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星を掴む花  作者: 宮湖
紅梅の章
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紅梅の章18 女神の検分

不定期更新ではございますが、宜しければお付き合い下さい。

 紅梅の章18 女神の検分



「……この辺りで直ぐ動けるのだと……(げん)と、はな、ちよ丸と……おみつ坊に……あ、(しん)ちゃん! と、後は和佐(かずさ)姉もいけるかな。だったら大二郎と、ちょっとチビだけど、新吉も……」


 八津吉の長屋を辞去して直ぐ。井戸端会議と同時に、見知らぬ者の確認と詮索にも余念が無い女房衆の目を避け、佇んでいても、その辺の子供に細々とした用事を言い付けているか、道を尋ねてでもいる風にしか見えぬ体で足を止めた辻。

 ちょうど、八津吉の長屋の戸口に続く小路が見える場所で、辰は配下の子供を指折り数えて列挙した。

 態と声に出すのは、直属の上司たる煌に、その子供達で異論は無いかを同時に確認する為だ。


「それで足りるか?」

「余裕です。寧ろ商家の若旦那の浮気調査の方が面倒ですよ。紅黒って事は非番は輪番でしょ。楽っす。非番以外は陣屋に詰めてるから、家を張るのは少人数で済むし、陣屋の方が人口多いから、普段から小間使い待ちの奴等いるし。流石に火事場には行けないし、焼け出されてもいない子供がいたら可怪しいし」


 的屋やチンピラ等のヤクザ者の組織程ではないにせよ、子供間にも縄張りと言うものがあるらしい。

 前述の集団の様に、確固たる且つ明確な掟や線引きで違反者への制裁が科される事はないが、日常の生活行動範囲外への出張は憚られるそうだ。


 何故なら、大人は、自分の近隣や出先で頻繁に視界に入る子供の事は、記憶する。名前までは知らずとも、人相風体は覚える。何処の子供か、親は誰かにまで至れば熟知の例だろう。

 そこに普段見掛けぬ顔が混じっても、自分の記憶野に在る誰かの友達が遊びにでも来たのだろう、若しくはお遣いでも頼まれたのだろう、と考える。


 対して、子供が、普段見掛けぬ子供を目にした場合、警戒する、と辰は言う。


「ん? 初めて見る顔だな。よっしゃ友達になろうぜ遊ぼう鬼ごっこか隠れんぼか、なーんて、頭にお花畑出来てる()()()()奴しか言いませんよ。この辺の奴じゃねぇな、言い付けられて用事で来ただけか、自分の飯のタネを奪う新顔か、先ずは見定めるんで、観察するんですよ」


 特に、オレ達はね、と続ける辰は、今年十五を迎えた。八津吉の見立てが少々幼かったのは、育った環境に因るものである事は確実であろう。

 育ち盛りの少年にしては小柄な体躯。四尺と半分程の背に、細い手足と相俟ってすばしこく見える、とは良い言い方で、これでも随分と肉が付いたのだ、と煌は思う。


 骨と皮の方が目立つ腕を肩まで、脚は腿まで、極寒の冬でさえ、剥き出すしかなかった貧困。襤褸にしか思えぬ布を胴に巻き付けて、辛うじて服の体裁を成していた子供が、白銀の世界に立っていた光景を、煌は今でも覚えている。


 餓えが巨大に見せる目は、天が与えたのは叡智を宿した光る鋼色であったろうに、己の境遇への怒りと嘆きと、そして何をも上回る疲労と飢餓で、一点の光も見えぬ錆びて曇った闇天に取って代わられていた。


 毎日を生きるのに必死と言うよりも、頭を占めるのは食べ物の事だけで、だから現実に絶望して死ぬ事を思い付きもしなかった十歳の少年は、その時は精々が七つばかりにしか思えず、恐らく――否、確実に、紅梅が目を掛けねばその冬を――その夜を、越せずに、骸となっていたであろう孤児。


 貧富の差は何処にでも在り、明日を生きられぬ子供も何処にでも居た。一々救っていたらキリが無い、抑々全員を助ける事等不可能だ。

 そんな事は百も承知の紅梅が、辰を生かす気になったのは、幼い子供が、それでも、生きる心算でいたからだ。


 前述の様に、辰自身は、死ぬ事に気付かなかっただけなのかもしれぬ。目の前の物が食べられるか否か、それだけを判断するのが生きる事で、その繰り返しが辰の暮らしで。

 だから絶望する余裕も無かったのか。

 自動的に繰り返しただけの、生きる為の方策だったのか。


 それでも、()()を、紅梅は認めたのだ。


『物乞いで糧を得るのではなく、仕事で得ようとする心意気。――気に入った』


 辰の方策。それは、どんなに体が難儀でも、悪天候であろうとも、通りすがりの者に慈悲を乞うのではなく、仕事を求めて対価を得る事。


 それが、幼くして得た生きる手段だった。


 過酷であった事は間違いない。誰かを模倣(まね)たのか、知らず覚えたのか、辰自身も、最早覚えていない。

 それ位繰り返して、生きた。


 十になるまで生きられず、用事を言いつかる機会さえ無く、立つ気力も失われ、生まれてから一度も満腹になった事も暖かい寝床で休む安堵も知らぬ儘、永遠に動かなくなった、自分と同じ様な子供達。


