秒毎分……しかし、それをお伝えしていたら、用意した湯が冷めてしまいます。とりあえず靴下を脱ぎましょう」
「……」
ルディの奇妙な言動は今にはじまったことではない。
「仕方あるまい」と許可を出すと、ルディは私の靴下を脱がせはじめた。
よく歩いたあとの足湯は心地いい。
「ふぅ」
「足が張っておりますね。念入りにマッサージさせていただきます」
ルディは私の足にオイルを塗り込み、指圧しはじめる。
極上の心地にうっとりして、薄目になっていると、彼が脱がせた靴下を懐に仕舞いこもうとする。
「お前はいつから主人の命令に背くようになった。何度も言わせるな、愚か者め」
「……っ、はい」
忠犬として、これ以上主人に逆らうのは本意ではないようだ。
ルディは耳も尻尾も伏せて仕舞った靴下を出した。靴下を離そうとして、その手が……震えている。
そして彼はギリィと歯を食いしばりながら、横にある籠に入れた。
それだけで涙目だ。
「……では……はぃ……うぅ……では、今日もお洋服をお借りします……」
悲壮感溢れている。それほどまでに靴下を求めるなんて……
なんだかぞくりと寒気がして、翌朝、私は念のために貸した服を返すようルディに申し出た。
洗って返すとごねるルディを制して、部屋内に入ると、ベッドの上で私の服がびちゃびちゃになっている。舐めたのか?
だが、私を驚かせたのはそれだけじゃない……
「なんだ、この部屋は」
今の今まで、ルディの部屋には入ったことがなかった。
部屋中、どこを見渡しても私だ。
私の似顔絵がびっしりと飾られているではないか。
「すべてお前が書いたのか?」
「はい……♡」
ルディは絵の才があるようだが、これほどまで部屋中に自分の姿があると、げっそりする。
「下僕たるもの、いつも主人のことを想うのは当たり前でございます♡」
「……」
私は、やはり下僕の育て方を間違えてしまった。