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「友達、かな?でも、なんで男友達との写真なんて」
顔は可愛いが、金髪の坊主頭だ。
見るからに不良そうな少年と、異様にくっついている。
近藤社長は満面の笑みだが、金髪の男の方は不満そうに仏頂面をしている。
一体、この2人の関係は何なのだろう。
そんな事を考えていると、すぐ近くで口論の様な声が聞こえ、自分の置かれている環境を思い出した。
そうだ。私は今、社長の自宅に居て、隠れている最中だった。
雰囲気から、瑞穂が居るのがバレたのだろう。
どうしようかと慌てふためいていると、勢い良くドアが開き、怖い顔をした近藤社長が入って来た。
「お、お邪魔しています!!」
とりあえず挨拶をしなければ。
思い切り頭を下げると、少し間が空いた。
そしてすぐに「陽子!?」という声が聞こえたのだ。
リビングに戻った瑞穂は、深雪と一緒に『社長』にお叱りを受けていた。
なんだがあの頃を思い出して懐かしく感じる。
職場では基本的に逆らわないが、今は別だ。
自分が悪いのだと言うと、近藤社長は深い溜め息を吐いた。
そして不意に口調が変わった。
そして『今日だけだからな』と念を推し、社長としてではなく、深雪の旦那として対応すると言ったのだ。
寝室で出前を頼んだ近藤社長は、スマホを片手に戻って来た。
「あと30分くらいで来るってさ。それまで俺は仕事しているから。女同士でゆっくりしてるといいよ」
そう言って鞄を持つ近藤社長は気味が悪い。
勿論、怒鳴られるよりはマシだが、家庭ではこんなに穏やか好青年だなんて。
やむを得ないとは言え、素を見せるなんて。
正直、後が怖い。
「あの、しゃ、社長………」
他に呼び名が見つからず、いつもの調子で声をかけた。
すると近藤社長は、振り向き、苦笑いを浮かべた。
「社長はないだろう。ここは会社じゃないんだから。とは言ってもまぁ、友達の旦那の呼び方なんと思いつかないよなぁ」
声のトーンも勿論だけど、語尾まで違う。
本当に、出勤した時が怖い。
「なぁ。普通、友達には旦那を何て呼ばせると思う?」
「え?そうね……私も呼んだことないからわからないけど。普通は旦那さんとか、名前なのかしら?」
近藤社長に向かって『旦那さん』か。
すごく違和感がある。
近藤社長もそう思ったらしく、首を傾げた。
「間違ってないけど『旦那さん』はちょっとないな。まぁ、無難に『公一さん』とかでいいか」
「こ、公一さんですか?」
近藤社長の下の名前を呼ぶなんて恐ろしい。
ただでさえ職場は近藤さんの集まりだから、苗字を呼ぶことすらないのに。
「あぁ。まぁ、それでいいよ。陽子──いや、この場合は名前か。瑞穂さん」
「………」
瑞穂さんなんて、社長に名前を呼ばれる日が来るとは思っていなかった。
万が一、うっかり社内で言ったら大変だ。
なんだか妙にくすぐったくて、気味が悪い。
複雑な表情を浮かべていると、近藤社長は鞄を持って部屋から出て行ってしまった。
「社長どこ行くのかな?」
てっきり隣の寝室かと思ったが、玄関に行って部屋から出て行ってしまった。
唖然としながら言うと、深雪は笑みを浮かべながら呟いた。
「隣の部屋だと思います。ほら、そっちが公一の書斎だから」
「なるほど……」
本当の意味で1人1部屋なんて。
やはりセレブは違うと、妙に感心してしまった。
出前が届いたのは、それから数分後だった。
随分早いなと思っていると、それを察したらしく、深雪が「マンションの1階にお店があるんですよ」と教えてくれた。
なんでもここのマンションは、住人専用の飲食店とクリーニング屋、それにカフェがあるらしい。
2階には託児所とプール付きフィットネスと、コンビニ、シアタールームも完備しているらしい。
本当にセレブは凄い。
驚きと羨ましさで複雑な心境を抱いていると、深雪は隣に隣接する壁を見ながら、心配そうに呟いた。
「公一、まだ仕事しているのかしら。呼んできた方がいいわよね」
「あ、私行くね」
隣の部屋にいる近藤社長を呼ぶのは、大体が瑞穂の仕事だ。
立ち上がると、いつもの調子で部屋を出て行った。
「社長、いらっしゃいますか。お食事です」
ドアをノックし、普段と変わらない口調で呼ぶ。
業務中に社長を食事で呼び出した事はないが。
返事を待っていると、不意にドアが開き、いつもの表情の近藤社長が顔を出した。
「何故お前が来る?花子──いや、深雪じゃないのか」
「あ………すみません。なんだがいつもの癖で」
また忘れていた。2人が夫婦なのだと。
ついつい出しゃばってしまった事を後悔していると、近藤社長は声を潜めた。
「今ちょっと良いか。確認したい事がある」
「は、はい?」
一体何だろう。
疑問を抱きながらも、招かれるまま部屋に入った。
「プライベートな時間にすまない。来週の会議の件だ」
溜め息混じりに呟くと、瑞穂の前に会議で使う書類を出した。
見覚えのある書類に目を通す。
「時間は11時。人数は6人か?」
「時間は間違いありませんが、人数は確か7人と聞いています。社長の分をあわせ、8部コピーしましたから」
そう告げると、社長は目を丸くした。
「それは本当か?」
「はい。間違いありません。昼食も、近くの仕出し屋に8人前で出前の予約をしましたので」
「そうか。うっかりしていたな」
呟き、近藤社長は溜め息を吐きながら前髪をかきあげる。
自宅という事でリラックスしているのだろうか。
いつもと違う雰囲気が新鮮だった。
瑞穂は資料を見るふりをしながら、近藤社長を盗み見する。
今限定で、華江の気持ちが少しだけわかるかもしれない。
よく見ると、近藤社長は若くてイケメンだ。中身を除けばイイ男かもしれない。
瑞穂は出前が来た事を告げに来ただけだったが、気付けば仕事の話につき合わされる羽目になった。
「それで、こっちの会議の予定はこれで間違いないか?」
「はい。先方は3名。資料はこちらで、13時です」
「そうか。ではこっちは」
「こんな場所で仕事の話?」
気付くと、いつの間にか部屋には、呆れた表情をした深雪がいた。
とたんに近藤社長は『旦那』の顔になり、書類を片付ける。
「ちょっと、来週の会議の確認をしていて……」
「瑞穂さんは私のお友達として遊びに来ているのよ。仕事の話なんてやめて。お寿司来たわよ」
深雪は少し不機嫌そうに睨んでいる。
鬼社長と恐れられている社長も、妻の前では、ただの男だ。
「ごめん、つい……。陽子──いや、瑞穂さんもありがとう。戻ろうか」
「はい」
『ありがとう』なんて、近藤社長には似合わない言葉だ。
妻には頭が上がらない社長の姿を見て、瑞穂は思わず笑いそうになった。