5 魔法の練習――身も心も立派なバフォメットになるために
――魔物や盗賊が襲ってきたら逃げること。絶対に戦おうとしてはいけないよ。
ボクは小さいころからお父さんに、そう教えられてきた。この丘は近くに盗賊団の根城がいくつもあるし、極夜王国が近いから魔物もうろついている。だからみんなの家や畑が襲われることを、お父さんはいつも想定していた。そして、必ず逃げるようにと――財産よりも命が大事だと口を酸っぱくして言い続けていた。
子どもだったボクも、もっともな意見だと思っていた。
けれど、他ならぬお父さん自身が教えに反した行動をとった。
集落を襲ってきた魔物と戦って、お父さんは死んだ。
逃げ遅れたボクを、助けるためだった。
ボクのお母さんは、ボクを生んだときにすでに天に召されていた。だからお父さんが死んで、ボクに家族はいなくなった。
集落のみんなはよくしてくれたけど、それでも夜、家で一人になると途端に寂しくなった。
ボクにとっては、この丘の上が世界のすべてだ。外にはお父さんを殺した魔物や、残忍な盗賊たちが住んでいる。だから女が丘を下りるのは危険だと言われて、ずっとこの狭い世界で暮らしてきた。
そして、この生活は崩壊と隣りあわせ。いつ盗賊の気が変わるか分からない。いつ魔物が襲ってくるかも分からない。代わり映えしない毎日をおびえながら生きていき、いつか強者に奪われてすべてを失う――ボクらの人生ってそういうものだと思って納得していた。
けれど、いざ“強者”が土足で入ってくると、ボクの気は変わった。
ボクは立ち向かってしまった。お父さんの言いつけに背いて、盗賊に歯向かってしまった。
だってどうしても奪われたくなかったから。お父さんとお母さんが遺した家を。ボクの大切な居場所を。
結局、お父さんは正しかった。ボクはあっさりと矢で射られ、死の顎にとらわれた。ここで終わるんだと思った。冷たくなった体を地に横たえて、お父さんとお母さんのそばに逝くんだと思った。
だけど、ボクは生き延びた。
魔物娘として再誕してしまった。
ボクを変えちゃったのは、魔王グランドロフ。
ボクにとって、彼は世界の外側から来た男だった。
あの瞬間から、ボクの人生は思っていたのと違う方向に動き出した。
――――――――――
「アーティナちゃん、聞いたわよ。人間のままだと助からないから、魔物に変えてもらったそうじゃない」
「よかったわねえ、助かって」
「そのままアーティナちゃんが死んじゃってたかもしれないと思うと……もう恐ろしくって」
「ちょっと見た目は変わっちゃったけど、素敵よ、かっこよくて」
俺が会いに行ったとき、アーティナは数人のおばちゃんたちに囲まれて、そんなふうに言われているところだった。おばちゃんたちは洗濯カゴを手にしていることから、水場に行く途中なのだと思われた。
盗賊団による襲撃からまだ1日しか経っていないが、アーティナがさっそく受け入れられているようで何よりだ。極夜王国の国境が近いこともあって、もともと魔族を見慣れているというのも良い方向に作用しているのだろう。
「あ、ありがとう……」
アーティナは少し照れくさそうに礼を言い、おばちゃんたちと別れた。そして、歩いてくる俺には気づかぬ様子で、ぶつぶつとつぶやく。
「素敵……カッコいい……そうかな?」
「機嫌がよさそうだな」
「わっ、グラン!? いたの!?」
アーティナは飛び上がった。驚きすぎたせいか、尻尾がくるくると渦を巻き、翼がぴょこぴょこぴょこと高速開閉していた。
「出かけるところだったのか?」
「う、うん。また盗賊が来たときのために、魔法の練習をしようと思ってて」
「ほお、練習か。良い心がけだ」
俺は感心した。彼女は人間だったときには魔法が使えなかったが、バフォメットとなった今は、かなり強い魔力を有していた。俺が昨日、そのことを教えてやったので、さっそくやる気になってくれたか。
