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花雨  作者: 夜待花波
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わらいさざめく

 

 目を移す。こちら――自分は風景に溶け込むようにしているので目につくことはないだろうが、視線の先にいる男女連れは目立とうが目立つまいが意に介していないようだった。

 とはいえ、監視対象というわけではない。

 ふ、と息を漏らし、感情を殺す。いつものことだった。





「まだ満開ではないわね」

「そうねえ、もう少しね。この様子だと次の週末くらいかしら。散るのはいつ頃でしょうね」

「あら、もうそんなお話するの?」

 咲ききってもいないのに、という言葉の後に、二人で笑う声がする。

 世津子も薄紅の花をつけた枝を見上げた。

 つぼみ、そして開いた花々はそれぞれ小さい。それがけんめいに寄り集まっているようで好ましく、また愛らしかった。これが満開になれば、華やかに木々の周囲までその色で染めるのだろう。

 一重が終われば八重の種が咲く。それと重なり濃きも薄きも様々な種類がそれぞれの花を咲かすのだ。

 ここは、場所柄と広さもあり、多くの人が訪れるわけではないが、種類をそろえている庭園なのである。だからこそ、友たちはここを選んだのかもしれぬと今更ながらに世津子は思った。

「――そう、それなら順調なのね」

「何とか。お手配が大変よ」

「まあ、あなたがなさってるの?」

「いいえ、母だけれど、わたしも一緒に、ということになっているの。自分のことなのだから何もしないのはだめ、と言われてしまって」

 耳を澄ますと結納か、それとも婚礼の支度か、という話のようだった。つい半年ほど前にはまだほのかな噂程度だった縁談がまとまっていたらしい。

 年頃だから、みな相手を決め、交際を経て結婚をすることに関心を寄せている。もしも適当な相手がいない、また誰か知人の紹介もないことに焦りが全くない令嬢が果たしてどれだけいることか。

 案外歌子なら平然としているかもしれない、と世津子は思った。

 では、自分は――?


 否、それはありえない話だった。


 跡取り娘ではないとはいえ、自分は早々に誰かの妻になるだろうことは予想ができており、その候補もほのめかされていた。

 そう、政治家の孫娘という立場はまだまだ価値があるものなのだろう。そんなことを教えてくれたのは加賀で、だから身の回りや人間には気を付けたほうがいいということをやんわりと(さと)してくれたのである。


『ああ、そんな身構えなくても』

『でも……』

『下心がありそうな人間、つまりですね、怪しい人間とは付き合わないほうがいい。それだけです。僕のように』


 最後の一言は冗談かと思って笑ってしまった世津子だったが、加賀は真剣な顔をしてみせて「本当のことですから」と言った。

(こうして勉強を教わるのもいけないのでしょうか、と言ったら何とおっしゃってたかしら)

 遠い日のことのようだ。まだあれから一年と経っていないというのに。

 冗談のようで本気のようで、でも追及するほどのことではない、そんな会話はほかにもしたような気がする。

 世津子からしてみれば、加賀よりも縁談の相手のほうがよほど何も知らずまた信頼もいまだに得ていないのだが、それでも彼の意図するところを考えればそちらのほうが怪しくないというのだろう。

(どこの関係の人かわかっているから)

 はっきりと身元をたどれるだけの家と血筋。それらがわかっているだけで身内も周囲も安心する。


 ――そういうものだ。


 そういえば、その相手は今どうしているのだろうか。

 病院で目覚めてからほとんど気に留めていなかったのだが、何の連絡もない。見舞いもなければ、当人からの手紙なども届いていない。その両親からは花が届いていたらしいが、それも母から伝えられただけである。もしかしたら、自分のいない部屋に飾られていたのかもしれない。

 帰ったら母に尋ねてみようか。そう思ったが、すぐにやめようと決心した。聞いても何も変わるまい、と。

 空を仰ぐ。

 青い空には雲一つない。日傘に隠れては見ることができない、と世津子はそっと傾きを変えた。

(ああ、まぶしい)

