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星を掴む花  作者: 宮湖
狐火の章
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狐火の章8 夜警

新章に向けて、読み易いように、改行等の手直しをしております。


宜しければご覧下さい。



 狐火の章8 夜警



「……火勢に……遺骨の判別が……。奉公人の……縁者……。……の安全……責任を……」


 紅子は書面を一読すると、こんなものかと一つ頷き、もう一通の(ふみ)と共に厳重に封をした上で、表で駄賃目当てに屯する小僧を呼んで、牡丹楼への使いを頼んだ。

 少し弾んでやったから、大喜びの子供は確実に牡丹楼へ届けてくれるだろう。

 一目散に駆け出した子供を見送り、今度は、さて、と表情を引き締める。

 これから武早達との合同夜警なのだ。

 桐水の状況は不明だが、清竹に於いて、今回の合同捜査関係者は専属ではない。日常の担当任務との平行作業なのだ。

 紅子は雑用係の扱い上、煩雑な事務手続き等が平時でも山積していた。特に、雑務の忙しさに拍車を掛けてくれたのが、栄屋の後処理である。


 祝言で集まった多くの縁者が殺害された為、難を逃れたのは、招待の必要が無い程付き合いの無かった、遠地の貧農一家のみ。

 遠縁過ぎて親戚意識は薄っぺら、商売の事等解らない、そんな曰くの付いてしまった土地とは関わりたくないと逃げる彼等は、遺体の引き取り以前に身元確認、判別すら拒否。

 無残な焼死体等見たくないだろうし、見ても十年単位で交流の無かった相手を判別出来る筈も無いから気持ちは解るが、真夏でなくともこれ以上遺体をその儘にしてはおけぬと、痺れを切らした州政府が、今日漸く、遺体の埋葬許可を出したのだ。

 検分の為の遺体安置所は当然清竹管轄だから、紅子は一日事務作業に追われたのである。

 嫌がった親族も、蔵が根刮ぎやられたのでなければ遺産相続に目の色を変えただろうとは、書類の紙面上で被害者を送った紅子でなくても、皮肉を言いたくなる顚末だ。

 それ等に桐水との調整業務が加わり、更に夜警である。


 自分が倒れるとは思っていなかったが、機能の麻痺など許されぬ組織(せいちく)で、この上検挙率の低下や防犯能力の減退等を招いたら目も当てられない。――実際、何処其処の神社の境内で与太者が露店や客に絡む等々の軽微な騒ぎの訴えが、じわじわと増えてきているのだ。

 これは、破落戸を番屋に引っ立てて説教して終わり、では浅慮な若者の抑止にはならぬ現状を示しているのだろう。


 立江辺りは、民心の慰撫よりも出世に響くと青くなって、短期決戦を目論んだのだろうが、今回の共同捜査は平の紫竹にかなりの負担を強いる。とっととけりを付けないと最悪の事態にもなりかねない。

