2.呪いなんて、私の力を持ってすればすぐ…
◇◇◇
「ここは、私の師である魔女クロエの別荘だ」
リリロネット城から離れ、真っすぐに向かった先は、国境付近にある山の奥地。
空の上からよく分かるそこに、ひっそりと佇む三角屋根の家がある。私はクロエに頼まれて、この家の管理をしていた。
クロエは王宮では教わらないことを教えてくれる唯一の人だった。
放浪癖があるから、一度旅に出たらなかなか帰ってこない。その性格はあっけらかんとしていて、私たちが住んだって気にも留めないだろう。
私のあとを付いてくる三角耳の獣人に振り返った。
酷い悪臭がする。だが、まずは──
「下僕、そこに腰をかけなさい。猿ぐつわを外してあげましょう。そのあと、鎖だ」
私は椅子座れと指示したつもりであったが、獣人は地べたに座り込んだ。そして先ほどから俯き加減で陰々としている。
近寄っただけで、さらに彼は下を向く。
そんな彼の猿ぐつわを取って、「下僕よ、名乗れ」と命じるが、一向に話しはじめない。
「話せ。お前が私の言葉を理解していることは分かっている──ん?」
私は獣人の手錠に嵌められて手錠に目を向けた。手を翳せば複雑な魔術紋が刻まれているのが分かる。
見たことがない呪文だが、何かしらの拘束魔法であることは理解できた。
「物言えぬのは、これが原因か」
「……」
「ふん。言葉を話せない下僕など、役に立たん」
私もコミュ障を極めているというのに、下僕まで言葉を話せないとなると不便過ぎる。先が思いやられる。
「手を突き出せ。呪いごと手錠を壊してやろう」
「……っ⁉」
「何を驚いている。愚鈍な奴め、私に何度も言わせるな」
獣人は下げていた腕をそろりと上げる。そのままの状態でいるように指示をし、呪文詠唱をはじめる。
自分の手元から眩い光りが溢れる──が、この鎖の呪いは強力なもので、私の力は跳ね返されている状態だ。
侮っていたわけではなかったが、手錠を壊せないことに、純粋な驚きに包まれる。
私は王国内でも随一の力を誇っている。
なのに、この手錠を壊せる可能性が低いだと……?
間違いなく高位魔術。
これを使える術者は、私と同じレベルの最高位ランクだ。
高位魔術を、たかが奴隷の獣人にかける必要があったのか。
「……っ」
解除する魔法が跳ね返されて、手先に電流が流れ、痛みが走る。
「……くっ、そったれ!? 一体なんだ、この強力な術は⁉ 私が術負けするなど有り得でしょうっ⁉」
嘘だ嘘だ嘘だ。
この私が、術負けするですって……
腕が限界だけど、最強だと謳われてきたプライドで、足を踏ん張る。
冷や汗が額から頬を伝い、ぽとぽとと落ちていく。
震える手で、手錠にありったけの魔力を注ぐ。
すると、恐ろしいことに手錠の呪いは、私の魔力を食いはじめた。
このまま術負けすれば、ただではすまない。集中を切らせば、死ぬ。
ただでさえ神獣召喚は魔力を消耗するというのに──。
そして、手錠を翳している両手の指が、音を立てておかしな方向に曲がり始める。
──術返し。
痛みで目に涙が溢れてきた。それを我慢しながら、八つ当たりにも獣人を睨む。
「──っ、ぼーっと眺めているんじゃないわよっ! 下僕が呆けてどうする!」
怒鳴ると、びくぅっと獣人は肩を揺らした。だが、何をどうしていいのか分からないのだろう。その表情は焦りと困惑が浮かんでいる。
「応援のひとつでもしろと言っているのだ!」
「……っ!」
彼はさらに驚き、目を見開いた。そしてようやくまともに視線が合った。
長い銀髪に隠れた目の色も銀色で、太陽の下なら特別綺麗に輝くだろう。
「……」
──まぁ、応援と言っても、困るわよね。
遠のいていく意識の中で、私はそう思った。
呪いだけは解いてやらねばと、最後の力を絞った──……
今日という日は、何もかもあり得なさすぎる。