 思わず手で影を作った。

 太陽を反射して、常緑樹の葉が、萌える新芽が生命力を精一杯誇示している。

 生きているのだ。

 もう一度、きらりと何かが光った。

「世津子さん、何をご覧になっているの?」

「そうね、みんな、目に入るものかしら」

「あら」

 友が可笑(おか)し気に首を傾げた。

「世津子さんらしい」

 世津子も笑う。

「久しぶりの外出なのだもの。目にするものがみんな新鮮で、輝いて見えるの。嬉しいのよ」

 友が目を細めてうなずいた。

「ええ、そうよね。今日はいいお天気で本当によかったこと」

「そうね。過ごしやすい良い陽気」

 池のそばからの明るい笑い声が耳に届く。

 自分の味わった思いなど、夢か幻かと思わせてくれるような。

 そうなら良かったのに、と思った時だった。

「ねえ、世津子さん。わたくし、あなたが無事で本当に良かったと思っていてよ。また、こうして遊びに行きましょう」

 その言葉が泣きたくなるほどに心に沁みいって、世津子はただ微笑んだ。


 自分は怖かったのだ、と思った。

 本当は、とても。

 銃声も、食器や硝子が割れる音も、家具が倒され破壊される音も、もう聞きたくない。

 その代わり、気晴らしにと誘ってくれた、そして輪の中に入れてくれた(ともがら)の、包み込むような思いやりも身に染みた。

 何気ないようで、実は――という、いたわり。


 きれいだ、と花々を、整えられた庭園を見て思う。

 美しいものを見、辺りの平穏な様子を目にするだけでも心はこれほどに安らぐのだ、と。

 優しい言葉と笑みと、それに(いろど)られた席はとても温かった。


 食事の予約の時間だから、と取りまとめをしている者が皆に声をかける。

「どちらへ?」

「そういえば。どこなのか、うかがっていないわね」

「このすぐ近くよ。父の知り合いがつい先だってお店を持ったの、だから実は皆さんに宣伝」

「あら」

「お気に召したら皆さまのご両親にも勧めてちょうだいね」

 笑い声が弾けた。


 本当に庭園を出てすぐのところにある料理屋で、店構えも品書きも珍しく、みなで小上(こあ)がりに珍しがりながら()しての会席が始まった。部屋などの特別の場所を用意してのことではなく、小さな店ながら主が心を砕いた季節の食事を味わい、舌鼓を打った。



 *



 踏み込んだ時にはもぬけの殻だった。

 思わずといった様子で同僚が舌打ちする。それを後から入ってきた上司がたしなめた。

「すみません」

 うなずいた後、上司が自分を見る。

「何かあるか」

 その声に、室内を見回して見つけたものを指した。

「誰かいたのは確かですね」

 微かながら靴の跡が見えていた。予想通り、男性の大きさのものだ。

「来てください、こっちにこんなものが」

 その間に自分はさらに部屋の中を探る。

(紙巻き)

 そのあとに続く会話を聞きながら、長く使っていないだろう部屋に吸い殻とはずいぶんと迂闊だと思う。

(気のゆるみ)

 いつも注意されていることだが、己の戒めとしなければならない。

 おそらくここから見ていただろうという窓から外を見る。といっても、窓際にはよらずに見える範囲を確認する程度だが。

「よく気づきましたね」

「反射光が目に入りましたので」

「なるほど」

 何か光学機器を使っていたのだろう。当たり前だ。

「思ったよりも距離があるな」

「見ていただけでしょうか」

「さて。痕跡がなければ断定はできませんね」





「今、何て?」

 そんな風に聞き返されるとは思ってもみなかったので、世津子は思わず目を見開いた。

「お母さま」

「もう一度おっしゃい」

「ですからわたくし、身を守るために武道をたしなむべきかと思って」

「そう」

 母が眉根をひそめた。そして、手元に視線を移し、また自分を見る。

「学校の教練では足りなくて?」

 ひととおりのことは習っているはずだろうと母が言った。

「それに、護身のためというなら、今も人をお願いしているでしょう。そのことはどう考えているのです」

「先日のことは、護衛の方も力が及ばなかったというお話でしたもの。またそんなことが起きないとも限らないのですし、(みずか)らの力でというのはいけないことなのでしょうか」

