3
「誰かしら」
そう言いつつも、相手は大体想像がついていた。
最上階のこのフロアには、専用のパスキーを入力しなければ上がって来られない。
それを知っているのは自分達と公一の親類、そして特定の友人だけだ。
公一は職場にいるし、実家の人たちも突然やって来る事はない。
消去法で、公一の友人の誰かだろう。
そしてその友人は、深雪の顔見知りでもある。
ボタンを押し、インターホンのカメラを起動させる。
やはりそうか。
部屋に招き入れたくはないが、暇潰し程度にはなるだろうと、ロックを解除する。
「よ、久しぶり」
「何しに来たの?」
遠慮なしに部屋に上がってきたのは、広告課の新道幸一だった。
彼は公一の中学の同級生で、同じチームにいた。
つまりは深雪が『近藤』だった時からの知り合いだ。
会社では瑞穂に紹介された手前、初対面を装っていたが。
実はもう9年来の付き合いなのだ。
そして、公一の友人で立派に更生したのはこの男1人だ。
「たまたま仕事で近くまで来たからさ。昼飯食わせてくれよ」
「昼飯を食べるなら、どこかの店にいけばいいじゃない」
わざわざマンションに入り、こんな所まで来るくらいなら、近くの軽食屋に入る方が手軽だろう。
なんとなく裏がある様な気がした。
「まぁ、正直俺だって来たくなかったよ。だけど、上司命令だからさぁ」
「上司命令?なにそれ」
「お前さっき、公一にメンヘラ女みたいなメッセージ送ったんだろ?心配だから様子見てこいってさ。全くアイツも過保護だよな」
どうやら公一が心配し、新道に頼んだらしい。近くにいたのは、恐らく偶然だろう。
「メンヘラだなんて不本意だわ。でもまぁ、丁度暇していたの。話し相手になってよ。パスタくらいなら作ってあげるわ」
相手が誰であっても、誰かに作るならばやり甲斐はある。
自分の昼食用に用意してあった材料を使い、簡単にペペロンチーノを作った。
「どうぞ。召し上がれ」
「旨そうだけどさ……。ペペロンチーノはないだろ。まだ仕事中なんだぞ」
こんな、にんにくがきいたモンなんて……と言いつつも、食欲に勝てないのかフォークを持つ。
「文句があるなら食べないで。大体、いつもの愛妻弁当はどうしたの?」
確か新道はまだ結婚したてで、彼の妻が毎日愛妻弁当を作ってくれているはずだ。
弁当を忘れた時はわざわざ会社に届けに来てくれるほど甲斐甲斐しい人だと聞いている。
「お前に言わなかったか?嫁さん、今妊娠してるんだよ。悪阻が酷いみたいでさ。弁当はしばらく中止。晩飯は俺が作ってるんだぞ」
「へぇ。意外とちゃんと、旦那をしているのね」
向かい側に座り、無意識に公一が置いていった煙草を咥えて火をつけた。
「禁煙してる奴の目の前で吸うなよ」
パスタを頬張りながら、新道は不満そうにぼやく。
だが深雪は構わず煙を吐き出した。
「ここは私の家だもの。それに私は禁煙なんかしてないから関係ないわ」
最近はもう吸っていないが、昔馴染みに会ったせいだろうか。妙に煙草が吸いたくなった。
「お前と煙草の組み合わせ見るの久しぶりだな。なんかこう見ると、見た目は変わっても、中身は変わらないみたいだな」
「これでも丸くなったのよ」
にっこりと嫌味を含んだ笑みを浮かべ、煙草を灰皿に押し付ける。
「見た目と口調だけな。今さらだけど公一も趣味悪いよな。よくまぁ、男としてつるんでた奴を嫁になんてできるよ」
音を立て、パスタをすすりながら呟く。
「器物破損でパクられた事がある奴に言われたくないわ。みんな変わったのよ。私だけじゃないわ。公一だってそう。──変わらないのは笹川くらいなものかしらね」
笹川とは公一の幼馴染みで、親友ポジションだった男だ。
昔の仲間は全うな社会人になっているのに、笹川だけは16の頃から全く変わっていないらしい。
