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星を掴む花  作者: 宮湖
紅梅の章

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紅梅の章20 安寧の中の虚、寂寞

不定期更新ではございますが、宜しければお付き合い下さい。

 紅梅の章20 安寧の中の虚、寂寞



 その夜、そうして、漸く訪れた安息の時。

 葛音であれば「落ち着かない事この上ない」と両断しただろう。


 その葛音も、三吉の騒動でかなり憤慨し、新たな普請に意欲的どころか前のめりになってくれたのは、怪我の功名と言ったところか。余程旦那衆に迷惑を掛けた元凶が、腹に据えかねたらしい。


 煌を出して、辰に八津吉を任せ、戻って夜課に勤しんでいれば、先程の三下登場だ。


 こういうのを的確に表す言葉があった様な。気忙しい、でもなく、葛音が言うところの「落ち着かぬ」でもなく、慌ただしい、煩い、等々。多事多端、倥偬、倉卒、偬偬……ああ。


 停滞、怠惰、緩慢、安閑……退屈より、騒動の方をよっぽど好む紅梅だが、牡丹楼を核に、不穏な何か……悪意、害意、敵意と言った、目に見えぬ雲が、目的を一切悟らせずにじわじわと迫るが如き気配は、不快と言うより薄気味悪さが在り、何より自分が事態の全体像どころか外郭すら掴めていない事が、己の卑小さを自覚させる様で、もどかしい焦燥感さえ閃く。


 紅梅は、緋牡丹の扇子を、ぱしん、と打った。


 自室で一人も、紅梅は、お茶を挽くとは言われない。それは、妓楼繁忙時の夜でも絶対である。

 何故ならば、筆頭妓女としての差配が無限に有る事は、妓楼について僅かでも知る者ならば常識であるからだ。


 楼主としての葛音が、きびきびと指示を出しているのは無論だが、芸妓と客の相性や、前回の座敷での会話の細々とした事全ては、流石に葛音まで届く前に取り零されてしまう事が有る。

 普段の稽古の様子、上達の具合、得手不得手も、葛音と共有しているが、葛音が客を持て成す運営の視野である為、現役当時の白梅の視点からは少々遠くなっている感は否めない。


 また、若い芸妓には、白梅の全盛期を知らぬ者もいるのだ。伝説の、が、風聞や幻に近くなるのもそう遠くない時代だろう。


 そんな若者にとっては、葛音は往年の名妓白梅ではなく、厳格でやり手な楼主、との認識なのだ。

 日常の事や、鬱々とした心情を吐露する相手とするには、少々敷居が高過ぎる。


 姉芸妓として後進の育成指導をしながら、細やかに気を配り、筆頭妓女としての座敷も熟しつつ、葛音の支援・補佐にも回る。

 これだけの激務を担う相手を「お茶挽き」と侮蔑する輩がいたなら、牡丹楼総出で、そう、妓女も下男も厨房の下働きも掃除の小女まで全員で、その愚か者を己に適うあらゆる手段を以って、地獄に落とすに違いない。


 加えて、紅梅には秘密裏に――牡丹楼の一部の者には半ば公然と――行う事も有る。

 仕事の苛烈さは、他の妓楼の筆頭妓女の比ではないのだ。

 ここ最近は、影の支配者宜しく、後輩の指導の割合が多かったが、先程三吉に着物を拝ませてやった時に、その存在は流石、と周囲に知らしめた。明日からまた、紅梅を乞う文が山と届くだろう。


 葛音に答えたように、いろいろ仕組んだが、その結果を待つ間は、どれだけ焦れったかろうとも、紅梅の表の役目に勤しむしかないようだった。


 雌伏の時を無為にも感じてしまう己の性分を苦く思いつつ、嘆息した呼気の先を目で追っていると、こっそり動くには欠かせぬ存在が、内から話し掛けてきた。


『主よ。昼間、煌が会ったあの火消だがな、我に気付いたぞ。――否、気付いたと言うより、察した、だな。潜む我を、感じたようだ』

「ああ。――その様だねぇ」


 ふ、と紅梅は誰に見せるでもない、得も言われぬ笑みを浮かべた。


『良いのか。――消すか』


――喰うか。


 言外の念に、ああ、と紅梅は実感する。


 矢張り、夜光は、闇だ、と。


 無灯の夜の暗さも、月も星も無い闇夜の虚空でさえ、夜光の前では仄暗いとしか思えない。


――深淵の、全き黒。


「――いぃや。四角四面の融通の利かない朴念仁かと思いきや、あの男――八津吉は、清濁併せ呑む事を知っている。それが出来る男だ。しかも、一度信じた相手には、裏切るなんて思い付きもしない律義さが有る。今時殺すにゃ勿体ない男だ。十分――使えるよ」

 

 実は、湯殿改築の時の対応の誠実さから、紅梅は八津吉に目を付けていたのだ。


 今回はかなり踏み込んだ件で、更に煌を近付けられた。

 清竹の腐敗は噴飯ものの話だが、八津吉と懇意になれるのならば、紅梅にとっては、それなりに有意義な面も有ったと言えるだろう。


 それに、喰うには不味いだろうよ、と、冗談めかして言っておく。どう考えても、八津吉は美味ではない。


 すると、闇の向こうから、人であるならば、ふむ、と首を傾げるような気配が伝わる。


『しかし、主よ。これは、人が言う処の、珍しい、と言うものだと思うのだが」

「なにさ」

 