「心がけとしては悪くないわね。けれども、あなたは運動は得意だったかしら」

 口ごもる。

 その娘を一瞥(いちべつ)し、母親が口元に笑みを見せた。

「授業でも、それほど目立ったことはないでしょう。それに、今から習っても、何かあった時にとっさに体が動くほどに習熟するのは時間がかかりますよ。世津子さん、あなたそのことを理解していて?」

「……はい」

「もう一度よくお考えなさい。万が一にでも怪我をすることがあれば、またお祖父さまが嘆かれますよ」

 母が細筆(ほそふで)を手に取った。傍らの色紙を目の前に置き、筆の穂先を(すずり)の中の墨につける。

 そして、さらさらと何かを書いた。


(よくなかったのかしら)

 自分なりに精一杯のことを考えたつもりだったのだが。

 部屋に帰ってふすまを閉める。()(づくえ)の上には、出したままの教練の本に、友に借りた簡単な棒術の本。体術も見たかったのだが、それはどうだろうかと遠回しに言われてまたの機会にということになった。

 もしかしたら、あれは自分には無理だと思ってのことだったのだろうか。

 確かに母の言うとおり世津子は体操や教練にはあまり目立った成績をのこしていない。たとえば馬術や弓、剣術を修めたことがあるかといえばそうも言えず、かろうじて手(なぐさ)みになるかならぬか――いや、おそらくなるまいが――といった程度のことしか。

 そんなことが必要になる日が来るとも思わなかったというのが本音だが、それでもたしなみとして身に着けている者がいないとは言わない。

 それどころか、好きで毎日のように汗を流している友もいるのだ。机の上の本はその彼女から借りたものである。


 怪訝そうな顔をされたのも事実だ。実は、母に言われたことと似たことはその友にもいわれている。

 事件のことを持ち出せば「ああ、そうでしたわね」と納得してもらえたが。


『そうねえ、身に着けるとしたら毎日のように鍛錬(たんれん)がいるかもしれないけれど、できる?』

『難しいかしら』

『単純なことの繰り返しよ。特にはじめはね。だから、つまらないとおっしゃる方もいるのも本当のこと。でもわたくしは体を動かすのが好きだから気にならないし、時間もとるわ。心持ちも良くなるもの』

『そう……』

『ああ、意地悪を言っているわけではないのよ、それはわかってね。でもね、お好きだったかしらと思っただけなの』


 思わずため息が漏れた。気づいてすぐにひとにはこんなものは聞かせてはならない、と自分を戒める――




「何だって?」

 耳にしたことが信じられぬという様相になった父は、いっそ間の抜けた顔にも見えた。

「ですから、世津子さんが、身を守るために武道を修めたいと申しまして」

「世津子は、何を世迷いごとを申しているのだ?」

 目を(またた)かせる(いとま)もないほどに言葉を返した父を見る。

「呆れていらっしゃいますの」

「そういうお前はどうなのだ」

 孫の世津子のことに関しては(はなはだ)だ甘いと常日頃思っていたが、その人がこの反応なのだ。やはり、と思う。

「無理だと思われますのね」

「お前は、と聞いておる」

 わたくしのですか、とつぶやくように言ってみると、大きく頷かれた。

「お父さまと考えを同じくしておりますわ」

 再び目の前の人が深く頷く。

「だろうの。なぜ世津子はそんなことを考えたのだ」

 それには母親としても沈黙するしかなかった。()の後に、困りましたこと、と言うと、父が珍しくも深いため息をついた。

「……それほど活発なところもこれまでなかったというのに」

「ええ。でも、今にして思うのですけれど、他の皆様と同じようにそのまま家にいるよう説得すればよかったのかと」

 学校のことである。娘が進学をねだった時も、今のように二人でどうしたものかと話し合ったことが思い出された。

「勉強がしたいというのなら家でもできると止められたろうが、あの時は少し他の世界を知るのもいい経験になるだろうと考えておったからなあ。お前の時はそうだったろう」

「ええ。それまで知らなかったことばかりで、勉強になりました」

 父が再び深々と首肯した。

「そうだろう。お前は利発だったし、冷静でもあった。心配はしていなかったよ」

 それにはわずかに苦笑を返す。

「世津子さんには、いかがですの」

「あれのほうが夢見がちではある。だが、知識欲もあるし、何より本に埋もれておれば幸せそうな顔をしておるではないか」

「確かにそうですわね」


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