2
さすがの犯人も戻ってくるほど暇ではないのか、今日はあれ以降、嫌がらせはピタリと止んだ。
そろそろ夕食の準備をしようかと冷蔵庫を見ていた時、家の電話が鳴る。
今朝の事もあり、軽く眉を寄せる。
時間的には公一の可能性が高いが、彼ならば固定電話ではなくスマホにかけてくるはずだ。
無言電話や嫌がらせ電話である可能性も考えながら受話器を取り、耳に当てる。
「……もしもし」
低い声を出し、相手を脅かそうと試みた。
案の定発信者は不審に思ったらしく、負けず劣らずの不機嫌そうな声で返してきた。
『はァ?お前、誰だ』
この声はどこかで聞いた事がある。
もしかしたら犯人は身近な人物なのだろうか。
まさか、笹川が公一に復縁を迫ろうと電話をしてきたのかもしれない。
「お前こそ誰だよ。名を名乗れ」
昔の口調を思い出し、精一杯ガラを悪くする。
しかし相手から返ってきた言葉に顔色を失った。
『俺はそこの家主だ。テメェ、一体何なんだ?』
「え!?こ、公一だったの?」
慌てていつもの声色と口調に戻し、口元を抑える。
『深雪……?まさか今のお前か?』
「ごめんなさい。勘違いしちゃって──」
いくら電話口とはいえ、旦那の声に気付かなかったなんて。
『なんだよ今の。知らない男がいると思ってびっくりしただろ』
「ちょっと寝ぼけちゃって──本当にごめんなさいっ」
パニックになり、身ぶり手振りを加えて早口で弁解する。
すると公一は明るい声で笑った。
『あははは。深雪は寝起き悪いからね。でもあんな声で出るなよ』
「ごめんなさい……」
額を押さえ、消え入りそうな声で呟く。
「でもどうして自宅に電話したの?いつもはスマホの方なのに」
『あぁ、バッテリー切れ。会社の電話からかけてるんだよ。今日遅くなりそうなんだ。まだ夕食作ってないよね?多分食べられないから、俺の分は良いよ』
「そうなの?どうして?」
1人でも問題はないが、やはり居てくれた方が何かと心強い。
それに、もし何かあっても、2人なら取り押さえる事ができる。
『ちょっと人と会う予定が入って。何かあったか?』
「夜に1人なんて寂しいから」
気付けばそんな言葉が口を次いで出ていた。
平気だと思っていたが、やはり不安だったのだろうか。
自分の言葉に驚いた。
公一は少し考えている様な間を空け、小さく咳払いを漏らした。
『じゃあ深雪もに来る?』
「いいの?」
『実は、会うのは香ヶ崎なんだよ。さっき電話が来てさ。久しぶりに飯食おうって言われたんだ。前に、深雪をしつこく二次会に誘ってだろ?』
「香ヶ崎……」
つい1週間程前、公一を迎えに行った時に会った、昔の悪友だ。
いや、悪友というよりも犬猿の仲だったのだが。
「私が行っても大丈夫かしら?」
『一応念のために、目一杯女らしくしてきて。多分バレても大丈夫だとは思うけど。アイツももう大人だし』
「そうね」
確かに数年ぶりに会った香ヶ崎は、気付かない程大人に成長していた。
深雪も今さら、無駄に争うつもりもない。
これを機に、仲良くなれるかもしれない。
「じゃあ行くわ。どこで待ち合わせる?」
『20時半位に新宿駅の西口で待ってて。近くに車止めて迎えに行くから』
「わかったわ」
電話を切り、時計を見る。
時刻は18時を少し過ぎた位だ。
待ち合わせが20時半だという事は、恐らく香ヶ崎もサラリーマンなのだろう。
一瞬だけ、嫌がらせの犯人は奴かもしれないという思考が過ったが、今日のあの時間は仕事中だっただろう。
「準備しなきゃ」
公一には、めいっぱい女らしくする様に言われた。
バレても良いが、バレないに超したことはないと思っているのだろう。
確かに深雪自身もそう思う。
香ヶ崎は昔から、女々しくて執着質な性格だった。
何が気に入らないのか、いつも深雪に子供の様な嫌がらせをしていた。
深雪の煙草をわざと噴水に投げたり、衣服を破られたり。
喧嘩では絶対に勝てない事がわかっているから、そうやって事故に見せかけて嫌がらせをするのだ。
しかもみんな、公一が見ていない所で。
いくら香ヶ崎でも、もう立派な大人。しかも女相手にそんな真似はしないだろう。
──恐らく。