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花雨  作者: 夜待花波
6/9

疑惑

 

 気づかなかった、と世津子は息をついた。もちろん誰にもわからないように、そっと。すぐそこにいる運転手にも。

『護衛の方が目を配っていらしたでしょう』

 あの誘いを受けて行った美しい花の咲き乱れる公園では、自分の周りにいつもいる警備のための人員はいないと思っていた。

 一人――少なくとも友らといる間は――だったと。

(間違いだったのね)

 そのくらいなら良かろう、と祖父が言ってくれたのは、危険が減ったからではなかったのか。


 それとも。


 祖父はあっさりと肯定した。

「当たり前だ。何もせずに行っておいでなどと言えるわけがなかろう?」

 不満か、と続けられたが、それには首を振る。

「そういうわけではなく……わたくしの考えが甘かったのだと思いましたの。それだけですわ」

「そうさな。だがそれはお前のせいではないよ」

「そうなのですか」

 浮かんだ言葉を胸にしまおうかと一瞬迷う。だが、世津子は口にしてしまった。

「ただ、まだそれほどに危険なのなら、皆様にお断り申しあげましたのにと存じましたの」

 言い訳がましく聞こえただろうか。自分の心持ちになぜか素直になれないものを抱えているのを感じ、世津子は目を伏せた。

「そうはいっても、お前もいい加減に外に出たかったろう。友人にも会いたかったのだろう? だから止めなかったのだよ」

 楽しんできたのであろうと言われて首肯する。

「けれど、ご無理を申し上げたのなら……」

「そんなことを気にする必要はない。いいか、世津子。本当に外に出たら危険だというのなら、いくらお前の頼みでも外には出さんよ。もっと前、冬のころなら辛抱しておくれと言っただろう。だから先日のことは気にしなくていいのだ。気づいたお前の友人というのは、武道に長けておるという話ではないか、それなら気配に気づくものだ。優秀なのだろうよ」

 口をはさむことができないくらいに澱みなく祖父の言葉が続いた。

「なあ、世津子」

「はい」

「訊くが、家におるのは退屈か?学校へ行きたいか」

「え……」

 戸惑った。

「何かしたいのだろう?体を動かしたいと言ったと聞いたぞ」

「それは」

 口ごもる。が、これはいっそ自分の思うところを聞いてもらったほうがいいかもしれないと思い、世津子は気持ちを切り替えて祖父に己で己が身を守りたいのだと告げた。

「ああ、それは(はる)()に聞いたよ」

「もちろん、すぐに完璧になどとは思っておりませんの。ただ、少しでも、周りのお邪魔になるようなことはしたくないのと、できることを少しでも多くしたいのです」

 ふむ、と祖父は考える表情になった。



 世津子は呼吸を整え、墨をつけ、背を伸ばして和紙に筆の穂先を走らせた。

 すぐそこで母が墨をすっている音がする。いつものように、流れるような動作で墨を置き、筆を手に取り硯の墨汁にほんの少し穂先をつけ、紙にすいと文字を書いた。

 緩急つけた動作の後に残される墨の文字は麗しい。

 それを見、それから世津子はとなりに座る那美路の様子をうかがった。細い筆を手にして動かしている那美路の表情は硬い。やはりまだ緊張しているのだろうか。

 時折世津子の母が柔らかな目で那美路を見ている。と思えば自分のほうにも目を配っているので、世津子はまた自分の手習いに集中した。


『行儀見習いということですって。しばらくこちらにお世話になることになりましたの』

『まあ……どういうことですの?』

『世津子さんのことがうちの母の耳に入りましたのよ。それで、こちらに強引にお話を持ち掛けてまとめてしまったようで、私も驚いたの』


 初めて那美路が家を訪れたときにそんな会話をしたが、聞けばいつの間にか両家で話し合いがもたれていたらしい。それも、世津子の(けい)()を頼めないかと母の東子のほうが持ち掛けたという。それでは那美路から聞いたことと話が合わないと思ったが、何もかも、すべて決まってから伝えられた世津子はただ母の言うとおりにするほかはなかった。

(那美路さんにはご迷惑じゃなかったのだといいけれど)

