創作届け
超絶怒涛に面白くて、爆売れ間違いなしのストーリーを思いついた俺は、小説執筆の認可をもらうために市役所へ訪れた。
俺は受付番号が書かれた紙を受け取り、自分の順番が来るのを待つ。携帯をいじりながら周りをみてみると、待合室には俺と同じように漫画や小説などの創作届けを申請しに来た人間で溢れかえっていた。彼らがどんなストーリーを思いついたのかは知らないが、少なくとも俺のストーリーの方が何百倍も面白いはずだった。俺は彼らを鼻で笑いながら、構築中の作品の世界観について想像を張り巡らせる。考えれば考えるほど、自分の空想の中の世界は美しく、欠陥ひとつないように思えた。キャラは活き活きと動き回り、ファンタジーではありながらも作品の根底には現代社会へのアンチテーゼも含まれている。読者が一人残らず俺の才能を褒め称えるイメージがありありと浮かび上がってきて、無意識のうちに口角があがってしまう。
電子掲示板に自分の受付番号とブース番号が表示される。駆け出したい気持ちをグッと堪えながら、俺は然とした態度で立ち上がり、ゆっくりとした足取りでブースへ向かった。
「えーと、磯山さまは、創作届けの提出ということでしたね。確認いたしますので申請書をいただけますでしょうか?」
俺は作品の概要についてびっちりと書き込んだ申請書を手渡した。受付の人間が書類に目を通し始める。俺は、受付の人間が、素晴らしい作品ですねと称賛の言葉を口にするのを今か今かと待ち続ける。しかし、相手はざっと書類を斜め読みした後で、遠慮がちな様子でこう言ってきた。
「申し訳ありませんが、SFジャンルについてはこの窓口ではなく、別の窓口に提出していただくことになっているんです」
「はい?」
俺は反射的に聞き返す。役人は引き出しから市役所窓口に関する案内書を取り出し、創作の区分、ジャンルごとに申請窓口が分かれていることを説明した。それからこの窓口ではジャンルがファンタジーのものしか受付をしておらず、SF的な設定を含む創作物については別棟三階にある窓口に行く必要があることを伝えてくる。
「いや、ちょっと待ってください。ちゃんと私の申請書を読みました? 確かに導入部分はSFですが、ストーリーが進むにつれて科学ではない事象が現れ、主人公たちが魔法の力に目覚めるという斬新なものなんです。この魔法というのが、この世界に存在する裏科学者集団ジブラによってずっと隠蔽され続けてきた力で、すべてを科学で説明しようとする現代社会のアンチテーゼという意味もあって……」
「すいません。ジャンルに関しては導入部分のみを参照するという規則となっておりますので……。お手数おかけして申し訳ございませんが、別棟の方へ申請をお願いできますでしょうか?」
その後も俺は自作がいかに優れたファンタジー作品であるかを力説してみたが、相手は規則ですのでという一点張り。これ以上粘っても時間の無駄だと判断し、俺は苛立ちを抑えながら別棟三階へと向かった。
「これファンタジー色があるので、ここの窓口では受け付けられませんね。ファンタジー専用の窓口へ行ってもらえますか?」
「いえ、さっきファンタジー専用の窓口に行ったらこっちのSF専用の窓口に行ってくれと言われたんです」
あからさまに面倒そうな表情を浮かべた後で、受付の人間が俺の申請書類を渋々受け取った。その態度に少しだけカチンときたものの、俺はぐっと込み上げてくる怒りを抑えた。変なトラブルを起こしてこの素晴らしい作品を書き始める時期が遅れてしまったら、それこそ本末転倒だ。俺はじっと目の前の役人が申請書を読み終わるのを待ち続けた。SF専門の窓口の人間は、先ほどのファンタジー専門の受付の人間よりも時間をかけて申請書を確認していた。先ほどは粗探しのために作品のあらすじを流し読みをされていたが、今回はきちんとこの作品を読んでくれているのだろうと思った。そして、時間をかけて読んでいるということはつまり、この作品には何かがあると勘づいているからに違いない。俺はそわそわと身体を小刻みに動かしながら、目の前の人物が申請書の確認を終え、それからこのあらすじに対する感想を述べることを待った。そして、申請書を提出してから十分ほど経った後で、ようやく相手が口を開く。
「この設定。〇〇っていう既存の作品と大変似てますね。このままでは受理が難しいので、一部の修正をお願いできますか?」
その言葉に、俺は自分の耳を疑った。どういうことですか? ともう一度尋ねると、相手は「既存の作品に似すぎている部分があるので、そこの修正をしない限りは受理できないんです」と同じ内容の言葉を繰り返した。
「いや、確かに〇〇っていう作品の影響は受けていますが、それでも所々に私のオリジナリティがあります。決してパクリなんかじゃないです! 特に物語の後半部分なんかは北欧神話の伝説をモチーフにした展開を混ぜ込んでいて……」
「いやいや、別にパクリだって言ってるわけじゃないんですよ。そこだけは誤解しないでください。ですけどね、この創作届けという制度自体が、供給過多になりすぎたせいで、良質な作品と出会うことができなくなった消費者の保護を目的に作られているんです。その観点で考えるとですね、あまりにも似過ぎている作品というのは消費者に混乱を招く可能性があるので、できるかぎりその点は修正してもらえないと……」
「そんなの知ったことか!」
そのタイミングで今まで押さえつけていた怒りが爆発する。俺は勢いに任せるがままに罵詈雑言をまくしたて、それからこの申請が受理されないことが小説業界全体にとってどれだけの損失を与えるのかを主張した。しかし、役人は俺の反論に対してさらに意固地になったのか、先ほどよりも語気を強めて、受理できませんと言い続ける。俺たちの口論がどんどんヒートアップしていき、受付の奥がざわつき始めるのがわかった。
