8
「大体、何故陽子がいるならいると、そう言わない」
我に返り、リビングに戻った公一は、部下の手前か、社長モードで説教をし始めた。
瑞穂は小さくなって俯き、深雪も素直に謝る。
「ごめんなさい。だって、知られたら怒られるかと思って」
悲しげに目を伏せるが、社長モードになった公一には通用しない。
タバコの煙を吐き出すと、灰皿でもみ消し、じろりと深雪を睨んだ。
「当たり前だ。よりによって直属の部下だぞ。俺にも立場ってものがあるだろう。その位わからないのか」
「ち、違うんです社長!深雪ちゃんはわるくないんです!だから夫婦喧嘩しないでください!」
見かねた瑞穂が立ち上がり、必死に懇願する。
『夫婦喧嘩』というフレーズに、公一はぐっと言葉に詰まった。
そうして、悲しげに小さくなっている2人の女を見て、深い溜め息を吐いた。
「もういい。家でまでキャラを作るのは面倒臭い」
ぼやくと、苦笑いを浮かべて瑞穂を見る。
「今日だけは社長じゃなくて、深雪の旦那として接するからな。今日だけだぞ」
そう言うと、軽く咳払いをし、穏やかな笑みを浮かべる。
「いらっしゃい。コーヒーでも飲む?」
そう言うと、キッチンに立ち、コーヒーを煎れてテーブルに置いた。
「もう夕食は食べた?なんなら寿司でもとろうか」
「いえ、そんな、おかまいなく」
あまりの豹変ぶりに、瑞穂はわけがわからないらしく、唖然としている。
「遠慮しないで。お腹空いているだろう?待ってて。今出前とるから」
笑顔のまま言うと、公一はスマホを持って寝室に向かった。
その後ろ姿を、瑞穂はまるで幽霊でも見るかの様に見送る。
「あ、あれが普段の社長なの?」
恐る恐る問われ、深雪は肩を竦めながら頷いた。
「まぁ、そうですね。うちでは基本的にあんな感じです。若い頃よりは丸くなったから」
取り敢えず事なきを得られたようだ。
それに、あまり叱責されなかった事に安堵していた。
寝室からは出前を頼む公一の声が僅かに聞こえる。
「社長も大変なんだね。オンオフ使い分けなきゃならなくて」
開いている寝室のドアを見ながら、瑞穂はポツリと呟いた。