それに、顔色から察するに心身の状態は良さそうだ。矢で射られたダメージからは完全に回復したようである。
「どれ、俺も見物するとしよう」
「え? いいよ、まずは一人で練習したいから」
「安心しろ、口やかましく指図がしたいわけではない。興味があるだけだ」
「まあ、見るだけならいいけど……」
「それに、初めてなのだからそばに誰かいた方が、事故の防止のためにもいいだろう」
そう言うと、アーティナは納得した。彼女の体からあふれる魔力を見る限り、おそらくそれなりに強力な魔法が使えるようになっていることだろう。しかし、それをコントロールできるかどうかは話が別だ。
俺はアーティナとともに東側の林の中に入った。そのまま少し歩くと木々が途切れ、小さな沼地があらわれる。そこらじゅうでカエルがはねており、沼の真ん中に枯れ木が立っていた。
「じゃあ、あれに向かって撃ってみるね」
アーティナはその枯れ木を指さして言った。たしかに、的にするにはちょうどよさそうだ。俺は一歩下がって、うなずいた。
アーティナは両手を重ね、枯れ木に向かって突き出した。黒い魔力が手のひらに集中する。破壊をもたらす強烈な魔力だ。
「暗黒魔法(仮)!!!」
おそらく、まだ名前がない技だからだろう。(仮)までしっかり口に出し、彼女はかなり難易度の高そうな――そして威力の高そうな――魔法を発動させた。まともに放たれればあんな枯れ木など粉微塵になるはずである。
俺は沼の中心に目を向けた。
だから、俺めがけて真っ直ぐに飛んでくる黒い魔力の塊に気づくのが遅れてしまった。
「え……ぐああああああああああああ!?!?!?!?」
「グラン!?」
魔力の塊を腹に食らって、俺は吹き飛んだ。地面をゴロゴロと転がり、木の幹にぶつかってようやく止まる。腹部に鈍い痛みが残っていた。アーティナが慌てて駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫……?」
「ゲホッ……俺は魔王だからな、問題ない……」
「本当に……?」
「本当だ。俺は強いから平気なんだ」
俺は咳き込みながらよろよろと立ち上がった。正直吐きそうだったが、ここで戻してしまっては魔王の威厳もへったくれもない。俺は強引に胸を張った。
「だ、誰でも初めてのときはそんなものだ。次はよく狙ってやってみろ」
「う、うん……」
俺が促すと、アーティナは再び沼のほとりに歩み寄った。両手を重ねて突き出し、枯れ木に狙いをつける。彼女の手のひらに、闇の魔力が集中する。
「暗黒魔法(仮)!!!」
「どわあああああああああああああああ!?!?!?!?!?」
俺は顔面に衝撃を受け、きりもみ回転しながら吹き飛んだ。草花を削り取りながら転がって、再び木の幹に激突する。
俺はしばらく立ち上がることができなかった。
おそらく、魔王でなければ首の骨が折れて絶命していたところだろう。
「ご……ごめん……! わざとじゃないんだよ……!」
「ゴホッ、ゲホッ……いや、かまわん。初心者は失敗を気にするな」
走り寄ってきたアーティナに対し、俺はそう言って強がった。
実際、彼女に俺に対する殺意があったなら、俺は容易く察知し、回避することができただろう。アーティナは間違いなくあの枯れ木を狙っていた。それなのに魔法だけが暴走し、俺を直撃した。
つまり、単純に魔法がめちゃめちゃにへたくそなだけだ。
「最初からうまくできる者などいない。闇属性の魔法はただでさえ難しいしな」
「ホントに……? なんか才能ないんじゃないかって気がするけど……」
「才能がなければ、そもそも魔法は成功しない。魔力弾が撃てたということは上達の見込みがある」
「そ、そっか」
「今は、精神が人間だった頃とあまり変わらず、肉体との齟齬が生じてしまっているようだが……練習を続けているうちに、身も心も立派なバフォメットになれるだろう。そうすれば魔法も上達するはずだ」
