10 この世で最も信用できないのは奴隷商人である
心を入れ替え、真面目に働く決意をしてくれたハーピィは、3人だけではなかった。盗賊たちによる襲撃から数日が経つと、ハーピィ化した女たちが20人全員、モンムス国の国民になっていた。逃げ出した者たちも、時間が経って俺の魔力が浸透したことで考えを変え、戻ってきてくれたわけだ。
「恐ろしい魔法だね。一度受けたら逃げられないなんて」
アーティナは翼をパタパタと動かし、宙に浮かびながら言った。彼女は徐々にバフォメットの体に慣れてきたようで、無意識のうちに空を飛んだり、尻尾を振ったりするようになっている。
「こんな力があるのに、どうしてキミは国を追い出されちゃったの?」
「この力はむやみやたらに使うものではない。そもそも、ある程度の魔力を持つ者が相手の場合は、一度無力化してからでないと効果がないんだ」
「そうなんだ。万能ってわけじゃないんだね」
そんなことを話しながら、俺とアーティナは柵のそばを歩いていく。途中に何度か、見回り中のゴーレム娘とすれ違った。ハーピィたちも空を飛び、丘の周囲を警戒してくれている。魔物娘たちが国土を防衛し、住民たちが農業に勤しむ――そのような分業が自然と成立しつつあった。
ハーピィは週に1個程度、かなり大きな卵を産むということだ。無精卵なので、これを食べても倫理的な問題はない。卵を野菜と交換することで、未熟ながら経済が動き出すだろう。
しかし、まだまだ食糧生産が少ないというのも事実だった。
「アーティナ。この国に家畜はいないのか?」
「前はけっこういたんだけど……病気が流行って」
「そうだったのか。苦労しているのだな」
俺は察して、今はそれ以上尋ねるのはやめておいた。どうやらこの国の者たちは、想像以上の苦境を経験してきているらしい。
「住宅地に関しては、少し木々を切り倒せば増やせるだろう。やはり問題は食糧だな」
国内をぐるりと一周してから、俺はそうつぶやいた。
「農地がもっと必要だ。そして、それを耕す農民も」
「ゴーレムたちに任せるのはどう?」
「ゴーレムは破壊が得意だが、何かを作るのは苦手だ。農作業には向かないだろう」
「そっか、たしかに。じゃあどうしよう。ハーピィたちは腕が翼になっちゃってるから、クワを持てないだろうし……」
アーティナは「う~ん」と首をひねった。俺が頼んだわけでもないのに、彼女はいろいろと国のことを考えてくれるようになった。とても良い傾向である。
「うむ。優秀な部下を持てて嬉しいぞ」
「だから部下じゃないって! とりあえず国を守らなきゃいけないから手伝ってるだけで。あとで必ず人間に戻してもらうからね!」
アーティナはぷんぷんと怒った。何度も繰り返しているやり取りなので、俺は気にしなかった。
とりあえず国内の視察は終わったので、俺たちは足を止めた。家々からは少し離れた場所――木々が生い茂る林の手前だった。
「う~む……どうしたものか。こうなれば、国民の中に魔物娘になりたい者がいないか、探してみるのがいいかもしれないな。魔物娘になれば力が増し、農作業の効率がアップする」
「ちょ、ちょっと待って! これ以上被害者を増やすつもり!?」
「被害者とは人聞きの悪い。希望する者だけだ」
「希望する者って……いるはずないよ」
「しかし、そう言うアーティナもその体が気に入っている様子ではないか」
「うっ……気に入ってない……とは言い切れないかもしれないのは否定できないけど……」
アーティナが恥ずかしそうにもじもじする。
何をするにも人手は必要だ。しかし、魔物娘を増やしすぎても食糧増産と宅地開発が追いつかない。実際、今もゴーレム娘たちは自分たちで掘った穴蔵に住んでいるし、ハーピィたちは野鳥を狩ってきてなんとか生活している。善い暮らしができているとはいいがたい。そして、魔王が治める国なのに、国民が善い暮らしができないというのは許されない。
民は俺を信頼して、王を任せてくれたのだ。
その民を裏切るわけにはいかない。
俺はなんとか食糧増産の策を考え出さなければならない、が……。
「……その前に、お前は何者だ?」
俺は林の方に目を向けて問うた。突然のことだったので、アーティナは「え!?」と面食らって俺の視線を追う。
そこには木々や草花があるだけで、人の姿はない。
しかし、姿が見えないだけだ。
かすかな……しかし隠しきれない息遣いと心臓の鼓動が、わずかに感じ取れた。
「隠れても無駄だ。死にたくなければ姿を見せろ」
「これは失礼。お気づきでしたか」
虚空から返事があったかと思うと、前方――深い茂みの上の空気が揺らいだ。そして次の瞬間には、小さな眼鏡をかけた小太りの人間の男がその場に立っている。まるで先ほどからずっとこの場にいたかのように。
いや、「いたかのように」ではない。彼は実際にずっとこの場にいたのだ。
「わっ!? いつからそこに!?」
「魔法で気配を消していたな。暗殺者の類ではなさそうだが……ゴーレムやハーピィの目はごまかせても、俺を欺くことはできんぞ」
「いやはや。さすが魔王様ですな。この程度の小細工は通じませんか」
「俺に会いに来たのか? いったい何者だ」
「なあに、大した者ではありませんよ。通りすがりの商人です」
