ドラゴンの祝福を
銀の鎧に身を包んだ男たちが馬に乗り、列をなして村の中央広場を進んで行く。
この王国のシンボルであるドラゴンが描かれた旗は虚しくはためき、男たちの顔に影を作った。
まるで、葬儀みたいね。
村人たちは互いに押し合いながら、一目でもこの行進を見ようと背を伸ばす。
足を踏まれて唸り声をあげ、こんなとこ来なきゃ良かったと呟く私も、ここに来たのはただの興味本位だった。
この村の生活はあまりにも退屈で、息をすることさえ意識しないと忘れてしまいそうなほどだ。
国境付近のこの村では、王都の騎士たちを目にする機会など、もう二度とないだろう。
たとえこの行進が向かう先が死地であろうとも、自分たちの行く末を想い男たちの顔が暗く沈んでいようとも、この村の人々にとっては娯楽でしかない。
「あらルイーズ、来てたのね。あんたはこういうの興味ないと思ったのに。」
肩を叩かれ振り向くと、今日のことを私に教えた本人である宿屋の看板娘のアンが、そばかすの散った顔でにこりと笑った。
「こんな田舎にも届く噂話の主人公が見れるんだもの。当然でしょ?」
微笑み返してそう言うと、アンは確かにと言って頷いて、私の肩に手をかけるようにして背伸びをし、行進を熱心に見つめた。
「きっと、あの奥の金の装飾がされた鎧の人じゃない?ほら、ルイーズももっと背伸びしなきゃ見れないわよっ。」
人々の歓声が大きくなると同時に、押し合う力も強くなり、後ろの方へと押し出されていく。
もう人々の後頭部しか、私の目には入らない。
これはちょっと無理そうね。
私の背だとどんなに背伸びをしても、この混雑した状況では見えそうにないとアンに伝えると、私の手を取り、無理矢理人混みの合間を縫って前に進んだ。
「アンっ、痛いわ。別にいいわよ。そんな前に行かなくっても。」
「折角見に来たのに勿体無いじゃないっ。」
少し強引なところのあるアンは、私の抗議を気にすることもなく、どんどん前へと進んでいく。
引っ張られている手に痛みを感じながらも、諦めた私はアンにされるがままだ。
身体が引き裂かれてしまいそうだわ。
人々の後頭部ばかりで見えなくなっていたはずの行進が、再び目に入り、さらには馬の足まで見えるところまで来ると、アンはやっと立ち止まった。
「ここまで来れば、背の低いルイーズでも見れるでしょう。」
「そうね。ありがとう。」
不貞腐れたような私のお礼の言葉に、アンはどういたしましてとにこりと笑い、行進を指差した。
「ほら、よく見なさい。噂の彼、王子はもう目の前よ。」
愛に敗れた第一王子。
裏切りの果てに、勝てる見込みのない戦地へと送り出された悲劇の人。
こんな田舎でも知らない人はいない渦中の人は、どのような男なのだろう。
興味本位からアンの指さした方向を見ると、それまで私の耳を支配していた騒音がピタッと止まった。
金のドラゴンが装飾された一際豪華な銀の鎧に身を包み、長く背に垂らされたプラチナブロンドの髪に金緑色の瞳。
憂いを帯びたその顔は暗く沈んではいるが、高く通った鼻先にバランスのとれた薄い唇は彫刻のようで、その美しさは隠せない。
ドクン。
心臓が大きな音を立てて揺れる。
嗚呼、これのことなのね。
母が言っていたのは。
段々と近づいて来る姿を眺めながら、母の言葉を思い出す。
ーーその時が来たら、お前もきっとわかるわ。
母の言葉は本当だったのだ。
全身の血がぐるぐると渦巻いて、身体中を駆け巡る。
胸が熱く高鳴り、自らの心臓の音が耳の中に響き渡る。
周囲には多くの人々がいるというのに、まるでこの空間には彼と私しかいないような錯覚に襲われる。
「やっと、見つけた。」
口にした言葉は小さな呟きだったにも関わらず、横を通り過ぎるその瞬間、馬上の彼の人は私の言葉に反応するように、前から目を逸らしうつろな顔で私を見ると、その一瞬、驚いたような表情をしたものの、また前を向き私の前から去って行った。
「ルイーズ、よく見えた?やっぱり王都の騎士は素敵ね。彼らがみんな死んでしまう運命だなんて、悲劇としか言えないわ。」
行進が見えなくなり、一大イベントが終わると、村人たちは早々と気持ちを切り替え仕事に戻っていく。
騎士たちの行先を憂いて嘆くアンに、私も同意するように頷き、アンに別れを告げた。