噂ではどこかの組に入ったと聞いたが、彼と公一はずっと前に縁を切っている。
「笹川かぁ。懐かしいな。アイツ今何してるんだろな」
新道はパスタを食べ終え、ご丁寧に皿をシンクに下げる。
「知らないわ。公一とは縁を切ってるはずだもの」
「嘘だろ?あいつらは切っても切れない仲だと思っていたけど」
「切るようにお願いしたからよ」
笹川は昔から深雪を嫌っていた。
理由は恐らく、過去に奴につけた痕のせいだろう。
突然襲い掛かられ、返り討ちにしてやった。
だが笹川は全く退く気を見せず、執拗に深雪を追い掛けてきたのだ。
いい加減相手にするのにうんざりしていた時、ちょうど顔馴染みの女子生徒と出会した。
彼女達も笹川には個人的な恨みを持っていたらしく、あっさりと協力してくれた。
手助けもあり、笹川にマーキングをし、やっと追い返す事に成功したのだ。
公一に認められて仲間になってからも、笹川の恨みは消えていなかったらしい。
絶対にあの時の仕返しをしてやると、執拗に喧嘩を売られた。
日本を発つ際には、次に会ったら必ずお前を殺すと豪語していたのだ。
公一と結婚し、一生笹川との付き合いを続けていくなんて御免だ。
だからこそ、縁を切って欲しいと頼んだのだ。
「へぇ。あの公一に、笹川を切らせるとはな。アイツ等本当に仲良かったからな。──仲良かったっつーか、腐れ縁か。とにかく中学の頃から一緒らしいぜ」
「そうみたいね」
という事は、少なくとも13年は付き合いがあったということだ。
それに比べると、自分の9年なんて、とてもちっぽけなものに感じた。
なんとなく、笹川が羨ましい。
深雪の表情を見て何かに気付いたのか、不意に新道は呆れたように笑った。
「いくら目障りだからって、笹川を消そうとはすんなよ?今のお前がそれをやったら、間違いなく実刑つくんだからな」
「は?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
実刑──という事はつまり、犯罪だろうか。
「ちょっと待ってよ。私が笹川を殺すとでもいいたいの?そんな事するわけないじゃない」
笹川がいなくなればとは思うが、犯罪を犯してまでなんて思っていない。
だが新道は相変わらず訝し気だ。
「お前、基本的に目障りは消すって思考だったろ」
「それは昔の話でしょう。大体、笹川を殺して捕まったら、公一の側にいられないじゃない。それに、今はどこにいるのかもわからないわ」
「へぇ」
新道は曖昧な笑みを浮かべている。
「公一公一って、ウザイ位固執してんな。お前少し依存し過ぎてるぞ」
「何よそれ」
夫婦関係が上手くいっているのが、良くない事なのだろうか。
意味がわからず、軽く眉を寄せる。
「お前の周りは本当に厄介な奴ばかりだな。俺みたいなのは稀だぞ?大事にしてくれよ」
小さく笑うと、上着を肩にかけて立ち上がる。
「そろそろ会社戻るわ。じゃあな。ごちそうさん」
新道はヒラヒラと手を振り、さっさと出て行ってしまった。
それを見送り、深雪は考えた。
自分が公一に依存している?
固執している?
難しい言葉はよくわからない。
こんな事なら、公一に一般常識を教えて貰えば良かった。
「依存、固執──」
取り敢えず意味だけは知っておきたい。
スマートフォンで検索をかける。
「あった」
漢字はわからない為、ひらがなで入力したがきちんと表示された。
依存。
意味は『他のものに頼って存在すること』
固執。
『意見や態度を簡単に変えないこと』
つまり自分は公一に頼って生きていて、意見や態度を変えないという意味なのだろうか。
「よくわからないわ」
公一に頼って生きているというのはわかるが、固執が理解できない。
「何が言いたかったのかしら」
考えるのが嫌になり、そのまま検索結果を閉じた。
帰って来たら、公一に聞いてみよう。