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「そっか。今から高卒認定試験を受けて──。なんなら、そのまま大卒認定試験も受けちゃえば良いんだわ」
高校も大学も、何も10代で通わなければならない場所ではない。
今からでも高卒認定試験を受けて、後々は通学制か通信制の大学を卒業すれば良いのだ。
時間も金もかかるが、幸い深雪には余裕がある。
それに学業ならば、無闇に反対しないだろう。
高校くらいは卒業しておけと言っていたのは、公一なのだから。
「え?高卒認定試験を受けたいって?」
その晩、帰ってきた公一に早速その話をした。
よく調べると、高卒認定に関しては、通信教育で取れるらしく、自宅にいながら取得する事ができるらしい。
「そう。公一、言ってたわよね?高校くらいは行っとけって。あの時はできなかったけど、今なら大丈夫だと思うのよ」
「まぁ、確かに最低でも高校くらいはとは思っていたけど……。どうして今更」
その反応は少し予想外だった。
てっきり、2つ返事でOKしてくれると思っていたのに。
「公一の会社で仕事をしてみて気づいたのよ。やっぱり社会に出るのは大切なんだなって。今の学歴じゃ、どこも雇ってくれないでしょう?だから、高卒認定くらいは取得しておきたいって思って」
仕事のフレーズが出たとたん、公一は僅かに表情を曇らせた。
「また、仕事の話?昨日言っただろ。諦めるって」
「しばらくはよ。認定取れるなんて何年も先じゃない。私はね、生活に張り合いがほしいのよ」
この話は前に何度もしているが、公一が折れたのは一度きりだ。
そのお陰で、公一の会社に入社する事ができた。
だがそれ以降は、何を言っても学歴を理由に駄目だと却下され続けている。
「張り合いなら、習い事をすれば良いだろう。どうしてそう、仕事に拘るんだよ?」
「だからそれは、誰かの役にたちたいからよ」
「それなら仕事じゃなくてボランティアでもすれば良いだろ?」
「ボランティアじゃなくて仕事をしたいの!」
結局また、いつもの押し問答になってしまう。
もしもここで公一が「俺の飯はどうするんだ」とか「誰の金で食わせてやってるんだ」なんてことを言い出せば、全面戦争に突入だ。
しかし彼もそれはわかっているのか、そもそもそんな思考がないのかは不明だが、言われたことは一度もない。
「ねぇ、どうしてそんなに私が働くのを嫌がるの?」
「…………」
公一は一番聞かれたくない事を聞かれた、と言わんばかりの表情を浮かべ、目を反らした。
「俺の知らない所で、万が一何かあったら心配だから」
「万が一って何?まさか、前みたいな事を言っているの?あんなのは稀よ。あちこちに、あんな男達がウロウロしているわけないじゃない」
あの事件は確かに大きかったが、そうそうあるものではない。
あれは色々と悪いタイミングが重なった、例外中の例外だ。
だが公一が心配しているのは、別の所だったらしい。
「事件もそうだけど……。不倫とか」
「不倫?何を馬鹿なこと言ってるのよ。──もう良いわ」
席を立って寝室に行く。
まさか、不倫の事を心配していたなんて思ってもみなかった。
あまりに下らなさすぎる理由に、怒る気にもならない。
「私が不倫?男になんか、1ミリも興味ないわよ。──馬鹿らしい」
今までそんな事を考えていたのかと思うと、逆に笑いが込み上げてくる。
もういい大人なのに、そんな中学生の様な事を考えていたなんて。
今更、公一以外の男をそんな目で見る事なんてできない。
そう言えばきっと安心はしてくれるのだろうが、そうするのはなんとなく癪だった。
追ってこない所を見ると、かなり怒らせたと思っているのだろう。
暫くそのまま居心地の悪さを味わっているといい。そんな事を考えながら寝室にこもっていると、不意にメッセージの着信音が鳴った。
サイドボードに置いていたスマホを取り、画面を見る。
「瑞穂さん!」
そこには、秘書課にいた時の名残で『瑞穂さん(陽子さん)』という名前が表示されている。
久しぶりのメッセージに喜びを感じながら、ベッドに腰掛けて本文を開く。
彼女らしく、絵文字をふんだんに使った明るい文章だった。
『久しぶり!元気だった?最近深雪ちゃんに会ってないなぁと思って連絡しちゃった。秘書課に中途採用の子が入って来たの。苗字は相変わらず近藤さん!どうして社長は近藤ばかり雇うのかな?今度お休みの日に、またみんなで遊びに行こうね』
何気ない世間話に続き、仕事はなかなか忙しい事や、最近の趣味は、もっぱら休みの日に美術館や画廊巡りである事が書かれている。
ちょうど人恋しく思っていた深雪は、すぐさま返信した。
同じく当たり障りない女同士の世間話だが、それでも、友達のいない深雪にとって、唯一連絡をくれる同性と言っても過言ではない、瑞穂からの連絡が嬉しかった。
気付けばリビングに閉め出した公一はそっちのけで、即レスをくれる瑞穂とのメッセージに没頭していた。