「訴えてやる!!」
上司らしき人間が現れたタイミングで俺はそう言い放った。申請書を受け付けなかった役人とその上司が困惑した表情で顔を見合わせる。その姿を見てさらに怒りのボルテージが上がっていく。悪いのは完全にあちらの方なのに、あたかも俺の方にも非があるようなその態度が許せなかった。今度は知り合いの弁護士を連れてくるからな! 別に知り合いに弁護士はいなかったが、相手をビビらせるためにそんな捨て台詞を吐き、俺は申請書を手に役所を後にした。
そして、それから市役所を相手にした闘いが始まった。小説を出しさえすればまとまったお金が入ってくるので、高い金を払って有能な弁護士を雇った。弁護士の助言のもと、俺は小説執筆の認可だけではなく、自分にとっては命にも等しい創作物のアイデアを侮辱されたとして精神的な損害賠償を請求することにした。俺の考えた最高の小説を形にするため、俺は寝る間も惜しんで、裁判に勝つための準備を進める。弁護士に丸投げするのではなく、自分なりにも行政手続きや裁判手続きについて勉強し、どうすれば有利に裁判を進められるのかを考え続けた。これはまさしく、俺によって生み出される小説、そしてプライドのための聖戦だった。
そして、俺の創作に対する熱意が伝わったのか、ある日俺の訴訟がネット記事で取り上げられた。すると、その記事をきっかけに、ネット上で創作届けという制度そのものに関する大論争が巻き起こった。
自分の好きなものを創作するのに、どうして面倒な申請書を書かなければならないのか。申請書が面倒だと言って創作を諦めてしまうような人間が素晴らしい作品を描けるとは思えない。そもそもこの制度自体が表現の自由の侵害だ。あまりにも作品が増えてしまっては、受け手側の選ぶ権利が侵害されてしまう。
賛否両論、色んな意見に目を通しながら、自分の小説に対する情熱がどんどん強くなっていくのがわかった。制度自体にも問題があるというのは理解している。だが、問題はそこではない。問題なのは、俺の頭の中にある最高に面白い作品が他の作品に似ているからという、意味不明なこじつけで執筆を認可されなかったこと。それだけだった。この裁判に絶対に勝つ。裁判に勝ち、俺は俺の頭の中にある小説を執筆し、そしてそれによって富と名誉を手にする。俺はその決意を胸に、ぐっと唇を噛み締めるのだった。
*****
「判決を言い渡す。原告の主張の通り、小説執筆の認可、および侮辱行為による精神的な損害賠償を認める!」
長きに渡って戦い続けてきた行政裁判の判決日。裁判長のその言葉に、感動のあまり俺は隣に座っていた担当弁護士とともに抱き合った。判決文が読み上げられるなか、これでようやく小説の執筆を始めることができるという喜びで俺は胸がいっぱいになっていく。
「最後に一言いいですかね?」
判決文を読み上げた後、裁判長が俺の方を見て言った。
「これは判決自体とは関係ないのですが、口頭弁論の中であなたが見せてくれた小説執筆への熱意に心が打たれました。あなたの作品を心待ちにしております」
俺は裁判長の方へ顔を向け、力強く頷いた。素晴らしい作品を描いてみせます。俺は自信に満ちた口調で、こう答える。
俺の勝訴はネット上を駆け巡り、俺は一躍有名人になった。ネットでは俺の勇気ある行動を褒め称える声が相次ぎ、いくつかの雑誌から取材を依頼されたりした。そして、その取材をきっかけにこれまでの裁判の経緯を記したエッセイや、創作届け制度自体に関する論考の執筆依頼が立て続けにやってきた。一刻でも早く小説を書きたいという気持ちはあったものの、誰かに執筆をお願いしますと頭を下げられるのは正直気分が良かったし、俺のエッセイや論考を読んだ人間が賛同の声を上げてくれるのは楽しかった。依頼は途切れることなく舞い込んできて、そして寝る時間も取れないような忙しい日々が続いていった。一日一日が瞬きする間に過ぎ去っていき、まさに充実した毎日を過ごしていた。
それでも、裁判に関する話題は下火になっていき、俺に対する世間の関心は少しずつ薄れていく。俺はそのことに不満を覚えつつも、これでようやく念願の小説執筆ができるのだと前向きに考えることにした。俺は作業用に新しいPCを買い、それから参考資料にするための書籍を買い漁り始める。
そして、裁判が終わってからちょうど半年後の日曜日。小説執筆のために俺はPCの前に座った。行政から執筆認可も降りた。プロット案もキャラクター設定も練りに練っている。機は熟した。俺は心の中でそう呟く。しかし、そのタイミングでメールの通知音が鳴る。なんだろうと思って内容を確認すると、知り合いの編集者からのエッセイ執筆依頼だった。分量も多くなく、締切も大分先で時間的な余裕がある。断る理由のない俺は早速メールに返信し、ぜひ執筆させていただきますという返信をした。
さあ、小説を執筆しよう。俺の頭の中にある超絶怒涛に面白い小説を。
そう決意し、俺はPCの小説執筆ソフトを立ち上げる。しかし、そのタイミングで、先ほどメールで依頼されたエッセイのことが頭をよぎる。締め切りはずっと後で、別に今やる必要はない。しかし、それは認可が降りた小説も一緒じゃないだろうか? 確かに俺の頭にある小説は超絶怒涛に面白いものだが、執筆を後回しにしたところで、その面白さが減るわけではない。
俺は腕を組み、物事の優先順位をじっくりと考えてみる。そして、5分ほど悩んだ後。結局俺は、小説執筆ソフトを終了し、依頼されたエッセイを書き始めるのだった。