「今日のことを教えてくれてありがとう、アン。元気でね。貴方のこと好きだったわ。」
「え、いきなりどういうこと?ルイーズ、どこかに行くの?」
「ええ、今直ぐ行かなきゃいけないところができたの。それじゃあね。またいつか会いましょう。」
「ちょっと、待ってよルイーズっ。」
引き止める言葉に立ち止まることなく、さよならと告げて私は駆け出した。
昔からそうだった。
本当に欲しいものは、まるでこぼれ落ちる砂のように、私の手から逃げて行った。
地方の没落貴族の分際で王の子を産んでしまったばかりに、王妃に虐げられ亡くなった母。
女にしか興味がなく、子供の名前を呼んだことさえない父。
ーー貴方のことを愛してる。
でも、家族を守るためには仕方ないのよ。
彼は私を愛してる。
私を手に入れるためには、どんな汚いことでもやるつもりに違いないわ。
家族のために、私は彼を選ぶしかないの。
私が人生で初めて愛したその女は、形の良い頭に王太子妃にしか許されないティアラをのせ、しくしくと私の腕の中で泣きながら、恥知らずにも優々と嘘を吐いてみせた。
ーー兄さん、僕だってわかっているさ。
彼女が王妃の座を目当てに僕に近づき、今も目的のために僕を愛しているふりをしてるってことはね。
僕は容姿や教養、何をとっても貴方に勝てるものはない。
母様にも言われるよ。
何でこんなにお前は情けないんだって。
しかし、それでも彼女を愛してしまったんだ。
血筋だけは確かだが、昔から気弱で臆病な弟とは、母親同士の確執はあったものの、それでも仲の良い兄弟だったといえる。
何をするにも後をついてきて、兄さん、兄さんと私のことを呼ぶ弟の姿は、家族の愛に飢えていた私にとってはかげかえのないものだった。
しかしそれも、一人の女の登場で変わってしまった。
私の恋人だった女を愛してしまった弟は、王妃の力を使って私から王太子の座を奪い、恋人を奪っただけではあきたらず、国王陛下が病に倒れ、全権を委ねられると、私に勝てる見込みのない隣国との戦争に向かえとの命令を下した。
ーー兄さんの健闘を祈ってる。
頼むから死んでくれと、その目が言っていた。
私にとっては唯一の家族だった弟からしてみれば、私の存在はあってはならないものだったのだ。
兄さんと、可愛く私を呼んでくれた、幼い頃の弟の声が、今も私の耳には残っているというのに。
一万の敵兵を相手に、与えられたのはわずか三千の兵。
ーー私たちの王は、ノア様ただお一人です。
最後までお供させてください。
私に忠誠を誓い、死地まで共にあることを願ってくれた部下たちのことは、せめて守ってやりたかった。
「くそっ。」
剣を持つ手の感覚が、どんどん鈍くなっている。
周囲は剣のぶつかり合う音と、うめき声が支配し、気付けば半数近くの仲間の命が失われていた。
「くそっ。くそっ。くそっ。」
あいつは結婚したばかりだった。
あいつは娘が産まれたから、名付け親になってくれと言っていた。
あいつは病気の母親がいて、自分だけが頼りなんだと言っていた。
敵の攻撃に倒れ、何もない空を見つめる仲間たちの空虚な瞳が目に入るたびに、心が鋭い刃で抉り取られたように痛む。
いっそもう、何も感じられなくなればいいと思えるほどに。
王族は特別だ。
今から数百年前、建国の際にドラゴンに与えられたという祝福は、他の人間にはない強靭な力を王族の身体に宿し、それは代々受け継がれてきた。
しかし、それも代を引き継ぐごとに薄まっていき、今では他の人間よりも多少力が強いという程度だ。
ドラゴンの祝福を受けた証である、ドラゴンと同じ金色の瞳は、力が失われるごとに濁り、私はかろうじて金緑色だが、弟にはその色が受け継がれることさえなかった。
そういえばここに向かう途中の小さな村で、一人の少女の瞳が一瞬眩いほどの金色に輝いて見えた気がしたが、気のせいだろう。
嗚呼、力が欲しい。
誰にも負けない力が。
馬鹿だった。
嘘吐き女に熱を上げ、王太子の座を弟に奪われ、その結果、今、三千の命を危険に晒している。
仲間が一人、また一人と倒れる度に、自らの無力さが情けなく、胸が引きちぎれてしまいそうだ。
「死ねっ。死ねっ。死ねっ。」