「え……練習すればするほど魔物娘化が完成に近づいちゃうってこと……? それは困るなぁ……」
そう言って、彼女は困り顔になった。彼女はまだ人間に戻ることにこだわり、俺の部下になることを拒んでいるわけだが……まあ、すぐにバフォメットの肉体の良さに気づいてくれるだろう。彼女自身が魔物娘として生きることを一度でも受け入れれば、あとは加速度的に精神が完成へと導かれるはずだ。
「……ところで、キミはいつまでもここにいていいの?」
「ん? ああ、そうだ忘れていた。お前に用があったんだ」
「ボクに?」
「そうだ。国内の案内を頼もうと思ってな。これから俺が治める土地を詳しく知っておきたい」
「それくらいならお安い御用だけど……またよからぬことを企んでたりしないよね?」
「よからぬこと?」
「誰か自分好みの女の子を魔物娘に変えて、洗脳しようとか……」
「失礼な。魔王をなんだと思っているんだ。そんなことするものか」
俺はきっぱりと否定した。自分が健全な魔王であることを、きちんとアピールしておかねばなるまい。
「もちろん、希望者がいれば魔物娘に変えることもやぶさかではないが……無理やりはしない。魔王として当然のことだ」
「本当かなあ……。魔王ってもっと悪逆非道なイメージあるけど」
「ひどい偏見だな、これも魔王差別というものか。……ああ、例外があるとすれば昨日のライムのように、野放しにすると我が国が脅かされそうな場合だけだ。ああいう敵は魔物娘に変え、“改心”してもらう」
俺は昨日の戦いのことを思い出しつつ、そう言った。上級アンデッドのリッチへと生まれ変わったライムは、今は周辺の見回りをしてくれているはずだ。
そんなことを話したあと、アーティナは俺の要望通りに国内を案内してくれた。人口は50人ほど。もともと名前さえもない小さな集落だったというだけあって、人家の数はそう多くはなかったが……農地はそれなりの面積があった。小麦やイモ、ニンジンなどが栽培されており、それぞれが収穫のときを待っている。
「……つまり、我が国では農業が唯一の産業らしい産業というわけだな。あとは時々の狩猟採集。職人はおらず、道具はそれぞれの家で自作している、と」
「そうだね。魔王サマ的には失望しちゃった?」
「いや、悪くない。盗賊に狙われるだけあって、農業に向いた豊かな土地だ」
俺はしゃがみ込み、少量の土を片手ですくいながら言った。土にはミミズが紛れていたので、すぐに地面にかえしてやった。
「ここの虫を魔物娘化したらどうなるか、気になるな……。あとでやってみるか。いや、大量に生み出しすぎて食糧難が起こる可能性も……」
「何か言った?」
「なんでもない。……む? あっちでは柵を修理しているようだな」
「うん。農作業を休んで作業してくれてるんだ」
アーティナは畑の向こうを――柵を立て直し、ロープで固定する作業に励む者たちを見てそんなふうに説明した。俺は彼女とともに柵の方に歩いていく。
作業に当たっているのは人間だけではなかった。数人のゴーレム娘が、人間たちに交じって木材やロープと格闘しているのである。
「おお、魔王さん」
「魔王の旦那!」
「マスター」
「マスター、おはようございます」
人間たちが顔を上げ、笑顔になった。ゴーレム娘たちの表情は変わらないが、どうやら俺のことを歓迎しているらしいということは分かった。
人間たちの中の一人――30過ぎくらいの髭面の男が進み出た。たしか、トーマスという名前だったか。腕まくりによって、二の腕の筋肉があらわになっている。なかなか強そうな男だ。
「魔王の旦那、何か御用で?」
「いや、国内を見て回っているだけだ。修理は順調なのか?」
「へい、この子たちのおかげで、作業がはかどってまさあ。助かりやす」