 だから雑用係(じぶん)まで駆り出されたのだろうけれど、それでも自分達はまだ幾分楽な方かと、暮れる空を見上げて、紅子は目を眇めた。


 美しい筈の夕暮れ。巨大な斜陽の握る筆が、所々に墨を足しながら蒼空を暮色に塗り替えてゆく。

 同じ太陽なのに、夕陽だけ何故これ程色が濃いのかと、紅子は不思議でならない。

 美しいのだけれど、その濃さが、半日地上を照らし続けて疲労困憊した太陽の、後姿の様に思えるのだ。

 そして、染まる空の色は、夜空を焦がす色とあまりに近く――不吉で。


「……なんか、他の組に悪い気がするな」


 似た様な事を考えていたらしい大和が呟く。


「女の足で回れる範囲、という事でしょうね」


 当り障りの無い返答をした紅子だが、実は楽だとは思いこそすれ、罪の意識等は微塵も感じていなかった。

 問題児の相手を宜しくな、との、組分けした八津吉の意図が透けて見えていたからだ。

 その当の問題児と言えば。


「なあなあ。後で、逸れた振りで、俺と赤紫ちゃんを二人っきりにするとかの気遣いは無い?」

「花火大会に来た交際したての餓鬼かお前は」


 紅子は本気で頭痛を感じ始めていた。


 暮色に浮かぶ蕭洛、三人の担当区域弥栄町に向かう途中の事である。


 最初の被害店安芸月が店を構えた六門町は蕭洛の西、城の真横で黒大路から一本城壁側に入った辺りである。

 安芸月は二大路に面してはいないが、高官の邸宅に程近く、寧ろ、大路の喧騒から超然とした佇まいが、贔屓客に受けていたようだ。


 天満町は都の北東、城の斜め後ろに位置し、風流人が庵を多く結ぶと聞く。

 その分、夜の活気は望むべくもなく、栄屋が賊の格好の餌食となったのも、この閑静さが理由の一つと思われた。

 大店の栄屋が大路から外れたこの場所を選んだのは、何棟も米倉を建てられるだけの広い敷地が必要だった事と、各地で買い付けた米をその倉に収めるには、南大門の混雑が負の方向に働いた事、御用商人として米を城に納入するには、出来るだけ市松の通用門に近い方が都合が良かった為である。


 箕松屋の在った長月町(ながつきちょう)は、東西の城門を繫いだ地図上の中心線よりも下、竹桐路の東側だ。

 五十一年の間に一部で町名改変があったが、狐火の名を初めて世に知らしめた藤間の香良町は、長月町と白大路に挟まれた形でやや南北に長く広がり、次の三島師元町(みしましげんちょう)は典夜町の北西、黒大路の西側である。

 続く太平町は師元町から大路を渡り北上、中心線に等分される様に位置し、六門町と太平町の間に、今は美芳町と改めた三芳町が在った。

 太平町と元三芳町から同時に上がった火の手が黒門に迫ったのだから、市松の内の方々はさぞ胆を冷やした事だろう。

 紅子は脳裏の地図を広げ直した。


 商家が的なのだから、被害は二大路の近辺に集中している。自分達の担当区域、弥栄町と豪永町は師元町に隣接した更に西側で、天満町を除けば、これまでで最も大路から離れており、南と言う立地もあって老舗大店には縁が無い。

