1.王女、前世を思い出して、暴れ狂う
阿呆くさい。
見ていられなくて私は内心で悪態を吐く。
城前の広場に仮設された断頭台に立つのは、鎖で両手を縛られ、口に猿ぐつわをかませられた罪人だ。
罪人の十代半ばの男の頭には、獣の三角耳としっぽが生えている。
海を渡った東の王国にいる獣の特徴を持った種族だ。
そして、この獣人が犯した罪とは王族殺し。王族が乗った馬車を、的確に狙った計画的犯行。
だが、見るからにやせ細った貧弱な獣人が、護衛が囲んでいる王族の馬車を狙い、たったひとりだけを的確に狙うなど、どんなに訓練を受けている暗殺者だって難しい。
──どう見たって、冤罪だ。
城の二階席で、その光景を今の今まで息を潜めていた。吐き気が催すために口元にハンカチを押さえて……
だけど、獣人が断頭台に立った時──世界がぐにゃりと揺れたのだ。
それは、透明な水に黒を数的垂らしたみたいな歪み方だった。
激しい頭痛と吐き気が襲ったと思ったら、一瞬で痛みも気分の悪さも引いていった。
瞬きを数回したあと──
渋沢高校二年、女で番を張っていたっけ。と日本人だった前世を思い出したのだ。
あぁ、だけど前世もろくでもない環境だった。死んだ母方の祖父が暴力団の幹部だとかで、友達も彼氏もいやしない。学校でも街中でも私は腫れ物みたいに扱われ、捻くれ街道まっしぐら。
だけど、何があっても気だけは張れという父の言葉とともに育った前世。
──気丈に生きる。それが、今のエリザベス・ヘリディスとは違うところだ。気弱で王の駒のひとつでしかない第二王女。
だから、今、さいっこうに阿呆くさい。
私は自分自身に悪態を吐いたあと、周囲を見渡した。
断頭台に群がる国民は、一体何を考えているのか。
物言えぬ愚民め。阿呆の塊。
あまりにチープな光景に私は呆れかえって立ち上がった。
突然の第二王女の行動に、視線が集中する。
「その処刑──即刻やめよ」
張り上げた声は広場全体に響き渡った。私の喉は大きな声など上げてこなかったから、ひりつく。
横に座る私の婚約者も、父の言いなりの兄弟たちも真っ青になっている。
王に歯向かえば即刻死刑。これは王が決めた処刑だから、これを覆すことは私自身の死を意味している。
だが、私は敢えて、前方に座る父、グウェンドリン王に声を放つ。
「この者は冤罪です。罪なき方を断罪することは許しません」
王の表情が激しい怒りに目を釣り上げたが、私が空高くに手を伸ばせば、たちまち顔色を変える。
そう──
歯向かうことを知らなかった私だが、特別な才がある。王が私を近くに置きたいのは、いつだって、この私が最強の守護者だからだ。
──前世を思い出したからには、幼き頃から洗脳した甲斐も、もうない。
「我、エリザベス・ヘリディスが命じます。使い魔よ、今すぐ私がいるこの場所と断頭台を壊しなさい!」
私がそう声を張り上げた瞬間、青空はたちまち真っ黒な雲に覆われた。
稲光が走り、吹き荒れ始める風にその場がたじろぐ。
兵士たちが私に刃を向ける前に、私の使い魔は的確に大きな雷を城に打ち付けたのだ。
私の足元ごと崩れるが、落下はしなかった。
力ある使い魔が空から舞い、その長い背に私の身体を乗せたからだ。
「し──神獣! ホワイトドラゴンだ」
その場は落雷と神獣の姿に驚きと恐怖に包まれる。空にはいつでも落雷出来ると脅す雷鳴が轟く。逃げ出す群衆、怯えながら私に刃を向ける兵士たち。辺りには炎に包まれている。
「──はっ、あははっ」
喧騒をみていると、笑いが漏れた。
私を縛っていたものはこんなにも、どうでもいい!
「何も考えぬ愚か者どもめ! お前らを縛る王はそれほどに偉い者か、従うべき者なのか⁉ 城は破壊した。雑魚は雑魚らしく一から何もかもやりなおすがいい!」
ここにいる者に私が尊敬するものは何もない。未練もない。命の尊厳を知らぬ王と同類にはなりたくないため、殺しはしない。ただ、この場にあるものは壊していく。
私が手を上げる度にその場に雷が落ちるものだから、皆が「悪魔」だと叫び、私に向かって矢を放つ。だが、神獣の覇気でその矢は当たることなく落ちていく。
「愚か愚か愚かっ! 神獣使いの私にそんなものが通用すると思っているのか! あーっははははは!」
高笑いしていると、ポツポツと雨が降ってくる。
黒々とした雲と風がこれから強い嵐が起こることを意味している。人を巻くのに丁度よく、私はこの場から離れようと、ドラゴンの鱗で覆われた身体を撫でる。
「……すみません、私のドラゴンよ。壊した断頭台の元へ連れて行ってください」
使い魔であるドラゴンは、ただ私の声に従い、断頭台に傍まで私を運ぶ。
近寄ると、獣人は耳も尻尾も伏せて、震えている。私と同じ年か、年下で十五、六歳といったところだろうか。
この者、よほど酷い扱いを受けていたに違いない。全身小さな傷跡、汚れがこびり付いて真っ黒だ。
もし、弱々しいこの者が、本当に極悪非道の人殺しなら。
そしてこの者が今後罪を犯すならば、──すべて私の見る目がないせいだ。
私は三角耳の獣人に手を差し伸べる。
「ここにいれば無駄死にだ。選べ。下僕としてならおいてやる」
獣人は目を見開いて呆然としていたが、「すぐに選べ」と迫った。
獣人は腰までの長い髪の毛の隙間から見える目を見開いたまま、動かない。
……早く決めてくれ。
その手が汗ばんできた。
悪役ぶっているが、私は──この状況がとてつもなく、しんどい。
前世の記憶が戻ったとはいえ、私は長年父に逆らわず、意志を殺して大人しく過ごしてきた人間だ。
ストレスが酷い。
手は震えているし、今にも吐きそうになっている、胃も痛い。
あぁ、こういうのを適応障害というのかもしれない。
「早──く」
言いかけた時に、私より少し大きめで細い手が縋るように伸ばされた。
それを見て、私は獣人の手を強く掴み、一気に引き上げドラゴンの背中に乗せた。
腰をしっかり掴んでおくように指示したのと同時に、ドラゴンは遥か上空へ飛び、生まれ育ったリリロネット城を離れた。
お読みくださりありがとうございます。毎日更新します。一話だけ厳しめの展開ですが、二話からそうでもないです。