紅梅の章16 手札
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紅梅の章16 手札
「――手札だぁ?」
はい、と頷く穏やかな物腰の青年は、腹が立つ程落ち着いた声音で、続けてとんでもない爆弾を落としてくれた。
「実は、昨夜の一件、我が主が、一部始終をご覧になっておいでで」
「……おい!?」
――何でその件を知っていやがる⁉
「ああ、勿論、胴元でも客でもございません」
胴元、で、昨夜の粗方をこちらは承知だと匂わせる、喰えない処も腹立たしい。
「高見の見物をなさって」
煌にしてみれば、正に、高見の見物だった訳だが、それは告げても信じまい。
「……全く、お前等の情報網には呆れるぜ」
「主の薫陶が素晴らしいので」
牡丹楼に限らず、妓楼には表沙汰に出来ぬ、裏の――付け馬等可愛いもので、後ろに手が回る類の荒事が在る事は、八津吉も重々承知している。
煌は、時に表に出て葛音の代理の様な事も熟しつつ、裏の――表沙汰に出来ぬ方面が主な仕事の雰囲気が強く、主人とは、葛音が白梅時代の伝手を駆使して雇った男だと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
――何れ必ず、その主とやらの面ぁ拝ませてもらうがな。
八津吉の秘かな決意を、果たして煌は気付いていたろうか。
心の内を読ませぬ曖昧な笑みは、総てを知る上で赦す寛容の微笑とも、愚者の足搔きを嘲笑う嘲弄とも思える。
外見の若さからは到底似付かわしくない、達観の境地に在るが如き穏やかな表情は、一体どれだけの苦難を乗り越えれば纏えるのだろうか。
だがそれも、見る者に依っては侮蔑と取られるのだから、表情一つさえ現は儘ならないと、世に慣れたと自負する者は、訳知り顔で言うのだろう。
一方で、それを自在にし、男心を手玉に取る名手達の一が妓女で、その巧みさの頂点に聳えるのが牡丹楼であり、統べるのが紅梅なのだ、と言ったら意地が悪いか、と、八津吉は埒も無い事さえ考える。
そんな生産性の無い思考の渦に浸かるのは、煌の話の意図が――核の真意が、一向に読めぬからだ。
清竹が腐っている。それは解る。同感だ。日々身に染みて実感している。
だから八津吉に間者になって内偵しろ――何でそうなる。
これまでの煌の話では、この二つの脈絡が説明されていないのだ。先般から思っている事だが、大体、そういう事に慣れているでもない自分に、何故話を持ってくる。
まさか、何一つ明かさぬ儘犬になれとでも言う気かと、不審と不信が大勢を傾ける八津吉の天秤に、煌は慇懃無礼にならぬ程度に、そっと肩を竦めた。
「……ふむ。もう少し手札を切りましょうか。実は昨夜のあの盆、以前に主が大層利用なさった賭場でして」
「――おぉい!?」
――とんでもない暴露をしやがった。
「勿論、最後には、各方面にきちんと筋と義理を通してから、清竹に通報なさったのですが」
「おい!?」
――だから、とんでもない暴露をしやがるな。
「主は暫く蕭洛を離れていたのですが、久方振りに戻ってみれば……」
――潰した筈の賭場が、残っていた、と。
「それはそれは驚かれまして」
――ここまでか、と。
八津吉も、青年の言わんとするところに、目を眇めた。
清竹に通報して捕縛させた筈の裏の賭場が、開帳を続けていた。
即ち。
――ここまでか。
ここまで腐敗が進んでいたか。
闇賭場を摘発せず開帳させ続ける程、癒着が深く及んでいたか、と。
そこから簡単に導き出されるのは、非合法の上りから得られる、非合法の収入――賄賂だ。
闇賭場の収益が、清竹の何れかの部署に渡り、情報の漏洩と過分な目溢しの対価となっているのだろう。
それが公にならず問題にもされぬと言う事は、その裏金が何れかの部署から更に上へと納められているからだ。
――上納金。
反吐が出る、と八津吉は顔を顰めた。
町のチンピラに手心を加えてやる程度では済まない。
悪党を守る官匪を、更に擁護するのは、最早巨悪に他ならぬ。
世の必要悪ではない。
唾棄すべき、瀆職の極みだ。
腐敗の根は、恐ろしく太く深いのだろう。
確たる証拠とやらを積み上げずとも、子供でも分かる構図は、限りなく確定に近い黒。
この状況を憂いた煌の主には、状況に応じて使い分けられる正義感と、一般的社会通念が有るようだ、と一応安堵した八津吉だが、油断するのは早計だった。
虚を突く展開は世の常である。
「ああ。序に一つ暴露を。昨夜の賭場の関係者は、地下に掘った抜け穴から、全員が逃げ果せたようですよ」
「!」
さらりと齎されたこの日最大級の爆弾に、八津吉は卓を揺らす勢いで腰を上げ、そしてドスンと座り直した。
「……何で手前が、それを知る」
食いしばった歯の隙間から、押し出す様に呻く。
――俺より遠い位置に居るんじゃねぇのかよ!