 夜光の物言いも珍しくて、紅梅の短い応答にも笑みが籠る。

 先刻、夜光を禍つ存在(モノ)だと実感したばかりなのに、と。


『珍しかろう――これ程、一処に長居するのは』

「……ああ」


 次の応答に籠められた想いは、繚乱だった。


 紅梅として表に出て、五年。裏も含めれば、周囲には加えて数年の知己が出来た。――否、出来てしまったと言うべきか。


 大昔からの葛音や、総てを明かさずとも盲従心酔してくれる牡丹楼関係者は兎も角、最上級の上客の中から厳選して更に少数の座敷にしか現れぬ(紅梅)として、人目に付かぬこの現状でも、老いを悟らせぬ技が有る妓女だとしても、容貌の衰えが一切見えぬ存在は、何れ、確実に、全てを窮地に追い込むだろう。


「解ってるよ。()()()()()()だって、言いたいんだろ?」


 過日の狐火は、蕭洛の者達に、思い知らせたのだ。


 日常の、無情な呆気無さを。

 幸福の脆弱さを。


 総ての、儚さを。


 この時間が、今の暮らしが、浸れる幸せが、続く事をどれ程願っても、それは呆気無く崩れるのだと。

 非情に奪われ、嘆いても見逃されず、足元から覆され、粉々に砕け散る。

 そして、あの時、人々は漸く、自分がどれ程危うい均衡の上に立っていたのかを、どれ程貴重な時間を過ごせていたのかに思い至った。


 同時に、目の前で百万の欠片にまで砕けて散って砂礫となった幸せが、二度と復元不可能である事に打ちのめされたのだ。


 総てを失った者達が、立ち上がり、立ち直り、やり直すまでに必要だった、長い年月。

 文字通りの灰からの復興、それを見届けたかったのが、残っていた理由の一つである事は事実だが。


「――拠り所にも、しちまったからねぇ」


 この世界には、弱き者が多過ぎる。

 それは、紅梅が絶えず憤っている事だった。


 性別、年齢を問わず、虐げられ逃げられずに非業の死を遂げる者の、何と多い事か。


 そして、弱者から搾取する愚者の反吐が出るばかりの横暴が、何と目に余る事か。


 暴力でも、計略でも、政でも、犠牲になる者達。

 

 彼等が奴隷根性で現状を受け入れているなら、紅梅だって構いはしない。だが、命を懸けて抗議し、屈せず顔を上げ、どんな手段であれ、どんな場であれ、戦おうとした者の心を折る事は、紅梅にとって怒髪天を衝く事態だった。


 傷付いた者達が休める場所、或いは雌伏の地。捲土重来を期して力を蓄えるのでも構わない、復讐だって良い。別の道を志し、新天地を目指すのでも、そういった者達を支える側に回るのでも歓迎しよう。


 新たな方策、新たな地。選んだのは茨の道か、若しくは修羅の道ですらあるかもしれぬ。

 けれど、選択したのは、決断したのは彼等自身だから、紅梅は決して阻まない。


 代わりに、此処に在る時だけは、生命の危機にも、辛い暴力にも怯える事無く、安らいで傷を癒してほしいと。


 当時の、葛音の――白梅の思惑と共闘した。お互いを利用するのでも、都合が良かった。

 

 間違いなく、信頼は在ったから。


 だから、牡丹楼を揺るがす事は決して許さぬ。他に犠牲者――特に女達――が救われる場所、逃げる場所が出来るまで存続は絶対だ。


「――解ってるよ。これ以上は目立つどころか、悪目立ちだ」


 牡丹楼の繁栄は、弥が上にも人目を惹く。

 そこに長年君臨する絶対の女王(覇者)は、厄介な妬心も孕んで悪意と共に更なる衆目を集めるだろう。

 

 それは、畢竟、不審、疑念を招く。

 牡丹楼の窮地、破滅に繋がる。


 しかし、ここで、全てを唐突に終わらせ姿を消す訳には、無論いかぬ。


「ぜぇんぶ、綺麗に片付けてからじゃないと、口煩い楼主様に何言われるか、分かったもんじゃないからねぇ」


――だが、何れ帰る。必ず。


 弱き者達の集う砦、女達の拠り所。


 それを作った心算だったが、何時からか自分の帰る場所にもなっていた事に紅梅が気付くのは、まだ先の事である――。









お読みいただき有り難うございます。

ご感想等ありましたら是非お願いします。励みになります。★★★★★の評価も頂けるとなお一層有難いです。


全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、


竜の花 鳳の翼

天に刃向かう月


も、ご覧下さると嬉しいです。


狐火の章ではテンポ良く、を心掛けていたのですが、今章では登場人物の背景や心理等に少し重点を置いている為、展開が遅く申し訳ありません。

にも拘らず、他作品の準備を進めますので、次の更新まで少しお時間をいただきます。展開が遅い上に更新も徐々に間隔が空いているところ大変恐縮ですが、気長にお待ちいただければ幸いです。

多分、一年は掛からない予定……完結済みにはしませんので、宜しくお願いいたします。








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