20 魔物娘アイデンティティ
「アーティナ!」
白い空がひび割れて、向こう側から声がした。魔王グランドロフ。ボクを魔物娘に変えた張本人が呼んでいる。
たしかにボクは、人間に戻りたいと言った。
けれどそれは、彼を殺してまで実現したい望みじゃない。
モンムス王国を滅ぼしてまで叶えたい願いじゃない。
だって彼は、ボクを助けてくれたから。
だって彼は、ボクたちの居場所を守ってくれたから。
「グラン!」
「さあ戻ってこい! お前は我が部下! 魔王グランドロフの側近だ!」
――騙されてはいけないよ。あの男は魔王。君を魔物娘に変え、自分のしもべとして洗脳しようとする大悪人だ。
勇者エテルナの声がする。ボクを誘惑する声が。
ボクの額が熱くなり、白い魔力が体の中を駆け巡る。勇者のために……世界のために戦えと、ボクの中でもう一人のボクが叫ぶ。人間に戻りたいなら、勇者に協力すべきだと。迷うことなんてないと、叫んでいる。
勇者の人形になりたい。
意識を閉ざし、ここでお父さんとお母さんと一緒に、永遠の幸福を味わっていたい。
お父さんとお母さんが、ボクに手を差し伸べている。
――私の言う通りにすれば、君は人間に戻れる。さあ、両親の手を……私の手を取りたまえ。君のような被害者をこれ以上増やしてはいけない。
「それは……違うっ……!」
ボクは割れそうに痛む頭を押さえ、叫んだ。体に絡みついてくる魔力を必死に振り払おうとする。
「ボクは……ボクは……被害者なんかじゃない……! 勝手に決めつけるな……!」
――被害者じゃない? 何を言っているんだい、君は邪悪な魔法によって、人間から魔物娘に変えられた。普通の人生を奪われた。魔王が憎くはないのかい? その胸に怒りの火を燃やすんだ。
「ボクは魔物娘でもいい……! ボクはボクの居場所を……守りたい……!」
血を吐くように、ボクは言った。勇者の誘惑の言葉を拒絶する。体の中に根付いた魔力を追い出そうとする。
ボクは人形じゃない。
そう、ボクは……ボクは……!
「ボクは魔王グランドロフの部下、バフォメット・アーティナ」
自分自身に言い聞かせる。
それこそが、グランに守られたあとの自分。勇者にゆがめられる前の自分。
ボクの今のアイデンティティ。
ボクはもう人間じゃない。今のボクは魔物娘だ。
それでいいんだ。誰にも、今のボクを否定させない。
「ボクは……モンムス王国の……魔王軍の一員! ボクの居場所は……奪わせない……!」
そう宣言した瞬間、ついに真っ白い空間は崩壊した。その向こうにあるのは紫色の魔力で満たされた空間。魔王グランドロフの力が、ボクの精神世界に一気に流入してくる。
ボクはその場にしっかりと立って、魔力の本流を受け入れた。
体が白い毛に覆われていく。背中と頭がムズムズしたかと思ったら、角と翼が生えた。尻尾も生えた。脚は山羊のようにしなやかなものへと変化する。
ああ、ボクの体だ。
人間ではなくて、悪魔の体。
空が、足元が、ガラガラと音を立てて崩れていく。もう勇者の声は聞こえなかった
ボクの姿は完全にバフォメットに戻った。空の一点に強い光が見える。ボクを呼ぶ声がする。もう行かなくてはならない。
翼を広げて飛び立つ前に、ボクは振り返った
お父さんとお母さんが、悲しそうな顔をして立っていた。
「悲しまないで、お父さん、お母さん」
目の前の2人が幻なのか、それとも勇者が用意した何かなのかは分からない。だけどボクは、2人に伝えた。伝えなきゃいけないと思ったから。
「ボク、決めたんだ。2人がいない世界は寂しいけれど、それでも生きていくって。人形になれば辛いこともなくなるかもしれない。でも、それじゃあ意味がないんだ。ボクはグランと一緒に、ボクの居場所を……モンムス王国を守るよ」
そう言うと、お父さんはゆっくりとうなずいた。お母さんが目元をぬぐう。
お父さん――人には逃げろと言っていたくせに、自分は逃げずに戦って死んじゃったお父さん。優しくて強い、ボクのお父さん。
お母さん―― 一度も会ったことがないけれど、間違いなくボクのお母さん。きっと天国でボクを見守っている、ずっと会いたかったお母さん。
2人の姿が、足元から徐々に薄れていく。ボクはそれを黙って見守ろうとした。だけど、ダメだった。ボクは耐えられずに駆け寄り、2人の手を取ろうとした。
2人の体が遠のいていく。伸ばした手は空を切った。
「お父さん! お母さん!」
叫びは届かない。けれど、声はきっと届いた。
お父さんとお母さんは微笑んで……光の粒になって消えた。
「……さようなら」
ボクは口の中で、小さくつぶやいた。そして翼を広げ、空へ飛び立つ。
ねえ、お父さん、お母さん。
ボクは変わってしまったけれど。いつか……いつか空の上で会ったときは、抱きしめてくれるかな。愛してくれるかな。
そんな日が本当に来るかどうかは分からない。
だけど来るって信じて、ボクは今日を生きるよ。
ボクは宙を駆ける。太陽のように輝く一点に向かって、加速していく。そして……。
――――――――――
「キィエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!!!!!」
俺に蹴りかかろうとしたアーティナは、空中で耳を押さえてのけぞった。俺自身もひどい頭痛をこらえながら、手に持っていたマンドラゴラ娘を――ベルジーヌを土の中に急いで戻した。