 それが不幸なのでも不運なのでもなく、当たり前で、日常で、終わりの無い連鎖だった。


 幸運は、唯一つ。


 その日、自分が手を伸ばした先が、乞うた相手が、紅梅であった事。


 それ以外は、何時もと同じ事を、繰り返しただけなのだから。


『――仕事。何でもやります。ご用事は有りませんか』


 飢えと寒さで呂律も回らず、小僧に何が出来るかと侮られ罵られ、蹴られる毎日でも、諦めなかった心意気――性根を。


『――気に入った』


 そう、笑ったのは、今まで――そして今でも、他では一度も見た事が無い、美しい人。


 幸運が女神の姿なら、きっと彼女がその神で、今では辰の世界の根幹。


 生きるという事を、変えてくれた人。


 紅梅にそう言うと、いつも彼女はそれを否定するけれど。


『あたしがお前の世界を変えたんじゃない。お前の……そうさね、生への渇望が、当然の事を世界に要求しただけさ。腹が減ったと訴えるのは意地汚いって? そんな戯言(ほざ)く大莫迦は放っておけばいい。自分が飢えて死ぬまで……いいや、死んでも自分が戯けだと気付かない輩の妄言を、意に介する必要なんて無駄でしかないんだから』


 威勢良く、辰の女神は言い放った。


『空腹を覚えたら何かを食べようする。それは人間の……動物の本能で当たり前の行いだろ。それが叶わない大勢が存在するのは事実だ。それは残念な事だけれど、その現実も当然であるなら、その上で食料を得ようと努力する事も必然となる。お前はその努力を怠らなかった。更にはそれがお前を高める事にもなっていた。……今は自覚出来ないだろうけれど。良いさ、施しを求めるだけでないお前の行動が何を摑んだのか、理解出来た時にお前が何をするのかも、興な事さ』


 今思えば、結構な発言だった。


 期待、と言えなくもない。

 これが過剰と思うかどうかは辰の心持次第で、紅梅はそれすらも、己の判断の正しさと同時に、辰の将来をも見極める事を、楽しみだと言ったのだから。


 今の紅梅は、牡丹楼の、延いては花街の頂点に君臨し、身軽には動けぬ……事になっている。その分を補うのが煌……と言う事で、辰は、表向きには、紅梅から煌に下された命を遂行する為の、小間使いの様な事をして少々多めの生計を得て、それを更に辰の用事を言い付かってくれる子供達に分配する事で、嘗ての自分と似た様な境遇の子供達の纏め役となっていた。


 子供達の殆どが浮浪児で、決まった塒が在れば上等の部類だった。当然の如く、彼等の大半に親は無く、兄弟姉妹と言っていても実は血縁でなく、身寄りの無い同士で身を寄せ合い、助け合う為の方便の関係も珍しくない。


 そんな子供達が真面に食事にあり付けている訳もなく、簡単な用事で、仮令握り飯か芋が買える位の小銭でも、払ってくれる年嵩の少年の下に集うのは至極自然な事だった。

 その用事をきちんと遂行すれば、それまで辰の目に偶然止まった者、或いは幸運にも、辰が仕事を遂行しようとするその場に居合わせた者だけが稼げていたのが、その場に不在でも指名されるようになり、実績を積み上げれば、言い付かる用事も、単なる伝言やお遣いから見張りや情報収集と、難度が上がるにつれ貰える額も併せて上がり、しかも辰は公正で、騙して駄賃を踏み倒したり値切ったり、気に入った者だけを贔屓したりは決してなかったから、余計に子供達は辰を慕った。


 辰は知っている。

 自分がどうやって、煌の――延いては紅梅の命令を遂行するか、紅梅が愉しみながらも見定めている事を。

 あの宝石の様に、光そのものの様に輝く瞳を、男達への手管とは全く世界を異にする眼光で満たして、辰の一挙手一投足、そして齎された結果を、満足か不満足かではなく、成果とその影響を以って、一切の容赦無く、吟味している事を。


 きっと――否、間違いなく、紅梅の意に添わぬ非情な手段を採った時には、それまでの実績――僅かながらの交流も含めて、総てを紅梅は切り捨てるだろう。


 在る筈の無い、そんな無慈悲な公平な検分の眼差しを、辰はいつも背に感じるのだ。


 だから辰は、常に、その視線を恐れずに済む振る舞いをする。後ろめたい事が無ければ何も恐れる事はないのだから。

 己に疚しさが有るから、あの美しい瞳が厳しく思えるのだから。


 己がされて嫌な事はしない。

 それが、単純明快だが間違いのない、且つ恥じる事のない、辰の信条で、そして女神の厳しい検分に、一度たりとも適わなかった事のない自負だった。












お読みいただき有り難うございます。

ご感想等ありましたら是非お願いします。励みになります。★★★★★の評価も頂けるとなお一層有難いです。


全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、


竜の花 鳳の翼

天に刃向かう月


も、ご覧下さると嬉しいです。









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