男はにたりといやらしい笑みを浮かべた。その不気味な笑いを見て、アーティナがぶるっと震える。
「お困りのようでしたので。お力になりたいと思いましてな」
男は――そのまったく信用できそうにない商人は右手を差し出した。俺は握手には応じなかったが、とりあえず話を聞くことにした。
俺とアーティナはその商人――ゾンデを俺の家に招いた。ただ、彼は丘の下まで馬車で来ていたため、その馬車から「荷物」を取ってくると言って、いったん正門から出ていった。
そして、彼は戻ってきた。
風変わりな「荷物」を携えて。
「こいつらは……」
俺の部屋にて。椅子に腰かけた俺は、テーブルの向こう側に立つ「荷物」たちを見て眉をひそめた。それは5人の女性だった。みなうつろな目をして直立不動で控えている。俺の隣に立つアーティナも、彼女たちを見て困惑していた。
テーブルを挟んで俺と向かい合うゾンデは、にたりと下卑た笑みを浮かべる。
「いかがでしょう、お気に召しましたか?」
「なるほど、奴隷商人か」
「ふふふ、失礼な。労働力を売っているだけです」
ゾンデは得意げに言うと、背後に控えている5人をチラリと見た。彼女たちはみなメイド服を着せられており、額には白い、瞳の形の紋様が刻まれていた。
女たちからは、俺と同種の魔力を感じる。
意思を奪われ、人形のように変えられているのだ。
「……妙だな。その魔法はお前程度の力では扱えぬはずだが」
「私は商人、売りさばくのが仕事ですよ。商品を生産するのは別の人間です」
「そいつらは何者だ? どこから連れてきた?」
「さあ、それは私のあずかり知らぬところです」
「なるほど、外道だな」
「いやいや、それほどでも」
ゾンデは謙遜した。決してそばには置きたくないタイプの人間だった。追い返してやっても良かったのだが……俺に接触してきた目的も聞き出しておきたい。
「お前は、なぜこのメイドたちを俺に売ろうと思った?」
「メイド服を着せているのは私の趣味です。魔王様のお力があれば、魔物娘に変えて肉体労働に従事させることも可能でしょう?」
「よく調べているな」
「ええ、顧客の最も求めているものを提供するのが、商人の務めですから」
アーティナがチラリと目配せしてきた。彼女は目だけで無言のうちに「こいつ、叩き出していい?」と尋ねてきていたが……俺は小さく首を横に振る。
まだ早い。
もう少し様子を見て……こいつの腹に内を探るべきだ。
「ここにいる5人は、いわばサンプルです。足りないようでしたら増やすこともできますよ」
「残念だが、この国に金はない」
俺はあえて正直に言った。金という分かりやすい餌がここにないことを、しっかりと伝える。
「取引は基本的に物々交換だ。貨幣は流通していなくてな」
「かまいませんよ。無料で貸与いたします」
「なに? お前に何のメリットがある」
「先行投資というやつですよ。貴国が発展し、将来の取引相手に成長してくれれば、私としては満足なのです」
ゾンデはほくほくと笑ってそう言った。俺はじっと、そのふくよかな顔を観察する。
本当に字義通りの善意だろうか。いや、そんな馬鹿なことがあるものか。
この男は奴隷商人。他者を自分の道具としてしか考えない輩だ。この手の者が笑顔で親切をしてくるとき、必ず「自分だけが得をする」という算段がついている。
つまりこの男にとっては、奴隷たちを俺のもとに置くことができれば成功なのだ。そこには金を受け取る以上の報酬がある。
では、その報酬とは何か。
モンムス王国に奴隷娘を送り込むことで得られるリターンとは、いったい何か。
考えられるのはただ一つ。この国にあるもので、巨万の富をなげうってでも手に入れる価値があるものが、一つだけあるのだから。
俺の首である。
「そうか、だいたい話が見えてきたぞ」
俺はつぶやいた。
人間たちが俺の首にいくらの賞金を懸けているのかは知らないが。
少なくとも、生涯金に困ることはないという額であろう。
「つまりお前は、この国に大量の奴隷を送り込んで、俺の寝首をかこうという魂胆だな?」
「え……?」
ゾンデが虚を衝かれた様子で、うろたえた。
「な、何をおっしゃるのです。そのようなことは決して……」
「隠すことはない。そういう輩は飽きるほど見てきた」
慌てるゾンデに対して俺は言った。
そして数秒考えてから、訂正した。
「……いや、隠せてもいないな。服の中に武器を仕込んでいるのがバレバレだ。せめて暗殺のプロを連れてくるべきだった」
俺は5人のメイド服姿の女たちを順番に見る。彼女たちの立ち姿を見れば、重心がほんのわずかにずれていることが見て取れる。金属製の何かを隠し持っている証拠だった。
ゾンデの額に脂汗が浮かぶ。彼は俺とアーティナを交互に見て、ごくりと唾を飲み込み……数秒の沈黙ののち、決断した。椅子を蹴って立ち上がり、メイドたちの背後に転がって逃れる。
「や、やれ!! 殺せ!!」
ゾンデが情けない体勢で指示を出す。
それと同時に、奴隷娘5人が服の中から武器を取り出し、斬りかかってきた!
明日からはまた1日1投稿になります!
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