いくら倒してもいなくならない敵と、積み重なっていく仲間の遺体に、やけになって剣を振り上げたその時、
「うぁっ。」
熱い何かが胸を突き刺し、視界は赤く染まった。
「………っ。」
バタンと、大きな音を立てて馬から崩れ落ち、地面に倒れ込む。
かすかに見える視界に、私のとどめを刺そうとする剣が振り下ろされるのを見たその瞬間、私の耳にはこの戦場には相応しくない、涼やかな少女の声が届いた。
「力を貸してあげましょうか?貴方が私のものになるのなら。」
気の遠くなりそうなほど遠い昔、私がまだ幼く、親の庇護を必要としていたころ、母に聞いたことがある。
私たち種族はつがいを見つけるために生き、つがいを守るために生きる運命なのだと。
ーー貴方のお父さんを初めて見たその瞬間にわかったわ。
この人が私のつがいなんだって。
無力な人間である父の肩にもたれ掛かり、顔を寄せ合い微笑み合う両親の姿に、私は気恥ずかしい気持ちになりながらも、仲の良い両親を誇りに思ったものだ。
人間の短い寿命を終えた父を追いかけ、自ら命を絶った母の言葉を守り、私も随分と長い間、己のつがいを探し続けてきた。
母とは違い、出来れば長生きしたいものだと思い、同じ種族でつがいが見つかればとは思ったが、いかんせん絶対的に個体数の少ない私たちにとってそれは難しく、この際人間でも良いと思い、人間の姿をとって、人里におりたものの、結局は上手くいかず、結果として長い時を生きながらえてきた。
もう一人で生きるのは、十分だわ。
人間の街を転々とし、最後にたどり着いたのは何もない小さな村。
日々の生活は退屈で、こんな孤独な生なら手放してしまおうかと考え始めた矢先のことだった。
彼に出会えたのは。
「力を貸してあげましょうか?貴方が私のものになるのなら。」
血の匂いを嗅ぎつけ、戦場に駆けつけると、地面に倒れている彼の姿を見つけた。
今にも彼に剣を振り下ろそうとしている男と彼の間に割って入り、片手でその剣を押さえる。
「何だ貴様っ。そこをどけっ。」
「ちょっとうるさいから、消えてくれない?」
「うわぁっ。」
空いている手で男の顔を掴み、呪文を唱えると、男の身体はあっという間に炎に包まれ、塵となった。
彼を傷つけた時点でもう、男はこうなる運命だったのだ。
突然現れた私の姿と、大きく燃え上がった炎に、周囲からは驚きの声が上がる。
汚れてしまった手をスカートの裾で拭いながら、私の足元に倒れている彼をながめる。
彼の胸は赤く染まり、やっと呼吸をしている状態で、このまま何も処置をしなければ、間もなく心臓が時を刻むことを止めてしまうだろう。
薄く開いた金緑色の瞳に、私の姿がよく見えるようにしゃがみ込み、血に汚れた邪魔な前髪を払ってやると、彼の瞳は驚いたように見開かれた。
「金の、瞳っ…?」
ほんと、どんな顔でもとっても美しいわ。
自らの頬に熱が集まり、赤くなっているのが見なくてもわかる。
つがいを本当に見つけられるのか、ずっと不安だった。
見ても気付けなかったら?
見ても気付けないなんてことはありえないことなのだと、今ならわかる。
薄まることなく引き継いだ母の血が、ドラゴンとしての本能が、彼が自らのつがいであると言っている。
「貴方が私のものになるのなら、貴方にドラゴンの祝福を授けましょう。」
彼の耳元に唇を寄せ、ゆっくりと彼に聞こえるように告げると、彼は瞳を閉じ、深く頷き、言った。
「何でもやる。この身体も、命さえも、お前にやろう。だから頼む。私はどうなってもいい。」
仲間たちを、助けてくれ。
彼の閉じられた瞳からこぼれ落ちた一筋の涙を舐めとる。
その甘美な味に目眩を覚えた。
「その願い、叶えてあげましょう。」
そして、辺りは眩いほどの金色の光に包まれていった。
子供の頃から思っていた。
何故僕の瞳の色は、こんなにも平凡でつまらない緑色なんだろうと。
「殿下、間もなくノア様が城門に到着されると連絡がありました。」
「そうか。帰って来たんだね。」
「はい。側には、例のドラゴンの姿もあるということです。」
「はは、やっぱり兄さんはすごいなぁ。」
勝ち目のない戦に勝利しただけでなく、今となっては伝説上の存在となっていたドラゴンの祝福まで受けたという報告を受けた時、皆、驚いていたが、僕はあまり驚かなかった。