土に戻ったことで、ベルジーヌの声はやんだ。生命を奪う恐るべき金切り声――その影響でめまいを感じつつも、俺は駆けだした。アーティナの真下へと、駆け付けた。
幸い、間に合った。
俺は落下してくる彼女をしっかりと受け止めた。続いて、魔力を注ぎ込もうとしたが……その必要はなかった。アーティナの額に輝いていた白い瞳の紋様が、紫色へと変化したのだ。
アーティナが自ら、体内に残っていた俺の魔力を使って、勇者が張った魔力の根を染め上げてしまったのだ。今、彼女の体内には勇者の魔力に代わって俺の魔力がしっかりと根付いている。
「うっ……」
「大丈夫か、アーティナ」
「うん……なんとかね」
アーティナは少しふらつきながらも、地面におり立った。
「ごめんね。ボク、キミのこと攻撃してたでしょ」
「そのくらいはかまわん。むしろほぼ独力で勇者の魔力をはねのけたのだから、褒めてつかわそう」
「ありがと。操られている間は、夢の中にいるみたいで……お父さんとお母さんに会ったよ。でも、お別れしてきた。ボクは魔物娘として生きるって決めたからね」
「ふむ、死者と会ったか。マンドラゴラの声を聞いた影響もあるだろう。危なかったな、両親の手を取っていたらあの世行きだったところだ」
「え」
「まさか……私の支配を断ち切るなんて……!」
勇者エテルナがわなわなと震えている。彼女のスキルは強力だった。おそらく打ち破られた経験など皆無なのだろう。彼女は動揺し、後ずさり……再び左手で左目を隠した。
“白夜の瞳”――左手の甲で金色の目が輝き、あたりに魔力を振りまいた。しかし、このスキルはもうアーティナには効かない。勇者が狙ったのは、周囲の木々だった。
ボコッ
木々は根っこを足のように動かし、地面から引き抜いた。いや、実際に根が足のような形に変化していた。枝々は腕となり、幹は胴となる。
あっという間に、樹木の化け物が5体、完成した。顔に当たる部分には、白い瞳の紋様が刻まれている。
「さあ行け! 魔王を倒せ!」
勇者の人形となった樹木たちが、根っこの脚をわさわさと動かして、その不気味に折れ曲がった腕を振るう。俺を叩きのめすべく襲い来る!
バキッ
しかし、人形どもの攻撃が俺に届くことはなかった。
人形どもが枝の腕を振り下ろす直前、アーティナが瞬時に空に飛び立つと、そのまま空中で反転、高速で降下してきた。彼女は勢いよく回転すると、そのしなやかな脚で人形どもを薙ぎ払ったのである。
「グオオオオオオオオオ……!」
樹木の人形どもは、悲鳴のような風の音のような、奇妙なうなり声を残してまとめて倒れた。葉が飛び散り、枝が折れ、すぐには起き上がることができない。
「ああ! 何をしている! はやく立つんだ!」
「そんな急造の人形に頼るとは。いよいよ万策尽きたようだな」
「黙りたまえ、邪悪なる魔王よ」
先ほどまで余裕たっぷりだった勇者の目には、怒りの炎が燃えている。怒りの対象は言うまでもなく、魔王たるこの俺である。
はて。
俺は二代目勇者に、個人的に恨まれるようなことをしただろうか。顔を合わせるのは今日が初めてなのだが。
そんなふうに、俺は疑問に思った。
疑問の答えは、すぐに明らかになった。
「持って生まれた人の身を捨て、魔物娘になることが幸せ? そんなわけがないだろう。私は認めない、そんなまやかしの幸福は認めない」
「……? 何の話をしている?」
「しらばっくれるな。私の最愛の人を奪った……憎き魔王よ」
勇者は語る。俺をにらみつけつつ、剣をかまえる。
「君がたぶらかし、洗脳したに決まっている。あの強く優しい先輩が、魔王に忠誠を誓うなどあり得ない」
「……ああ、やっと見えたぞ。お前の中の譲れぬ部分が」
合点がいった。
なるほど、それなら説明がつく。彼女が何を求めて俺の命を狙うのか。俺の何が許せないのか。
「つまりお前は、我が部下となった初代勇者――リノワールを取り戻すために戦っているのだな。彼女以外はどうでもいいと思っているからこそ、どんな卑劣な手段も用いることができる、と」
「…………」
エテルナの暗い瞳が、俺に向けられている。奴隷メイド、奴隷商人、盗賊、そしてアーティナ――道理で、同じ人間を捨て駒にするのをためらわないと思った。最初から初代勇者以外は眼中にないのである。
「そうか、手強いな」
殺気をみなぎらせるエテルナを前にして、俺は言った。
どんな手を使ってでも俺を殺せば、魔力が途切れ、初代勇者は人間だった頃に戻ると。そういう理屈だろう。そして彼女は必ず自分のもとに戻ってくると。そういう考えだろう。
建前を捨て、己の欲望をむき出しにして噛みついてくる相手は、清く正しい善人とは比べ物にならない力を発揮する。
そう、だから手強い。
この女は、まだ何かやる。
「私は勇者リノワールを……先輩を取り戻し、結婚する」
恥も外聞もかなぐり捨てて、二代目勇者が襲いかかってきた!
「小説家になろう」で同時連載中の『全裸の郵便屋さん――脱ぐと最強になる能力を得たので冒険者やめて配達員として無双する』の方も、もし興味があれば覗いていってください。
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