「それは何よりだ。しかし、礼は俺ではなくゴーレム娘たちに言ってくれ」
「ええ、そりゃもちろん」
そう言って男は笑った。
俺は昨日のうちに長老と話し合いをした。すると長老は、あっさりと俺のことをこの国の王として承認したのだ。住民たちも特に反対はせず、俺を受け入れた。
これまでの恐怖の中での生活が、よほどこたえていたのだろう。彼らは強力なリーダーを欲していた。そこに都合よく俺が現れたわけだ。
「魔物娘とともに働くことに、抵抗はなさそうだな」
「あっしらは、毎日生き残ることに必死ですからね。仕事を手伝ってくれるんだったら、相手が天使だろうと悪魔だろうと、精霊だろうと魔王だろうとかまわないんでさ」
「なるほど。お前とは仲良くなれそうだな」
俺はにやりと笑った。続いて、歩み寄ってきたやや小柄なゴーレム娘――フラワーゴーレムのテレーゼに目を向ける。土色のごつい装甲で覆われた両手、両足をきちんとそろえて、彼女は行儀よく俺の前に立った。胸などの装甲部分と、お腹や二の腕など雪白の肌が露出した部分のコントラストが美しかった。頭には花輪をのせている……ように見えて、実はそれらの花は頭から直接生えている。今は、花はすべてつぼみの状態だった。
「マスター。ご命令通り、人間たちの手伝いをしています」
「うむ。偉いぞ」
「体温の上昇を確認。さらなる褒め言葉を要求します」
「この柵は特にうまくできている。お前が手伝ったのか? 頑張っているな」
「ありがとうございます。モチベーションの増大を確認。任務を続行します」
表情は変わらないが、頭の上で輪を作る花たちがポン、ポンといくつか咲いた。どうやら褒められて気をよくしたらしい。テレーゼは修理作業を再開した。器用さはないがパワーはあるので、木材を持ち上げたり地面に突き刺したり、ロープ引っ張ったり、土を掘ったりする作業を受け持っている。
トーマスら人間たちも作業を再開したので、俺はこの場を離れようとした。しかし、そこでようやく気が付いた。
「……ん?」
いつの間にか、テレーゼ以外のゴーレム娘たちが俺の間近にまでやってきていたのだ。柵の修理も、土を掘る作業も中断して。ゴーレム娘たちは、まるで人気店の前で順番待ちでもしているかのように、俺の前に列を作っていた。
「うおおっ!? 何をしている!?」
「マスター。私たちも褒め言葉を要求します」
「テレーゼの感情の揺らぎを計測。とても興味があります」
「マスター」
「マスター」
「分かった分かった! 一斉にしゃべるんじゃない! あと、なんでテレーゼまで並んでいるんだ!?」
「モチベーションはいくら増大させても損になりません。他のゴーレムを褒めるなら私も褒めていただかねば」
そんなわけで、俺はずらりと並んだゴーレム娘たち一人一人に声をかけていくことになった。彼女たちの仕事ぶりを、順番に褒めていったのだ。
ただ、テレーゼがしつこいくらいに賛美の言葉を求めたのに対し、他のゴーレム娘たちは割と淡泊で、一言声をかければ満足した様子だった。どうやら彼女たちは、リーダーの真似をしてみたかっただけらしい。
とにかく、一時的に作業は中断してしまったが……その後は、ゴーレム娘たちはそれまでの倍の速度で仕事に熱中していたそうなので、結果的によかったのだと思う。テレーゼの頭の花はいつの間にか満開で、白、黄色、ピンク色などを中心に優しい彩りを見せていた。
国家建設はまだ始まったばかりだ。幸い、ここまでは順調のように見えた。国民の支持を集め、防衛を強化。次は産業を発展させ、もっと強く豊かな国を目指していく。かつての極夜王国とは比較にもならないが、それでも再出発としては悪くないように思っていた。
100人の盗賊に国を襲撃されたのは、その直後だった。
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