 成金も何故か白大路を好む傾向が有る為、この近辺は中流以下の小さな商店ばかりが並ぶ。

 一晩で千両近い盗みを働く賊の標的にはなりそうもない。

 在るとしたら、警吏の思い込みの盲点を突いた、賊の隠れ家だろう。

 懸念材料は、長屋が犇めく界隈だけあって、一度(ひとたび)火事の害を被れば、死者の数が確実に跳ね上がる事だ。

 夜警も警備より火災予防と、最近苦情が増えた与太者達に依る悪さの警戒が主眼と言えた。


「初代狐火は、蕭洛を皮切りに国内を荒らし回ったんだよな。確か隣国にも行ってたか」


 蕭洛の被害総額は六件で約一万両、火事の被害額も含めれば額は倍以上に膨らむ。

 紀の屋と末富士の後の二件は、何れも東側、確か白大路を渡って香良町を南北に挟む様な位置だった筈だ。


 紅子は大和の言に大人しく頷きつつ、昨日読んだ資料を脳裏で引っ繰り返したが、何か違和感と言うか、妙な引っ掛かりを覚えて、思わず歩調が緩む。

 透かさず大和が言った。


「疲れたか、紫竹の」


 紫竹の、とは、大和が散々悩んだ末に妥協した(らしい)紅子の呼び名である。

 武早の様に、ちゃん付けや渾名等は以ての外だが、年下の小娘でも、親しくない相手を呼び捨ては出来ぬ性分の様で、それでも紅子さんと言うのも何だか尻の座りが悪い。

 結局、名を呼ばぬ事で落ち着いたのだが、紅子としてもその方が余程受け入れ易かった。

 武早に関しては最早何も期待していないが、大和にまで紅ちゃんだの赤紫だの呼ばれては、虫酸が走ると言うものだ。

 これ位常識的でないと武早の手綱は握れないのだろうが、しかし目敏い、と紅子はか細い声でお気遣いなくと答えながらも、内心で渋面を作っていた。


 これは本当に油断がならない。


「担当区域は狭くても都の殆ど外れだもんな。現場に着くまでに疲れちゃうよ。赤紫ちゃん、俺が負ぶってあげるから遠慮しなくて良いよ」


 遠慮じゃない。


 歩幅は心持ち狭く、時折、態と小走りになって二人に追い付く演技を忘れぬ紅子だが、実は一日で城壁一周出来る程の健脚の持ち主である。

 寧ろ二人と一緒だと、邪魔で仕方無い。


 陣屋から真っ直ぐ西南へ。曲がる度に道が細くなる辻を幾つも過ぎて、三人が弥栄町に辿り着いたのは、既に日没から二刻が経とうと言う頃だった。

 それでも賊が事を起こすのは、昔も今回も深夜の為、障りは無い。

 此処で頼れるのは、障子戸に滲む儚過ぎる灯火と手持ちの提灯だけで、その灯火も惜しんで早々に消してしまうのが、貧しい庶民の多い南の日常である。典夜町とは天地以上の差だ。


 流石にこの距離では、不夜の町の雑踏やお囃子は、風に乗っても届かない。

 それでも思わずそちらを見遣った紅子の耳朶を、甲高い拍子木の音が打った。

 途中何度も行き会ったが、各町で独自に夜回りをしているのだ。

 庶民に狐火は防げずとも、余計な火事を出したくないのは当然の事で、火の用心、との太い声に、紅子は小さく頷いた。


 弥栄町、豪永町は共に、雨露を凌げる家が有るだけ有り難いと割り切った住人の棟割長屋ばかりの町だが、粗末でも壊れた儘の板塀や雨戸が外れた茅屋等は無く、下町の貧しさは有っても荒廃は見えなかった。

 星明かりと三つの提灯だけで全き闇に抗していても、狭い路地が比較的綺麗な事が判る。長屋の大家がきちんと目を配っている証拠だ。

 特に狐火擬きの所為で、天水桶は全て満々と水を湛えていた。


「よし、こんなもんかな」


 各町には世話役と言われる長が居り、彼等には昨夜からの夜警の実施が、文書で通達済みである。万一、不審者と間違えられ通報されたら、笑い話にもならないからだ。


 夜警前に弥栄町の、途中で豪永町の長の家を訪うと、どちらでも年配の老夫婦が、夜分にも拘らず、余所行きの着物でお役目ご苦労様ですと迎えてくれた。

 それから両町を二周し終えたのが丑三つ時を過ぎた頃。始めに長には気にせず休むように告げたので、流石に起きてはいないだろう。

 豪永町と弥栄町を区切る籬が夜警終了の象徴でもあるかの様に駆け寄った、武早は一つ大きく伸びをし、大和もまた首を鳴らす。

 狐火擬きの活動時間真っ只中でも、近くで火の手は見えないし半鐘も聞こえない。

 今宵は未だ箕松屋の熱も冷めやらず、そもそも長屋町に賊の食指は動くまい。荒廃なんぞ、埃と一緒に毎日掃き出されているに違いない路地と世話役の応対を見るに、賊の隠れ家になっている可能性も無視して良さそうだ。報告書は明朝だし、紅子もこれで解散に異論は無い、が。問題は。


――先手必勝。


 紅子は即決した。


 隙を衝いて、紅子を送る気を派手に発している武早を大和に押し付け、またしても一目散に逃げ出したのだ。


「あ! 赤紫ちゃん、待ってって!」

「馬鹿近所迷惑だろ!」


 抑えた声で傍迷惑な同僚を咎める大和の声を最後に、紅子は見事逃走に成功した。


「あー、また逃げられちゃった……なーんて」


 いい加減諦めろと諭そうとした大和、策がぴたりと嵌まった策士の様ににんまりと笑った武早に、掛け値無しで顎を落とした。


「……おま……態とか!?」


 送り狼になる気満々だった態度は。


「だって、深夜の一人歩きは危険だって言っても、絶対拒否られると思ってからな。ちゃーんと策は講じてあるのだよ、ふっふっふ」


 武早は得意気に胸を反らせた後、こうしちゃ()れん、と紅子を追って駆け出した。

 独り取り残された大和は、また、こきりと首を鳴らし。


「……訳有りねぇ……。……さーて」


 どろり、と濃緑の瞳に夜の濃さが増した。





お読みいただきありがとうございます。

ご感想等ありましたら是非お願いします。励みになります。★★★★★の評価も頂けるとなお一層有難いです。


全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、


天に刃向かう月

竜の花 鳳の翼


も、ご覧下さると嬉しいです。

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