兄さんは、昔から特別だった。
失われつつあったドラゴンの祝福がまだ王族と共にあることを体現するかのように、瞳は金の色を帯び、剣術においてはこの国で兄さんに勝てるものはいなかった。
それでも、あれだけの兵力差があれば、きっと負けるだろうと思っていた。
負けて、欲しかった。
「マエル、私やっぱりノアのことが忘れられないの。離縁してちょうだい。ノアもきっと、私と同じ気持ちだと思うの。」
「好きにするといいよ。メロディ。」
流行りのドレスに身を包んだ豊満な身体に垂れ目がちな瞳、くすんだ金髪も、本当は好みじゃなかった。
それでも彼女を愛したのは、愛したつもりになったのは、きっと彼女が兄さんの女だったからだろう。
一時は胸を焼け尽くすような想いにさせた女だが、手に入れてしまうとそんな感情は一気になくなっていった。
きっと、兄さんのものが欲しかっただけなのだ。
幼い頃から、兄さんの金を帯びた瞳が、誰にも負けない力が、羨ましくて仕方なかった。
平凡でつまらない緑色の瞳を持った自らの姿が鏡を通して目に入るたびに、心の中の薄暗い影が、だんだんと濃くなっていくのがわかった。
兄さんのことが誰よりも誇らしく、そして憎かった。
母の力を使い、無理矢理手にした王太子の座だが、ドラゴンの力を手に入れた兄さんが帰ってくれば、それももう終わりだ。
貴族達の間で、緊急に議会を開くようにとの声が上がっている。
議題については、考える必要もないだろう。
ドラゴンの祝福を受けた優秀な兄と、血筋だけの平凡な弟。
兄を勝てる見込みのない戦地へ送った弟と、そこで勝利した兄。
兄に嫉妬した、汚く醜い心を持った僕の行く先は、いったいどこなのか。
ーーマエル。お前は私の唯一の家族だ。
お前がつらい目にあった時は言ってくれ。
私が必ずお前を助けるから。
ーーノア兄さん、兄さんは僕の道標だ。
僕もいつか兄さんみたいに強くなれるよう頑張るよ。
バルコニーに出ると、城門が開いていく様が見えた。
ゆっくりと開いたその先には、行きとは違い、半数になってしまった騎士達の姿ある。
どんなに遠くとも、兄の姿はすぐに見つけることが出来た。
僕は昔から兄のことを探すのが上手くて、それを誇らしく思っていたことを今更ながらに思い出す。
兄の側には、大きな濃紺のドラゴンがいた。
ーーいつかドラゴンに会いたいな。
会ったらドラゴンにお願いして、祝福を授けてもらうんだ。
そうしたらこの平凡な緑の瞳も、兄さんのように金色に輝くでしょう?
ーーまた王妃に何か言われたのか。
王妃に何か言われても、気にする必要なんてない。
ーー母様は僕のことが嫌いなんだ。
いつも僕の瞳を見てため息をついてる。
僕のことを、何もできない愚図だって言うんだ。
ーーお前は愚図じゃない。
それにお前の瞳は綺麗だ。
私はお前の瞳の色が好きだよ。
ーーありがとう、兄さん。
僕も兄さんの瞳の色、大好き。
僕には兄さんしかいないんだ。
人は何故、変わってしまうんだろう。
僕はどうして、あの頃の気持ちのままではいられなかったんだろう。
英雄達の凱旋に、民達の歓声が湧く。
王都はさながら祭りの日のように、音楽が鳴り響き、籠いっぱいの花びらを手にした少女達が、空に向かってそれを撒く。
城に向かって民達の間を行進する騎士達は、勝利した自分達の功績に誇らしげに顔をあげ、真っ直ぐ前を見て、堂々とした様子で列をなして進んでいる。
「兄さん、ごめん。ごめんなさい。」
手すりを握ったまま崩れ落ちるかのように跪くと、僕の目からは涙が溢れ出て、床を濡らした。
生きててくれて、良かった。
それは、非情な命令をした僕が、決して口にしてはいけないことだ。
唯一の家族といえる存在を、醜い嫉妬心から死地へと送り込んだ人間が、言ってはならない言葉だ。
それまで騎士達の隣りを歩いていたドラゴンが翼を広げ飛び立つと、一際大きな歓声が湧いた。
ドラゴンは己が祝福を授けた相手をつがいと呼び、そのつがいをとても大切にするそうだ。
そんなドラゴンだから、そのつがいを苦しめ貶めた僕のことは、決して許さないだろう。
金の光を帯びた濃紺のドラゴンが空を舞う。
「綺麗だなぁ。」
伝説は今現実となり、どこまでも続く青い空は、王国の繁栄を祝福しているかのようだった。