「僕の力」
入学式から三日目。
「先生、次の授業は何でしょうか?」
山崎が担任に質問した。その顔は一点の曇りがなく、明るい太陽のようだ。まるで分かっていない。
「あ? 知らんわ」
「え?」
一条が戸惑うのも無理はないだろう。今までの学校ではない事なのだから。
この学校では常識と呼ばれているものの殆どが覆されている。僕にとっては好都合なところだ。
その一つとして生徒に時間割が配られることはない。
「だが、次の授業の準備が出来ん奴は相応の罰が与えられる」
担任は片手に持った竹刀を肩に乗せる。担任より番長の方がお似合いだ。
「一体、どうやって……」
クラスメイトの数人は頭を抱えて悩んでいるようだ。悩むくらいなら行動した方が早いと思うがな。
「先生、まだ休み時間ですよね?」
次は五十嵐が質問した。
「あぁ、そうだ」
五十嵐は笑みを崩さないまま、クラスメイトに語りかける。
「みんな、聞いてくれ」
決して声は大きくない。耳を澄ませばギリ聞こえる程度だろう。だが、クラス内の喧騒は収まりクラスメイトの視線は五十嵐に集まった。
「僕は次の授業を知りたい。罰を受けたくないしね。だから、皆んなにも協力して欲しい」
クラスメイトの何人かはそれを聞いただけで頷く。 余程信頼されてるんだろうな。
「まず、情報を掴んでる人から情報をつかもう。持っているとすれば去年の先輩方、零組と教職員だろうね。やり方は自由でいい。つかめた情報はいち早く僕に伝えて欲しい」
「よーし、わかったぜ!!」
一条が席から立ち、教室の外へ走り出す。そして、生徒4人が一条に続いた。こいつらは通称・一条組。中学時代には、全国に名を轟かせていた札付きの不良らしい。今は更生してまじめになっているとか。
「さぁ、僕らも行こうか」
次に教室から出て行ったのは五十嵐グループ。要するにイケてる系の生徒が集まったグループで皆、優等生揃いだ。
五十嵐グループに続き、幾つかの小グループも教室から出て行った。
残るは僕と右京を含め、3人。
「おい、お前らも行けよ」
そう口にしたのは一匹狼として有名な 東雲朱雀。目を見張るほどの特技はないものの、全体的に高水準な生徒である。
「お〜や? 何で行かないとダメなのですか?」
「……皆んなやってるからだろう」
「皆んなやってるから行け、と?」
変な笑い方が癇に障ったのか、東雲はこいつの胸ぐらを掴んだ。
「……何の真似、ですか?」
一瞬、空気が張り詰めた。右京には底知れぬ恐ろしさを感じされられる。東雲は右京の圧力に耐えきれず、胸ぐらから手を離す。
「……お前、気持ち悪りぃな」
「褒め言葉として受け取っておきますよ……」
東雲は馬鹿にされてると思ったのか、顔は真っ赤に染まっていく。指の関節をポキポキ鳴らし始め、今にも暴力沙汰に発展しそうな状況になった。
「何ですか? 喧嘩ですか?」
まるでこいつの眼は赤子のように好奇心に満ち溢れていた。こいつにとって暴力や喧嘩は至上の嗜好品だ。
「この俺を、馬鹿にするなああぁぁぁぁぁ……!!」
高校生にしては大きい拳を頭部まで突き上げる。その拳を上から下へ振り下ろす。
「な……っ!!」
何とその拳は右京の頬まで届いた。が、こいつにとってはその拳は赤ん坊の戯れに過ぎず、東雲の渾身の一撃もノーダメージのようだ。
「これで、わかりましたかっ♪ ”実力の差を!!”」
右京は大人の頭すらも包み込んでしまうほどの大きな手のひらで東雲の顔を鷲掴みにした。
「あっ……あっ、ぐあぁぁぁぁ……!!!!」
ごめんなぁ……東雲。僕もこんなこと右京にさせたくないんだよ。でも、きみは……
「殺しちゃおっ♪ 」
ドミノを押すように軽く東雲を突き倒す。それだけで東雲は呼吸できなくなった。こいつはそんな様子を気に留めず、右から左へ拳を振りかざす。こいつの一撃は意識を完全に狩り取るには充分すぎる一撃だ。
「……」
「いや、まだ殺さないですよ?」
百戦錬磨の武人のような手が東雲の肩まで伸びる。その手で東雲の体をヒョイと持ち上げて、肩を大きく揺さぶった。吐き気がもどこすほど、めまいがするほどの大きな揺れはとても心痛なものだろう。
「……っ」
東雲は目を開けた。
すると東雲の活気盛んな若者らしい顔から、一気に血の気が引いていく。しばらくの間、東雲は一つたりとも動かなかった。そして起こされるまで二度と動くことはなかった。