 このように手習いをしたり、心の向くままに琴をつま()いたりすることは世津子にとってはほぼ(たしな)みであり日常であって、構えてすることではない。

 前回は一昨日で、その日は(はさみ)を手にして家の中の数か所に花を()けて回った。


『お待ちなさい、那美路さん。鋏を入れるのはそこではなく、もう一本手前の枝ですよ。よく見(きわ)めなければね』

『は、はい。すみません』

『恐れ入ります、とね』

『……おそれいります』


 顔を(しゅう)()でいっぱいにしてうつむき加減になる那美路を見、どう声をかければいいかと思いつつ、かといって自分も同じように叱責(しっせき)されつつ葉を取り枝をたわめ、余計な花を()んでいるようでは何もできず、ただ母に(いら)えを返すしかない。あとでお菓子を一緒に、それが無理なら母に隠れてでもわたそうと心に決めた世津子だった。

 那美路は週に二、三度来て(ちゃ)()()(ばな)、そして手習いなどをするという。必然的に世津子も同席するのだが、見ていると母は何でもないことのように那美路を受け入れ、自分にするのと同じように那美路にもあれこれと指導をした。

 それが終われば世津子と――いや、世津子の訓練というか、稽古に那美路は付き合い、汗を流すこととなる。とはいえ、世津子のほうは那美路と同じようにはいかず、彼女にしては準備運動にもならない程度の運動という事態であったが。

「はい、もう一度。繰り返して体に覚えこませるのが大事なのですよ。世津子さん、頑張って」

 息切れをしつつ那美路を見やれば、彼女は涼しい顔で笑みを浮かべ立っている。

「那美路さん」

「どうなさって?」

「どうしたら、わたくし、あなたの、ように、なれるのかしら?」

 あら、と言いたげに那美路が首を傾げた。

「それには、わたくしと同じくらいの鍛錬(たんれん)をなさってね、というほかないのよ。……ねえ、そんなこと気になさることはなくってよ。あなたを見て、同じことをお花を()ける時も手習いの時もわたくし思っていてよ?」

 しばらくの間、(あっ)()にとられ、そして世津子は笑みを浮かべてしまった。

「ええ。頑張るわ」

「ええ。お互いにね」



 世津子の様子は、と言った父の顔はあまり機嫌がよくなさそうだった。

「気晴らしにはなっているようですわ」

「それならいいが。柳原のには無理を言ったな」

「さあ、それはいかがかと存じますけれども」

 先方と話した様子ではさほど迷惑というではなく、むしろ娘の花嫁修業のために思う存分仕込んでくれと懇願(こんがん)されたので、それを伝えておく。すると父は多少ではあるが負担を減らしたらしく、笑みを浮かべた。

「それなら何よりだ」

「ええ」

「どんな感じなのかね、そのお嬢さんは」

「那美路さんのことでしたら、素直な、気性のまっすぐなお嬢様ですわ。何でもすぐに飲み込んで、砂が水を吸い込むよう」

「そうか。まあひととおりのことを仕込んでおやり」

「そのつもりです。教えがいもありそうですので楽しみですの」

 それはよかった、と父が満足げにうなずいた。

 (おの)が娘といえば、多少なりとも生傷(なまきず)が増えるのかと思っていたが、それはまだ先のことらしい。投げたり投げられたりということもいずれあるだろうし、事前に説明を受けた様子では、心得がない者向けに気を配ってもらっているようである。

 それはこちらとしても有難い心遣いであった。

 ただ、親として心配なのはそれだけではない。娘は気負っているようだが、半端にできると思ってしまうよりも、まずはできない自覚を持たせてくれたほうが良いという気持ちさえある。例えば那美路のように刀などの武器を使える、まして、敵と対峙できるようになれると思ってくれては困るのだ。本人にも(さと)した通り、そこまで行くにはそれなりの年月がいる。

 おまけに、多少経験があるはずの長刀(なぎなた)ではなく、あろうことか柔術を所望したというではないか。一瞬だが動揺してしまった己を(しっ)()しつつ娘に理由を聞いてみれば、銃撃を受けた際に自分が突き倒されたことを気にしているという。それでは致し方ない、そう思って、好きにするといいと言いはしたものの、それでも心配事が減るわけではなかった。