それは、未だ、八津吉の耳にも入っておらぬ捜査情報だった。
敢えて聞き耳を立てずとも届く八津吉の位置で、現状把握しているのは、端的に纏めれば「闇賭場の摘発は不発。客共々胴元等全て逃走」だ。
事前の張り込み、踏み込んだ捕り方の構成等も、事情通を自負する同僚から入手してはいたが、それだって清竹側のみの事で、逃走手段何ぞ清竹内でも公にされていない。
そう。清竹内ですら、情報の伝達先を取捨し始めたのだ。
それを、この若造は世間話で思い出したかの如き軽さで。
しかも、先程、煌の主は暫く蕭洛を離れていたと言った。
――暫くって、どれ位だよ。
年か、月か。
一体、癒着は、不正は、何時からだったのか。
大勢が、鮮やかな程の見事さで、何の痕跡も残さず引き上げる事の出来る大穴は、一朝一夕で掘れるものではない。
摘発だけが漏れたのではなく。
――殆ど全てが、筒抜けか。
最低でも、抜け穴の用意が間に合う程以前から。或いは、煌の主が蕭洛を一度離れる頃から、情報漏洩があった事になる。
紫竹下っ端に小金を握らせて軽犯罪を見逃す処ではない。これ程の不正、ある程度抑えの利く部署の上席が、悪党と直接関わっていると見て間違いない。
そして、吸い上げられた上納金の行方は――。
何処に。何の為に。
――胸糞悪ぃ。
腹立たしく憤懣遣る方無く、そして、どうにも……納得し難い。
険しくなる八津吉の一方で、煌は、内心で莞爾となっていた。
これなのだ。八津吉が選ばれた理由は。
八津吉は、以前の湯殿の時に関わった事から、仕事に対しては実直で信用の置ける人物であると、紅梅に認められていた。
清竹内偵の話を持ち掛けるにあたって、軽く為人の調査もしたが、中堅として若手紅黒の纏め役となり、上下共に信頼も厚く、評判も良い。
だが四角四面の堅物と言う訳でもなく、融通の利く正義感の持ち主でもあった。
『八津吉に内偵を』
正に鶴の一声。
天女の下知に逆らう者等、牡丹楼には存在しない。
その紅梅の人物鑑定眼と信頼の行方は、今の八津吉の表情こそがその証左だろう。
しかし、白羽の矢の理由を明かしてやる程のお人好しが、牡丹楼に居ない事も、また、事実であって。
八津吉は、悠然と対面の反応を見る青年を、睨む事しか出来ぬ自分にも反吐が出る思いだった。
だが。これは。
――仕方ねぇ。
清竹が信用出来ない。これは確かだ。
任せられる人が他に見付けられない。そうなのだろう。
信用されて嬉しいと十割で思えるかは複雑な処だが、八津吉自身、そういう不正は毛嫌いする気性なので、関わり無しとの評価自体は素直に受け取れる。
自らが主導して不正の証拠を集め、市松の内に申し出て正義を主張し、先頭に立って瀆職の徒を弾劾するのは、筋でもないし自分の柄でもないが、ちょいと何時もより聞き耳を立て、噂話を知り合いに話す程度なら、法にも自分の信条にも一向に触れぬ。
大体、上納金が何処まで及んでいるのかも不明ときた。市松の内に受け取る人物がいたら最悪だ。
――……仕方ねぇ、な。
何故自分なのかを明かさぬ点に不満は残るが、八津吉の性分として、今の清竹の在り様は看過出来ぬ。
「……随分高い線香代じゃねぇか」
それでも、この程度の恨み言は言っておきたいのが人情だ。
八津吉の葛藤を如実に表した低い恫喝にも、変わらず青年は妖しい笑みを湛えた儘で、八津吉にそれ以上が無い事に満足気に頷いて、言った。
「では、宜しくお願いいたしますね」
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全く別の世界観ですが、お時間がございましたら、
竜の花 鳳の翼
天に刃向かう月
も、ご覧下さると嬉しいです。
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