「どうだ? そいつ」
「これは良い調味料ですよ。起こします?」
「連中が来る前に起こそう」
「わかりましたっ♪」
愉しげにリズムを刻みながらハミングする。聞くものによれば、ゾッとする嫌悪感を抱かせてしまうだろうな。なんせ、リズムが不気味だし。
「ほらほら、起きなさい」
ゴリラのような強靭な腕を広げ、水平線にビンタを打ち込む。頬にぶつかった時の反響音は凄まじく。だれもビンタによるものだとは思わないだろう。教室に人が来るのも時間の問題だな。
「……うっ」
失神していた東雲は再び目を覚ました。だが、その鋭い双眸が捉えたのは夢にまで見た”憧れの人”ではなく、小さな巨人。
「何よ、『うっ』て。起きないなら”殺しますよ?”」
「わ、わ、分かったよ……だから、その……殺すなよ?」
起きた直後、図体のデカイ怪物が目の前に、それに先程見せつけられた驚異的な頑丈さを目に焼き付いた今の東雲が取り乱すのも無理はない。
「落ち着きなさい……これだから男ってほんと駄目なんだから」
お前も男だろ。オカマだけど男には変わりない。その証拠として君には男の宝物が備わっている。
「早乙女、早くしてよ」
「あぁ、分かっている。お前の差別発言に吐き気を覚えていたところだよ」
「差別? 私は差別嫌いですよ」
全く、こいつは羨ましい。ネガティブな記憶はすぐに忘却して必要な記憶だけは忘れない。都合の良い奴だ。
そして小さく頷いた。今からすることを承諾するように。
僕は罪悪感を抱きながらも、東雲に近い右京を後ろへ突き放す。いくつかの机と衝突しながらも教室の最端まで吹き飛んだ。
「えっ? 早乙女……?」
非力な僕でも右京を投げる光景を愕然と見つめている、東雲。彼が何を感じ、何を考えているのか僕には手にとるように分かった。
僕は東雲に至近距離まで近づき優しく声をかける。東雲に対抗の様子はなく、寧ろ僕のことを恐れているようだった。戦慄させてることには罪悪感を感じている。だが、こうまでしないと林道はひ弱な僕に襲い掛かるだろう。もし、ふざけて右京が助太刀しなければ僕の身体には針の先端ほど皮が剥ける。それは避けたい。
今はまだ。身体を危険に晒すときではない。
「……東雲君。僕はパートナー、”早乙女”だよ。見たところきみの胆力はずば抜けているね。同世代でも右京に手を出せる奴はいないだろう。当然、僕も同じさ。だが、きみはどうだろう? 体格、不気味な語気を跳ね除けてあの巨躯に立ち向かった。きみは誇れる人間だ。それは次期王である僕が保障するよ。だが、きみは胆力以外では全く歯が立たない。彼の前では無価値さ。悪く言うとそこらへんに散らばってるゴミ屑以下、だろうね。それに胆力があるからってどうだ? 戦争の才能のないきみをだれが正当に評価してくれる? 今のままではだれもおまえを評価しない」
東雲はいきなりの事に気が動転していて、唖然としている。状況をうまく読み込めていないのだろう。
僕は東雲の体を抱き寄せた。まるで、右京の全てを受容するように。
「だけど、きみは苦しまなくていい。正当に評価してくれないやつを憎まなくてもいい。僕がきみを正当に評価してあげる」
再び、僕は東雲の大きな双眸にまっすぐ目を向けた。
「きみは、これから必要な人間になる。僕が作る世界には東雲朱雀は欠かせないほどに」
しばらくの間、東雲は呆気に取られたように僕を見ていた。ただただ漠然と。何を言われたか、どんな状況か彼なりに整理したのかもしれない。
「お、俺は……この世界がいや、です。だから、俺も……変わりたいんだ!! 今のままではダメだと分かっている、俺が変わらないと俺が見ている世界は一つも変わらない。だから、だから、俺も早乙女についていきたい!! 俺が、変わるには早乙女の力が必要だ……!!」
自分が変わる事で、この世の至る所が目につくようになる。人間の愚かさ、悪環境、生命の儚さ……。それを知ることが世界創造の一歩となるだろう。それを彼は知っている。理屈じゃない、本能的に理解している。そして彼は、過去に人生観を変えるほどの、辛い経験をしているのだろう。だから君を選んだんだ。
きみは、僕のいや、これから生まれてくる人類の糧となれ。きみにはその役が相応しい。
「分かった。東雲。きみは僕らの仲間だ」