 果たして世津子にはどれほどの覚悟があるのか。そこをつかみ切れないのが母親として歯がゆく、また()れてもいる。

 婦女子二人の声が聞こえる。

 道場の代わりにできる建屋もないので庭の隅で稽古をつけてもらっているのだが、距離がそこそこあるはずなのにここまで通るとは、ずいぶんと大きな声を出しているらしい。

 ――それは武道の心得として間違ってはいないのか。

 親としてあれこれ言いはしたが、武道の心得が世津子に何某(なにがし)かのことを言えるほどあるわけではない。

「時に」

 父の声に顔を上げる。

「お前、知っていたか。留学していると言ったあの小僧、帰国しているようだぞ」

「あら、そうでしたの」

「ん、知らなんだのか」

「少々忙しくしておりましたもので。那美路さんのことだけでなく」

 そうかと軽くうなずき(あご)に手を当てた父は、しばし沈思した。

 じきに夏――休暇だからだろうか。

 なぜ、とは思っていない。連絡がなくとも、親同士の付き合いが長いゆえに信頼はしており、時が来ればまた顔を合わせる機会を作るし、心の準備も互いにさせるつもりである。そう言い交してもある。

 そんな――ものだ。自身の恋慕を成就させた者もいないではないが、学校での交流によって相手が見つからぬ場合はやはり親同士なり親類なりが相手を()(つくろ)ってとりもつわけで、またそれはさして珍しいことでもなかった。

(そういえば、加賀の御前がまた(うき)()を)

「訊くが。世津子は、あれで承知しておるのか?」

 現実に引き戻された。

「と、存じますけれど」

「まことにか」

「……何かお気にかかることでもありまして」

「あるなあ。お前、あの別邸での茶会を覚えておるか」

 もちろんだと返す。破壊された、元は趣味よく(しつら)えられていた館を目にした時の衝撃、そして父と己が娘の無事を知った時の安堵は生涯忘れることはないだろう。

「では、あの時世津子が招待したという友人とやらには会ったか?」

「いいえ」

 あの時自分は用事があって、到着が遅れたことを告げると、父は思い出したようで苦い顔になって目をすがめた。

「そうか。誰か見たものがおらんかと探しておるのだが、なぜか見つからんでな。世津子は誰かに紹介もしなかったということか」

 答えたくとも言う言葉が見つからなかったので、沈黙を通す。父はしばらく黙っていたが、ようやくのことで口を開いた。

「調査もさせているのだが、実のところあまり捗々(はかばか)しくない。その友達とやらについてはな」

「どういうことですの」

「どうもこうもないわ。お前、その、世津子の友達とやらがどんなものか聞いておったか?」

「……いいえ」

「そうだろうな」

 そんなことだろうと思った、と言いたげな父の顔を見、いぶかしむ。

「大学のお友達ではありませんの?」

「そう思っておったよ。だがな」

 ばさりと紙が机に投げ出された。

「学籍簿に見当たらんのだ」


 広く、がっしりとしたつくりの机の上に、書類が数枚乱れている。

「お父さま。拝見しても?」

「かまわんよ」

 紙をそろえ手に取る娘の――世津子の母親の顔に、目に見えて動揺が広がっている。

 あまり表情に出ないたちの彼女にしては珍しいことだった。自分は親であるからこそ見慣れていて、わかりづらいなりに喜怒哀楽が感じ取れるが、今は滅多になく誰にも判別できるくらいに(きょう)(がく)と言っていい様相を見せていた。


『お祖父さま、お願いがありますの』

『わたくし、お勉強を(おそ)わっているお友達がいるのです。お祖父さまに、会っていただけないかと思っていますの』

『だから、今度のお茶会にお(まね)きしてもよろしくて』


(まさかと思うが)

 ()びたいという人間が、それまでの学校で机を並べていた少女たちとは違った環境に育っているのだろうことはそれだけでも容易に想像がついた。

 何より、説明できるのなら、どこの誰かをちゃんと述べるはずだ。

 名も何も言わず、ただの〝お友達〟。それだけでも、本来家に招くようなことは普通ならばありえない人間だと言っているようなもの。

 そこでおかしいと思うべきであった。


 孫可愛さに、目を曇らせたのは(おのれ)である。



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